magic lantern

至高の花

「さて……ここらまで来ればいいだろ。おい、お前ら下がってろ。ここら辺り、誰も近づけさせるんじゃねえ」
義賊の頭目であった甘寧は人に命ずることに慣れている。後宮の入り口で人払いをした甘寧はさらに奥へと入って、一つの堂室に入り戸を閉めて凌統に向き直った。
「ところでここ、どこだ?」
「え?……ここは東宮の主殿だから…王の親族とかが住まう場所、ということになってます」
「へえ、家族の住処ってのもあるんだな。まァおれにゃ迎える家族なんてモンねえけど。……で、だ。おれはまどろっこしい真似が嫌いなんでな、単刀直入に聞かせてもらう。お前、おれが憎いって言ったな?」
主である王を憎み嫌うなど、とてもではないが麒麟としてあるまじきこと。そう思いながらも新王を喜べない凌統は俯いて何も答えることが出来ない。
「別に怒ってねェよ。おれァ王だの麒麟だのってのはよく分からねえからな、お前が間違ってンのか正しいのかも分からねえ。解放してやろうか?」
「何、言って……」
麒麟と王は神籍、仙籍などとは違い抜けることは死を意味する。そして麒麟の死は王の死を意味していた。麒麟が身罷って後、数ヶ月後には必ず王も後を追う。また、王は禅譲といって蓬廬宮へ赴き死を迎えて麒麟との絆を絶つ術もあった。
「禅譲ってヤツをすりゃぁお前を解放してやれンだろ?恨む相手に平伏しろだなんて、麒麟ってのは難儀な生き物だよな」
「何で、だって禅譲したら」
「死ぬんだろ?そりゃ蓬廬宮で聞いた。王になった以上は王であり続けるか死ぬしか、もうその二つしか道は無ェって。おれが王になっちまったのも、お前がおれを許せねえのも、もうどうしようもねえんだろ?なら、おれが下りるしかねえだろ」
凌統は呆けた表情で顔を上げ、何故か眼前で笑みを見せる王を見つめた。先王と何も似ているところなど無いのに、どうして、笑みが被るのだろう。
「おれに言われたくはねえだろうが、おれはお前の主がお前を残した理由ってのが分かる気がすンだよ。……おれは王が何をするモンか、なんて全然分からねえ。だから、ここに来る前に決めたことがある」
王が伸ばす手に凌統は逆らえない。それは王気が凌統を縛るからではなくて、王の顔がひどく辛そうな上に伸ばされる手がまるで陶器を扱うように優しく凌統へ伸ばされたから。王の手はそっと凌統の顔を撫でて、鬣である黒髪を何度も撫でる。
「お前が嫌がることだけはしねえって」
「…… そんなの、無理だ、だって俺は」
慈悲の神獣。正統な裁きであっても凌統には罪人の処断など苦しくてたまらないし、戦なんてもっての外だし、民の飢えもどんな苦しみも凌統にとっては等しく己の苦しみになる。だから麒麟の慈悲にばかり耳を傾けていては国は治まらない。
「おれがあの時許すって言ったのはよ、お前を離したくなかったからだ。お前は初めて逢ったときからずっと辛そうで苦しそうでよ、王とやらになってずっと一緒にいりゃァいつか笑わせてやれるかって思って、あれを受けた。何でだかな、おれはお前が苦しんでんのが、嫌なんだ」
「…………甘寧」
初めて王の名を呼んだ凌統の声は、涙で掠れている。先ほど引き上げたはずの涙がぽろぽろとこぼれていった。
「禅譲する覚悟があるなら、その前に俺を殺して」
「王を失ってまた一人になるのはもう嫌なんだよ、お願いだ、俺をもう」
置いて行かないで。
涙とともに零れ落ちた言葉ごと、甘寧はしっかりと凌統を抱きしめる。
初めて逢ったとき、それは凌統が甘寧に誓約を迫ったときだったのだが、凌統は息が出来ずに苦しんでいるような、不幸そのものを背負っているような顔をしていた。憂いの濃い表情がどこか儚げで、これを守り人々を守ることが王になるということならそれもいいかと思ったのだ。
「置いて行かねェよ、お前が望むならちゃんと連れて逝ってやる。だから、…………おれと生きないか」
「……」
黙り込む凌統の後ろ頭を何度も手で撫でながら、背中に片方の手をそっと押しつける。そして耳元で続けた。
「やっぱりおれじゃ駄目か?おれじゃ、お前の生きる理由ってのにはならねえか?」
「生きる、理由……」
「駄目なら言え、お前の望むようにしてやる。まあ今すぐ決めろってンじゃねえけどよ」
しばらく凌統は尚も黙っていたが、やがておずおずと顔を上げて甘寧を見上げる。涙の跡が残る潤んだ目が、じぃっと甘寧を見つめていた。
「……ほんとうに?」
「ん?」
「本当に、俺が望んだらそうしてくれる?置いていかない?」
逢った当初からの、他人行儀で形式ばった言葉はもう凌統の口から出てこない。それに気づいた甘寧はにぃと口の端を上げて、おう、と請合う。これがおそらくそもそもの地なのだろう。
「お前が望むってンならよ、いつだって叶えてやらァ」
寂しがり屋で、甘えたがりで。麒麟というものの性質なのかもしれないが、甘寧にとってそんな凌統の姿は好ましく思える。可愛いモンだと思えるのだから、もうこの麒麟にハマってしまっていると言っていい。
「……じゃあ、いいよ。甘寧が俺の望みを叶えてくれるんだから、俺もそうする。生きてみる」
まるで子どものようにはにかむ姿が可愛らしくて、甘寧は思わず口に出してこう言った。
「お前ェ可愛いのな。造りが美人で中身が可愛いってどんだけだ。おれァ果報モンだな」
「なっ……」
今度は羞恥で顔を染める己の麒麟をもう一度腕に抱いて、全く果報者だなと一人で頷いてみせる。王と麒麟は神籍、老いることも病むことも無い。死は天命を失ったときか、己が選んだときにのみ。それがいつなのか二人にも誰にも分からない。最後を同じくすると決めたのだから、甘寧にとっては永遠にも近しい時間だ。
ここは後宮、美姫で満たすことも可能だと臣下の誰かが甘寧に告げたのは最近だ。そのときはすごいもんだと流した話だが、今となってはそんな日は決して来ないだろうと思える。こんな美人の、しかも可愛らしい半身がいるのだから他は要らない。どこかの美しい女に割く時間があるのなら、目の前で真っ赤になって打ち震えている麒麟を笑わせてやりたい。少なくとも、今はそう思った。
ぽんぽんと軽く凌統の背を叩き、腕を緩めて身体を解放する。顔と言わず耳や首筋はもちろん、およそ白い肌のほとんどを凌統は朱に染め上げて居心地悪そうに視線を彷徨わせた。
「ここらで一献、てェいきたいとこだがもう夜更けだからな。お前、正寝までの道分かるか?」
「……」
正寝。甘寧が王となって、というか甘寧を伴って宮城に戻って以来凌統が決して近寄ろうとしない場所だ。後宮自体は孫策在位の頃から閉められていて、孫策の妻は正寝の花殿に住まっていた。主君夫妻が居た正寝にはよく凌統も出入りしていて、東宮の正殿からはどう行けば近道なのかよく分かっている。分かっているが、孫策が禅譲して以来ほとんど仁重殿に篭りきりだった上に先王の思い出に満ちた堂室にはどうしても足が向かない。
「……悪ィ。ここらは人払いしちまったから、とりあえずお前ンとこか陸遜のとこまで戻るか。あっちにはまだ夏官もいたし、そいつらに道案内させれば、ってオイ」
思わず押し黙った自分の心情を主が慮ってくれたのが嬉しい、嬉しいと思った自分が恥ずかしい、さっきまであんなに嫌いだと思い込んでいたのに離れたくない、やっぱりそんな自分がイヤだ。凌統はいくつかの感情を一遍に抱え込んでしまって何も言えなくなり、甘寧の長裙の端を摘んでずんずんと歩き始める。
「どうせ掴むならこっちにしとけ」
するりと甘寧は凌統から袖を奪い返して自らの手を重ねた。
どんなにこの王を許せないと思っても、ただ一つ、背を向けることの出来なかった王気がさらに強く伝わって凌統は涙ぐみそうになる。孫策のものと甘寧のものはどうしたって違う。違うのだが、凌統にとってはどちらも暖かくて少し苦しくて泣きたくなる。夏の暑い最中、陽炎が立って息が少し苦しいような熱気に似ていた。
「お前ェは手も腕も細っこいんだな、折れちまいそうじゃねえか」
「別に折れたって治るっていうかそもそも折れないと思うけど」
麒麟は神獣、病気はしないし怪我はたちどころに治っていく。ただ、麒麟は血に病むので他人の血を見ることなど耐えられないし、かすかな血臭にも弱い。
「まあそう言うなよ、もののたとえっつーか女どもよりよっぽど壊れそうだと思っちまっただけだ」
「女の人?俺は麒で男だから女の人みたいにか弱くは無いっつーの。ほら、着いたよ」
凌統に言われてはたと甘寧が辺りを見回すと、確かにそこは自分が寝起きしている正寝の正殿だった。そそくさと手を離した凌統は仁重殿にすぐ戻るでも、正寝に居ることを嫌がる風もなく甘寧の行動を待っている。
「凌統?」
「なんだよ、牀榻に行くならとっとと行きなってば。ついでだから見送ってやろうって思っただけだけど、嫌なら戻るから好きに…っ、わっ」
この分かりにくい可愛げ、少し間違えたら面倒くさいことこの上ない麒麟の拗ね方が、もはや自分にとっては身も世も無く可愛いと思える。甘寧は苦笑しながら腕を伸ばし、逃げ出そうとした麒麟を背中から抱きしめた。
「まあ待てって。大体この牀榻は広すぎて落ち着かねェんだ、お前も来い。ちょっと狭いぐらいのほうが慣れてるんだ、おれはよ」
一月ほど前までは荒んだ街の片隅に住まっていたのだから、自分が両手を広げても尚余るほど大きな臥牀など持て余している。
「ほら…ってお前なんだすげー軽いぞ、大丈夫か」
「……麒麟はこんなもんなの。妖魔と同じで飛べるんだよ、仙骨があるから軽いんだって」
何故か主に両腕で抱えられてしまった凌統ははぁ、と小さくため息をついた。
「へえ。ま、便利っちゃ便利だな。おれァ力には自信があるけどよ、背じゃお前に負けてるからな。抱えやすくて何より」
「何で抱えること前提なのアンタ……」
孫策と出逢った頃は子ども、つまり雛だったので腕に抱きかかえてもらったことは数知れないし、大きくなっても時折こんな風に抱えてもらったことがある。主に二人で城を抜け出して遊びに行くときだった。
凌統は呆れたふりで顔を手で覆い、ちくちくと胸を刺す痛みに耐えようとする。先王、孫策のことを思い浮かべて苦しくなるのは変わらなくて、でも、それが今の王や天帝への怨詛などには繋がらない。
この痛みはおそらく風化しないもので、孫策が天命を失った──失道した原因は自分にもきっとあるのだから当然の罰なのだ。失道の咎を王は自分の命で購った、半身と呼ばれる麒麟である己は痛みを抱えても尚生きて国を富ませることで償うべきなのだろう。

翌朝、揃って正寝から現れた主従に冢宰である周瑜がかつてないほど間抜けな顔をしたことも、甘寧と名を呼んで親しげに離す凌統に陸遜が腰を抜かしそうになったことも、全ては後の世で笑い話になる。


ちなみに、後で甘寧が凌統に字を下してお互い字で呼び合う馬鹿っぷるみたいな主従になる予定。凌統ってのは孫策様が上げた字。
周瑜様はそろそろ遁世したい…(馬鹿ップルの面倒なぞ陸遜に任せたい)と思いつつ孫策に凌統を頼まれちゃったので律儀に面倒見ながらびしびし甘寧をスパルタ方式で鍛えていく。陸遜は泣き言や恨み節が惚気になっただけ平和だと思っても、他人の惚気なんて世界で一番どうでもいいですよねと本気で思ってる。ただ、ここの場合惚気てる間は国が安泰なので邪険に出来ない(笑)。
孫策様をお星様にしちゃったのが自分でもあーあって感じなんですが、さすがに権をお星様にするわけには…凌統の幼馴染(願望)だし。
凌統は泰麒みたいに雛の時に孫策様と出会っている設定。だって凌統は権と同年だから孫策様や周瑜とは史実だとかなり歳が離れてた気が。個人的設定で、無双凌統は凌操パパを失って周瑜に半分育てられた過去がある。いろんな意味で師匠。碁が呉で一番強いのは周瑜。次点凌統。性格も似ていなくもないので、揃って嫌な碁を打つ(笑)。隙の無い、相手のちょっとしたミスをつついてあっという間に勝っていくタイプ。大博打はやらない。やっても勝算があるときだけ。
ともあれ、十二国パロ超楽しかったっ!甘凌もっと増えればいいのに。