magic lantern

 

大学パラレル:設定

テジロフ:数学科、稀代の天才(笑)。カリンカ孤児院の出で、ペントノワを病で亡くしている。懸賞金問題を解くために、教授が自由にさせてくれそうな大学の数学科に席を置いている。プールバーでバイトをしていて、バーテンダーのはずだが、たまに客とビリヤードやダーツの勝負をしていたりもする。

ゼリグ:物理学科、先輩で地元の幼馴染にマルクスがいる。教授はマスター・シゲン。教授の勧めでチェスを始め、ネット対戦でテジロフと出逢った(高校生の頃)。テジロフに興味を持ち、強く誘って大学に呼んだ。バイトは麻雀の代打ち。イリーガル?そんなの気にしたら負けだ。

ヴァイズ:芸術学科、多分彫刻専攻。鍛金かもしれない。弟のボイズとともに地元では名の知れた不良(笑)だったが、喧嘩に恋人を巻き込んでしまい、兄弟ともに恋人を亡くす。以降、地元を離れて二人で生活していた。弟のボイズから話を聞いてテジロフに興味を持ち、あっさり大学に入ってしまった。実はけっこう頭いい。バイトはスイーツパラダイス。甘いもので溢れた天国。

マルクス:物理学科の帝王。何がと言われても困るがとにかく帝王。ゼリグは後輩だが幼馴染なので互いに遠慮はしない。ゼリグが連れてきた(ようなもの)テジロフと将棋を打ってからちょっと興味を持った。将棋と囲碁をテジロフと打つのが最近の趣味。

ボイズ:多分、どっかの整備工場とかガソリンスタンドとかでバイトしてるチーマー。身体改造に興味があって、スプリット・タンにしてたりタトゥがいろいろ入ってたりする。ヴァイズは付き合いでちょびっとだけタトゥ入れてる(右肩)。ギアとの喧嘩をテジロフに一発で止められて、ちょっと複雑。

ミョムト:学科とかそんな肩書き勇者には不要。なので不明。一年の半分以上を旅で過ごす、留年組。バッグパッカーとしてはそこそこ名が知れている。もはや大学生ではなく冒険家とか旅人とか、いっそ勇者とでも呼んでやろうと周囲の人たちは思っているが本人はどこ吹く風。



(5人とテジロフの、それぞれの4/4)

ゼリテジ( お題『軽く しばく』)

テジロフは女性に人気があるが、モテない。いざ真剣に相手をする、となるとほとんどの女性がしり込みしてしまうのだ。見目が良く、常に学年主席であり、スポーツも大体のことは人並み以上に出来る。おまけにバイトはバーテンダーだというのだから、完璧だ。ただ、完璧な肩書きと本人はあまり気にしていない『天才』という称号が少しばかり本人と周囲とを隔ててしまう。
天才だと騒がれ始めたのは何も大学に入ってからではない。そのずっと前から、テジロフは有名人だった。孤児院育ちの(有名人の常として彼のプロフィールはほとんど公になっている)、百年に一度の天才。数学科に入ったのも、数学をするためというよりは懸賞金問題を解くのに一番ベストな環境がそこにあったというだけだ。ゼリグと初めて出会ったのは、ネット上だった。
今では担当教授になった恩師、マスター・シゲンに誘われてチェスをゼリグが始めたのは中学生の頃になる。論理的思考力を養う、という一般的な意味合いの他に対戦して世界を知れという指導で、ゼリグはチェスを、同輩のマルクスは将棋をよくやるようになった。マルクスはネット対戦をあまり好まなかったが、ゼリグは深夜でもどこの地域の人とでも対戦できる環境が好きで入り浸るようになるまで時間は掛からなかった。
そこで出会ったのが、テジロフだ。もちろん最初はお互いに名前など知らない。登録名だけ、年齢も分からずに始めた対戦の相手にゼリグはすっかり惹きこまれ、気がついたら同じ大学にと誘っていつも隣にいるようになった。テジロフは懸賞金問題を解くことを主眼にしているが、大学生活を楽しむことも嫌いではないらしい。教えを請われたらどうにも無碍に扱えない性質らしく、家庭教師のバイトをしているくせに学内でもタダでいろいろと人に教えていたりする。バイト先ではほとんど趣味か生きがいかというレベルの下ネタをご披露して女性客を沸かせたり(下ネタを色男が発するので、同伴している男性客のウケも悪くないという意味で便利だった)、ちょっとアンダーグラウンドっぽい人たちの酒やゲームの相手をしたりと忙しい。
そう、忙しいのだ。テジロフは。
「そんで、お忙しい天才テジロフ様は何やってんだよ」
ゼリグのやや苛立った声に返事は無い。テジロフは寝ていた。ゼリグの、よく考えなくても硬いだろう太股を枕に。
「……んー…」
テジロフから言葉らしい声はやっぱり無かった。バイト帰りなんだろう、遅い時間の訪問だ。今さら時間やアポのない訪問を咎める間柄でも無いから、ゼリグは大して気にせずテジロフを部屋に通したのだが、そこから何故かこうなっている。テジロフは春物のコートを脱いで、バッグを置き、ゼリグをいきなり引っ掴んで座らせ、膝枕を強要して自分の腕をゼリグの腰に回して腹に顔を向けた。ここまでずっと無言だ。テジロフの勢いに圧されたものの、不可解なことに変わりは無い。枕になってやるのも吝かではないゼリグだったが、それならもっとやりやすい体勢とかがあるだろうと言いたい。腕枕とか。そもそもなんで顔をこっちに向けるんだとか。久しぶりに逢ったこともあって、非常にマズイ感じがする。ゼリグがそう思って眉を潜めると、テジロフはむずがるように腹に回した手に力を込めた。
「あーもう、分かった、分かったって。大人しく枕になってやるから。だから何があったかぐらい教えろ。それとも本気で眠いのか?」
「つかれた。あたまがいたい」
「……そっか。こうした方がいいか?嫌か?」
もう少しで解けそうなものがあると前にゼリグはテジロフから聞かされている。どうせその問題かまた新しいものに夢中になって、集中しすぎたのだろう。集中して覚醒すると、感覚が広がって感じすぎて嫌だ、と分かるような分からないようなことを前にゼリグに話していた。頭痛を覚えることも、吐き気を伴うこともあるらしい。天才というのもご苦労なものだ。ゼリグとて神童と呼び囃されたものだったが、テジロフとは才の分野というか種類が違う。嫉妬心を覚えなくもないが、そんなものは本人と出会ってしばらくで霧散した。
頭をゆっくりと撫でて、色素の薄いネコッ毛を梳いてやるとテジロフは少しだけ息を吐いて、いやじゃない、と零す。ゼリグはもう何も言わず、ただ手の動きをことさらゆっくりと繰り返した。
出逢った当初は反発を覚えたものだったが、何と言うことはない。そもそもモニタ上で見るテジロフの才に惚れたのは、ゼリグなのだ。何のゲームでもそうだが、対戦を繰り返していくと対戦の中身から相手のことが読めるようになる。対戦してきた間、テジロフというのは油断ならない強敵で、一分の隙も無く相手の一瞬の緩みを突いて陣を崩す恐ろしい相手だった。その癖、いろんなことを試したいのか遊んでいるのか、ゲームの序盤は変わったことをやりたがる鬼才の持ち主でもある。そんな戦い方をする相手が、ふと自分に弱いところを曝け出してくるのだ。胸に迫るものが去来したとしても、誰も自分を責められないはずだとゼリグは勝手に思っている。
まして、誰もが羨む天才、『神の落し物、神からギフトをいくつも受け取った男』と様々な言葉を尽くして讃えられる男が自分の下であられもない姿を晒す。これに優るモノは、おそらく無い。
エロいことが好き、などとテジロフは嘯くがそれはブラフでも何でもない。単なる事実だ。テジロフは性的なことにとかく積極的で冒険心もある方なのでゼリグとしても相手に不満や不足は無いのだが、こんな無防備な状態を目の前にするとまた話は別だ。
疲れた、頭が痛い、何もする気が起きないと弱りきったテジロフに手を出すのは多少気が咎めるものの、常日頃テジロフが起こす悪戯に比べれば可愛い類だろう。この男は天才と言われながら、その才の半分ぐらいをゼリグたち周囲の人間を振り回して遊ぶことに使っている…ような気がする。
くたくたになっているテジロフを弄り倒して鳴かせて、泣きが入って許しを乞われるほどに責め立ててやったらどうなるだろうか。しばらく機嫌を取るのが大変だろうが、決定的な亀裂が入るというほどのことにはならないはずだ。ゼリグがそう算段していると、不意に背中がごすごすと叩かれた。テジロフだ。
「じっこうしたら、しばく」
「………おう…」
何で分かった。お前いよいよ超能力でもあんのか。ゼリグは言いたいことを山ほど噤んで、また髪を梳いてやる。
「誕生日だってのに大変だったな。後でちゃんと祝ってやるから、もう今は寝ろ。休め」
「ん……」
実はテジロフはゼリグよりかなり上背がある。おまけにウエイトも違う。ので、膝枕というのはなかなかに重労働なのだが、仕方無いだろう。今日はテジロフの誕生日だ。多少なりと甘やかしても、罰は当たらないはずだ。どこぞの後輩や近所のガキどもからブーイングを受けそうだが、そんなものゼリグの知ったことではない。
「誕生日、おめでとさん」
ぐっと腰を屈めてキスすると、聞こえていたのか夢の中なのか、テジロフがふにゃりと表情を緩めた。それだけでまたさっきの衝動がぶり返して、ゼリグは自分のどうしようもなさに呆れ果てて、ため息をつく。本当に、どうしようもない。



ヴァイテジ(お題『仕方なく キスマークをつける』)

帰宅して、家主の自分より先に部屋でくつろぐ姿を見つけるのはテジロフにとって毎度のことだった。合鍵を渡した覚えは無いのだが、スペアを置いている場所を覚えているのかもしれない。
「ヴァイズ、なんだよ、どうした」
テジロフが帰ってきて雑事を済ませようが、いきなり仮眠を取ろうが、ヴァイズは取り立ててテジロフに構わずそれまで見ていたテレビから目線を動かさないのが普通だ。テレビは時々窓の外のシャボン玉になったり、誰かから回ってきた雑誌になったりする。
が、今のようにテジロフに抱きついてすんすんと鼻を鳴らす、なんてのは初めてだった。これでは人ではなく、単なる大型犬だ。
「どうしたって、こら、……ッ、やめ、ヴァイズ!おい!」
後ろからぎゅっと腹に手を回して抱きついているヴァイズは、執拗にテジロフの首筋や項を嗅ぎ回って、かさついた唇と鼻の頭で撫でていく。ぞわ、と背筋に怖気が走ってテジロフは無理やりヴァイズの身体を引き剥がした。
「……」
剥がされたヴァイズは不満を露にテジロフを半ば睨みつける。
「おいこら。何なんだ一体。帰るなり人の匂い嗅いだかと思ったら不機嫌になって。理由ぐらいちゃんと言え」
尚もむすりと黙り込むヴァイズに声を荒げようとした時、急に引き寄せられてテジロフの身体が傾いだ。ぎゅうと抱きしめているヴァイズは、やっぱり匂いを嗅いで、いやだ、と呟く。
「いや?何が?バイト上がりなんだから、そりゃちょっとは汗臭いだろ」
「汗と煙草と酒臭いのじゃない、ヤな臭いがする。なに?」
「あー……」
テジロフのバイト先はプールバーで、基本カウンターだが客に呼ばれればビリヤードの相手をすることもある。相手は女連れの男性客であることが多い。稀に女性だけのグループの場合もある。今日はその稀な日だった。どこかからテジロフの誕生日を聞きつけたらしい女性グループに相手を迫られ、それなりに満足して帰って頂いた。もちろん、接客業なので客とモメることなど問題外だ。
「デパートの一階みたいだ」
「はは、そうかもな。化粧と香水だろ、ちょっと香水の強すぎる女がいたし」
「ムカつく。アンタはおれのなのに、知らない女にマーキングされてる気分がする」
「どこまでも犬だな……。したいんだったらすればいいだろ、マーキング。もっともお前は香水つけないし煙草もやらないけど、って、おい、っちょ、…ッ!」
犬と揶揄されたことを怒るでもなく、ヴァイズはぐいっと大きくテジロフの襟元を広げる。うっすらと汗が滲んでいる鎖骨にがぶりと歯を立てた。
「痛ッ、噛むなって、痕残るだろ、ヴァイズっ」
テジロフの制止の声も聞かない。さすがに甘噛みというか、力加減はしているようだったがそれでも歯形は残るだろう。これで当分襟ぐりの開いた服は着られない、とテジロフが首を振った。
「もっとしていい?」
「は?」
これ以上何をするつもりだと尋ねようとした、矢先。ヴァイズはテジロフの首筋にひたりと唇を寄せて、きつく吸い上げる。
「…ッ、ぁ、んんッ」
弱い箇所に強くキスされ、おまけに分厚い舌で舐められて、テジロフは慌ててヴァイズの服を掴んだ。姿勢が固定されたのをいいことに、ヴァイズは尚もキスを止めない。首筋から鎖骨、さらには耳の裏側までも舐められキスされ、ようやく解放された時にはテジロフはヴァイズに縋って立っているのがやっとだった。
「ばか…っ、いくつつけるつもり、だよ…。一個で、十分……」
はあ、と熱い息を漏らしたテジロフに聞こえてきたのは、やっぱりまだ不満そうなヴァイズの声。
「どうせすぐ消えるだろ。ずっと残ればいいのに」
「ずっと残ったらそれは皮膚の病気か何かだろ。ああもう、見えないとこなら後でいくらでもつけていいから風呂入らせろ」
「ん」
いくらでも、というのが良かったらしい。ヴァイズはようやく納得してテジロフを解放した。テジロフはテレビを見に戻ったヴァイズの背に、こっそり舌を出してみせる。ずっと残ればいいと自分も思っているけれど、それはまだ秘密だ。
「あ、テジロフ」
「うん?」
「誕生日おめでと」
「ああ」
プレゼントも愛の言葉も何もない、そんな誕生日がまだくすぐったいぐらい嬉しいから。
だから、まだ秘密。



マルテジ (お題いじわるに 耳打ち)

テジロフが研究棟に行ってみると、1階のロビーに見覚えのあるものが放置されていた。少しばかり古めかしい将棋盤だ。テジロフの担当教授が執筆の合間のリフレッシュ、もとい現実逃避で将棋を指すときによく使っている。テジロフもよく使っているものだったが、とくに指している人物もいなければ駒もひとまとめにされているだけで使われている形跡が無い。
「山崩ししてる…ってわけでも無いみたいだな」
一局終わって、おそらくは負けたほうが駒をぐちゃぐちゃにして帰ってしまったのだろう。せめて最後の局面が盤上に残されていれば、指しそうな人物の推測ぐらい出来たのだが。テジロフは仕方なしに片付け始め、ふと思いついて駒を並べ始めた。少し前に、途中になっていた勝負を思い出したのだ。
「んー、あいつの歩が成ったトコで確か教授に呼ばれたか何かで止めたんだよな。だから、このままいくなら手は限られてる、けど…」
ゼリグとはチェスを指すことの多いテジロフだが、この勝負の相手とはほとんど将棋だ。稀に囲碁も打つ。相手の手の内をいくつも覚えていると、それが戦略を考える際に邪魔をして最善の一手を決めるのに時間が掛かるようになっていく。ただ、テジロフの場合、初手である程度の道筋を読むので時間が掛かると言ってもゼリグたちに言わせると『白々しい嘘に聞こえる』らしいのだが。
「基本的に王道を好むけど、裏を掻くのもあいつは嫌いじゃないし、ああもう」
次どの手を打たれても自分が勝つ方向へ持っていくことは難しくない。が、相手の手を完璧に読もうとすると中々に難しい。テジロフが将棋盤の前でああでもないこうでもない、と駒を指していると不意に視界が陰った。
「ずいぶんと情熱的だな。嬉しい限りだ」
「……ッ!?」
ぼそりと耳に流し込まれた低音に、テジロフは耳を抑えて立ち上がる。ロビーの片隅で座って将棋を指していたテジロフの後ろに立って笑っているのは、他でもないこの勝負をしていた相手、マルクスだ。
「マルクス!来てたんならそう言え!趣味が悪いぞ」
この男のことだから、しばらく目を細めて自分の様子を眺めることぐらい容易にやってのける。テジロフがそう睨んで言い募ると、マルクスは笑ってテジロフの言葉を肯定した。
「まあそう怒るな。嬉しかったのだからしょうがないだろう。許してくれ」
「何だよ嬉しかったって。言っとくけど、この勝負なら俺が勝てる流れなんだから……っちょ、マルクス!」
ぐっと腰を抱かれ、今は人気が無くてもいつ誰が姿を見せるか分からない場所での体勢にテジロフが慌てる。人の噂どうこうは今さらだしどうでもいいが、いろいろと見つかると面倒な手合いが多いのだ。
「キミが気配に気づかないほど、私のことを一心に考えてくれていたのだから、私が嬉しくないはずないだろう?」
「〜〜〜っ」
違う、と切り捨てるわけにはいかない、マルクスの言葉はある一面で正しい。けれど自分は純粋に将棋を指す相手としてのマルクスのことを考えていたわけで、よけいなアレコレを考えていたわけでは断じてない。どう反論するのが最適なのか言葉に詰まったテジロフに、マルクスはもう一度耳打ちした。
「人目も気にしないほど私のことで一杯になってもらいたいんだが、さて、どうしようか?」



ボイテジ (お題『指を舐める』)
ボイズは、アレクセイ=テジロフという男に全くもって良い印象が無かった。そもそも、初対面が喧嘩だ。
喧嘩の相手はそもそもテジロフではなく、ギアという少年だった。ボイズの連れだかボイズ自身だったか、今となってはどうでも良さ過ぎて忘れたが、ぶつかっただのぶつからないだので喧嘩になり、仲間を倒されたボイズが仕方なく相手をしようとした時だ。
「ギア。止めておけ」
テジロフはいきなり現れて自分たちの間に割って入り、しかも双方の手を同時に掴んで無理やり攻撃をやめさせるという荒業をやってのけた。
「こんな場所で喧嘩なんてするもんじゃない。さっき善良なお嬢さんが通報してるのを聞いたが、それでもまだやるか?どっちが警察のお世話になるか、試してみるか?」
警察を呼ばれて面倒なことになるのは残念ながらボイズたちだけだ。少年も割って入ったテジロフも少年の連れである少女たちも、いかにも一般市民にしか見えない。先入観で勝手に犯人扱いされることも多い。執拗な詮索を嫌がった仲間たちが浮き足立ち、ボイズは渋々その場を後にすることにした。ただし、優男風の癖にやたら荒事になれている男の名前を確認することだけは、忘れずに。
何だか小ばかにされたようで腹が立ったボイズだったが、自分がまた逢ったときにはぶっ潰してやるという意味合いのことを兄に言うと予想外の事態が起きた。
地元では自分よりも怖れられている(現在進行形)兄、ヴァイズが何故かテジロフを気に入ってつるむようになってしまい、手を出せる状況では無くなってしまったのだ。
全くの予想外だった。
ヴァイズは弟のボイズから見て、つまり生まれたときからずっと見てきていても、無気力な男だ。いざとなると強いのに自分からは手を出さないし、酒も煙草も積極的にはやらない。甘いものがあれば幸せで、女がどうのということも無かった。何かに強い興味を寄せるということも無かったし、シャボン玉を戯れに吹かせるのが好きだがそれぐらいしか持ち物が無い変わった男。
「ああ、お前か。おかえり」
「……おう」
そして今となっては、テジロフが自分たち兄弟の部屋で寛いでいることも、兄がその時にものすごい体勢(テジロフに抱きついている、等)でいることも、もはや日常になってしまった。見かける度に頭痛がしそうな光景だが、日常なので慣れるより他に対策が無い。というか試しに異議を申し立てたら、しばらく締め出しを食らった。
「兄貴寝てんのか」
「だな。実はちょっと困ってたんだ、身動き取れなくて。悪いが、携帯取ってくれ」
「しょうがねえな…」
パズル雑誌を読んでいるテジロフから離れたところに、テジロフの上着がある。身動き取れない、というのはヴァイズががっちりテジロフの身体をホールドする状態でうたた寝しているせいだ。
テジロフの上着から携帯を取り、手渡そうとしてふとボイズは手を止めた。
「ボイズ?」
ヴァイズは一度寝入ると中々起きない。弟だからよく分かっている。そしてこうなってしまった以上、テジロフにいろんな意味で手を出せば、それが何であってもヴァイズから半殺しの目に遭うだろうことはもはや確実だ。ヴァイズは弟であれ何であれ、容赦が無い。
「おい?」
テジロフが訝しがってボイズに向けた手をさらに伸ばそうとする。その手を、ボイズは携帯を持っている手と逆の手で掴んだ。
「スプリット・タンってお前知ってるか」
「……聞いたことは、あるな。見たことは無いが」
ボディピアスやタトゥーと同じ、身体改造の一つだ。方法はいくつもあるが、端的に言うと舌先が蛇のように二又になる。ボイズはにやりと笑ってテジロフの白い指先を口元に近づけた。
「ボイズ?って、おい、っちょ…!」
「これだよ、スプリット・タン。これで舐められるとたまんねェんだとさ」
敏感な指先を二又に分かれた舌先で舐められ、テジロフは背筋を泡立てる。たまらないという意味は、分かりたくないが分かってしまった。指先は感覚が鋭い箇所だが、もしほかの場所にされたらと思うとぞっとする。
「…ッぁ、やめ、ボイズ……ッ」
「ざまァねえな。ほらよ」
ぐっと手を握りこんで耐えるテジロフの姿を見て満足したボイズは、テジロフの手を解放して携帯をわざとヴァイズに落すようにして投げた。
「ん……?てじろふ?」
さすがにテジロフの異変を察したヴァイズがぱちぱちと目を瞬いて不思議そうに尋ねる。その声はまだ眠たげだ。
「何でもない、お前イイ加減退け。足が痺れる」
「もうちょっと。……んー」
そしてまたむにゃむにゃと眠ってしまった。よほどイイのかそこは、とボイズが揶揄してやりたくなるぐらいに、ヴァイズは全くもってテジロフしか目に入っていなかった。
「さっきの、兄貴にゃ言うなよ?じゃあな」
「おい、ボイズどこ行くんだ、おい!」
テジロフの声には答えない。さっき冷蔵庫に明らかに用途がいつもと違うケーキ(普段のケーキの用途は単なるヴァイズの食事用だ)を見つけたせいだ。ここにいて、楽しいことなど一つもない。とっとと仲間の家にでも転がり込んで酒でも飲んでいるに限る。こんな夜は。
「あーくそ、変な声出しやがって。死ね」
そうさせたのが自分であることは棚に上げてボイズはテジロフを詰り、夜の街へ消えていった。




ミョテジ (お題『内緒で ヘアセットをしてやる』)

大学というところは、七不思議だの噂だの武勇伝だの、よく考えるとくだらないがけっこう面白い話には事欠かない場所だ。そしてそれはテジロフの在籍している大学でも同じことだった。テジロフ自身、天才だの何だのとそういった噂話の一端を担う人物なのだが、レア度でいけばダントツの存在が何故か目の前に転がっている。ミョムトだ。
「……昼寝してるのか?」
ミョムトがレア扱いされるのは、いっそツチノコかミョムトかというレベルで大学に出てこないからだ。当然、留年組である。バックパッカーとしてはなかなかに有名な存在で、もはや大学生というより本分は冒険家とか旅人とかそんなものじゃないかというのがテジロフと周囲の見解だった。
そんなレア物件が、人気の無い研究棟の裏手で、思いっきり寝ている。
「いつ帰ってきたんだか、ってのは愚問だな」
帰ってきたんなら連絡の一つぐらい、というのはナンセンスだった。荷物も転がっている。帰ってきたのは今だ。
「どこに行くって言ってたかな、グアテマラ?いやそれは前回か。んー?」
無造作に転がっている荷物に、ヒントがあった。棒というにはカラフルな装飾の施された、何か。絵画などで見かける錫丈にも似ているが少し違う。ビーズや布で色とりどりに装飾されている棒は確かに土産もののようで、おそらくは自分向けになのだろう。テジロフはミョムトの土産履歴を考えて荷物から棒を引き抜き、手元でためつすがめつした。
「けっこうしっかりしてるし、実用品?軽いけど持ちやすいし……つまりこういうことか?」
えい。
円錐形に加工された持ち手(だろう部分)を握って棒をひょいとミョムトに当てる。どこぞの誰かが見たら絶叫の上飛び込んできかねない光景だが、いかんせんここに人の気配は無かった。
「物で人を叩くものじゃないよ、テジロフ」
「あれ、起きてたのか」
叩いてやろうとぶつけた棒はミョムトの手に収まり、テジロフは全く悪びれもせずに肩を竦める。テジロフとて気配には聡い方だと自負しているが、一年のうち半分以上を野生で過ごしている(かもしれない)男には負ける。
「それは確かに君に買ったものだから自由にしてもらって、いいんだけどね。人を叩くのはよしなさい。おれでもダメだよ、他の人は絶対ダメ」
「……アンタといると、俺は自分の歳を忘れそうになるな」
ミョムトの、限りない甘さと優しさのある叱責を受けて、テジロフは棒を手放した。この男の優しさは、いつも自分を迷子のような途方も無い気持ちにさせる。
「忘れてくれていいのに。いっそ名前も、君が人から受けている称賛も全部忘れてくれて構わない。それで君がおれの隣にちゃんといてくれるのなら、何も困ることなどないだろ?」
テジロフの返事を待たず、ミョムトはお土産だという棒の話を始めた。ルングと言うらしいそれは、アフリカ地方の部族では男性たちが携帯する護身具なのだそうだ。
「君が喧嘩に強いのは知ってるけど、君は身内に甘いから。家に置いておいてね」
「いや、家には置いておくが、別に使わないっていうか使う事態にはならないぞ?」
家を訪ねてくる客に使えと暗に告げてくるミョムトにテジロフが顔を顰めると、ミョムトはやたら迫力のある笑みを浮かべた。この笑みの前では一切の言葉は無意味になる。
「それは君が判断することじゃない。少なくとも今はね。人を叩くものじゃないけど、何にでも例外っていうのはつきものだから。ねえテジロフ?」
「分かったよ。そんなに心配なら、あんたがずっといればいいだろ。今度はいつ出るんだ?」
テジロフの問いにミョムトは首を振った。ルングをテジロフに持たせ、自分は荷物をひょいと背負う。
「しばらくは出ないよ。さすがにもうそろそろマズイだろうしな。ああ、テジロフ」
「ん?」
「誕生日おめでとう。ちゃんと間に合って良かった。お祝いはまたあるから、夜ね」
「は?」
誕生日とか教えた覚えは無いぞ、とか。夜ってどういうことだ泊まる気か、とか。そんなテジロフの一切の問いをミョムトは笑顔で爽やかに打ち消して、姿を消してしまった。まるで、この少しの邂逅が夢だったかのように、跡形もなく。ただ、手に残された土産もののルング──ビーズが振るとしゃらりと音を立てる──だけが、今の言葉を真実だと物語っていた。







普通に喋れるらしいミョムト様を普通に喋らせるのが一番難しかった…!でも大学パラレル超楽しいです。ゼリグ・ヴァイズ・テジロフの三つ巴を経たヴァイテジ編とゼリテジ編妄想が楽しすぎてつらい。