magic lantern

先んじた手

立ち尽くすナオヤにカイドーはゆっくりと近づき、息すらかかる距離で立ち止まった。目線を合わせる。
「オレから、オレたちから逃げンじゃねーよ。テメェは何にビビってんだ」
「なん、だと……俺がお前たちを恐れているとでも言う気か貴様」
無表情に近かったナオヤの顔にはっきりとした怒りが浮かんだ。いつも神への憎悪を口にするときのような、憎々しげなものではなくもっと単純で純粋な怒りだ。顔が整っているだけに、怒りに満ちた表情には魔王とでも呼べそうな迫力がある。
「ああそうだ。間違ってるかヨ?お前が怖いのはまた一人になっちまうこと、なんだろ?」
自分が求めた相手から拒絶され、孤独に戻ること。一度傍に置いた相手から背を向けられること。
孤独を嫌って、大して分かり合っているわけでもない相手を仲間と呼び連れ立って行動する。そんな人間をカイドーはたくさん知っている。街で暇を弄ぶチームの人間や、盛り場でたむろする連中はそんなヤツらばかりだった。だから、そんな人間たちを纏める立場になんていたくなかったし、チームなんて面倒でしかなかった。孤独を嫌って群れる癖に孤独にしか安寧を見出せない。そんな脆弱さが嫌いで、一人でいるほうがよほど楽だった。
「オレはテメェの腹ン中には興味がねェ。何考えてよーが未だにオレらを駒だと思ってよーが、そんなのテメェの勝手だからな。でもよ」
初めて見る表情をいくつも見たな、と思いながらカイドーはにやりと笑ってみせる。対するナオヤは呆気に取られたような、泣き出す寸前のような複雑な顔をしていた。
「お前がどんなヤツでも、正体がオレらにゃよく分からねえモンでも、オレはアンタを離す気はねぇぜ。アンタはアンタだ、そうだろ?直哉」
腹はくくった。紘明を魔王にすると決めた時、この茨道を共に行くと決めた彼らを守ると決めた。紘明から直哉の話を聞かされた時に、この男を離さない覚悟も決めた。戯れだろうが冗談だろうが、先に自分に手出しをしてきたのは向こうなのだ。悔いるのならば、己の軽率な行動を悔いればいい。
一度伸ばされた手を掴んでおきながら、後になって放り出すような無責任な真似は出来なかった。ナオヤと寝たのは弾みでしかなかったし、お付き合いなどという薄ら寒いものをしているわけでもない。けれど、ナオヤに無理強いをされたわけではなくてナオヤの手を掴むことを選んだのは自分だ。ならば、その手を離さないのは自分の責務だろう──そう、カイドーは思っている。
紘明が魔王としてあり続けるにはナオヤが必要で、アツロウもナオヤを必要としている。が、そんな理由だけではない。それは建前みたいなものだ。
「……余計なことを言うなと紘明に説教するのが、遅すぎたな」
ぽつりとナオヤはそう呟いて、かくりと首を曲げてカイドーの肩に頭を預ける。そしてゆっくり両腕をカイドーの身体に伸ばした。
「今更後悔しても遅ェ」
「らしいな。……ハッ、俺も焼きが回った」
それがナオヤの敗北宣言で、ナオヤはカイドーの背に腕を回してそのまま身体を抱き寄せる。カイドーは真っ直ぐ下ろしたまま抱き込まれている腕を抜いて、ナオヤの趣味が悪い羽織に回した。セックスをしたことは幾度かあって、その前後にキスをしたこともあるのに何故か抱きしめあったのは初めてだった。何故だか、はすぐに分かった。
「俺を手放したくない理由とやらを聞いておこうか、征志。あいつらのためじゃないお前のための理由を」
「ケッ……性格悪いなやっぱ」
くくっとナオヤが声を立ててさも面白そうに笑う。互いに触れ合っている胸から、鼓動の速さで感情が互いに染み渡っていく。
「お前こそ後悔しても遅いぞ?こういう俺が好きなんだろう?」
「ま、そーゆーこった。アンタもよく分かっただろ、もう一人になんてなれやしないって」
好きだから。離したくなくなって、しまったから。
「……そうだな。よく──分かったさ。紘明の差し金というか、アイツの思う壺だというのが若干癪に障るが致し方ない。そんなことは些末事だ」
途中の過程に納得のいかないものが含まれているとしても、結果を否定するほどの重大な要因になりはしない。カインとしての記憶が未だに神に繋がっているアベルへ複雑な思いを抱かせるけれど、アベルとして覚醒した紘明へも複雑な思いを抱かざるを得ないけれど。
神に理解されず、拒絶された挙句にアベルを手に掛けて世界から弾かれ流浪し続けた魂を留めようとする存在がここにある。博愛を持って全てを統べる神から罪をつき付けられ、天使から付け回されて彷徨った今までが、ここに結実した。カインであっても、たとえ別のものになっても、ナオヤという人間の存在を肯定する人間。
根ざす地を永久に失ったはずの自分の手を引いて、無理やり地上に縫い止めた男。
ナオヤは顔を上げて自らを捕らえてみせた男と額を付き合わせる。最初に手を出して戯れに捕らえたのはナオヤだった。けれど、それは本当に自分が捕らえたと言えるのだろうか。どこか互いに確信は無かっただろうか。相手をこのまま放さない、離せなくなるという確信が。
「それが分かったら、オレにもあいつらにも背ぇ向けるんじゃねーぞ。ただでさえ篤郎はアンタに弱いんだ、苛めたら凹むだろーがアイツ」
「俺の腕の中で他の男の心配とは……よほど可愛がって欲しいらしいな」
「なっ!?何、言っ…んぅ……ッ、ん…」
さっきまでの、どこか空ろで弱ささえ感じた様子とは一変して、ナオヤは楽しげにそう言って何の予告もなく唐突にキスをした。互いの背に回っていた腕が、するりと後頭部に回る。驚きはしたものの抗う気のないカイドーはナオヤの伸びた髪をくしゃりと掴んだ。まるで糸のように細い髪の毛が指の間から流れていく。
「…ん、ぁ……っふ……」
合間に息を継ごうとして、その息さえ食べられるように唇を重ねられた。何度も、何度も。執拗と言っていいほどナオヤがこの行為を繰り返したのはカイドーにとって初めてのことで、どこか焦点が合わなくなっていく視界と何も考えられなくなっていく頭を自覚しながら、紘明が自分に任せようとした意味を朧気に理解した。
よくは分からないが、自分がナオヤに投げた言葉は今のナオヤにとって要る言葉だったのだろう、そしてその言葉をナオヤにやれるのは紘明でもアツロウでもなく自分だけだった。だから、紘明は全て分かっている風に振る舞いながら手出ししなかったのだ。ナオヤの細くて体温の低い冷たい指が項や耳の後ろを這い回って、カイドーはそれ以上何も考えられなくなっていく。紘明は間違っていなかったし、自分も間違ってはいなかった。だからナオヤはもう出て行こうとしないだろうし、いたずらに周りを傷つけて自分をも傷つけるような真似もしなくなるだろう。それでいい。ナオヤが何に苛立って、自分があの時ナオヤの何に苛立ったのかももう忘れた。
「っ、はぁ……は、…っ……お前、寝て、ねーんだろ…寝ろよ」
「そうさせてもらおうか。お前は俺を離すつもりが無いと言ったが、生憎俺もお前を離してやるつもりはなくてな。協力してもらう」
「へっ?」
自分より確実に弱いはずなのに、とカイドーは不思議に思いながらナオヤに引っ張られてそのままベッドにぽんと投げ出される。そもそも抗う気が無いので当然なのだが。
「ンだよ、一発ヤッて寝るつもりか、寝てねーのによく体力あんな」
いつもそうしてきたようにカイドーが自分の服を言いながら脱ごうとすると、その手をナオヤに掴まれて止められた。視線だけで意味を尋ねると、ナオヤは羽織を床に脱ぎ捨ててベッドに上がってくる。覆い被さるような姿勢で、再度視線を合わせた。
「俺にさせろ。お前は大人しく抱かれていればいい」
「──ッ!」
同じことをするはずなのに、かつてないほどの羞恥に襲われてカイドーはかっと頬を染める。今まで一度もそんなことを言われたことはなかったし、互いに気が向いたときにする、処理の意味合いが強い事務的でスポーツのようなセックスしかしていない。気持ち良いのだし生理的にもすっきりするし、その行為に何の意味を含める気もカイドーにはなかった。好きだとは思うけれど、女ではないのだからそれとこれとは別だろうと思っていたのだ。けれど。
「可愛がってやると言っただろう。俺は──少なくともお前に嘘をついたことは無い」
嘘をついたことが無いという対象が自分だけであることを喜ぶべきか、それにナオヤの弟や弟子が含まれていないことを怒るべきか、それより何よりその前の不穏なセリフを正そうとして顔を上げたカイドーは真っ直ぐ自分を見ているナオヤの赤い目にぴたりと捕えられる。
「気づかせたのも、俺をここに留めたのもお前だ。責任は取ってもらう」
ナオヤの性格を考えれば何より恐ろしい言葉だと分かっているのに、この男が要求する責任という対価を払い終えることなどないと分かっているのに、それでも──だからこそ、嬉しかった。やっと、天津直哉という人間と向き合えた気がした。


お兄ちゃんを幸せに叩き落そうぜ編、第二段。魔王だとどうしてもアベルの影がちらついて悲恋になりがちだから、開き直ってただの人間に人間として幸せにしてもらおうと。カイドー、面倒見良すぎだろ本編で。カイドー、ナオヤに懐きすぎだろ本編で。