magic lantern

竜と天馬と鳥

「おや」
今晩の宿営地、いくつもの天幕の間を縫うようにふらふらと歩き回っていたラガルトは、向こうに探し物を見つけ出して口の端を上げた。一番大きな天幕から出てきた彼は天幕の中へ辞儀をするように頭を下げてから踵を返してこちらに近づいてくる。
「……ラガルト」
「どうしたんだい?あれは、公子サマの天幕だろう?」
ヒースはこの軍にいる三人のリキア公子に仕えている身分では無い。表立って敵というわけではないが、決して味方とは言い難いベルン王国の誇る竜騎士──だった。いまはベルン軍から逃亡兵として追われている。ラガルトに至っては、敵である黒い牙の元幹部だから人のことは言えないのだが、ともかくヒースにとってリキア公子たちが気安い人物ではないことだけは分かっていた。もともとが王国の騎士なので、折り目正しい性格をしているヒースは剣を奉げたわけではない公子たちにさえ膝を折り頭を下げる。
「ああ。エリウッド様にお伝えすることがあったからな」
「一人で偵察にでも行ったかい?」
一人で、とわざわざ付け足したのには意味があった。ラガルトは元暗殺者で、城に忍び入ることも人々から気取られずに情報を聞き出すことにも長けているから、偵察には必ず二人で行くことになっていたのだ。ヒースはハイペリオンを駆って空を飛べるが、騎士育ちなので情報操作だの侵入だのには向かない。
「違う。偵察ならあんたも一緒に決まってるだろう」
ヒースは首を振って、木立の合間から見える空を指した。もう夜だから空は暗く、月明かりしか届かない。
「天気の話だ」
「天気?ここのところ、良い天気じゃないか。今日も晴れてたし」
「そうだな。でも、四日後に雨が降る。それほど長くは降らないが、しばらくは降ったり止んだりで晴れないだろう」
「……お前さん、闇魔法でも使えたのかい?」
魔法に対する耐性が乏しい飛竜に乗るには、魔法の知識でも要るのだろうか。ラガルトの居た黒の牙には魔法を使う者も多く居て、闇魔法は古代魔法と呼ばれ力の強さ故天候を操ることさえ不可能ではないと聞いたことがある。もちろん、見たことはないが。
「いや。魔法は使えないが、天気のことなら分かるさ。飛竜と、天馬と、鳥の次ぐらいにはな」
「そいつはすごいな」
「大したことじゃない。飛竜を駆る竜騎士が天気に疎いのでは意味が無いだろう。天馬騎士が二人いるから出すぎかとは思ったが、天馬より飛竜の方が高度がある分天気にも敏感だから進言してきたまでだ」
大したことではない、とヒースの顔にははっきりと書いてあって思わずラガルトはいつもの笑みをこぼす。
「すごいことじゃないか。公子サマたちも、そう言ってただろう」
ぱち、と瞬きをしたヒースはだから困った、と言う。
「困る?何で」
軍の将に褒められて、何を困ることがあるのだろうか。
「その…エリウッド様やヘクトル様がたいそう感心なさったのも恐縮な話だし、リンディス様に何故分かるのか、と尋ねられてお答えできなかったんだ。言葉に出来ない類の、肌に感じるようなものだから、きちんと説明出来なくて」
「ああ、サカの民もそういうことには敏感らしいからねえ」
もうこの世では逢えない、かつての仲間にもサカの民がいた。ウハイも天候に詳しかったし、馬だの天馬だのといった動物の気持ちにも詳しかった。
「上手く答えることが出来ずにいたら、エリウッド様がその場を収めて下さったんで出てきたんだ。そしたらあんたに会った」
「そうかい。ま、全部が全部言葉になるわけじゃないさ」
経験則が導くカンも言葉で説明できるものではないし、ラガルトたちのような暗殺者たちにも肌で悟る類の感覚はある。ヒースのものと違って、それは相手と自分の生死に直結しているが。
「…エリウッド様も、似たようなことを仰っていた。にしても、疲れるな。ああいう場は苦手だ」
「苦手?騎士様が何言ってんだかね」
「苦手なんだから仕方ないだろう。俺は騎士宣誓をしてそう経たない新米だから、主君の前に出る機会なんてベルンに居た頃は無かったし、主君じゃないにしろ貴族の方々に気安く口をきける身分でもないからな」
そしてさらに言えばお前さんは女性陣も苦手だからね、と心内で付け足してラガルトは苦笑した。潔癖というわけでもないのだろうが、ヒースは女性を前にするとあからさまに『どう扱ったらいいか分からなくて困る』という顔をしている。
「あんたといるほうがずっといい」
「!?」
「別にあんたはお偉いさんでもないし、頑丈そうだし、俺なんかよりずっと大人だしな」
いきなりの言葉にびっくりしているラガルトをよそにヒースは自分の弱点をあっさり並べて、軽く伸びをした。
「ラガルト?」
自分たちにとあてがわれた天幕の前で、驚きから立ち止まっているラガルトに向かって振り向いたヒースは不思議そうに首を傾げる。
「腹でも痛いのか?」
「……いーや。思ったよりお前さんに愛されてるみたいで嬉しかっただけさね」
「あ、あい…!?」
今度は天幕の前で顔を真っ赤にしているヒースを置いて、ラガルトが天幕の中にさっさと入っていった。出入り口に掛かっている垂れ布を捲り上げたまま、にやりと笑って手を差し伸べる。
「可愛い可愛い。さ、入ろうぜ?」
「〜〜ッ」
ラガルトの手をはたき落とそうとしたヒースは、天幕に入った途端抱きすくめられて固まった。
「そんなに固くなるなって、おれといるほうがいい、んだろう?」
可愛いねえ。
耳や首まで真っ赤に染まったヒースにキスをして、ラガルトは堪えきれずに笑みをこぼす。
ほんとうに、可愛い。