ゆずり葉
「俺?」
「法神流は道場など開かない。門下生も取らない。弟子は一人きり、それも伝承者が認めた者ただ一人。オレの先代は三百年ほどの刻を越えてオレに逢い、オレに技を継がせた。法神流は継ぐに相応しい強さを持てる者にしか、教えない。そう決められている。だからだろうな、先代とオレが揃って刻を越えたのは。法神流の伝承者として刻を越えたのなら、名乗る名は神夷しかない」
ほとんど話など出来ず仕舞いだった先代も、生まれた時代では別の名だったのだろうと京梧は今にしてそう思う。法神流を継ぎ神夷を名乗り、継承者を探して京梧に出会った。
「……俺も、師匠みたいになっちまうってのかよ」
「さァな。修行も終わってねェ半端モンが何言ってやがる。──刻を越えて、見知らぬ世界に放り出されるのが怖いか?龍麻ともお前の仲間たちとも切り離されて、一人になっちまうのがよ」
ぎろりと睨みつける京梧の視線を真っ向から捕らえて、京一もまた師匠を睨み返す。やっぱり似てるな、などと龍斗が思いながら茶を啜っていることには三人とも気づいていない。
「てめェこそ何言ってやがる。俺がどこに行こうが、その場に龍麻がいようがいまいが、二度とこっちに戻れなかろうが、ンなこたァ関係ねェよ。俺は一人じゃねェんだから」
「へらず口叩きやがって」
「お師匠」
それまで静かに話を聞いていた龍麻が口を挟む。
「京一がいつかお師匠と同じ道に出会ったとしても、その時はおれも傍にいるはずです。たとえ先に一人で行かせても、絶対に京一の傍へ戻ります。離れてたって一人じゃないとおれも思うけど、でも、一人になんてしません。だってそうでしょう、だからこの人がここにいるんじゃないんですか」
龍麻の視線が龍斗を指し、京梧はそのまま龍斗と目線を合わせ、すぐにふいと逸らして腕を組んだ。
「ちッ、本当によく似てるぜ」
「本当だ、去年オレが言ったことを繰り返して聞いてるみたいだな、京梧」
似るもんだなあ、と朗らかな口調で言ってのけた龍斗に京梧が噛み付く。
「うるせェ、黙ってろひーちゃん」
「え?」
久しく呼ばれていなかったあだ名で呼ばれ、龍麻がきょとんと目を丸くした。2人で旅をしているときや、日本にいるときは京一もそう呼んでいるが師匠の前では名前で呼ぶようにしていたのだ。
「京梧、こっちも『ひーちゃん』みたいだぞ」
「こっちも、って」
ぽかんとしている龍麻と京一、そしていまいち状況が読めていない京梧の様子を気にせず龍斗は声を立てて笑う。
「あっちじゃいろんな呼ばれ方してたがな、京梧は何でかその呼び名が気に入ってンだよな。はは」
「……龍麻、お前のあだ名って先祖代々決まってンのか」
「そんなわけないだろ、おれだって小学校とかそれくらいに誰かが呼んでたの思い出して言ったんだぞ真神で」
「だよな、俺らの中でそう言い出したのって小蒔が最初だし…」
こそこそと2人で昔話をしていると、弟子の前で大昔のように振舞ったのが恥ずかしいのか京梧がいきなり立ち上がって住処を出て行ってしまった。修行の指示など何もせずに。
「どーしたんだ師匠」
「お師匠もやっぱ京一に似てるね」
「はァ?そうかよ?」
京一は首を傾げたが、龍斗はそうだな、と小さく頷いて立ち上がる。
「京梧のことは任せとけ、ちゃんと連れて戻ってくるからよ。お前さんたちは修行とやらをするんだな」
「分かりました」
「あ、あァ……」
残された二人は、また互いに顔を見合わせた。いろんなことが一気に分かって二人とも頭が混乱している。
「刻を越える、か」
京一はぽつりと呟き、沢の前で会った時の龍斗の様子を思い出していた。二十六年ぶりにやっと逢えた、と愛しさを隠しもせずに話していた龍斗。一人で見知らぬ時代の見知らぬ世界に放り出されたという、師匠。二十六年経って、娘さえいる龍斗はなぜこちらに──師匠のところへ来たのだろう。あちらには家族も仲間もいるはずなのに。師匠のように必然性があったというよりは、師匠に逢うために刻を越えたのだと龍斗は言った。
いつか、幼い京一に師匠は記憶や技は消えないが思いは消え行くのだと言っていた。降り積もっていく雪を見ながら、どこか遠くを見るような目つきで。京一の想像が正しいのならば、あの時師匠が見ていたものは龍斗や他の人たちと過ごした時間そのものだったのだろう。色褪せぬまま、消えぬままに持ち続けていた戻れない時代の。
「京一」
幼い頃に修行した日々のこと、数年前に客家の村で見た龍麻の過去、唐突に現れた龍麻の先祖である龍斗、いろんなものが京一の頭を過っていく。法神流の伝承者が後継者を求めて刻を越えるというのなら、そう遠くない未来に自分も刻を越えるのかもしれない、と思った。思って、龍麻に初めて会った時のことを思い出す。
「京一」
大人しそうな転校生だと思って気遣ってやれば、その実すごい力を持っていて。怒涛の渦に追いやられたように戦っていたあの一年、互いを求め合う気持ちに嘘などつけず全てを奪い合う勢いで求め合った。それから、七年。今も隣には龍麻がいる。
「京一」
「……な、龍麻何して」
ようやく意識を浮上させた京一を、龍麻は力を込めて抱きしめた。さっきからいくら呼んでも返事がなく、表情さえ変えなかった京一を放したくなかった。
「京一、ちゃんとオレを見て。オレは必ずお前の傍にいる。お前がどこに行っても、一人になんてしてやらない」
刻の道というものがどういうものなのか知らない。京一がいつそれに出遭い呼ばれてしまうのか分からないが、龍麻自身も黄龍という力を宿す身である以上何が起きるか分からない。それでも、放すつもりなどない。
「何言ってんだひーちゃん、放せよ、修行…ッ……」
「放さないって言ってるだろ!!」
広いとはいえない神夷の住処に、龍麻の声が反響した。
「放してなんて、やるもんか。オレは絶対にお前を放さない、離れたくない。離れたくないよ、京一……」
感情のままに高ぶっていた声は次第に湿り気を帯びて、龍麻は京一を抱え込んだまま小さく鼻をすする。
「ひーちゃん、泣くなって、オイ、龍麻」
「…っ、京一、京一…」
うわ言のように名前を呼ぶ龍麻に京一はため息をついて、額を合わせるように顔を上げた。
「オイこら龍麻、顔上げろ。てめェこそ俺を見ろよ。ほら」
「う、ん…」
「俺がお前を置いてどっか行っちまって、そんでせいせいするようなヤツに見えるか?」
龍麻はゆるゆると首を左右に振る。そんなこと有り得ないと分かっては、いるのだ。
「ううん、分かってる、分かってるんだ。京一は好きでそんなことしないし、どうにかなって離されてもおれを探そうとするって分かってる、おれだってお前を探すよ。お前の傍がおれの居場所だ、それも分かってる。それにね、京一」
「ん?」
「おれがどうしてもお前を離したくない理由、お前を失いかける度におれがおかしくなっちゃう理由、何となく分かったんだよ」
「……なんだよ」
微かに京一は息を詰めた。三度ほど、京一は龍麻の傍を離れた過去がある。不可抗力と呼べるのは一年前に中東で互いを見失ったときだけ、高校時代に一度、龍麻と旅に出てから一度、自分の意思で龍麻の前から京一は姿を消した。そのことを後悔してはいないし、その時の自分には必要なことだったとも思っている。が、龍麻の尋常ならざる様子を知らされる都度、歯噛みしたくなるような身の置き所が無いような居心地の悪さを覚えるのだ。
龍麻は、常ならば無意識で行える氣のコントロールも覚束なくなり、寝食を文字通り忘れてしまい、仕舞いには不安定な氣が龍脈そのものを乱してしまう。他の人間だったら歩き回ることなど不可能な状態で京一を探して東京中を駆けずり回っていた、と京一は自分たちを案ずる友人から何度も聞かされている。
「あの人が二十六年間、お師匠をずっと探してた、逢いたがってた、その焦燥感とか想いみたいなのをおれはどこかで知ってる気がするんだ。憶えてるわけじゃないけど、なんだろうな、ひょっとしたら宿星だの黄龍だのそんなものがおれに教えるのかもしれない。──絶対、その手を離すな、って」
「ひーちゃん……」
もし立場が逆だったら、と考えたことは京一にだってある。龍麻が何らかの理由で京一の傍を自分の意思で離れたら。氣そのものがかなり独特な龍麻だが、その気になれば仲間の誰にも悟られないで姿を隠すことぐらい容易いはずだ。そうやって龍麻が消えたら、自分はどうなるのだろう、自分はどうするのだろう、と。
「だから、おれは何があってもお前を放さない。この手を離しちゃいけない、離したくない、それだけがおれの絶対だ」
額を合わせたまま、龍麻は京一の両手と自らを繋ぐ。京一の身に馴染んだ龍麻の氣が互いをふわりと包んだ。
いつだって、こうなるのだ。京一が考えることなど無意味だと言わんばかりに、龍麻はそんなことは起きないと繰り返す。そして京一はどんな言葉であっても龍麻の言葉を疑ったことは無い。龍麻が絶対だというのなら、そうなのだ。だから結論は出ないまま。
「ああ。離すなよ。何があっても絶対に、だ」
睨みつけるように強く見つめた京一の言葉に龍麻は深く頷いて、きゅ、と掴んだ両手に力をこめた。
住処を飛び出た京梧を追って出た龍斗だったが、思いの他京梧は近くにいた。照れ混じりの怒りに任せて、てっきり遠くに行ったものだと思っていたのだが。
「京梧」
京梧の住処は実際の土地には存在しない。山奥にある川のほとりに繋いであるのだが、その川べりに京梧は立っている。いつだって、一人で戦っていた背中を龍斗に向けて。龍斗はすぐ横に立って、じっと横顔を見つめる。
会えなくなって、二十六年。龍斗にはあちらで家族が出来、出逢った当時の倍以上の歳になった。たった一年の間だけ一緒にいた男を、二十六年間求め続けて探し続けて、ようやくの逢瀬を得たのが去年、円空に言わせればこれが縁なのだろう。必ずいつかまた会える、そう言って数珠をくれた高僧の師。龍斗が京梧に再会したとき、京梧はあの数珠を身につけてはいなかった。自らの荷物にひっそりと紛れ込ませて、誰の目にも触れぬように置いてあった数珠を見つけた時に、これが京梧の答えなのだと思った。だから、あの時にした約束を蒸し返して京梧を徒に詰るようなことはしまいと、決めたはずだった。でも。
「おれがお前のことを恨まなかったと、本当にそう思っているのか?おれに何も言わせず、何も許さず、ただおれの元を去ったお前のことを……お前が決めたことだから全て受け入れていたと、今でも思っているのか?」
「ひーちゃ……」
まさに青天の霹靂なのだろう、京梧はあっけにとられた顔で呆然と龍斗を見やった。二十六年前、元日にした約束。そしてそれからの、空虚の日々。
「しばらくは、どうってことなかったさ。天戒たちの手助けもしなきゃならなかったし、やることは山のようにあった。お前が言ったように、江戸を守るためにやることが、な。でも、しばらくすればふらっと顔ぐらい見せに来るだろうと思っていたお前が、五年経っても十年経っても文の一つさえ寄越さない」
本当は寄越さない、ではなく寄越せなかった、のだ。あの二日後に京梧は刻の道に遭い、こちらの時代に来てしまったのだから。全くの見知らぬ人間に囲まれるほうが楽だっただろう、と龍斗は思う。異世界に来たとでも思って割り切ってしまえばいいのだ。でも京梧がこの時代で出逢ったのは龍斗の縁者である龍麻の父・弦麻で、あの時代からずっと生きてきた犬神で、あの時代から全ての元凶であり続けた柳生だった。宿星が今の京梧に彼らを会わせたのだとすれば、もっと縁者たちと出会っているのだろう。詳しく言わないだけで。
龍斗に逢うまでの二十六年を語りたがらない京梧は、記憶に鮮やかな表情で眉根を寄せて渋い表情を作っている。構わずに続けた。
「……その空虚に耐えるためだったのかもしれないな、言われるままに嫁を迎えて子を成して…娘と引き換えに嫁は逝き、娘を嫁がせてしまえば、また元の空虚に苛まれる。おれはさぞかしひどい男なのだろうな、お前だけだと誓ったはずの言葉を別の女に吐き子を成してさえもお前に逢うことばかり想っていた。祈りでも念でも無い、あんなものは呪いだ。おれの妄執、おれの業なのだろう」
円空師がくれた数珠の効力などではなく、宿星の定めなどであるはずがなく、ただ、龍斗の強すぎる妄執。京梧は何を思ったか、視線をちらりと落とす。
「驚くことはないだろう?今まで何故言わなかったのか、と言いたそうな顔してるな。……言うつもりは、無かった。言ったところで詮無いことだ、お前が悪いわけじゃないということももう分かっているし、おれがこんな男になったのはおれ自身の問題で誰のせいでもない。おれの弱さだろうよ、力がどれほどあろうと何のことは無い。お前一人欠けただけで、このざまだ。こんな情けない己に改めて気づいたのは、あのガキ共のせいさ。おかげ、と言ってやってもいいが」
沢で会った京梧の弟子、京一は確かに京梧の若い頃に少しだけ似ていた。京一を見ていれば、自分と龍麻もどこかしら似ているのだろうと思う。ただ、似ているとしてもそれは一部で、京一と龍麻は自分たちと全く違っていた。龍斗が置いてきた、あちらの仲間の誰かに似ているようで誰にも似ていない二人は自分たちと違う強さを持っている。
今まで黙っていた京梧が不意に表情を歪めて、泣き出しそうな顔で龍斗を見つめた。
「龍斗……今でも、あの時江戸にお前を縛ろうとしたおれを恨んでいるのか?おれはあの時、一番守りたかったお前にとんでもねェことをしちまったのか?」
何も言わずに江戸に残って江戸を守ってくれ。それが、京梧の願いで京梧とした約束だった。京梧はその足で江戸を離れ──刻の道に遭ってこちらに来た。いつか会おうと約束した桜は、まだ残っていたけれど。
「……恨んだこともあったと言ったろう。ひどい男だと己を棚に上げてお前を責めたことだってある。何度だってな。誰に言ってきかせたことも無いが、どうも酔うとお前のことばかり言うらしい、いつだったか天戒にそれとなく言われてから酒は止めた。犬神のように酒や煙で紛らわせることも口に出すことも無かった。それはおれのくだらない矜持のようなものだっただろうが、そのせいでいつしか想いや願いはまるで呪のように凝り固まってしまったのだろう。何も難しいことではなかった、お前にそんな顔をさせたくない、お前を好いている──ただ、それだけのことだったのにな」
「……ひーちゃん、おれァ、その…」
恨んだことも、心の内で責め抜いたことも、何度だってあった。けれど、その暗い情の根は京梧への想い、ただそれだけだったのだ。一年の間に気づかされた想いは熟成させるには未熟で、歪に育って挙句に妄執を募らせた。龍斗は、目の前で苦しそうに何度も喋りかけようとしては失敗している京梧へ腕を伸ばす。そう、ただ、好きだと言いたかった。
「京梧、そんな顔をしないでくれ。お前が謝ることは何も無い。おれからお前を奪った刻の道とやらにも感謝したいぐらいなのさ、今はな。それにおれが出遭わなければ、おれは再びお前に出逢うことは無かった。もう、いいんだ。おれはお前に惚れ抜いていて、お前の傍にいられりゃァそれでいい。今度どこに行く羽目になろうが、お前が共に在るというのならそれだけでおれはどこへなりとも行こう」
どこに行こうと、二度とあちらへ戻れなかろうと、何を構うことがある。自らを突き動かす全てはこの男が発心、それだけが自らが生きている証。
京梧は一度目蓋を軽く伏せ、ふと唇に薄い笑みを浮かべた。
「ああ。おれはおれのやりたいようにやってきたつもりだし、これからもそうするだろうがよ──てめェだけは離さねェ。いつか言っただろ、おれは初めて逢ったときからお前についていくと決めてたのかもしれねェ、ってな。ちぃと寄り道しちまったみてェだが」
「寄り道も道草も、お前の十八番だからな。気にしてないさ。待たされた分、たっぷり付き合ってもらうぜ」
「いくらでも付き合うぜ。今度こそ、どこまでも、な」
二十六年前、宿星だ縁だと訳知り顔で話す先達を疎ましく思ったこともある。そんな定めなど無くても自分は京梧に逢って彼を選んだのだと思いたかった。けれど、もし、あの時の出逢いと別れ、そしてこの再会全てを宿星が導いたのだとしたら、それも悪くない、と今になって思う。
「とりあえずは、あいつらの修行に付き合ってやるとするか」
自らの戦いのためだけではなく、自分の意思で守りたいもの全てを守るために戦うのだと言った、この時代の二人へ全てを繋ぐために。
龍麻が泣かない主京の話は無いのか。外法の京梧エンドが辛すぎて(ゲームの時間軸の)主京梧を書けなかったんですが、再会する余地をイマイ監督が残してくれてるので再会させてみた。いわゆる老いらくの恋だから、きっと主京が呆れるぐらいラブラブになるよ。
