magic lantern




カミサマなんて、どこにもいないと思った。あのとき、あんな必死に願ったのにカミサマは父さんも母さんも助けてくれなかった。俺はただ泣くことしかできなくて、このままだと自分がどうなるかを薄々分かっていても動くことができなかった。
一緒なら別に死んでも構わないと思った。一人ぼっちで取り残されてしまうぐらいなら、死んじゃってもいいと本気で思っていた。それなのに、頭の中では呪文のように助けて、という言葉ばかりが繰り返されて誰か助けて、誰か…とうわ言のように呟いていた。K都にはあんなにたくさん神社があって、お寺もあって、でもどのカミサマも俺たちを助けてくれない。
カミサマじゃなくても、ヒーローじゃなくても、悪い人でもいい、誰か助けて。
「おい、大丈夫か!?」
炎がごうごうと音を立てているのに、なぜかその声ははっきりと強く聞こえた。
強くて、正しくて、まぶしかった。
「おれにお前の仇を取らせろ!」
カタキという言葉の意味がその時は分からなかった。でも、この人が俺のカミサマなんだ、ということだけは分かった。この世界でたった一人、俺を助けてくれた人。
俺のカミサマは細美一燈という名前で少年の姿をしていた。



神様論





「七尾テメェ!連絡寄越せっていつも言ってンだろが!」
ただいま戻りました、と言おうとしたのに口を開いた時点で矢のように降り注ぐ若の声に遮られて何も喋れなくなった。
「何のためにお前にケイタイ持たせてやってると思ってんだよ!店出てから三時間だぞ!?なんで三丁目に出前に行ったお前が三時間後に戻ってくんだよ!」
「すいません、若。三丁目には着いたンすけど、出前先の家探すのに手間取っちまって」
迷いながら出前先の家にたどり着いたまでは良かったが、迷いながらだったので帰り道が全く分からずさらに迷い続けてようやく朱雀庵に戻ってこれたのが今さっきだ。
「お前なぁ…透寺みたいに蕎麦打てるわけでもねーんだから、出前ぐらい役に立てよ、このどアホ!出前始めて何年だよ、お前はよ!」
「に、二年っす」
バイクを使うようになったのはここ一年だけど、チャリで出前してたのは二年前からだ。それまでは、まだ中学に行っていたので店の中で注文取りと配膳しか出来なかった。若が出前に行くこともあって、その度に代わりに行くと言い張ったけど、ガキに任せられるかよ!とその都度若から怒られていた。
やっと任せてもらえるようになったのに、俺は方向音痴な上に馬鹿だから若のお役に立ててない。
帰りが遅かったり配達が遅れたりして怒られることなんて初めてじゃないのに、なんだかすごく自分が役立たずに思えて悔しくて、思わず視界が滲む。
「…だからお前はウチの蕎麦を、って何泣いてんだ」
若の呆れた声がして、滲んだ視界じゃ表情までは分からなかったけど急いで目元を手の甲で強く擦る。
「…泣いてないっす!」
俺が何度失敗しても若はちゃんと出前を任せてくれるのに。呆れられたら、役立たずだと思われたら、もう任せてもらえなくなるかもしれない。俺は若のために居るのに、若のお役に立てなくなるのは嫌だ。何度拭っても視界が滲んで若の顔がちゃんと見られない。
「泣いてンだろーがよ。…ちっ、もういい、家に戻ってろ。そんなシケた顔客にさらすな」
「……ッ、…」
くい、と顎で店の奥を示されて思わず息が詰まる。要らない、ということなのだろうか。噛み締めた唇が震えて声が出せない。若が言うように俺はバカだから、こんなときに何て言えばいいのかも分からない。でも、ともかく、若の命令は絶対だ。震える唇を噛み締めたまま、顔を俯かせて通用口から家に戻る。若に出会うことの出来たあの日から俺の家にもなった、細美家の屋敷に。

自分の部屋に戻って篭る気にはなれなくて、若の部屋がある離れに通じる廊下の隅に腰を下ろす。若は店を閉めた後に出かけることもあるけど、店に出ているときの服では出かけたりしないから必ず店が終われば部屋に戻ってくることをずっと前から知っていた。だからここで待っていれば夜にでも若に会える。会えたら、今度こそ泣かないように頑張って謝って、もう一度チャンスを下さいってお願いしよう。三連朱雀の一人として認めてもらえても、普段お役に立たないんじゃ意味が無い。
俺はあの日からもう全部若のもので、若のお役に立ちたいのに。あの人が俺に命じることならば、何だって出来ると本当に思っているのに、俺は全然お役に立てなくて迷惑ばっかりかけている。情けなくて悔しくて悲しくて、やる気はあるのに空回ってばかり。立てた両膝を腕でぎゅっと抱え込んで、顔を埋めた。



どうか、お願いです。俺をあなたにとってどうか意味のあるものにして下さい。
辛くても悲しくても、あなたの声が姿が存在が俺を生かしてきた。俺は見たこともない神様や仏様に祈ったことは無い。いつも、あなたのことを呼んでいた。あなたを思えば何にだって耐えられた。
俺のカミサマ、俺の絶対、俺の全て。たったひとつ、俺を照らす光。
    あなただけが。



「……い、おい」
「わか…」
人の気配に意識がふっと戻って、目を開けるとなぜか屋根の裏側が見えた。
「へ?」
「へ、じゃねーよ!人の部屋の前で何やってんだお前は」
なぜか俺は仰向けになっていて、でも腕は膝を抱えたままで近くに若が立っている。謝らなきゃ!
「えっと、若、あの、うわっ」
正座をしようとしたら身体が痺れていたのか上手く動かなくて、膝を抱えていた腕を解いても立ち上がれずに廊下に倒れこんだ。背中と後ろ頭を思いっきり打ったので、くらくらする。
「……お前なぁ」
痺れる腕で頭を摩っていると、心底呆れ顔の若がぐいっと俺の後ろ襟を掴んで身体を引き上げた。Tシャツの襟が首を絞める。
「ちょ、ま、わか、くるし」
若は俺の身体を掴み上げたまま、離れの障子戸を勢い良く開け放った。そしてすぐさま俺をベッドにぶん投げる。
「っ、けほっ」
「で?」
空咳を繰り返した俺の前に仁王立ちになった若の表情は、部屋の明かりが後ろにあるせいで薄暗くてよく見えない。
「なんかおれに言いたいことがあんだろ。でなきゃ、お前いっつも自分の部屋で泣くもんな」
「……」
若のベッドの上で正座して、膝に置いた手のひらを握り締めた。泣かないで、落ち着いて、謝らなきゃ。
「ごめん、なさい」
「何が」
「その、俺いっつも若のお役に立ってなくて、今日も出前から戻るの遅れて」
「……そーだな」
握り締めた手をぐっとさらに握りこんで、泣かないように目頭に力を入れて仁王立ちのままの若を見上げる。
「で、でも、お願いですから、また出前に行かせて下さい!」
言い切ってそのままの勢いで頭を下げた。力を入れたままの目頭が熱くなってきて、思わず目を閉じると小さな音がして涙が落ちる。まただ。泣くなって言われたのに。
「七尾」
「……」
「オイ、返事ぐらいしろ」
「、っ、はい」
謝ろうと思ってここまで来て若の顔を見て謝ることが出来たけれど、若から直にいらないと言われることが怖くて今すぐにここから逃げたい。でも逃げたらもっと怒られそうだから、小さな声で返事をした。
「ほんとお前はバカだな」
「……若?」
頭の上に軽い感触があって、想像していたよりずっとずっと優しい声がして、恐る恐る顔を上げると仁王立ちだった若がすぐ傍に立っていて手を伸ばしてくれている。
「誰もお前を追い出したりしねぇよ。めんどくせぇ」
ゆっくり手が動いて、髪越しに頭を撫でられた。そんなことされたの久しぶりで、前してもらったのがいつかは思い出せないぐらい昔で、懐かしさより嬉しさが先に立ってまた涙が出てきてしまう。暖かい手がゆっくりと何度も頭を撫でる。

許されている。
ここにいることを、力になりたいと願うことを、最後まで傍にいたいという誓いを。

「お前は方向音痴だし、何かあるとすぐ泣くし、何やらせても大体失敗するし、ウチに来て覚えたのは妖飼の術くらいだ」
「……はい」
「でもな、お前が何やっても何を出来なくてもお前の居場所はここだ。忘れるな」
「はい」
「だから迷ったらすぐ電話しろって言ってンだよ。誰も迷ったからつって怒ったりしねーから」
「……へ?」
怒ったりしない?
若の言葉が不思議で首を傾げると、目の前の若は俺の頭から手を放して長いため息をついた。
「あのなあ。お前が方向音痴なのは分かってんだ、なんでいちいち怒るんだよ。おれがさっき怒ったのはお前が連絡もせずに街の中で迷ってたことだっつーの」
しかも三時間もだぞ、と付け足して若は眉間に皺を寄せる。
「何のために携帯持たせて地図もバイクに載せてると思ってんだ。同じ地図がこっちにもあるんだから、こっちに電話すりゃ指示してやれるからすぐに戻ってこられるだろ」
「で、でも、そんなことで若にご迷惑をかけるわけにはいかないっす」
俺が自分のせいで迷ってしまっているのに、俺のことぐらいで若の手を煩わせるわけにもいかない。そう首を振ると、また長いため息をつかれた。
「あのなあ、お前がかける迷惑なんざ数のうちに入んねーよ、多すぎて」
「多すぎてっすか…」
「たりめーだ、ガキの頃からどんだけ手間かけさせられたと思ってんだよ。お前はそういう小さいこと気にすんじゃねえよ」
「でも……ふぎゃ」
若にとっては小さなことでも、俺のせいで若に迷惑かけるなんて俺にとっちゃとんでもないことだ。なおも言い募ろうとしたら、勢いよく頭に手が置かれて、思いっきり顔を下に向けさせられた。
「おれが気にすんなって言ってんだ。お前がつべこべ言う権利はねーよ。分かったら大人しくおれを頼れ。……返事は」
「っ、はいっす」
「よし」
たっぷり間があって、ようやく頭に置かれた手が離れて顔を上げることが出来た。ぐっと押されて下を向かされていたので首が少し痛い。首に手をやろうとして若の顔を見上げると、若の長い髪から垣間見える耳が少し赤かった。
「若、熱でもあるんすか?なんか顔赤いっすよ?」
「うるせーよ、話終わったんだから部屋戻れ」
「…?はい、分かりました。それじゃ失礼します。おやすみなさい」
「おう」
離れの障子を閉めて、渡り廊下に出ると視界には高い位置で月が出ていた。少しクリーム色がかった月は、ちょうど半分ぐらいの形になっている。
「よーし、頑張るぞー!」
若は今度迷ったらちゃんと朱雀庵に電話しろ、と言った。それは次からもちゃんと出前を任せてもらえるってことで、お役に立つ機会をもらえたってことだ。嬉しくて声と一緒に両手を振り上げると離れから声が飛んでくる。
「うっせーよ、静かにしろ七尾!」
「はいっす!」
鋭く飛んできた声に負けじと声を張って、母屋に戻った。


俺のカミサマは、とてもとても優しい人。








end

神様論で若&七尾、でした。一七とも七一ともつかない曖昧な感じで書いたつもりですが、やっぱ一七風になっちゃいましたかね。
カトブレ祭でのお題で書いたものです。 主催の咲葵さま、素敵な企画に参加させていただいてありがとうございました。
一七が好きだ(主張)。
忍野桜拝