magic lantern

掌の上

「な、チビすけ、こいつァお前さんのか?」
ひょいとしゃがみ込んで転がっていた(おそらく普通の参拝者たちには見えないはずの)鞠を拾い上げ、京一はぽんぽんと手の内でそれをもてあそぶ。
「わ、わ!返して下さいなのです!」
「誰も取らねェよ、たまにゃァ投げて返ってくるのも面白いだろ?ほれ」
慌てて抗議しようとした鈴に鞠をゆるい軌道で投げて受け取らせ、しゃがんだまま両の手を広げた。当惑した鈴が七代を見上げると、鈴の大好きな笑顔と優しい手が降ってくる。
「大丈夫、怖い人じゃないよ。目一杯投げつけてごらん」
「はいですっ」
笑顔で七代に大丈夫と言われると、鈴には本当に大丈夫だと思えるから不思議だ。目一杯投げつけて、と言われたのでそれはもう精一杯の力で鞠を投げてみたのだが京一には軽くキャッチされてしまう。
「むぅ……」
「お前も混ざれよ、えーっと、そこの黒いの」
零は今までどおり人の形を取っていたのだが、やはり京一は確信を持ってそう言いながら鞠を一緒に投げて寄越した。反射的に鞠を受け取って、零は首を傾げる。肌の色は七代と同じように見えているはずなのに。まして、目の前の二人は特異な存在であっても秘法眼を持っているわけではない。自分の真の姿が見えているのだろうか?
「緋勇さんも蓬莱寺さんも、秘法眼持ち…ってわけじゃないですよね?どうして零のことが…」
同じように困惑しているらしい七代の声に零が頷くと、龍麻はどうしてって言われてもなー…とこちらもまた首を傾げる。
「いや黒いって何が黒いとかよく分からないけどね。お前たち二人は対なんだろう、陰陽の気配が際立ってるし。受ける印象っつーのかな、氣の感じが色で言うと黒っぽいっていうか?」
「そうそう、何か黒っぽい感じなんだ。いや俺名前聞いてねェし、何て言うんだ?」
曖昧な説明に七代は思わず鍵と目線を合わせた。こんな人間もいるのかという七代の声無き問いに鍵は首を竦めてみせただけだ。
「……零だ。雉明零。こっちは白」
「なっ…勝手に申すでない!」
どう判断したのか、零は自分も名乗って傍にいる白を示して紹介する。勝手に名前を明らかにされたことに白はムキになって零に怒ったが、零はダメだ、と静かに返した。
「人と出会って名前を聞かれた。相手も名乗ったのなら俺たちも名乗るべきだ。そうだろう?千馗」
「まあ、そういうもんだろうと思うぜ。零、一緒に混ざるか。キャッチボールはまだやったことなかったよなー」
「キャッチボール…は野球用のグローブとボールが要ると思ったが」
「んー?まあこれもキャッチボールだろ。鈴の鞠だけど。ま、あんま細かいことは気にすんなって。蓬莱寺さん、オレも混ざるんで!」
七代と京一の間のみ剛速球が行き交う変則キャッチボールを見ながら、龍麻は嬉しそうに眼を細める。京一が楽しそうなのが嬉しいし、ここにいるカミフダ──白と零は人間ととても幸せな関わり方をしている。それが嬉しかった。
黄龍と戦った後に京一と劉と共に中国へ渡り、修行の後に京一と世界を巡るようになって十年以上が経つ。世界には九龍たちが目指すオーパーツや、紅葉たちが守ろうとする霊的に特異な存在が山ほどあって、でもその全てが幸せな状態であったとは言いがたい。
人間からの尊敬や崇拝を失って神格を剥奪されて鬼に落ちたものも少なくなかったし、柳生が十一年前にしたように、今回の騒ぎで起きたように人間が自分の意のままに使おうとすることも多いのだろう。その痕跡をいくつも龍麻たちは見てきた。白と零がこうやって七代と共に笑えるまでの過程は分からないが、楽な道ではなかったはずだ。
それでも、自分の手の届く範囲は全て守ってみせると言い切った七代だからこそ、龍麻はきちんと関わろうと決めた。マサキはともかく御門と鳴滝師範には何を言われるのだか分からないが、これも縁だろう。
「あっしが黄龍の器と呼ばれる方にお逢いしたのは、これで二度目になりやすね。一度目はお逢いしたというより、お見かけしただけでしたがねえ」
鍵がそう言って煙管をくゆらせる。龍麻は相変わらず視線を京一たちに向けたまま、少しだけ笑った。
「おれとあの人じゃ全然違うだろ?」
「……あのお方をご存知なんで?」
「ま、いろいろあってな。おれたちが会ったのはだいぶおっさんになってからだけど」
黄龍の器と呼ばれる存在、その異質すぎる存在感と鍵が接触したのは百年以上前のことになる。鈴は当然いない。呪言花札の事件が起きる前だったように思う。微かに常に龍脈で感じていた存在が目の前に現われたのは一瞬、それからしばらくしてその存在感は完全に消え去った。龍脈に還ったものだと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。同じように器とされていても、昔に感じていた氣と今側で感じる氣は全く違う。
「あのお方は、あっしが言うのも何ですがね、どこか空ろだった。器というぐらいだから、そういうものなんだろうと思ってたんですよ。黄龍の力を収めて揮う器であれば、その他は抜け落ちているものなのかと…まあ、邪推にすぎやせんが」
「鍵がそう感じた理由の察しはつくけど、そんなカッコのいいもんじゃないよ」
龍麻は首を竦めてくつくつと笑い、不審そうに振り返った京一には手を振ってみせた。京一は怪訝そうな表情を崩さなかったものの、すぐに気を取り直してまたキャッチボールを始める。
「あの人が空ろだったのは長いこと失恋してたからで、今のおれがそうじゃないのはあいつがちゃんとここにいるから」
くい、と顎先で京一を指し示した。傍から見ていただけの神使にも一目で分かるほどの喪失感を抱えていたのだという、龍斗。
「へえ、お熱いことで」
「……自分にとって唯一だと思う相手を喪った絶望、おれだって知らないわけじゃない。だから大丈夫」
「何がです?」
「さっき七代にも言ったけど、あいつらも、ここも、お前たちも…今のままとはいかなくても、少なくとも自分たちが望まないような方向に無理やり変化させられることは無いと思う。おれが手を貸せるとしたらそこまでだな、後はあいつら次第」
手を離さなければ、見失わなければ、共にあり続けることが出来るはずだ。
「縁ってのはそういうもんなんでしょう、本来ね。互いが互いを見失わなければ、縁というのは続いていくもんです。あなたがたのお力添えをもらったってのは、千さんが頑張ったご褒美ってところですかねえ」
「ご褒美、か。本当のご褒美ってのはもうもらってんだろ、おれだってそうだ」
戦い続け、世界を救えだの宿星だのと大仰な話を背負わされ、その全てをねじ伏せた先に龍麻が掴んだものは京一と過ごして行く日々だ。七代にとっては白と零が傍にいる、そんな今が掴み取った未来でご褒美なのかもしれない。
龍麻の視線の先にある人の輪は、いつのまにかキャッチボールをやめていた。京一が鈴を七代が白を抱え上げて龍麻たちのところへ戻ってくる。
「なあ七代」
「はい」
まるで高校の運動部の先輩と後輩のような、そんな折り目正しい返事をした七代は抱えていた白を下ろして龍麻の正面に真っ直ぐ立った。零が近寄っていいのか分からずに、困惑した表情で七代と龍麻を交互に見つめている。
「お疲れさん。よく頑張ったな」
「え……」
ほにゃりと龍麻は笑った。十一年前の自分と、似て非なる立場に置かれた少年。
「お前が収めた騒動をおれたちは詳しく知らないが、想像はつく。その過程でどれだけ苦しかったかも、ある程度想像できる。だから、ありがとう」
「緋勇さん……いや、オレはしたいようにやってたらいつの間にかこうなってただけで」
「だから、礼を言ってンだよ」
龍麻の言葉に戸惑う七代の肩をぽんと叩いたのは京一だ。鈴を肩車して片腕で支えたまま、もう片方の腕を七代の頭に伸ばしてわしゃわしゃと掻き混ぜる。
「お前が、お前の仲間たちが一度も諦めたり投げ出したりしなかった結果、だろ?お前が好きにやった結果、俺たちの家は元のままでラーメンはいつもみたく美味いってんだから、礼ぐらい言わせろ」
「何か一つボタンを掛け違えていたら、きっとおれたちはこんなにのんびりしてられなかったからね。……そうだな、先輩っぽいこと言っとくかな、せっかくだから。おれさあ、弟みたいなのとか弟分とか妹みたいなのとかはいろいろいるんだけど、後輩っていたこと無かったんだよね」
「ひーちゃん帰宅部だったからなー。帰宅部の癖に俺が部に出てると道場に必ず来るから、ウチの部だと思ってるヤツもいたんだぜ?」
「好きなんだ、京一が竹刀揮ってるの見るの。じゃなくて。七代はその《力》で嫌な思いをしたこともあっただろうし、これからもあるだろうな。面倒ごとに巻き込まれたり、また今回みたいなことがあるかもしれない。でもその《力》はお前にあってはじめて意味があるものだ。その《力》で傷ついた以上に、きっと得るものがいっぱいある。ま、おれが偉そうに講釈垂れなくても知ってるだろうけど。だから、お前はその《力》でやりたいようにやればいい。護りたいものを見失わなかったら、きっと上手くいくさ。何でもね」
黙って二人の話を聞いていた七代は、もう一度真っ直ぐ目線を龍麻に合わせる。七代が九龍たちに会ったのは鴉之杜に転入する前、封札師になる前の話だ。秘宝眼を持て余し、閉塞感と孤独から逃れるために留学したイギリスで出会ったハンターとそのバディ。自分のことをただの人間で単なるハンター、と言ってのけた九龍が言葉を尽くして語ったのが目の前にいる緋勇龍麻という人間の異質さ。異質なもの、イレギュラーなものに惹かれてしまうという九龍は、龍麻のありえない凄さ、について様々に語ってみせたのだ。龍麻と、そのパートナーである剣士について。
「……緋勇さんも、そうなんですか?」
「ん?」
「その《力》で失った色んなものより、今得ているもののほうが多いと思えますか?」
七代の問いに、龍麻は静かに頷いた。そんなもの、得たもののほうが多いに決まっている。比べるまでもない。
「比べようもないぐらい、だな。おれは確かに色んなものを失ったんだろうが、何よりおれにとって価値のあるものを得た。これ以上は無い。俺の《力》のことを覇者の力だとかそんな馬鹿なことを言うヤツがいたけどな、おれが得たものに比べたら世界なんて大したもんじゃない」
「緋勇さんの仲間、ですか?」
龍麻は即座に首を振って、ひょいと七代の側に立っている京一を指差した。
「いや、こいつ」
「嘘でも仲間って言えよ!!馬鹿龍麻!!」
ばっと首筋まで赤くなった京一はものすごい剣幕で龍麻に詰め寄る。慌てて鈴が京一から離れた。京一は肩車していた鈴が離れたことにも気づかず、ガキの前で何抜かしてんだ、ついてきた俺が馬鹿だったとわめいている。
「お前に関しては馬鹿なんだって言ってるだろ、十一年前から」
「〜〜ッ!やってられるかッ」
しゃあしゃあと返す龍麻の態度に耐えられなくなった京一は、立てかけていた刀袋を引っ掴んでくるりと踵を返した。
「七代、あとお前ら、達者でな!間違ってもそこの馬鹿みたいにはなるなよ!」
「……ひどいな、嫌じゃないくせに。まあいいや、おれも行くよ。あいつ、マジで怒ると行方不明になるからなー」
龍麻がさらりと口にした言葉に七代たちは唖然とする。怒ると行方不明、とは穏やかではない。
「其方に愛想を尽かすと行方不明とな。よほど其方らのほうが童のようではないか」
「そうかもね。もう龍脈を自分から乱さないって翡翠たちにも言ってるし、まあ気をつけるよ」
「ひょっとして、少し前に遭った龍脈の乱れというのは……」
感づいた鍵がそう声を掛けたが、龍麻は笑うだけだ。神社の鳥居をくぐろうとして、思い出したように振り返る。
「おれたちに用があるときは、そうだな…北区にある如月骨董品店という店の主に話をしてくれたらいいか。電話を一応持たされてはいるけど、よく壊すからそっちのほうが確かだよ」
「如月、骨董品店?」
「ああ。封札師ってのをおれは細かく知らないが、多分、お前が視たら面白いモンがいろいろ置いてある店だと思う。店主は悪人じゃないが守銭奴だ、ぼったくられないようにだけ気をつけろ。おれたちの名前を出せば、あいつも滅多なことはしないだろうけど、まあ、一応な」
「……はあ。分かりました」
七代があっけにとられている間に、龍麻はさっさと鳥居を潜って鴉羽神社を出て行ってしまった。
「すごかったな、何か」
やけに静かだなと七代が横を見ると、鈴が大きく深呼吸をしている。それを真似するように零も一つ深い息を吐いてみせた。
「何か、では無かろう。斯様な氣に近寄られては、こちらが疲弊してしまうというものじゃ」
白はそう言って手持ちのうまい棒を齧り始め、鍵は煙管をくわえてふーっと煙ごと息を吐く。
「千さんはあまり感じなかったかもしれやせんがね、あの方…緋勇さんと仰いましたか、とんでもないお方です。その瞳で見たら面白いモノが視えたかもしれやせんが、ちいと刺激が強すぎたでしょうね」
「…九龍さんもすごいって言ってたし、オレもそう思うけど、そんな違うもんなのか」
「龍脈のことを、黄龍と呼ぶことがある。あの人は黄龍の器という定めだ。莫大なエネルギーを持つ龍脈、その現身である黄龍の力を丸ごと受け入れてしまえる、器」
零がさっきまで龍麻の立っていた場所に手をかざした。たちまちに大地に溶けた、黄龍の氣。その傍らにあった男の、まるで焔のような氣。
「まあ言い方は乱暴ですが、龍脈の主と呼んでも差し支えのないお方でしてね。あっしは前、もう百年以上前にも黄龍の器とされるお方に会ったことがありまして。懐かしいような不思議な気分がしましたよ」
「龍脈の主って、じゃあ、あの人がいたらあんな騒ぎは──いや、違うか。それは関係無いんだよな」
去年の年末にケリをつけた一連の騒動。花札を集めるはずが、気づいたら枯れ掛かったこの国の龍脈を再興させる話に、そして人類の進化の話へと飛躍していった。龍脈の主がいるというなら、誰も傷つかずに収拾がついたのではないか、と言いかけて七代は首を振った。当の本人が言っていたことを思い出したのだ。
「そうだ。あの人では駄目だったんだ。千馗でなければ。俺たちの主、千馗、君でなければあのことは収まらなかった。俺たちも、君も、全員がこの街にいることは出来なかった」
零も七代が口ごもった意図を察して仄かに笑う。白はふん、と扇を翳して顔をそびやかした。
「当然であろう。妾が選んだ執行者でなければ意味は無い。千馗様、其方でなければな」
「……だな。お前たちと皆と一緒の今を、誰か別のヤツになんて渡せねえよ。もったいなさすぎ。義王じゃねえけど、オレも大概強欲だからさ」
七代は言いながら両腕を空へと伸ばす。雪に似た、龍脈の力が破片として降ってきたあの日から、一ヶ月ほどが経った。みんなで過ごす、ということにさほど免疫の無かった七代にとっては、いろんな初めてを山ほど経験した日々だ。任務を背負わない、気楽な生活はさほど長く続かないだろうが、だからこそ、一日一日がとても愛しい。 誰にも渡せない。
「そう言えば千馗、あのひとから何をもらっていたんだ?」
「異国におるのじゃと言うておったな、珍しい菓子ではないか?」
物見高い表情の二人に気圧されて、七代は凄腕ハンターからだという包みを開けてみることにした。
龍麻がした『大人の話』とやらを受けて伊佐知から興奮気味に電話が掛かってくるのは、その晩のことだった。





鳴滝師匠は警察の上層部に圧力掛けて殺人事件を揉み消せる一個人です☆最強だぜヒゲ師匠。御門は宮内庁陰陽寮トップ、マサキはある意味政財界動かしまくりの星詠み、国家機関を動かすには打ってつけの布陣。

七代を労おうの巻。というか、おいでませ魔人ワールド。甲ちゃん出てくるんだから、もう混ぜちゃえばいいよね!(私が)楽しいから!
京一が照れ怒りで主京ノロケ落ちなのは、いつものことです…毎度恒例です(開き直った)