magic lantern

犯罪者が入れられるにしては、いやに豪奢な病室の片隅で無様に震えている生田目は惨めそのものに見えた。無様で、惨めったらしくて、こんな下衆に菜々子が殺されたのかと思ったら怒りを通り越して何かを突き抜けてしまった。
「テレビに落とそうと思う」
陽介がそう言い出した時も、心が凍ってしまったように感情が動かない。テレビに落とせば確実に死ぬだろうな、と淡々と思った。
「俺はお前の意見が聞きたい」
「……因果応報、自業自得、か」
おれの呟いた声に直斗がはっと息を飲む。
「花村」
いつも呼んでいる名前ではなく、硬い声で吐き捨てるように呼びつけたおれに面食らったのか、陽介は微かに眉根を寄せた。
「ンだよ、お前はどうしたいかって聞いてんだよ」
「おれがリーダーだって、お前は言ったな。じゃあ、おれはお前を…お前らを殺人犯なんかにするわけにはいかない」
「先輩!だってこの野郎が!」
おれの言葉に陽介はびくりと身体を震わせたが完二は意気込んで叫び返す。
「こいつのせいで菜々子は死んだ」
そう言葉にしても、胸に去来したのは悲しみでもなければ憎しみでもなかった。いつだったか、尚紀が言っていたことを思い出す。犯人が憎いとか、そういうことを考えることさえ出来なかったと告白してくれた尚紀。
「それで?こいつを殺して、菜々子や小西先輩たちが生き返るとでも?」
何故か、薄ら笑いが出る。こいつを殺して菜々子が生き返るのなら、こいつを殺してその罪をおれが贖って菜々子が帰ってきてくれるのなら、殺せばいいのかもしれない。でも、そんなことにはならない。
「おッ前…なんだよ、何そんな冷静なんだよ!!こいつに…こいつに!!」
「こいつを殺して仇討ちをして、そんなおれに菜々子が笑ってくれると思うか?菜々子がありがとうって言ってくれると思うか?そんなわけないだろう、菜々子はそんなことを望まない。それにな」
おれと、陽介たちの周りに膜のようなものが見えた気がした。壁、とでも溝、とでも言えそうな何か。
「殺して、その一瞬で全てを帳消しになんてしてやらない」
「!!」
「先輩!」
「月森くん!」
「だってそうだろう?死ねば、こいつは楽になっちまう。そこで終わりだ。そんなことになんてしてやらない。そこで苦しみを終わらせてなんてやらない」
「待て、お前、何を」
焦ったような陽介の表情がどこか可笑しかった。何をいまさら焦ることがあるのだろう。
「何もしないよ、法律は多分こいつを裁けない、そもそも人を裁けるのは人じゃない。おれたちは誰かを糾弾して裁けるような人間じゃない。だから…ずっと苦しめばいい」
「…っ」
「因果応報、自業自得。己が罪は必ず自分に返ってくる。法律が見逃そうと、警察から逃げようと、自分で犯した罪から人は逃げられない」
膝をついて、生田目と視線を合わせる。生田目はひっと甲高い悲鳴を上げた。
「待て、月森」
「……呪いの掛け方を教えてやろうか、簡単だよ」
肩を掴む手を振り払い、尚も生田目に近づく。目線を捕らえて、笑ってみせた。お前が、お前が。
「お前は救済に失敗して、菜々子を殺した。お前が殺したんだ。お前は誘拐を繰り返し殺人未遂を繰り返し、そしてとうとう本当に人を殺した。救済なんて、何も出来はしなかった。お前がやったのはただの人殺しだ」
生田目の目線が正気を逸したようにそれる。
「おれが…ころし…」
「そうだ、お前が殺した。警察から逃げようが無実になろうが、おれはお前を許さない。お前が菜々子を殺したことを誰が忘れてもおれは忘れない。お前の罪をおれはずっと覚えて生涯許さない。一生、怯え続けて生きるがいい。菜々子が受けた苦しみはこんなもんじゃない、もっと苦しめ、殺人者」
短い悲鳴を上げて、生田目は泡を吹いて気を失った。くすり、と笑みがもれる。こんな矮小な男に殺されたなど、到底許せるものではないが、死んだほうがマシだと思えるほどの苦しみをこれから味わい続ければいい。
「…つき、もり」
「もうこれで十分だろう?テレビにわざわざ落として、お前が…お前らが罪の意識を抱える必要は無い。それに、多分こいつは小西先輩たちをやってない、全部こいつがやったにしてはおかしな点が多すぎる」
「君たち何をしているんだ!」
おれの言葉に呆然としている仲間たちの輪を、医者が割り入って崩していく。促されるままに病室の外に出た。
「生田目が小西先輩たちをやってないってどういうことだよ」
「……納得がいかない点が多すぎる、菜々子をあの世界に連れて行って苦しめたのは生田目だってことは確実だけどな」
意味不明の脅迫状、救済と信じていた生田目。脅迫状を生田目が書いたのなら、どうやっておれたちの行動を知っておれの家を知ったのか、イレラレテコロサレルというあくまで受動的な文章との齟齬は何なのか。
「君たちここにいたの!早く病室へ!」
突然現れた看護婦に急かされて菜々子の病室へ戻ると、そこには微かに息を吹き返した菜々子の姿があった。
「…ッ……菜々子、菜々子!!」
がくん、と足の力が抜ける。生きていた、生きてくれた。掴んだ手は白く小さく冷たかったが、それでも、心臓の脈動を示す電子音は確かに聞こえる。
「菜々子…良かった……これで、もう」
生田目を文字通り呪ってその咎がおれに返ったとしても、菜々子が生きていてくれるのならば。この子が助かっただけで十分だ、どんな罪科でもおれが受ける。お前が笑ってくれれば、それでいいんだ、菜々子。おれはもう他には何も望まない。


「あの、さ」
遅いから帰りなさいと医者に促されてロビーへと戻ってはきたが、何となく菜々子のいる病院から離れがたくて椅子に座ったままのおれから皆も離れようとしなかった。さっきのことがあったから、どう声を掛けたものか迷っているのだろう、陽介の声は歯切れが悪い。
「ごめんな、さっき怖かったろ。もうだいじょう…陽介?」
椅子に座っているおれに向かって陽介が唐突に腕を伸ばす。
「大丈夫じゃねえの、お前じゃんか!俺があんなこと言ったから…!!」
「陽介、おれはどこもおかしくないって、正気だし正常だよ」
「違う、だってお前言っただろ因果応報だって自業自得だって!なのに何で自分から、あんな…お前一人が!」
陽介はぎゅっと抱きしめる腕の力を緩めない。弱ったな。
「人を呪わば穴二つ。先輩、あなたは意味が分かっていてわざと言ったんですね」
「…一時的とは言え、あの男が菜々子を苦しめた事実だけは覆らない。おれは何があってもそれを許さない。菜々子は復讐を望まないだろうけど、おれが個人的に許せないからね、だからおれだけでいい」
「許せないのは全員同じに決まってんだろが!」
完二の怒鳴り声が深夜の病院ロビーに響き渡る。
「皆がそう思ってくれてるのは分かってる、でも、それはもうちょっと取っておいてくれないか」
「え…?そういえばさっき月森くん、何かひっかかるって」
「ああ。全部が全部、生田目の犯行じゃない気がするんだ。まだ、おれたちは感情に流されて全てを終わらせちゃいけない。あの子が無事だった以上、おれももうあいつに言い募ることは無い」
「本当だな?もう、何もしねえな?」
「大丈夫、さっきはちょっと…キてたみたいで。…ごめんな、怖がらせたな」
そう言って、初めて皮肉げなものではない、かすかな笑みを作ることが出来た。泣き腫らしていた女子たちがまた涙を浮かべている。
「ほんと怖かっ…せんぱい……」
りせが泣き出すと雪子や千枝も泣いてしまい、完二と直斗は顔を見合わせた。陽介はおれから離れようとしない。
「呪いなんて嘘だよな、お前までどうにかなるとかないよな」
「大丈夫だよ」
直斗は何か言いたそうにしたが、おれが目線をやると首を振ってりせたちを慰めにいった。
「俺、参謀とか自分で言っといて肝心なときに冷静になれなくて、挙句にお前にあんなこと言わせちまって」
「いいってば、陽介は何も悪くない。陽介はみんなの気持ちを掬い上げちゃっただけで、ちゃんと思いとどまってくれたじゃないか」
「けど……」
「第一、正念場はこっからだ。まだ参謀を降りてもらっちゃ困るぜ。後悔すんのはやること全部やった後だ、今はまだやれることがある」
おれの言葉に陽介は頷いて、分かった、と震える声で呟く。そしてようやく、おれから離れた。





クマを探しながら家に帰る道すがら、携帯が鳴った。クマかと思えば相手は直斗だ。
「直斗?クマが見つかったのか?」
『いえ、クマくんは見つけていませんが、ちょっと花村先輩にお話したいことが』
「おうよどうした」
『月森先輩のこと、なんですが』
思わず苦い感情が身体中に染み渡る。俺が激して不用意なことを言ったせいで、自分から生田目を追い詰めた月森。
「……」
『先輩は自分から、呪うと言って生田目を追い詰めましたね。呪い、というのは迷信で非科学的なことですけど、効果がないわけじゃないです。当人がそれを意識すれば尚の事』
「どういう意味だ?あいつ、大丈夫だって」
『言葉で人を捉えてしまうことを、大雑把に呪いと言います。言葉で人を縛り付ける力。先輩は何度も生田目に殺人を犯したことを突きつけた。人を救済しようとしていた生田目に残っている正気の部分に、殺人という途方も無い罪を突きつけて許さないと言うことで逃げ道を塞いだ』
「……人を呪わば穴二つ、だっけか。そう言ったあいつ自身も、誰かを追い詰めて傷つけたという自覚で苦しいってことか?」
『ええ。全部分かっていたんでしょう。たとえこの先、生田目が罪の意識に耐え切れずに自殺したとして、その遠因になったとしても構わないというぐらいの──人の死を背負うつもりで』
「……!!」
足が、すくんだ。テレビに落とそうとした俺を止めながら、月森は自らを追い込んだのだ。
『ですが、菜々子ちゃんは息を吹き返しました。予断を許さない状況ですが、今の所まだ生田目は殺人犯ではない。誘拐犯であって殺人未遂犯ではありますが、一度は議員秘書をも務めた男です、正気にさえ返れば己の罪と向き合えるぐらいのことは出来るでしょう。真犯人を僕らが探し出し、彼が犯した本当の罪を明らかにする必要があります。そして、今、この瞬間ものうのうと暮らしているかもしれない真犯人を捕まえることは、僕らにしか出来ないことです』
「そう、だな。ああ、そうだ。悪ぃ直斗、俺、あいつンとこ行ってくる」
『そうして下さい、きっとそれが一番いい』
「じゃあまた明日な」
手早く電話を切り、月森が一人きりになっている堂島家へと急ぐ。濃霧の夜は道を不明にしたが、半年以上通った道だ、おぼろげに分かれば十分だった。

「……陽介?クマならここには来てないぞ?」
玄関先で月森はそう答えて不思議そうに首を傾げる。そうみたいだな、と答えながら半ば強引に家に上がった。
「霧がすげーからさ、道、迷っちまったみてー。もう遅いし寒いし、泊めてくんね?」
瞬時に月森の顔が強張ったが、すぐさま表情を緩めて微かに笑う。
「いいけど、まだお風呂沸かしてないよ。飯も何もないし」
「そんなのいいって」
「……堂島さんの部屋に布団が出してあったままのはずだから、とりあえずそっちで…陽介?」
一階の、俺が通されたことのない部屋を指差している月森の両手を掴んだ。
「お前の部屋、ソファあったろ。そこでいいからさ」
「ッ、だめだ、狭いし寒いって前言ってただろ」
「いいっていいって」
階段を無理やり突破して、さっさと月森の部屋へ入る。月森は観念したような顔で部屋の戸を閉めた。
「お前ね……」
「……俺さ、菜々子ちゃん助ける時お前に言ったよな、俺が何とかしてやるって」
ソファに座り込んで、早々に立ち去るつもりがないことを見せると月森もテーブルを挟んだ向かいに腰を下ろす。
「言ってた、ような気がする。おれ、けっこういっぱいいっぱいであんま覚えてなくて…ごめん」
「いいよ。でもさ、俺何とかしてやるとか大見得切ったのに、何もしてやれなかった。挙句の果てに生田目どころかお前まで追い詰めちまって、あんなこと言わせちまって」
「…別に、お前のせいじゃないし。おれがああしたかったから」
俯いて声のトーンを落とす月森は、なんだかいつもより小さく見えた。俺よりは少し大きなはずなのに。
「そっか」
うん、と頷いたまま深く俯いた月森に近づいて、さっき病院のロビーでしたように両腕を伸ばして抱きしめる。月森は身体をぴくりと揺らしただけで、何も言おうとしない。動こうとも、しない。
「宗司、俺にして欲しいことない?何でもしてやるよ」
「何でも……って陽介」
「マジで何でもいいぜ?まあお前より美味い飯作れ、とかってのはちょっと無理そうだけど」
くすりと月森が笑みを零したのが気配で分かった。もぞもぞと腕の中の身体が動き、月森の手が背に回される。
「飯は要らない」
「うん」
背に回された手が、服を掴んで握り締めた。ぎゅっと縋りつかれるような仕草に息が詰まる。この家を守る大人である堂島刑事は重傷、月森が慈しんできた妹の菜々子ちゃんは重篤、月森はこの家で本当に一人きりなのだ。両親は海外、意見を共有すべき俺たちが突っ走ったせいでこいつは当然吐くべきの弱音や怒りをそのまま出すことさえ出来ず、ああいう形でしか表に出せなかった。自分ひとり、苦しむような形にするしか、出来なかった。
「眠れそうに、ないんだ」
「大丈夫、お前が寝るまで起きてるから」
「そうじゃなくて、一緒に」
腕を突っ張って身体を少し離して、月森は薄暗い部屋の中で顔を付き合わせる。額を触れ合わせると、触れた肌の冷たさと内部に篭ったままの体温の熱さがかけ離れていて、ぞくりと背が震えた。
「一緒に?何でもしてやるって言ったろ、お前の好きにしていいよ」
どこかで俺やこいつや皆を探しているかもしれないクマの顔がちらりと頭を掠めたが、どこにいるか分からないクマを探すよりも一人きりで泣けもしない月森の傍を離れるわけにはいかないと身体を重ね合わせるように抱きしめる。
「いい、の?」
ろくな明かりもついていない部屋で、月森の灰色がかった目がどこか熱を帯びたように見えた。内に抱えている熱が染み出しているようにも。
「ん。…ッ、ふ……ぅ…っ…ぁ……」
俺が小さく頷くと、すぐに月森の手が顔に伸びてきて唇が重なる。がっつく、というよりはやっぱり縋りつくとかしがみつくとか、そんな言葉が似合うようなキスだ。
「……ぁ…ん……っ…ぅ…」
俺はお前みたいに大切な誰かのために他の人の死を背負えるほど強くない。テレビに落としてやろうと思ったのは本心だけど、でもきっと、そうしてしまっていたら俺は今までみたいな俺じゃいられなかった。みんなの顔もお前の顔も見られなくなっていた。
でもさ。お前だってきっと、そんなに強いわけじゃ、ないんだよな。俺や仲間がリーダーだと祭り上げたせいでお前は決断を迫られ、判断と責任を負ってばかりで自分が何をしたいのか悲しいのかさえ、よく分からなくて。
一人残された家で、泣けもしないで。
「陽介……」
菜々子ちゃんは生きてた。生きてくれていた。小西先輩はもう帰ってきてくれないけど、あの子は助かった。これから先どうなるか分からないと医者は言ったがきっと大丈夫だと思う。あの子はお前や堂島さんに似て、強い子だから。
「陽介…ッ……」
月森にされるがままに任せて服を脱ぎ、畳に背を預けた。部屋の畳は相当冷たかったが、さして気にならなかった。きっと、目の前でどこか焦点の定まらない目をしている月森の心はもっと冷たいから。ずっと冷たくて、硬くなってしまっているから。
凍ったそれを溶かす熱が与えられたらいいのに、と思いながら腕を首に回す。余すことなく俺を与えて、それで少しでも楽になればいいのに。それが無理なら、今だけでも冷たさを忘れられれば。その冷たさで熱を奪われて溶かされたとしても、構わない。