死に至る病・彼へと至る痛み
「阿門様、只今戻りました」
「ああ。………お前も来たのか」
神鳳に続いて入ってきた九龍の姿を目に留めた阿門は、わずかに片方の眉を上げて驚いている様子を見せたが威厳のあるいつもの表情に戻った。傍らに控えている双樹が朗らかに笑う。
「良かったわ、九龍。もう元気になったのね?」
「おう、おかげさまでなー。つーわけで阿門、一発殴らせろ」
何が『というわけで』なのか不明だったが、この場には不可解な九龍の句法を尋ねられる人物はいない。神鳳と皆守は黙して成り行きを見守っているだけ、双樹はあっけにとられて言葉を失っており、当の阿門は黙って頷いただけだった。
「一発でいいのか」
つかつかと足音を立てて九龍が近づいてくる間、腕にしがみついた双樹をそっと後ろへ追いやった阿門は表情を変えないまま九龍に尋ね返す。近くの机で作業中の皆守は、数時間前に一発どころではなく十発以上は殴られていた。
「本当なら、お前を失いかけたヤツらの分も合わせて数発殴ってやりてぇけど、それはおれの権利じゃないからな。……歯ァ食いしばれ」
前置きとほぼ同時に阿門の頬を殴りつけた九龍は、握り締めた拳を諌めるように左手で覆う。阿門はわずかによろけただけだった。
「忘れるなよ。理不尽に誰かを失う痛みはそんなもんじゃない。お前が長だと言うんなら、何を負ってもその頂から降りるな」
「……ああ」
過去の罪を背負っても、誰かの命を背負っても。長であることで犯した罪は、長でありながら償うより他にない。
「阿門様、大丈夫ですか!?痛みませんか!?」
九龍が踵を返した途端、双樹が阿門に駆け寄って殴られたばかりの頬に白く細い手を翳す。
「大事無い」
「冷やすものを持ってきます!」
制服のスカートを翻して双樹はすぐさま部屋を出て行った。九龍を責めることも泣くこともなかったが、何となく九龍自身はばつが悪い。
「やっぱ女のコが見てる前でぶん殴るのはまずかったかなァ、甲ちゃん」
「……数時間前のてめェに同じことを聞きたいが」
皆守は淡々と判をついて書類をまとめていく。表情はいつものように冷めたままだ。
「それもそーだね、いまさらか。あれ?夷澤は?」
さながら小型犬のようによく吼える副会長補佐役の姿が無い。
「夷澤なら後片付けを任せていますから、墓にいるんだと思いますよ。あれでも体力はありますしね」
「ボクシング部だったっけ。確かに体力要りそうだよな、ボクシング。……そうだ、阿門」
「何だ」
副会長と向き合うような位置で阿門は作業に戻っている。双樹がアイシング用の保冷剤を持って頬に当てていた。その手を振り払うでもなく、阿門の目は書類に向けられていた。
「あの遺跡、区画はあれで全部か?玄室にどこかに繋がる階段があったし、玄室への封が解けるとき十二個のマークがあったけどおれは十一個しか区画を開いてない」
一つずつ、青い光に包まれていったマーク。大広間にあったあのモニュメントは、十二個のマークが記されており同じものが各エリアの入り口にある鳥居にもつけられている。
「……クーロンの秘宝は最早無い。お前が求めるものはもうここには無いだろう」
「分かってねェな、おれが求めてンのは『秘宝』でそれはクーロンに限ったことじゃない。クーロンの秘宝を探せって言ったのは協会で、おれが知らないどこかの誰かがそれを協会に依頼した。協会がやってんのは商売だからな、依頼がないと動かない。でもおれは違う」
遺跡を開くこと、秘宝を探すこと、その全ての過程を九龍は愛しているし求めている。
「お前が遺跡に行くことを止める権利はもうおれには無い。あの墓に王はいないのだからな」
王の眠りを護るための守り人と巫女。それが千七百年続いた阿門家と白岐家の重い役目だった。
「ただ、行くのならば気をつけたほうが良いだろう。王がおらずとも、化人が全て消えるわけではない。お前が目星をつけている区画は、今までの区画と意味合いの違う場所だ。残された資料からの推察だが、あの場所はおそらく実験の成果を確かめるための、試験場とも訓練所ともとれる場所だろう。天御子たちの叡智によって生み出された化人たちの能力を測るための、な」
「へえ。阿門も入ったこと無いんだ?」
「入ったことならあるが化人は墓守を襲うことは無いのでな、どれほどのものがいるのかは分からん」
「そりゃ楽しみだ、さっそく入らせてもらおうっと」
阿門が九龍の求めに応じてあっさりと遺跡の秘を話したことに驚いていた皆守は、今まで判をついた書類を全て一まとめにすると窓際によってアロマスティックに火をつけた。
「…お前に『入らせてもらう』なんて感覚があったことのほうが驚きだぜ、九ちゃん」
「む、失礼な」
「部屋の鍵をかけていても針金で開けて人の部屋から物を盗っていくヤツがそんな殊勝なこと言ってもなァ」
「甲ちゃんだっていくらおれが獲っても同じとこに置いてるじゃん、カレー。あれって補充してくれてんでしょ?」
「あ、ほ、かッ!何だって俺がお前の盗みのためにわざわざ自費でカレーを買わなきゃならないんだッ!」
「じゃあ何で?」
「〜〜ッ」
九龍の問いに皆守は口ごもって、いらいらと頭を掻く。窓辺に漂っているラベンダーの匂いをいまさら気にする生徒会のメンバーはいないが、微妙な空気に双樹は頬を引きつらせた。
どことなく痴話喧嘩みたいなのが気に喰わないし、何より書類に目を通している阿門が皆守の様子を気にしているのが一番腹が立つのだ。阿門は皆守が普通の高校生のように感情を表に出して、九龍を怒っているのが嬉しいようだった。いつも醒めていて、外界と自分との間に深い溝を引いている皆守が、九龍の前ではどこにでもいるただの高校生のように見えることを喜んでいる。阿門が喜びたくなる気持ちを分からないではない双樹だが、自分が横にいるのによりによって他の男と痴話喧嘩をしている皆守に阿門の興味を持っていかれるのはやっぱり許せない。
「九龍、その男の仕事はもう終わってるわ。今日の分はね。駆け引きをするなら、自分のテリトリーに引き入れるのが一番よ」
「オッケー!と、いうわけで甲ちゃん連れてくね、阿門」
「おい待て九ちゃん、ちょ、担ぐな!」
「えー?じゃあだっこする?甲ちゃん軽いから寮まででも余裕ー」
下ろせ、そもそも手を離せ、人の話を聞けと皆守が上げた声は九龍に連れられた後になっても、阿門たちのいる部屋に響いてきた。阿門はふっと微かに口元を綻ばせる。
「困ったものだ」
「阿門様、お茶をお淹れしますわ、何が宜しいでしょう?」
「お前に任せる」
「はい!」
やっとのことで笑顔になってお茶の支度を始めた双樹の背と、いくらか雰囲気が和らいだ長の横顔を見ながら神鳳は小さくため息をついた。
「それでさぁ、甲ちゃんに聞きたいことがあるんだよねー」
「何だよ」
宵闇の中で九龍がそう言い出しても、もう皆守の心が切り裂かれるように痛むことは無かった。一日前ならば、何を聞かれるのか正体がバレてしまったのかと苦しんだだろうが、もうそんなことは終わったのだ。
「おれとしてはさ、甲ちゃんの元彼が阿門でも気にしないけどやっぱりちょっと気になるっていうか」
「……はァ!?」
もじもじしながら話を続けようとする九龍が、あまりに強い語気に驚いて目を瞬かせる。
「え、だってそうなんだよね?だって甲ちゃんだけでしょ、阿門の屋敷に部屋もらってるのって。それってそういうことじゃないの?」
「……お前なァ…どういう頭してやがんだ、沸いてんのかこら」
頭痛がする、と皆守は頭を手で支えながらベッドに腰かけた。九龍の頭の中で、自分と阿門がどうなっているのかを聞くのも覗くのも恐ろしい。何なら一生口を開くなと蹴り倒したい気持ちで一杯だ。
「だって…阿門と仲良しだし…部屋までもらってるし…あんなことするし…」
あんなこと、で一瞬何を想像したんだとぎょっとした皆守だったが、墓と共に二人とも沈もうとしたことだと思い当たって細い息を吐く。
「仲が悪いとは言わないが、別に九ちゃんが想像してるような関係じゃない。俺に好きだの何だの言ってくる酔狂な野郎はお前だけで十分だ」
「酔狂じゃないもん真剣だもん。でもそっか、元彼じゃないんだ。じゃあ何で部屋もらってんの?やっぱ生徒会のお仕事?」
「……寮のベッドが狭くて周りが煩くて眠れない、といつだったか阿門に文句を言ってやったことがある」
会長のお前がこんな広い屋敷で優雅に寝てるってのに副会長の俺が、と嫌味まるだしな皆守の言葉に阿門は驚きもせずにいつものように低い声でこう返した。
『ならば、お前もこの屋敷を使えば良いだろう。幸い部屋は余っている』
さすがにそう言われるとは思っていなかった皆守が驚いている間に、阿門は執事に命じてさっさと皆守の部屋を用意してしまった。ベッドも広く、奥まった居住空間の中にあって静かな部屋を。
「千貫の爺さんに用意までさせておいて、要りませんってのも悪ィだろ。寝心地は良いし。で、あの有様だ」
清潔に保たれているだろうシーツにも、綺麗なカーテンにも部屋そのものにもラベンダーの香りが染み付いている。皆守の存在そのものといってもいい。
「え、それだけ?」
「それだけ、だ。俺は神鳳や双樹たちみたいに阿門に仕えてるわけじゃない、改めて関係性を言葉にしたことなど無いが八千穂の言葉で言うなら友人、だろうな」
腐れ縁と呼べるほどの長い付き合いでは無かったが、二年半を越える付き合いはいろんな意味で深い。同罪を負った共犯者で、光さえ見えない闇の中を共に歩む同士だ。話しかけられることも、干渉されることも鬱陶しくて仕方の無かった皆守が本当の意味で干渉を許した相手は阿門だけで、もう一人の干渉者は皆守の罪と共に消えてしまった。それから皆守は自ら望んで晴れることの無い暗い靄に身を寄せ、その靄が晴れた今、阿門とは違った意味で深い干渉を許しきった相手が隣にいる。
「そっか…友達か、うん、ならいいや」
妙に晴れ晴れとした顔をしている九龍に、部屋の用意をするまでの間ということで阿門の部屋で一緒に寝た過去があることは黙っておこうと皆守は決めてアロマをくゆらせた。寝たと言っても、無論、並んでそのまま睡眠をとっただけだ。皆守は最初ソファでいいと言ってみたのだが、坊ちゃまにこんな御友人がお出来になるとは、と千貫があまりに喜ぶので『いくらキングサイズのベッドとはいっても男子高校生が一緒に寝るのはいかがなものか』という常識的な意見は却下された。あの主従は人が良いように見えて、どことなく押しが強い。
「ね、甲ちゃん」
「ん?」
阿門の屋敷にある部屋のベッドならまだしも、寮のシングルベッドでは二人並ぶのはいささか狭い。それでも身を寄せ合うようにして、二人は横になっていた。
「明日ついてきてよ、遺跡。阿門が言ってた区画に入ろうと思って」
「バカだな、九龍。お前は俺に頼んだりしなくていいんだよ、俺はお前のバディなんだから」
くすりと笑う皆守を前に、九龍はわなわなと手を震わせる。抱きしめて愛しさを告げたい衝動と、組み敷いて思い切り貪りたい気持ちが交錯して身体が動かない。
「そういうことなら俺は寝るからな、お休み」
「え、甲ちゃん、甲太郎!?」
皆守がずっと抱えていた秘密も九龍の仕事も片がついて初めての夜だと言うのに、皆守はそう言ってあっさりと九龍に背を向けてしまった。
「俺は寝る」
照れ隠しなのかな、と手を伸ばそうとした九龍は皆守の声の低さにびくりと手を止める。寝入りにしろ寝起きにしろ、睡眠に関して機嫌を損ねると皆守は実力行使に出るのが分かっているのでもはや反射だ。
「……俺がお前を守りたいんだ、肝心なときに役に立たなかったら意味が無いだろ。分かったらお前も寝ろ。危険に繋がる因子を自分で作るな」
「ふぁい……」
自分の身を案じての言葉だとは分かっても、普通に寝ようとするだけで身体が触れ合う距離にいて何もするなというのは拷問に近い。九龍は出来るだけ疚しいことを考えないように、さっさと眠ろうと目を瞑る。
「…………」
先に寝ると言い出したのは皆守だが、やっぱり先に眠れたのは九龍だった。ハンターの習いなのか九龍は寝つきも寝起きも格段に良い。皆守は背後で規則的に続く寝息を確認し、十二分に気配を探ってからくるりと身体を九龍のほうに向ける。やはり寝ていた。人畜無害です、と全面に書いてある無防備な寝顔に笑みを浮かべて額と鼻の頭にキスをする。
「続きは、明日帰ってからな、九ちゃん」
目を覚ました九龍が自分に擦り寄るように眠っている皆守の姿に驚きながら感激して、キス攻めで皆守を起こして怒られるのはこれから数時間後のことだった。
びっくりした。何にってなんかラブいことに。なんかもっと確執とか愛憎劇みたいなのにならなくて自分でびっくり。まあ冷却期間が半日ぐらいあったし(皆守は九龍よりずっと前から起きて一人で悶々としていました)。しかも阿門様が何か皆守のことすげえ好きみたいになっちゃったけど、プレイしたときマジでそれぐらい好きだろうとは思ったんだよね、だっておかしいもん、あの人。いくら何でも皆守のこと好きすぎだよ、皆守だけが阿門の特別だもん。まあこれから咲重ちゃんとか充様も特別になると思うよ、一生もののね。阿門と皆守の話も書きたいなー。
