magic lantern

誇り

マルス王子を追うドルーアの軍ではなかったが、麓の村々を襲って略奪の限りを尽くしていたというサムシアンたちを相手にするのは、いまだ経験の乏しい新兵の多いアリティア騎士団にとって簡単なことでは無かった。
「マルス王子、お怪我はございませんか」
無傷のオグマがそう尋ねると、振り向いたマルスは大丈夫だと頷いてみせる。王子が無事であった証拠に、彼を守る騎士たちは多々怪我を負っていた。
「僕に怪我はないけれど、騎士団には怪我をした者が多いようだよ」
「幸い、シスターが手当てを申し出て下さっていますから、しばらくすれば進軍には問題無いでしょう。それより王子、あの者は…」
何をするでもなく一人、木に背をもたれかけさせている異国風の剣士にオグマが目をやると、マルスはつられるように目線を向ける。
「ああ、ナバールだ。シーダが連れてきたんだ、仲間になってくれるのだと」
「姫が?」
剣士の目星はついていたので名前を聞いてもオグマは驚かなかったが、成り行きを聞いて思わず白の天馬騎士を探した。
「ナバールはね、サムシアンの用心棒だったらしいんだけど、シスター・レナとジュリアンを助けようとしたシーダの話を聞いて、僕らと一緒に来てくれると約束してくれたんだ」
「さようでしたか。……手勢が多いに越したことはありませんからね、名立たる剣士が加わるとなれば心強いことです」
オグマはマルスの言葉にちらりと視線を投げ、すぐにマルスへと戻して穏やかな笑みを浮かべる。
「そうだね、僕や騎士団だけじゃここまで来ることさえ出来なかったかもしれない。シーダや、オグマたちの助けがあってこそだ」
「恐れ入ります。王子、モロドフ公がお呼びのようですよ」
「本当だ、何だろう」
マルスはモロドフやジェイガンのいる場へと歩いていった。オグマはもう一度、ナバールへと視線を向ける。俯き気味の姿勢は動かず、射るような殺気だけがオグマに向かって真っ直ぐに届いた。
「……」
オグマはそのままナバールに背を向け、さきほど見つけた天馬騎士の無事を確認すべく歩いていく。背中を斬りつけられるような殺気は止むことが無い。
「姫、こちらでしたか」
「オグマ!オグマは平気?どこか怪我をしていない?」
「俺はどこも。姫もご無事のようで何よりです。エルカイトも」
真白い天馬のエルカイトはいささかの傷もなく、優雅な仕草で水を飲んでいた。シーダはエルカイトを労って身体を撫でている。
「実はね、途中で射られそうになったのだけれど」
「!!」
シーダの言葉にオグマは目を見開いた。空翔る天馬騎士にとって、上空で弓に射られるのは致命傷を負うことと一緒だ。
「すぐにナバールが助けてくれたの」
「そう、でしたか……」
未だ、執拗なまでにオグマ一人に向かって殺気を送るナバールのことをシーダは気安くそう呼んで、悪い人ではないと思うの、と続ける。
「サムシアンの味方をしていた人だけれど、だからってサムシアンにいる全員が悪い人では無いでしょうから。ジュリアンだってレナを助けようとしていたのだし、ナバールは私やレナを守ろうとしてくれたわ」
「俺がお守り出来ればよかったんですが、今日は別働隊でしたから。姫を守ってくれた彼には、俺からも礼を言わないといけませんね。それにしても姫、弓兵には注意して下さい。出来るだけ俺たちは弓兵を先んじて倒すようにしていますが、敵が多くなればそれも適いませんし」
「ナバールにも同じことを言われたの、これからはもっと気をつけるようにするわ。私が怪我をしたら、きっとマルス様やオグマたちを悲しませてしまうもの」
「姫……」
誰も怪我を負わずに戦いに勝つということは難しいことだが、将であるマルスや王女であるシーダが怪我を負うことは軍の士気にも関わることだった。自分たちの主を守れなかった不明を騎士たちは悔やむだろうし、シーダが怪我をすればマルスは気に病んでしまうだろう。オグマとその部下はタリスの傭兵であって騎士ではないが、シーダを守ろうとする意思は騎士と同じほどに強固でシーダが慕うマルス王子を守ろうとする意思さえ、騎士団に引けを取らない。
ついこの間まで小さく、やっと成人の儀式を迎えた少女だったのにとオグマは何やら微笑ましいような寂しいような気持ちで薄っすらと笑みを浮かべる。剣を捧げた王女は、一人の騎士として王女として立派に成長していた。
「どうぞそうなさって下さい、タリスで陛下と妃殿下もご心配なさっておいでなのですから」
「ええ。エルカイト、もう少しで飛べるから大人しくして、いい子だから」
話の最中にあっても止むことのない、真っ直ぐにオグマを貫こうとする殺気。人よりも幾分気配に敏い天馬のエルカイトが不安がって、この場を離れたいとシーダに訴えている。
「……姫も少し休まれて下さいね、俺は部下の様子を見てきます」
自分がここにいる限りエルカイトは暴れるだろうとオグマは足早にその場を去った。そのまま、殺気だけを遣すナバールの元へと真っ直ぐに歩いていく。真正面から剣で刺し抜かれているような感覚だが、オグマは腰に帯びている短剣に手を伸ばすことさえせずにナバールが休んでいる木の傍へ歩み寄った。
「話には聞いていたが実際に会うのは初めてだな、ナバール」
「こっちこそ、話だけなら山ほど聞いている。大陸一の剣闘士、引退したと聞かされたがしばらくしてタリスにいるという話を聞いててっきり隠居でもしたのかと思っていたが」
互いに向き合って話をしているというのに、オグマの身体を貫く殺気は未だ衰えない。
「今の俺はタリス王女とタリスに剣を捧げた傭兵だ、お前と同じ、マルス王子の力の一つ」
「……よく言う。おれの気配に振り向きもせず注意を向けることもせず、それでいて、いざとなればおれを仕留めようとしているくせに」
ようやくのことでナバールはオグマを斬りつけていた殺気を収め、小さく肩を竦めてみせる。
「言ったろう?俺は姫に剣を捧げている、姫を守ることが俺の意思で剣を振るう理由だ。姫が悲しむこと全て、俺の剣でなぎ払う」
ナバールがマルスたちに剣を向ければ、その行為に悲しむシーダの心を守るためにナバールと命がけで戦うことさえ、厭わない。オグマの方が体格は上で名も知れ渡っているが、ナバールを相手にすれば無傷では済まないことはよく分かっていた。だが、オグマにとって守るべきはシーダ姫、そしてシーダが慕うマルス王子、そして仲間たちだ。
「一度手合わせしてみたいものだが、つまらん勘違いでもされればそれこそ面倒なことになりそうだな。やり合ってみたいものだが」
「勘違いされると分かってるなら狙うなよ、ナバール。勘違いでも何でも姫を傷つけたら、容赦しない」
「あの天馬騎士が、お前の誇りか」
「ああ」
ナバールの言葉に、オグマは嬉しげに頷いてみせる。昔のように自分の命を繋ぐためだけではなく、大事な人を守るために戦うことの出来る喜びはオグマに自然と笑みをもたらした。
「おれは王子に剣を差し出したが、お前やアリティアの騎士たちのようにはなれない。……だが、お前がおれ以外の者に倒されるのは癪に障る」
「……癪に障る、ってお前ね」
ナバールは騎士ではなく、またオグマたちのような強固な絆があるわけでもない。だが、マルス王子を主君と頂いて剣を捧げたのはナバールの意思で、ナバールの誇りだ。自ら定めた主君を守りきるという、誇り。そして。
「剣を持つ者ならば、まして剣の腕で生きていく者ならばこの大陸でお前の名を知らぬ者はいない。そのお前と同じ軍にいてみすみす死なせるなど、おれの剣にかけてさせぬ」
闘技場と違う戦いは一人で行うものではない。オグマがいかに強かろうと有名であろうと、オグマ一人で勝ち抜くことは出来ない。マルス王子の下に集う騎士たち、仲間たちの力がなければならない。仲間が討たれるということは、単純に力負けということではなく、作戦のミスでもあり他の仲間の力不足でもあるのだ。力不足だと示されるような事態になることなど、誇り高いナバールには到底許せることではない。まして、自分ではない別の誰かが大陸一と謳われたこの男を討とうなど。
「それがお前の誇り、ってことか。いいさ、それで。俺はまだ誰かに倒されるわけにはいかないからな」
何にも代えて尊い姫の涙を、自分の死で流させるわけにはいかない。守り抜くと誓った大事な人を嘆かせたくはない。だから、何があってもどれだけの血を浴びても生きのびる。
「……そうか」
騎士ではないナバールには、オグマの言いたいことがよく分かった。騎士は騎士宣誓や騎士道に準じた振る舞いを求められ、時には美しい滅びさえ望まれることがあるが傭兵はそうではない。死ぬことは美しくも何とも無い、ただの敗北でしかないのだ。
「これから長い付き合いになるな。そうだ、お前、酒は強いか」
「強いと言われてはいたが、程度はよく分からん」
ナバールの言葉にオグマはにやりと楽しそうに笑う。
「良かった、うちの部下もそこそこ強いほうではあるんだが、どうにもこの軍には酒に強いヤツがいなくてな。マルス王子がお若いせいか、騎士団も若いやつらが多いし。傭兵は傭兵同士のほうが楽しく飲めそうだ、今晩付き合えよ、ナバール」
「それは構わないが。……あまり占領しすぎるとこっちはこっちで面倒だな」
「あ?」
ちらちらと送られる視線に気づいたナバールがそう呟くと、オグマは首を傾げた。オグマと似た褐色の肌をした戦士が数名、こちらを伺っている。さきほどまでのナバールのように殺気を送るわけでもなく、単純に心配そうな視線で。
「こっちの話だ」
ふっと息をほどくようにナバールは笑い、緩く首を振った。女子どもを斬る剣など持ち合わせていない、と己の誇りにかけて天馬騎士の話に乗ったことは間違いではないようだとようやく思うことが出来た。弱者を虐げ略奪をするわけではなくて、錆びる暇無く剣を振るうことができる日々。何より、大陸中から讃えられた剣士の傍で己が技量を競い合えることはこれ以上ない喜びだった。
嫌でも長い付き合いになることは明白で、それはナバールが今まで覚えたことのない高揚を呼んだ。

ナバオグと言い張る。これでもナバオグだと言い張る。姫を書くのが楽しすぎる、オグマがモテモテな話を書くのが好きすぎる。タリス親衛隊はオグマ隊長のファンクラブも兼ねていると疑いません。