magic lantern

かわいいひと

「なぁ、あんたさ」
「んー?」
組み敷いているヒースには、自分の楽しそうな顔がよく見えていることだろう。野営の天幕の中だから、明かりは少し離れた場所に置いてある蝋燭の揺れる炎一つしか無いが何せ竜騎士なのだから目はかなり良いはずだ。夜目も利かなければ、夜の空を飛んでいて下にいる弓兵に気づくことが出来ない。
「なんで、俺なんだ?気に入ったの何だのって言ってたが、別に俺じゃなくても…んっ」
生真面目そうな顔に合わせて生真面目な声が理屈ばかりを捏ねるので、さっさと口を塞ぐ。ヒースが固く閉じている唇を舌でゆっくり舐めると、少しだけ身体を竦ませて微かに唇を開いた。生まれてこの方、騎士としてしか生きてこなかったヒースに忠誠を誓う以外にもキスをする意味があると教えたのは自分で、そのせいかヒースはひどくキスに弱い。舌を絡ませて吸い上げ、口の中を舌でなぞると身体を震わせて力を抜く。
ヒースに何故俺に近づいた、と聞かれたので冗談めかして愛を明かしたのは先日の話。あんまりにもどん退きしてたからすぐに冗談だと聞かせれば、あっさり信じたようでそれ以上追求してこなかった。気に入ったんだ、と言い方を変えてみればそれで納得したらしい。
こうやって身体を重ねるようになったのは、その前の話だ。酒のせいというわけでもなく、たまたま同じ天幕をあてがわれた夜、同じタイミングでスイッチが入った、だけ。ヒースの中ではおそらくそれで片付いているだろう。ヒースがその気になるように、ちょっとした手管を使ったが。
ヒースには、言っていないことがある。聞かれなかったから、言っていないこと。
オレの世界はとても狭いもので、前は牙の仲間だけが全てだった。親父代わりの首領がいて、ロイドやライナスという友人がいて、ニノという妹みたいな子がいて。それで、全てだった。
粛清者だったオレは元仲間を山ほど手にかけたが、それは牙を裏切った当然の末路、世界から出ていった奴を殺すのに躊躇いは無かった。そうやって閉じた世界にいたオレが、変わり果てた牙という世界に絶望して世界から離れ、本当の一人になってから今の軍に身を寄せたのは最近のことだ。軍の将である公子はあきれるほどまっすぐな少年で、牙と戦うのにオレなんかを軍に入れた。この軍は居心地が良くて、中には元・黒の牙ってんで警戒されもしてるがそれでも、良かった。オレの世界はオレ一人で閉ざされていて、他者の存在などもう無くて、侵されもしなければ広がりもしなかったから。けれど。そこに、ヒースがあっさり入ってきた。
気に入った、とは言ったがこの世に生きている人間の内でオレがそう呼べるのはもうヒースぐらいしか、いないのだ。ニノは気に入った以前に家族だし、ジャファルも似たようなもの。二人は、昔からの牙の仲間で身内だ。もう、オレとは世界を別ったけれど。だから、オレが自分でもあきれるほど執着しているのは、目の前でうっすらと目の端に涙を溜めているこいつしかいない。


「お前さんは、かわいいねえ」
上気した頬を撫でてそう言うとヒースは不機嫌そうに眉を顰める。
「かわいい、とか、言う…な…っ…」
「仕方ないだろ、事実なんだから。あんたは本当に、可愛い」
他愛も無くて。オレみたいな奴に捕まって、あっけなく身体を差し出してしまうほど真っ直ぐで無知でどうしようもなく可愛い。
至るところにキスを落としていると、急にヒースが息を飲んだ声が聞こえた。
「ヒース?」
「…そんなこと、言わなくていい…から…んッ」
「言わなくて、いい?」
それは言うな、という否定の命令ではない。言う必要がない、という意味だ。知らずに手がヒースの顎を捕まえていて、慌てて手を外す。
「お前さん、おかしなこと考えてないかい?オレは本当にそう思ってるから、そう言ってるだけなんだがね?」
誰も彼もを捕まえて可愛い可愛いと言っているわけではない。
「そ、の…可愛いだの、好きだの、そういうのは礼儀だと聞いた」
「礼儀?……ああ、そういうことか」
一緒に夜を過ごす相手に気を使う礼儀として、そういう言葉を使うと聞いたのだろう。それはあながち間違いでは無い。確かに身体を重ねているのにそんな言葉の一つも無ければ、ムードってもんが無いし冷静になると楽しめるものも楽しめないだろう。
「俺は何も知らないから、気を使ってくれたんだろうがそういうのは言わなくて…ぁ、ん…」
「あんただけだよ」
「…ん…っ……な、に…ッ…」
「この世界で、あんただけだ。オレの可愛いひと」
耳元で囁くとヒースはばっと顔を朱に染めて唇を噛み締める。さっきから愛撫している手の中のものが、嫌がっていないことを教えた。
「礼儀知らずはお互い様ってね。オレにとって、この世でたった一人、あんただけ」
いつか、この命尽きたときに出会える向こうに一人同じことを言った人がいる。けれど、この世に生きているのはこいつだけ。
「俺、だけって、どういう…ッ…ぁ、や、……止め…っ…」
「オレの世界にいるのはあんただけってことだ。好きだよ」
囁いた声は、果てて気をやったヒースの耳には届いていなかっただろう。
この世でたった一人、オレの可愛い人。オレが向こうに行くまでの間、少しだけでいいからオレの世界に居てくれないかね。向こうに行ったオレを思うなんて馬鹿なことはせずに、お前はこの戦争が終わってもずっとずっとこの世で笑って暮らして欲しい。戦争が終われば騎士として国に王に仕えて生きるだろうお前の傍に、暗殺者なんて要らない。オレは平和になった大陸を見ることもないだろうけれど、それはオレの罪咎でオレが享けるべき報いだからそれでいい。オレの居なくなったこの世でお前が笑えるのならば、この戦争のためにオレは死んでも構わない。
だから、どうか。
この戦争でオレが死ぬまでは、オレの世界にいてくれないか。
オレの、たった一人の可愛い人。