magic lantern

空夢

「俺だよ。……俺が言った」
気の強そうな、よく通る声は確かに耳慣れたそれで、キッドは思わずステットソンを顔に被せるようにして天を仰いだ。
これだから、あの子は。思わずため息も出た。
物騒なスタンガンの電気音や金属バットの擦れ合う音も聞こえなくなり、競技場中が静まり返っている。
試合開始のときには並んで観戦していたのだが、もっとよく見たい、と一人で前の席に移動していった時に自分もついていけば良かった。ついていたら、腕を引くなり何なりして、止めることが出来ただろうに。
誰一人、──事を起こした峨王でさえ──張り詰めたように動けない中、陸は物怖じせずにゆっくりと階段を降り、ポールを掴んで飛び越えてトラックに下りた。
肩を掴まれて顔を上げると、横にいる鉄馬が心配そうな目でキッドと陸を交互に見やっている。
「分かってるよ。大事なうちのエースだからね」
キッドの言葉に、鉄馬は少しだけ怪訝そうな顔でもう一度キッドの顔をじっと見つめた。
「……そういうことに、しておいてくれ」
大事な大事な西部のルーキーエース。可愛い後輩。今はまだ、そういう認識でいたい。
トラックでは、峨王と陸が睨み合って対峙している。峨王のチームメイトであるマルコも、陸のチームメイトであるキッドも間に入ることさえ出来ない。
「どうしたよ。俺をへし折るんだろ?」
陸は目尻の上がった大きな目でじっと峨王を睨んでいた。峨王は陸の先輩である牛島よりもはるかに大きな身体を持っている。試合を見ていて分かったが、たとえば王城の大田原のようにスピードと力を等分に近い割合で持っている選手ではない。明らかに力の比重が重い。抜けない相手では、ない。ロデオドライブなら、交わすことは十分可能だ。峨王の腕がふっと動き、陸がすっと息を詰める。
「…お前じゃない。目が腐ってない。そのくらいは分かる」
腕を伸ばしたまま、峨王は陸を指差してそう断言した。陸は動きそうになった足を止めて、気まずそうに顔をそらす。もし峨王が本気になってかかってきたのなら、磨きをかけたロデオドライブが峨王に通用することを確認する良いチャンスだったのに、峨王はそうしなかった。
キッドは観客席の一番下まで降りてきていたが、峨王が手を止め陸が足を止めてからようやくトラックへ下りることが出来た。マルコも反対側から近寄ってくる。
「…次の準決勝でうちと戦う西部ワイルドガンマンズとしてな」
チーム名までバレていたのか。陸は憮然として顔を上げた。確か巨深にも同じぐらい背の高い選手が数人いたが、巨深の選手は細長い体格で、峨王は縦も横もデカイ。峨王がQBのキッドを狙いに潰しに来るのなら、ショットガンで全員が散るわけにはいかないかもしれない。峨王のスピードを図りかねたが、キッドの早撃ちに勝てるとは思えないから、杞憂かも、しれなかったが。
「何やってんだバカほら!みんな、これほらドッキリー!」
マルコがやってきて、峨王があたり構わず放っている威圧感のようなものが少しだけ薄れる。いきなり視界が暗くなって、瞬くと陸の頭上にはキッドがいつも被っているステットソンがあり、キッドが隣に立っていた。
「キッドさん」
「まぁ、良くやったよ…。あんな無茶はあんまりしないで欲しいけどねえ」
「……すみません」
「陸に何かあったらどうするのさ」
キッドの言葉に陸は弾かれたように顔を上げ、反動でステットソンが頭から零れ落ちる。難無くそれを空中で拾ったキッドはステットソンを持ったまま、マルコと共に背を向けた峨王の巨大すぎる背中を見た。触れられないスピードに全てのものが無力であるように、敵わない絶対的な力というものも確かに存在するのだ。
「そうだ。おい、お前」
峨王がぐるりと振り向いて陸に目を留める。マルコが後ろからこれ以上の情報漏洩は勘弁してくれっちゅう話だよ、と腕を引いていたが気にしない。
「お前、名前は」
そっちのお前はキッドだな?と断言して、陸に目線を戻す。
「甲斐谷陸。西部のランニングバックだ」
「分かった。じゃあな」
今度こそ峨王はマルコと共に去って行った。観客席が一様に安堵の息で満ちる。
「あ、俺ポジションとか言っちゃってまずかったですか?」
「…いや?彼は知らなくてもマルコは知ってるだろうし、次の一回戦を見たら分かることだしねえ」
だから気にしなくていい、と言外に告げたキッドは小さくため息をつく。
「なんともね…クールだったよ、最後まで。彼、自分の怪力を制御できないんじゃなくて、あれはさ、制御する気がないんだ。ああいうのが一番ね…厄介だな…」
ラインの選手はもともと力自慢の選手が多いものだが、大抵の選手は対峙する相手を押さえ込むのに必要なだけの力しか使わない。峨王のように、全ての敵に等しく自分の最大限の力を持って対するようなことは、あまりしない。出来ないのだ。無意識にブレーキがかかるのが普通だが、峨王はそうではない。
ステットソンを被り直して、キッドは曖昧に口の端を上げてみせた。この試合はビデオに撮っているはずだけれど、見直しても解決策が見つかるかどうか。それよりも、まずは一回戦だ。勝つと決まったわけでは、ないのだから。
「行こうか、陸」
「はい」
陸はさっきのキッドの言葉がずっとひっかかって、キッドの顔をちゃんと見られないでいた。キッドは、陸に何かあったらどうするの、と言った。それは多分、西部のメンバーとして次の試合に出られなかったら困る、とかそういう意味しかないはずだ。自分がいなくても西部が負けると陸には思えないけれど、キッドなりの優しさの一つであることには違いない。
もっと別の意味があったらいいだなんて、夢を見そうになる。そんなこと、意味のない夢なのに。
ずっと、彼の一番は鉄馬で、多分次はアメフトなんだろう。
だから自分は夢を見たりしてはいけない。


初のキッ陸。いろいろ書きたい場面はありますが、まずは原作で大好きなシーンから。これ本当に陸がかっこいいし可愛い。髪型も新しいし(笑)。本当はこの後の進に技を聞かれてロデオドライブをスピアタックルに取り入れられてしまった話も書きたかったのですが…それはまたいずれ。もー、書きたい話が山のようにあんだ、どんどん書いてかないとね。

お付き合い有難う御座いました。多謝。
2007 6 30  忍野桜拝