一度頷いたグラハムが踵を返すと、両側を挟むようにロックオンとアレルヤが距離を詰めた。メグロにあるイアンのラボまではかなり距離がある。
「あんたがユニオン軍の隊長さんとはね。ユニオンはここを封鎖しちまって、外にいるんだとばかり思ってたぜ」
「それでは中に閉じ込められてしまった人々は見殺しだ。実を言うと上層部はそうしたがっているようだったが、私には我慢ならなくてね。強引に入ったんだよ。それが…部下を危険に晒すことになってしまったが」
「まあ、普通の人間は悪魔に対しては無力だ。あんたの部下は運が無かった」
「……」
ロックオンの言葉にグラハムは唇を噛んで黙りこくった。あの悪魔はグラハムたちを気味の悪い表情で見ていただけで、ひょっとしたら害意は無かったかもしれない。ハワードはグラハムが放った銃弾が跳ね返されたことで致命傷を負ったのであって、あの悪魔に直接傷つけられたのでは無かった。悪魔は人間を脅かす存在だと今まで信じていたし、だからこそこの街にやってきたのだが、それは間違いだったのだろうか。悪魔の駆除を目的としているユニオンの治安維持部隊では、毎日のように殉職者が出ている。彼らの死は無駄だったとでも言うのだろうか。
唇を噛み締めて何も話そうとしないグラハムの頭越しに、ロックオンとアレルヤは視線を交わす。アレルヤは小さく肩を竦めた。
「あんた…じゃない、中尉」
「……グラハムだ」
「ん?」
毅然と頭を上げたグラハムの声にロックオンが尋ね返すと、グラハムは立ち止まってロックオンに片手を差し出した。
「私はグラハム=エーカーだ。グラハムでいい」
「俺はロックオン=ストラトス、こっちがアレルヤ=ハプティズムだ」
「…よろしく」
2人と握手を交わしたグラハムは自嘲するように薄い笑みを浮かべる。
「こちらこそよろしく頼む。私としたことが、礼を失念していたな。助けてくれて感謝している。ありがとう」
「気にしなさんな、同業の誼ってやつだ」
「僕たち以外の召喚者に会ったのって初めてなんです。こちらも好奇心であの場所へ行ったことは否めませんし」
「それでも構わんさ。私の命を救ってくれたのは確かに君たちなのだから」
ロックオンはユニオンにほとんど良いイメージが無い。正式なIDが無いという理由だけで配給も医療も断られた移民たちにとって、ユニオンは自分たちを見殺しにしようとする施政者にしか見えない。けれどこの軍人は認識が甘いとは言え、この街の人間を助けようという意識があった。
「部下のことは私の自責だ、人は悪魔に対して絶望的なまでに無力なのだな」
「召喚者だけが悪魔に対抗できる、と僕たちの組織は考えています。悪魔と契約すると、それだけでかなり魔力に対する耐性がつきますから」
「悪魔、か……。悪魔のことに関しては素人だ、いろいろ教えて欲しい」
「そうだな、おやっさんのところまでもう少しかかるし、簡単にレクチャーするか。グラハムが召喚して契約した悪魔は、ケツアルカトルだ。名前を聞いたことは?」
「いや。一度もない。不思議な名前だな」
再び歩き出しながら、馴染みの薄い名前にグラハムは首を傾げた。ロックオンは古い記憶を掘り起こすように低く唸る。
「うーん、サウスアメリカのどこだったかな、ともかくあちらの大陸にいる神の名前だ。蛇だっけ?」
「…羽を持った蛇の姿をしている、ということになってますね。豊穣の神、太陽と風の神です」
「神なのか?神が人に憑くと?」
キリスト教の中で、人に憑依するのは常に人を堕落させようと狙う悪魔に他ならない。まして、絶対唯一の神が人の前に姿を現したりあまつさえ憑依したりすることなど考えられない。神が姿を現さない代わりに神の声を聞く預言者がいて、神が人のために子である救世主を遣わした、ということになっている。
「んー…グラハムがイメージする神とはちょいと違うな。あんたが想像する聖四文字、父である創造主のことじゃない。この街にいる、俺たちが悪魔と呼ぶ存在は世界中のあらゆる地域・民族が信仰する神や妖精や魔物だ。ある宗教において悪魔と呼ばれている存在が元々はその地域の土着の神だということは多い。宗教的、文化的な征服による役割の変化だな」
征服してきた民族が、土着の神々を貶めたり徹底的に排除したりすることは世界中のどこにでもよくある話だ。
「堕天使とも言われサタンとも呼ばれるルシファーがかつてはルシフェルという最高位の天使であったように、ということか」
「そういうことだ。話が早くて助かる」
「つまり、悪魔と呼ばれている天使から攻撃されることもありうる、ということです」
「ややこしいな」
悪魔は悪魔で、人を堕落させ人に害を為すものだと相場が決まっている。だからこそグラハムは悪魔に襲われているという人々を少しでも助ける意味でこの街に来たのだが、天使から攻撃されると言われると混乱しそうだ。天使は契約に背いて堕落した人間には容赦が無いが、往々にして人々を救うためにいる。
「俺たちが悪魔と呼ぶあいつらは、どうやら同じ次元にいるらしいんだ。本来、俺たちのいる次元とは別の次元だ。それが繋がってしまったがために悪魔はこちらに来た。彼らは総じて魔力を持っていて、人間とは思考の方法が違う。人類を滅ぼすなんていう大それた目的があって来たわけじゃないらしい」
「悪魔は人々を攻撃するために来たのではないのか?」
「なんていうのかな、彼らは刹那的で享楽的だから本来は目的遂行なんていう面倒くさいことはしないみたいなんです。だから人と出会っても、襲ったり襲わなかったりする。類型化されたパターンはありません。ただ、どうやら月齢に多少左右されるみたいです」
「よく言うだろ、満月の日には事故が多いとか狼男が狼になるとか。どうやら悪魔は満月時が一番力が強く、攻撃的な思考に偏り易い。新月の時は逆だ。御し易い」
2人の話はグラハムにとって荒唐無稽で、想像の域をはるかに超えているがとても興味深くビリーに教えたらさぞ喜びそうだと思えた。
「興味深い話だが、君たちはどこでそれを」
「今から行くおやっさんに聞けばもっと学術的な話が聞けるぜ。俺たちは必要なことしか聞いてないが、なにせ悪魔を憑けて会話してるからな。いろいろ学ぶこともある」
「君たちは、どんな悪魔を?」
「俺が今憑けてるのはハトホル、サティ、アズラエルだな」
「アズラエル?エルというのは神の御使いを示す言葉じゃないのか」
バイブルにはたくさん天使の名前が出てくるが、そのほとんどの天使は語尾にエルという文字を持っている。エルはそもそもヘブライ語で神を示す言葉で、天使たちはそれぞれ神の力や威光を示す名前になっているのだ。
「ご名答。アズラエルはコーランに書いてある天使の1人だ。前につけてたのは二ケー、天使の原型になったギリシャの女神だったしな。今はおやっさんのとこにいるけど」
二ケーは天使ではなく、翼を持ったギリシャ神話の勝利の女神で二ケーの姿をローマが取り入れたことによって天使の原型が生まれたとされる。ハトホルはエジプト神話の愛と幸運の女神、サティはインド神話でシヴァ妃とされる女神だ。アズラエルはコーランでは告死天使とされている。
「ロックオン……君はいったい…」
神が人に憑く、というのもグラハムには信じがたい話ではあるのだが目の前の青年は女神や天使が憑いているのだと言う。驚くグラハムにアレルヤは小さく笑った。
「不思議でしょう?どうもロックオンは彼女たちに好かれるみたいなんです。僕や他の2人じゃ無理でした」
「別にただ相性が良いのが俺だったってだけだろ?大した意味はねーよ。ティエリアだってアリアンロッドって女神がついてる」
大したことではない、と繰り返すロックオンの肌はグラハムと同じかそれ以上に白く、赤茶の柔らかそうな巻き髪とエメラルド色の瞳で彩られた顔は整っていて女神や天使に愛されているということが納得できる容姿だ。ギフト、というものかなとグラハムは一人で納得して頷く。
「君は?」
「僕のところにいるのは牛頭天王、オーマ、北斗星君…オーマはケルト民族の神、他の2つはアジア民族の神みたいです」
牛頭天王は牛頭馬頭で知られる地獄の獄卒とは違い、インド神話で祇園精舎の守護神とされ祇園信仰に基づき日本でも信仰が深い。オーマはケルト神話の戦神、北斗星君は北斗七星を神格化した中国の神で人の罪を死後に裁くと言われている。
「そして私についているのがサウスアメリカンたちの神、か。本当に世界中なのだな、興味深い」
「他にどれだけ人に憑く悪魔がいるのか、何せ俺たちも手探りだからよくは分からない。おやっさんなら、ある程度推測できるのかもしんねえけど」
最初に二ケーを呼び出したロックオンにサティたちを教えたのも、最初に愛染明王を呼び出したアレルヤに牛頭天王たちを示したのもイアンだ。イアンによれば、召喚者は一人一人タイプが違っていて、その分類で憑く悪魔が違うのだという。ロックオンに馴染みの深いカードによってイアンはタイプを分類していた。
イアンのラボがあるメグロまであと少し、というときにいきなりグラハムが倒れこんでアレルヤが慌てて助け起こす。
「グラハムさん、どうし…ロックオン!!」
「分かってる!アズラエル、来い!」
グラハムは既に意識が無く、刹那の青面金剛がかけたスペルで封印されていたケツアルカトルが姿を現した。ロックオンはアズラエルを呼び出して、様子を窺う。アレルヤもオーマを呼び出した。グラハムの身体をゆっくりと横たえてから、ロックオンに並ぶようにケツアルカトルと対峙する。
「ちょっと荒っぽいですけど、ハトホルのペトラアイズで仮死状態に…ってロックオン!?」
アレルヤの言葉にロックオンは首を振り、アレルヤの視界を塞ぐように前に立った。
「ダメだ。制御出来てない状態でケツアルカトルをダウンさせたら、グラハムは二度とこいつを呼べなくなるかもしれない」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう、早く倒さないと」
「下手したら、召喚する力そのものを失うかもしれない。それだけは絶対にダメだ。こいつには戦う理由も意志もあるんだ、取り上げるわけにいくかよ」
暴走状態のケツアルカトルが立て続けに繰り出す核熱魔法でじりじりとダメージを受けながら、ロックオンは尚も首を振る。
「…ハトホル、来い」
「ロックオン!? 2体同時なんて無茶です!」
途中で守護悪魔を交代させることはあっても、同時に2体呼び出すなど聞いたことが無い。アレルヤは声を荒げたがロックオンは歯を食いしばるようにしながら、2体を同時に目の前に並べた。プログラムで制御されていても、1体呼び出して使役するのには多少の精神エネルギーを悪魔に持っていかれる。2体同時ということは呼び出しただけでいつもの2倍、使役すれば通常の倍のスピードで疲弊することを意味していた。
「アレルヤ、お前は手を出すな。グラハムを見ててくれよ。…俺には、今こいつを守る力があるんだ、偽善的な自己満足だけどやらしてくれ」
「そんな、ロックオン!」
「アズラエル、ケツアルカトルを攻撃しろ。ハトホルはグラハムにシシリディ」
『諒解』
『承知致しまして』
召喚された悪魔は召喚者と精神的に同期する。召喚者だけを回復させ、悪魔だけを攻撃するということは二律背反で無茶なことだという自覚はロックオンにもあった。しかしアレルヤの持つ悪魔ではケツアルカトルを消滅させてしまうだけで、グラハムにケツアルカトルを残すことが出来ない。
「アズラエルはバイコウハ、ハトホルはペトラ」
長い言葉を喋ることさえ、困難になってきたロックオンは単語だけで悪魔に命令しながら奥歯を噛み締める。ここで自分が倒れてしまえばケツアルカトルは暴走し、召喚者のグラハムを襲いかねない。
「ロックオン、止めて下さい、貴方まで倒れてしまう!」
アズラエルの呪殺魔法でゆっくりと弱っていくケツアルカトルを確認して、ロックオンはアズラエルを表に出したままハトホルにグラハムの回復を命じる。ケツアルカトルまで回復してしまうのだが、呪殺魔法と同時にかけたせいでギリギリの部分でダメージをコントロールすることが出来ていた。サティが前にグラハムに施した回復魔法では一気にケツアルカトルまで全快してしまうので、それは出来ない。ケツアルカトルとグラハムのダメージをギリギリに抑えながらケツアルカトルが表に出て来れなくなるのを待つしかなかった。暴走状態で立て続けに魔法を放っているケツアルカトルは既に消耗しきっている。
「よし……ッ…」
「……ロックオン!!」
アズラエルでケツアルカトルの攻撃魔法を受け止めながら、ハトホルでダメージをコントロールしていたロックオンがふらりと身体を揺らしてその場に倒れた。抱きとめたアレルヤの前に、ロックオンが持っている3体目の悪魔であるサティが姿を現す。ロックオンはとうに意識を失っていた。ケツアルカトルはもう弱りきって攻撃さえ出来ずにいたが、ロックオンの悪魔が3体とも現れている異常事態にアレルヤは目を疑った。
「そんな…」
暴走するのか、と身構えてロックオンの身体を抱きしめたアレルヤの前でサティはさっきと同じ回復魔法をロックオンに施す。きらきらと輝く光の粒がロックオンに降り注ぎ、青白くさえ見えた顔に赤みが差した。
「悪魔が、自分の意思で?」
サティは同じようにグラハムにも回復魔法を施し、そして3体ともが同時に姿を消す。アレルヤは慌ててCOMPで回線を開いた。
「イアン、大変なんです!ロックオンが」
『ん?どうした慌てて』
「ロックオンが倒れてしまって、グラハムさんも倒れていて」
『よく分からんが緊急みてーだな、すぐ行く』
それだけで回線はすぐに切れた。アレルヤは赤みの戻ったロックオンの顔に手を差し伸べる。確かに暖かく、首筋に触れた指には脈が分かった。
「良かった……」
アレルヤはもう一度ロックオンの身体を抱きしめ、目蓋を閉じる。ぽつりと、雫がロックオンの顔に落ちた。
世界 後編
大暴走。私は超楽しくて超満足。同時進行で書いている4人の初顔合わせの話も早いとこ出したいです。
お付き合い有難う御座いました。多謝。
2008/3/16 忍野桜拝
