magic lantern

海光

タリスは碧海に浮かぶ小さな島国だ。世界の人々から崇められているというアカネイア聖王国、アカネイア王家に忠誠を捧げる大陸の国々のことなど、タリスに住む人々にとっては遠い世界の物語だった。時々タリス王が王妃や王女を伴って城を空け、アカネイアパレスに赴いているのだと聞かされても、あまり実感らしいものは無い。
タリス王が国としてタリスを一つに纏めた戦いは、少しずつ過去のものになろうとしている。対立を繰り返していた諸部族も、タリス王の力となるべくまとまり始めていた。バーツが生まれた部族は元よりタリス王の出身部族なので、城の警備の任を受けている。バーツはまだ成人しておらず警備の任にもついていなかったが、父の使いとして城を訪れていた。
「バーツ!ここにいたのね」
「シーダ様!?」
城の役人に頼まれ物を届け終え、帰ろうとしていた時に聞こえてきた幼い声にバーツは慌てて膝をつく。腰をも少しかがめて、シーダよりも目線を下げた。
「どうなさったんですか、シーダ様。おれをお探しで?」
まだ年端もいかぬ小さな姫君はそうなの、と頷いてバーツの手を引こうとする。
「あのねバーツ、お願いがあるの」
「お願い?」
王家を国長と頂いて歴史の浅い国なので、姫君にどういう振る舞いを促すべきなのか少年のバーツには分からず、お願いの内容を聞こうとするとシーダは尚もバーツの手を引いて、あっち、と言った。
「この前ね、お父様に街に連れていって頂いたの」
「…はい」
タリスで街、といえば国ではなく対岸にある大陸の街を指す。タリス王は幼いシーダにさまざまなものを見聞させようと外出することがよくあった。
「そこでね、きらきらした髪の男の人がいてね、きれいな人だったのにいじめられてたの」
「……はぁ」
だんだん雲行きが怪しくなってきたな、とバーツはこっそり眉を寄せる。シーダは気づかずに続けた。
「だから助けてあげなくちゃって思って」
「助けてさしあげたんですか?」
「そうなの。でもね、わたし子どもだから、お父様が助けて下さったの、オグマを」
「オグマ…?」
どこかで聞いた気がする名前だが、タリスにいる人々の名前ではない気がするなと思いながらバーツは首を傾げた。シーダに引きずられて、いつの間にか城に戻ってきている。
「お父様が助けて下さったのだけれど、オグマ、ひどい怪我をしているの」
「それでおれをお探しだったんですね、でも、今薬草の持ち合わせが…」
山や林に分け入って木を切り出す仕事をしているバーツは多少ならば薬草の知識があった。何も知らなかった時に、転んでしまったシーダに薬草で手当てをしまって(後で姫だと分かって部族ではちょっとした問題になった)からというもの、シーダはバーツのことを薬師か何かだと思っている。
「私がシスターだったら杖で治してあげられるのに……」
大きな目に涙を浮かべたシーダを見て、バーツは『今は薬草を持っていないので手当てはできません』と言えずにシーダを促して建物へ入った。城の王の間や、王家が居室にしている部屋とは隔離された、小さな離れだ。
「オグマ、私よ、入ってもいい?」
少しの間があって、部屋の中からはどうぞ、という掠れた声がした。怪我のせいで声が出ないのか、喉を痛めているのか。シーダが頑張って背伸びをして扉を開けようとしていたのでバーツが手伝うと、扉が開くなりシーダは駆けていった。
「姫様」
「……姫、ここにお一人で来られてはいけないと言われたのではないですか」
バーツが思わずかけた声を追うように、シーダの行動をやわりと咎めた声はやはり掠れている。扉を閉めずにバーツが歩み寄ると、シーダがきらきらした、と言った意味がようやく分かった。男の髪はこの辺りでは見ることの無い金色で、褐色の肌がよけいに金色を際立たせている。
「一人じゃないわ、バーツも一緒よ、バーツはお薬を作ってくれたの」
「バーツ……?」
どこか緩慢な動きで男は顔を上げ、視線をシーダからバーツへと移した。バーツが頷いて見せると、ゆるく首を傾げる。その刹那、窓から差し込む陽光が金色の髪に当たってきらめいた。
「あんたが、いやあなたがオグマさんか」
名前は分かってもどういう人物かが分からず、バーツが丁寧に喋り直すとあんたでいい、とオグマはやはり掠れた声で告げる。
「あなた、なんて言われちゃ気持ち悪い。俺は君よりも卑しい身の上だからな」
「それはどういう…」
タリスには王がいて役人がいて平民がいるがその下はない。生まれたばかりの国だから、貴族などというものにもバーツは縁がなかった。まして、平民である自分よりも卑しい身の者がいるなど聞いたこともない。
「姫、あまりここに来られてはいけません。俺を助けて下さったことにはとても感謝していますが、姫は御自分から俺になど関わってはならないお方なのですよ。陛下もそう仰っておいでではないのですか」
掠れた声で喋る言葉は、オグマの言う卑しい身の上の者だとはとても思えない、丁寧で美しい言葉だった。
「なんで、そんなことを言うの?オグマは、私が嫌い?」
「……いいえ、姫様。俺は姫様と陛下にお助け頂いた身です、嫌いになど」
今にも泣きそうなシーダが言葉を捜していた時、外からシーダを呼ぶ声がした。
「行かなくちゃ!オグマ、また来るわ!」
ぱっとそれだけを行ってシーダは外へと飛び出していく。ついていったほうがいいのかどうなのか、分からないバーツはそのまま立ち尽くした。
「バーツ、だったか。薬師にしては立派なナリをしてるな」
「姫様が勘違いしてるんだ、おれは木こりみたいなもんで薬草にはそこそこ詳しいが薬師じゃない」
立派、と褒められても自分よりもはるかに鍛え上げられた身体の持ち主に言われては褒められた気分になどなれず、バーツはそう返して椅子に腰を下ろす。
「そうか。……寝てれば治ると言ってるんだがな、姫には。最低限のことは城の人間がしてくれているし」
寝てれば治る、と言うにはあまりにも傷の数が多すぎる身体を見ていたバーツは、左頬にある大きな傷に目がいって思わず瞬きをした。
金色の髪、褐色の肌、鳶色の目、そして左頬に大きな傷を持つ、大陸一の剣闘士。名を、オグマ。
「あんた、あのオグマだったのか……」
大陸から遠いタリスにも、話だけなら伝わってきている。大陸一の腕だという、剣闘士。
「あの、かどの、か知らんが俺はオグマだ。本来なら、こんなとこに入ることの出来ない、奴隷のな」
「姫様と王様が助けた、って」
「助けてはもらったさ。奴隷を逃がしたとして捕らえられ、公開処刑されていたところを姫様に助けられ、見かねた陛下が俺を飼ってた貴族に金を渡した。…結局、どこでも同じだろう、俺は買われた身だ」
お前とは違う、と目前に突きつけられているようでバーツは眉をひそめた。タリス王のことをバーツは詳しく知らないが、父やシーダから話を聞く限り人を金で買うような人物にはどうしても思えなかったのだ。
「この国の人々は変わっているな。情けで助けるのは王族や貴族らしい気まぐれだが」
「……おれは陛下のことはよく知らないが、少なくともシーダ様があんたを助けたのは気まぐれなんかじゃない」
シスターだったら自分が助けてあげられるのに、助けたいのに、と涙を浮かべた幼い姫の心を踏みにじられたようで、バーツが真正面から見据えるとオグマはふっと視線を逸らす。
「知ってるさ。俺が知るどんな貴族の姫君より、この国の姫様はお優しい。幼さ故というわけでも、ないのだろう。だからなおさら、俺なんかに懐かれては困る。後々俺を助けたせいで姫様の名に傷がつくようなことがあったら、……そんなの、耐えられない」
身体中の傷に耐えて、痛みなど微塵も見せない男が耐えられない、と呟いた声は小さく掠れきっていた。
「あんた……」
「どこかの吟遊詩人が歌うような、麗しい主従譚なんかにしてはいけないんだ。陛下は奴隷として扱うおつもりは無いようだが、奴隷を甘やかしては持ち主の威厳に関わる。貴族王族ってのはそういう世界だからな」
「そんなの、あんたの勝手な思い込みじゃねえか、陛下だってシーダ様だってそんな風に思われてるって知ったら」
「悲しまれる、かもしれないな」
淡々とオグマはそう言って、だからいけない、と続ける。
「王家が侮られるということは、ひいては国が侮られるということだ。そこに住む、人々もだ。奴隷を気まぐれに買って解放してやった、までならよくある話で済まされる。慈善行為に見えなくもない。ただ、それから先、その奴隷を丁重に扱ったりしちゃ、いけないのさ。この国の人たちがそれを許しても、奴隷を丁重に扱うなどアカネイア大陸の貴族たちからすれば狂気の沙汰だろうよ」
「……胸クソ悪ィ話だな」
「お前はこの国の住人だろう、気にすることはない。そういう世界の人間がいるってだけで、お前には何の関わりあいもないだろう。ただ、陛下や妃殿下、姫様たちは別だ。そういう世界のお方だからな」
自分を助けた王家に、少したりとも影が差さぬようにオグマが振舞おうとしていることはバーツにも分かった。難しい言葉や気持ち悪い話だったが、目の前にいる傷だらけの男が悪人でも偽善者でもなく、幼い姫が言うようにきれいな人なのだということも。
「あんた、それを陛下に言えばいいだろう、そうすればもっと」
すれ違いなど起こさずに、幼い姫が涙を浮かべるようなことになどならずに。
バーツの声にオグマはゆっくりと首を振った。何も整えられていない、金色の髪が揺れる。
「言っただろう、奴隷の俺が一国の王に物を言えるわけがない。姫様にだって、同じ目線で顔を合わせてはいけないんだ、今は寝台から降りられないからどうしようもないが」
ふっとオグマが浮かべた笑みがいやにきれいで、バーツはなぜだか腹立たしかった。



「おい、こんなとこにいたのかお前」
ぼんやりと、丘の上で海を眺めていたバーツに頭上から声がかけられる。ついでにゴン、と鞘のままの剣先が押し当てられた。そこそこ痛い。
「隊長、よく分かりましたね」
シーダがべそをかきながらバーツをオグマと引き合わせてから、五年の歳月が経った。バーツは成人を迎え、こちらに来た当初のオグマと同じ歳になっている。
「よく分かりましたね、じゃない。お前、こんな黄昏てる暇があるなら隊のやつらをしごくとか仕事をしろ仕事を」
奴隷だから、とバーツが腹立たしくなるほど卑屈なことばかり言ってみせたあの日から、オグマを取り巻く環境は変化していた。タリス王はオグマを奴隷ではなく、剣を持って仕える傭兵として正式に雇った。そしてオグマを隊長とする親衛隊を組織して、不穏な気配を見せる大陸の騒乱に備えていた。
「別に黄昏てなんてないですよ、だっておれ隊長より若いですから」
「……バーツ、お前、夜番な」
「えー!?おれ昨夜も夜番だったんですけど」
だから眠たくて、ついついぼんやりとしていたのだ。
「知らん。だいたいな、男が若さを自慢してどうする。男なら腕っ節だの度量だのそういうのを……何がおかしい」
思わず笑ってしまっていたバーツだが、オグマに見咎められてぎろりと睨まれる。殺気こそ篭っていないが、迫力のある眼力に押されて諸手を挙げて降参した。
「おかしいっつうか、嬉しい、っすかね」
「はぁ?何だそりゃ」
オグマは心底不思議そうに首を傾げたが、いくら敬愛する隊長に頼まれてもこればかりはバーツは明かす気にはなれなかった。

何だか甘えて拗ねたようなことを言ってくれたのが嬉しい、だなんて口が裂けても言えない。




Q:これのどこがバーツ×オグマなのか。
A:私の脳内では立派にバツオグですが何か問題でも。

……すいません、幼い姫様を書くのが楽しすぎました、卑屈になってる若いオグマを書くのが楽しくて楽しくて、自分に正直になりました。オグマは下級貴族の生まれだし、貴族に飼われていた身なので、王族貴族の闇というかそんなのものを一番知っている気がします。でもシーダとか王とかバーツたちとか、とりあえずタリスに癒されてゲーム中のあんな感じになったらいいなと。本当は、正式に傭兵に雇われた日にオグマがシーダに剣を捧げて忠誠を誓うとか、親衛隊を結成したときにバーツが似たようなことをオグマにしたとか、そういうのも書きたい。
ちなみに妄想設定の年齢→(ゲーム本編当時:シーダ14歳、オグマ28歳、バーツ23歳。ついでにナバールは26辺り希望)シーダがオグマを拾ったのはシーダ6歳の時、最後の微妙なシーンは本編の三年前、まだマルスはアリティア。一年後にマルスはタリスへ落ちのびます。