DEVIL SUMMONER
「イアン、ちょっといいか」
「どうした?お前も一杯やるか?酒に付き合ってくれなかった、ってスメラギが拗ねてたぜ」
イアンがグラスを揺らしてみせるとロックオンは頷いてテーブルに置かれているボトルを手に取った。スコッチ・ウイスキーだ。
「ミス・スメラギほど強くはないんでね、丁重にお断りさせてもらった。あの人はザルというより枠だな、まるで水みたいにスピリッツを飲む」
「まあなァ。底無しではある、太刀打ちできる男なんてそうはいないだろうよ」
グラスに注いだウイスキーを少しづつ、舐めるようにロックオンは口に含む。久しぶりだが、体温が上がる感覚と共に気持ちがどこか解けていくような懐かしい感覚があった。
「これもあの王とかいうお嬢さんが持ってきたのか。確かに、上物みたいだな」
粗悪な人造アルコールが出回っている旧都心で、メジャーブランドのウィスキーを手に入れるのは中々に困難なことだ。
「給料貰ってねェからな、これぐらい貰ったって罰はあたらねえ」
「そりゃそうだ」
イアンとロックオンが笑い合った時、ドアが乱暴に開かれる音がした。ロックオンは即座に身構えていつもハンドガンを納めている腰に手をやろうとして、姿勢を戻す。ドアの先に立っていたのは悪魔ではあっても、仲間だった。
「ハレルヤか。どうした」
ロックオンの素早い身のこなしに呆気にとられていたイアンだったが、すぐにドアの側で立ったままのハレルヤに声をかける。ハレルヤは黙って部屋に入ってきた。
「ちょいとイイ匂いがしてたんでな。それにオレに用があるのはあんただろ、おっさん」
「……しばらく滞在するからその内でいいかと思ってたんだが、日が高い内は出てくるのが難しいか?」
イアンの問いにハレルヤはつまらなさそうに首を竦めてみせる。
「別に?アイツを黙らせるぐらいワケねーけどよ、無理やり出てくっとうるせーんだよ後で」
「そうか、ならとっとと始めるか。ロックオン」
「え?俺なら適当に戻るし、別にこのボトル空けたりしねーから」
まだグラスの底に残っていたウィスキーを飲んでからロックオンが答えると、イアンはそうじゃない、と返した。
「お前さん、ハレルヤに会うのは初めてじゃないんだな」
「初めて会ったのは十日ぐらい前だ、それから何回かは顔を合わせてる」
というより俺が一方的にエネルギーを喰われてる。その言葉を心の内でこぼしたロックオンにハレルヤはくつくつと笑いをもらし、イアンは微かに眼を細めた。
ハレルヤにどうやら気に入られてしまったらしいことはロックオンにとってあまり幸いだとは言えないが──なにせハレルヤは人間の精神エネルギーを食らう種族の悪魔なので──トータルで考えれば良い方向に作用するだろうとイアンは頷く。ハレルヤは破壊衝動が押さえきれないほど下等な種族ではないけれど、満月時や他の悪魔の影響などで魔力が高ぶってしまった時に、何をしでかすか分からない。悪魔が総じてそうであるように、ハレルヤもひどくムラっ気がある。たとえば、不意に全ての束縛から自由になろうと考えてしまえば、それを実行することは不可能ではない。ハレルヤが自由になることはアレルヤにとっては命の危険を意味するし、ハレルヤ自身もひどく不安定な状態で魔力が乏しいまま放りだされることになるが。それが分かるからこそ、賢いハレルヤはそういった暴挙に出ようとはしない。理屈はともかく、自分の身のことだから本能で悟っている。
「やっぱりそうか。ならお前も来てくれ」
分かった、とも嫌だ、ともロックオンが答えないうちに二人とも部屋を出ようとするのでロックオンは慌てて立ち上がって二人の後を追った。
「ハレルヤの状態をお前が知ってるのなら話が早い。ティエリアは知っているし刹那も一度ぐらいは会ったことがあるはずだが、あの二人に説明しろと言うのは無謀だしな」
「……アレルヤは、分からないのか?自分の身体にいるのに?」
ハレルヤは少し前に出てきたとき、アレルヤにロックオンが教えた本名を知っていると言ってロックオンを脅そうとしたことがある。アレルヤの時の記憶をハレルヤも持っているなら、逆もしかりだとロックオンは思ったのだがイアンは首を振ったしハレルヤは鼻で笑い飛ばした。
「は!分かるわけねーだろ、あの木偶の坊に」
「アレルヤは自分の意識が途切れている時にハレルヤが身体のコントロールをしていることは知っている。だが、それで何をしたのか何をハレルヤが思ったのかなんてことはアレルヤには分からない。アストラルバディをアレルヤは自分でコントロールできないからな。悪魔の本体、本質であるアストラルバディは精神世界の一種みたいなもんで、誰にでも存在する。現におれたちがいる世界を物質界と呼ぶなら、アストラル界みたいな次元…存在の層があるんだ」
「……はぁ」
「肉体は物質、エーテルも物質だな。で、街にいる悪魔やお前さんたちに召喚される悪魔はアストラル界を通して、この物質界を見ている。ハレルヤとアレルヤはアストラルボディの層で融合しているから、ハレルヤはアレルヤの精神体とごく近いところで接しているんだ。アレルヤの思考や感情の全ては分からないだろうが、ある程度の表層に出ている記憶や思考なら読めるだろうな」
さきほど通された場所とは違う部屋で、イアンはモニタを使って構造の説明をしてみせた。精神体が肉体の外側に同心円状に広がっている図が示されている。
「アレルヤは俺たちと同じでその精神体、とかいうのを意識出来るわけじゃないからハレルヤのことは分からないってことでいいのか」
「その通りだ、ハレルヤ始めてくれ」
イアンの声にハレルヤはくいと顎を上げて見せびらかすように悪魔を召喚した。ハレルヤと契約している悪魔──ブレスが姿を見せる。初めてハレルヤが姿を見せた日以来、この悪魔をロックオンが見る機会は無かった。あの時は切羽詰まった戦闘中だったのでまじまじと観察する余裕なども無かったから、ロックオンは興味深げに半透明でハレルヤの頭上に浮いている悪魔を見やる。
青銅を示しているのか、澄んだ青色の鎧を身につけているブレスは片手に赤々と燃える剣を携えていた。ロックオンに多少の馴染みがあるケルト神話の神にして、エリンと呼ばれた古のアイルランドの初代王。元は戦功を重ねた勇猛な戦士であったという。呼び出したハレルヤに注視するでもなく、ブレスは堂々たる風格で佇んでいた。
「へー……」
何を話すでもないブレスを見上げて、ロックオンはそのまま視線をハレルヤに落とす。神を召喚する、悪魔。
罪人、いっそ咎人と言ってもいいほどの自分が天使のような女神を召喚出来るのだから、悪魔であってもイレギュラーな存在のハレルヤがケルトの神を呼んだところで何の不思議も無い。不思議は無いが、奇妙な感覚は残った。神と悪魔。自分が知らないだけ、ひょっとしたらハレルヤ自身も知らないだけでハレルヤは遥か昔、神族だったのかもしれないとロックオンは思った。
粗野粗暴で傲慢不遜で悪魔らしいと形容したくなる性格をしているハレルヤだが、異文化異文明に追いやられた神が妖魔悪魔へと堕落させられた例をロックオンは研究所の中でいくつも知っている。ロックオン──ニールの家族とてそうだ。
ニールの出は漂泊移民、どこの民族が混じっているのかすら定かではない。非定住民はいつの時代でもいくらか居るものだが、いつの時代でも彼らは定住民によって異端と規定されて不利益を蒙ってきた。非定住民の代名詞であるロマを劣等民族として粛清にかけた権力者もいた、人道的な権利を剥奪された例は枚挙に暇がない。強者が決定した事実が真実にすりかわり、敗者は黙って膝を折る。この旧都心にいる、スラムの人々のように。
「どうしたよ?……まさか、見惚れてやがんのか?」
喉の奥を震わせながら、心底面白そうにハレルヤが笑い声を立てた。思考の海に身を沈めていたロックオンが慌てて顰め面を作ると、さも滑稽だといわんばかりに尚も笑ってみせる。
ロックオンは眉間の皺を深めながら、小さく肩を竦めた。下手に言い募るのはいろんな意味で逆効果だとすぐ分かったせいだ。ハレルヤは思うような反応が返ってこないことにやや苛立ちながら、そうこないと面白くねェなと口の端を上げる。
人の子染みた言いがかりに反発するほどロックオンは浅慮ではないが、まるきりハレルヤの言動を見過ごせるほど淡白な性格もしていない。その証拠に、ロックオンはさっきからハレルヤの方をちらりとも見ようとしなかった。意趣返しだ、と全身で訴えている。
「……ずいぶんと、変わったな」
両方に向けた言葉をそのどちらにも悟られぬよう、イアンはモニタの前で声を潜めてぽつりと呟いた。本当に、変わった。
イアンとハレルヤの付き合いは長い。ハレルヤが今の姿を得る前、悪魔として研究所に現れた頃から数えれば二十年を越す。その頃はハレルヤと今のようにコミュニケートすることなど出来なくて、自分が死なないよう研究所に被害が出ないようにハレルヤの力を殺ぐことがイアンたちの課題の一つだった。ようやく、完全体で捕まえた悪魔のサンプルなのだ、無駄になど出来ない。
研究所を襲撃する前に傷ついていたのか、ハレルヤは後から考えれば不自然に思えるほど弱い力しか持っていなかった。けれど、弱い力であっても魔力に対抗出来る人間など当時は研究所にいなかったから、慎重なシュミレーションを重ねて細心の注意を払いながらアレルヤ──そのときは受精卵の手前だったから個体ではないけれど──と融合させた。
人が人として形作られるその直前、精神エネルギーを確立する一歩手前。そのタイミングでしか、悪魔であるハレルヤとアレルヤになる人間が融合するチャンスは無かった。受精卵が一個体として成長する間にハレルヤの在りようが変化したせいで、今、ハレルヤはアレルヤと共に召喚術が使えるようになっている。純粋な悪魔とは呼べないほどの魔力、悪魔らしからぬ行動原理。
完全な悪魔であった頃、研究所を襲った頃のハレルヤならばアレルヤを殺して自由の身になり、研究所の人間を腹いせとして皆殺しにすることを躊躇するはずがない。また、自分の精神エネルギーを確保するためだけにアレルヤの精神体を喰うことだってハレルヤには簡単なことだ。けれど、ハレルヤは一度もそれをしなかった。
ハレルヤの存在は研究所の中でも秘匿に近い。存在を知っていても、会ったことがあるのはイアンとイオリア、同じプログラム実行者であるティエリアと刹那だけ。他の所員は存在を聞いたことがあるだけだ。アレルヤはもちろん自分の体のことだから聞かされているが、精神体を意識できるはずのない人間だから会話をすることも出来ない。自分の意識の空白がハレルヤの存在を示すと分かってはいるが、ハレルヤの状態を分かりはしない。
イオリアはヴェーダと連結してから表にあまり出ないので、実質、あの研究所の中でハレルヤと会話したことがあるのはイアンだけだった。会話といっても召喚術に関することばかりで、多少なりともイアンが何か関係の無い話をしようとすればあっさりと遮られた。お前に話すことなどないのだ、と言わんばかりに即座にアレルヤにとって変わられたことなど、一度や二度の話ではない。
そのハレルヤが自分からロックオンに話しかけ、あまつさえからかって笑っていることがイアンには嬉しかった。自分たちの都合でこの悪魔を縛り、枠外に引きずり出して新たな枷を嵌めたという自覚は多分にある。だから表立って喜ぶことなど許されるはずもないのだが、ハレルヤがロックオンに興味を持っていることもロックオンがそれを本心から嫌がっていなさそうな様子なのも、イアンにとっては何よりの報告だ。
また、研究所にいる頃に自分はただのピースだ、いずれ離脱する者だと大っぴらに表現していたロックオンが他の4人のことを考慮しながら振る舞っていることも、嬉しい。
イアンは研究者であって交渉などは専門外だし、人間心理についても専門と言えるほど詳しくは無いが、ロックオンが自分と周囲とを切り離したがっていることは数日の邂逅でも透けて見えた。移民の出、ギャングのスナイパー、どこまでいってもロックオンは根ざす地を持たなかった。持てなかったのだ。どこかに根ざすことそのものを忌避しているように思えたからこそ、イアンはロックオンの中に4人が根付くことを願った。
周囲に一人も味方のいない状況なら、どこかに根ざすことは誰かに自分を預けることは命取りになるだろう。守る手が己のものだけなら、それは自分を抱いていなければならない。しかし、今のロックオンはそうではない。
昼間アレルヤが言ったように、今ハレルヤが笑ったように、ロックオンには確かに手が伸ばされている。庇護するためではなく、助け合うため、互いに生き延びるために。ロックオンはその手の存在を分かりながら、取ることが出来ないでいるようだった。誰か──赤の他人と言っていい4人の手を取っていいものか悩んでいるロックオンがこれからどうするのか。それは。
「神のみぞ知る、か。どこの神さんかねぇ」
なにせ、神と呼ばれる存在ならば嫌というほど外にもここにもうじゃうじゃいる。イアンは尚もひとりごちて、笑った。
なんかすごい長かった割に話が一歩も進んでいないような?気のせいか?(気のせいじゃない)
