magic lantern

SET

カデンシア大陸へと向かう航海は順調そのものだ。時季を考えても航路付近の天候が荒れることはありえない。ただ、海は凪いでいて風がほとんど無いので、いくら海流を読んで航路を設定してあるとしても到着はギリギリになってしまうだろう。
到 着した後、正しくはその先をテジロフは凪いでいる海面の上に展開させてみたが、あまり愉快なことにはならない気がした。どうなったとしても何とか出来るだ ろうし、問題というほどのことは発生しないだろうが、賞金目的とはいえ純粋に『試合』をしていれば良かったE3の方が気楽だったのは確かだ。
もち ろん、精神的なプレッシャー云々などはいくらでも制御出来るから、現実問題として怪我を抱えたまま戦って賞金を逃すかもしれないリスクは負わずに、こちら の仕事を完遂させるのが最高の選択肢であることは間違いない。最高というよりは唯一だ。『傭兵テジロフ』としては、その選択肢以外あり得ない。
金のためではあったが、戦って楽しかったというのはなかなか無いことだ。戦うことは生き続けること、今を生き延びて次を迎えること。その途方もない繰り返しでしかない『傭兵テジロフ』は、純粋に楽しむ戦いをそうそう経験していない。
「んー?」
どちらかといえば、そんな戦いだけを選んでいるだろう節のあるヴァイズは、テジロフが微かに笑ったことに気づいたらしく、シャボン玉を増やすのを止めた。
「なんか楽しいもの、あった?」
「いや。ちょっと大会のこと思い出してただけだ。ああいう楽しいのは、いいな」
ぱちん、と最後にヴァイズが増やしたシャボン玉が割れる。
「ん。楽しかった」
そ の楽しかった戦いでテジロフが負った傷も、ほとんどは癒えている。昼間ドロシーが治療を行っただけでなく、あの晩からずっとヴァイズが部屋を訪れているか らだ。ヴァイズのパズル技はそれほど年季の入ったものではないにしろ、基本である治癒は完璧だった。ヴァイズはドロシーほど高度な治癒を行えないが、なに せ元々の生命子の量がまるで違う。戯れにキスをしながらまるで愛撫するように手を触れて治癒するだけ。パズル技に集中する素振りなど欠片も見えないのに消 耗した様子も無いのだから、そればかりはテジロフも内心舌を巻いた。
テジロフ自身はキラーではない。そもそも大陸が違うのだから、そう生まれついていない。誰かを吸収する能力などは持たないが、生命子の基礎量だけが力の全てでは無い事を己が身で証明している。そしてこのことは、おそらくこれから行くカデンシア大陸でも意味を持つのだろう。
「何なら、もっかいヤるか?」
「…………」
ヴァイズはテジロフの言葉に少しだけ驚いて目を見開き、珍しく瞬きまでぱちぱちと繰り返した。
が、立ち上がったヴァイズはすぐにテジロフに背を向けてしまう。
「ヴァイズ?」
「昼寝。おやすみ」
「……ああ。おやすみ」
簡潔にもほどがある単語でヴァイズは会話を終わらせ、さっさと自分の寝床へと引き上げてしまった。テジロフはさきほどまでヴァイズが胡坐をかいていた場所に目をやり、小さく肩を竦める。
ヴァ イズは惰眠を貪る性質では無い。さすがに船旅を共にすればそのことはすぐ分かった。することが無い日中、ヴァイズは本当に何もせずにただただシャボン玉を 吹かせているだけだ。眠るのが好きだとか、どうせならたくさん寝たい、などということも無い。テジロフが船で見るヴァイズはシャボン玉を吹いているか、甘 いものの名前を連呼しながらとりあえず食事をしているか、夜に自分の部屋に来るか。そのどれかだ。
テジロフの部屋を訪れたヴァイズは初回に宣言 し、またテジロフが教えた通りに『したいように』した。キスを何度もする晩もあったし、何の気まぐれなのか治癒だけでとっとと眠ってしまった時もある。た だ、ヴァイズはキスをして触れながら治癒をする、それだけだ。それ以上のことを当然したがるだろうと思っていたテジロフは、かなり拍子抜けした。
ヴァイズが何を求めているかぐらい、考えなくてもテジロフには分かる。そのおねだりを叶えてやってもいいか、と思える程度にはヴァイズのことが気に入ってもいる。ただ、あまり好き好んで回りたい立場では、無い。
「だから俺は本来突っ込む方専門だって……」
茫洋とした海に向かって呟いたところで、もちろん答えはなかった。
「まあ、いやいやってほどじゃないし、嫌よ嫌よもとは言うけどな」
──あの時、欲しいと繰り返したヴァイズを面白いなと思ってしまったのが悪かったのかもしれない。どう見たって何かに執着するような男には見えなかったのに、思い返せば自分にはけっこう最初から食いつきが良かった。
こちらが何を教えたとして素直に従うようにも思えなかったのだが(というかその場で忘れるだろうと思っていた)、何故か素直に魔道学院に留学して同じ性質の技をオリジナル技にまで極めてみせた。そしてその技でお返ししに、大会にまで顔を見せた。
開 催してすぐの頃だったか、会場近くですれ違ったイ・ベイザーからヴァイズの出場は全くのスタンドプレイであることを聞かされて、少し驚いたものだ。国の トップであるイ・ベイザー本人と戦士としては最強のヴァイズが揃って出てくるのだから、タトランドとしての方針なのだろうと思っていた。会場で会って驚か された、とおどけたイ・ベイザーはこうも言ってのけた。ホープ砦での戦いの後、ヴァイズは『欲しい力がある』とだけ告げて国を留守にしたのだと。
あの戦い、あの出会い以降のヴァイズの行動は全て単独、国の意図はまるで無い。元々タトランドは友好国でどこかと戦争をしているわけではないから、戦士のヴァイズとしてもある程度の自由はあったのだろうが、それにしても列挙すればするだけ、特異性ばかりが目立つ。
そんな例外だらけだろうヴァイズの行動の根が、ベクトルの先が、全て自分に向いている。そう自覚したテジロフは、ヴァイズの望みを全て察した上で『したいようにしていい』と言ったのだ。
望みを遂げた後ヴァイズがどうなるのか、どうするのかにも興味があったし、ヴァイズの望みとやらが一度で尽きる類のものなのかも分からなかったから。
どうなるか分からないのなら、やってみるしかない。やらずに結論を出すなんてナンセンスだ。頭でどれほど考えて構築したとしても、その場にならなければ分からないことなど山ほどある。
そ して何より、突然されたキスは、ちょっとだけ良かった。意外性という意味でも良かったし、技巧はさして感じられないが何より真っ直ぐで、自己満足でも欲優 先でも無い『想い』が微かに通っていた。その『想い』を言葉にする術をヴァイズは持たないし、テジロフも持ち合わせていない。だから、いい。
このままで、何をしてもしなくてもおそらく変わらない形を保ったままでいられるのだろうから。
「ま、そうそう悪くはなさそうだけど」
テジロフは耳元のアクセサリーを一つ外し、連結の形を変えてみた。キューブが四つ繋がっているアクセサリーだが、一つ一つは独立していて形を自由に変えることが出来る。ただ、自由とはいってもキューブである以上、面同士をくっつけるしかないのだが。
形が変わったように見えても構成要素は同じ。この夜で何が変わるとしても、きっと同じだ。ただ、それだけ。







私的ルールとして、テジロフはゼリテジだろうとヴァイテジだろうと「好きだ」とは誰にも言いません。そういう気持ちや言葉は全部パントノワに捧げた。