magic lantern

COWBOY

陸は変わった子だ、とキッドは常々思っていた。
負けん気の強さもプライドの高さも子どもらしいのに、性根が強くて努力を厭わない我慢強さも持っている。誰に対しても一切臆することなく立ち向かっていくし、追い込まれても慌てずに集中力をとぎらせることもない。あっけないほどものわかりが良くて、人当たりもいいから陸を嫌う人も少ない。
そしてそんな陸は、いっそ不必要なまでに老成してしまったキッドのことを好きだ、と言う。まぶしいほどきれいな笑顔で。
傍から見れば陸に押し切られるように(陸自身もそう思い込んでいる節があった)付き合う形になって、ひとつ、気がついたことがある。

陸は、決して自分から約束をしようとしない。

今度の休みはどうするんですか、と尋ねてくることはあっても、今度の休みにどこかへ一緒に行きたい、とは言わない。キッドが予定は無いから一緒にいよう、と言うと必ず嬉しそうに笑うのに、自分からはねだらない。キッドの予定が入っている場合は、自分がどう過ごすかをすぐに伝えて、気を使う隙すらキッドに与えない。
長期の休みが出たときも同じことで、寮に残るのかは聞いても予定だとか旅の行き先だとか、そういったことは一切聞いてこない。はぐらかせば、はぐらかされてくれる。ものわかりの良さにいっそいらついてしまうほどだ。来年の予定だとか、そういったことは口にすらしない。慎ましいというより、意固地なほどに。
そして、卒業した後のことも、一切聞かない。
高二の秋ともなれば進路の話が出ることは普通らしいのだが(相内に言われてキッドは初めて気がついた)、そういうことも聞いてこない。誰にも聞かないのかと思っていたが、キャプテンの牛島や仲の良い元次、二年で特に仲の良い井芹には聞いたことがあるらしい。けれど、キッドにも鉄馬にも聞いてこなかった。おそらく、これからも聞きにはこないだろう。聞かれたとしても、キッドには返せる答えがないことも事実だった。
遠慮させているのだろうか、と思わなかったわけではない。けれど、キッドが気を使おうとすればするほど、気を使わせる隙すら与えないように陸はものわかり良く振舞って、結果、キッドは思うように陸を甘やかすこともできないでいた。甘えることを良しとしないのが陸の性分だとしても、過剰なほど遠慮をみせているのは自分相手だからに違いない、ということも分かっていた。
キッドは五年前、武者小路紫苑という名前とそれまでの過去を同時に捨てた。全て知っているのは鉄馬だけで、監督でさえほんの少ししかキッドの事情を知らない。牛島たちは全く知らないはずだ。陸も。
なのに、陸が約束を決してしようとしないこと、未来のことを聞こうとしないことは徹底していて、まるで時間に怯えているようにも見える。遠くない未来に、キッドと陸が離れていくことをまるで知っているようにも。本当に離れてしまうのか、キッドには分からないけれど離れない、と断言できるほどのものがあるわけでもなかった。


全て分かっていて、それでも陸の傍を離れられずに何くれと構うのは、陸が可愛くて陸のことが好きだからだ。ああまでして自分を律してキッドに甘えたり気を使わせたりしない陸が、たった一つキッドにねだったことが、キッドのことが好きだから傍にいたい、という願い。律することも自分を抑えることも必要以上にできる陸が、キッドに気持ちを告げて一緒にいたいと願うのだから、抑えきれないほどの気持ちを抱えているのだと思って、自然と嬉しくなるしいっそう可愛くも見える。キッドも、もともと単なる後輩以上の気持ちで陸に接していたけれど、老成しきった心が気持ちを告げることさえ諦めていた。出来れば、深入りされたくないとも思っていた。深入りされれば…何か、自分が変わってしまいそうな気がしていた。陸を想うようになった時点で、もう変わり始めていたのかもしれないけれど。あれほど恐れていた変化は緩やかに訪れて、気がつけば自分から陸へ歩み寄っていた。


「ねえ、陸」
「なんですか?」
陸を足の間に座らせて、肩に顎を乗せる姿勢のままいろんなことを思い出していたキッドは、陸の腹に回していた腕を解いて机の上を指差した。
「あれ、取ってきてくれない?」
「いいですよ」
すぐに立ち上がった陸はゆっくりした足取りで机の前に向かい、机の上に置かれている小さな包みを手に取る。
「はい。これ、何ですか?」
キッドの誕生日はもう終わっているけれど、クリスマスにはまだ早すぎる。そんな微妙な時期なのに、陸が手に持っている包みはきれいなリボンがかけられて、いかにもプレゼント、という風だった。キッドは差し出そうとする陸の手に包みを収めて、陸と向かい合う。
「陸にプレゼント」
その言葉に、陸は変な顔をした。一瞬喜ぶように顔を綻ばせたのに、さっと顔色を変えて困ったような、泣きそうな顔を見せる。どうしていいか分からない、と顔に書いてあった。自分は何かしたのか、とでも言いたそうだ。
「え、だって、あの…」
「開けてみて」
陸はリボンを解いて、少し悩むように間を置いて包装紙を解いた。出てきたのはベルベットの布張りがされた小さな箱で、鍵がかけられている。
「あれ、これ鍵が…ん?」
包装紙の上にも、箱のどこにも、包装紙を退けた床にも見合う鍵は落ちていない。陸の指先ほどしかない鍵は、キッドの机の中にしまってあった。
「キッドさん、これ、鍵がかかってますけど、鍵は?」
「…鍵はね、おれが持ってる」
陸は怪訝そうな顔のまま黙り込む。
「再来年の陸の誕生日に、鍵をあげる」
「……来年でもいいでしょ。こんどのクリスマスでも」
「陸が二十歳になるときでもいいよ」
「じゃあ、その時まで箱も持ってて下さい」
「だめ。それは陸が持ってて。陸のものだから」
再来年の陸の誕生日。陸は四月生まれなので高3の春に18歳になるが、そのときキッドはもう西部高校にはいない。陸が二十歳になる四年後には、二人ともどこにいるのかすら分からない。
目尻の上がった、大きな目がじっとキッドを睨むように見つめている。そんなのは嫌だ、と言いたいのを我慢しているのが分かった。
「ねえ陸。おれに約束させて。陸が二十歳になる誕生日、おれは絶対陸に会いに行くよ。鍵をあげるから、一緒に箱を開けよう?」
「そんなの…」
嫌だ、と言いたいのか。嘘になる、と言いたいのか。陸は声を震わせてそれ以上言わなかった。
「陸がどこにいても、何をしてても、絶対会いに行く。そのときまで、おれと陸の間に何があっても」
何があっても、というキッドの言葉に陸はびくりと身体を震わせた。キッドは胸に抱きこむようにして抱きしめる。
「陸、おれは陸が好きだよ」
アッシュシルバーの髪越しに頭にキスをした。何度も。
大好きな、おれの可愛い陸。いつかやってくるかもしれない孤独に気付きながら、それでも今を諦めない強い陸。お前がいつかの未来で孤独なのだとしたら、おれもきっと孤独だ。だから、そのときはまた出会って始めればいい。
「四年後か。陸はさぞかしイイ男になってるんだろうね」
胸に額をつけるようにしていた陸は、幾度か胸に顔をこすりつけてから顔をあげる。少しだけ涙の跡がある目は赤みがかっていた。
「…キッドさんは、すごくカッコいい人になってますね。渋くて」
「おれ、21で既に渋いわけ?」
「今もわりと渋めです」
そう言って笑った陸の顔をじっと見つめてキッドは微笑んだ。美しいな、などと思いながら。


後日。いつの間にかキッドがネックレスをつけていることに気付いた部員たちが口々にキッドを問い質す。
「お前、いつこんなの買ったのよ?」
「ずっと前から持ってたよ。これはチビの頃もらったもんだし」
「このちっこい鍵みてーなのは?アクセにしちゃ小さいよな」
「ああ、それはね…魔法の鍵」
キッドが真顔なので、部員たちは弾けるように笑った。鉄馬はいつもの表情を崩さなかったが、もう一人だけ、声も立てずに俯いていた。
「魔法ってお前ね」
「大好きな人との未来が入ってる箱の鍵だからね」
「……」
「陸?顔真っ赤だよ?熱あんの?」
ずっと黙っていた陸の異変に井芹が気づき、真っ赤な顔に手を当てる。それを振り切るように陸は立ち上がった。
「俺走ってくる!先行ってますから!」
陸が部室を走って出ていったのと一方的に喋ったのはほぼ同時だった。残された部員の視線がキッドに集中する。
「キッド?言ったそばから逃げられてるぞ?」
「はは、じゃあ捕まえてきますか」
牛島の言葉にキッドは少しだけ笑って、手に持っていたステットソンを被って立ち上がる。


捕まえるのは得意、狙い撃ちも大得意。だって、
おれはカウボーイだからね?


陸は聡いので、素性が全く分からないキッドのことを大好きでも、素性が分からないからずっと一緒にはいられない、と思い込んでるといいなあ、と思いまして。で、ずっと一緒にいたいとキッドに甘えたり我儘言ったりしないで、いつか来る別れに備えるように頑なになっちゃう。キッドはその考えを全部見通した上で、陸に初めて未来の約束をする、というお話。箱の中身は…考えてなかった(笑)。

お付き合い有難う御座いました。多謝。
2007 6 30  忍野桜拝