magic lantern

誰も許しはしないけれど

プトレマイオスに帰艦してミス・スメラギに報告を済ませると、ロックオンはすぐに与えられた自室へハロを伴って戻った。弾んだ機械音で閉じられた扉をしばし見つめて、内側から鍵を掛ける。

今は、誰にも逢いたくなかった。

ガンダム同士の戦闘で疲れたのだ、とでも言えばそれで通るだろう。そして、二人は何も言わないだろう。だから自分も何も言わなくていい。
戦争という手段を世界が取る限り、その手段を自分たちソレスタルビーイングが奪わない限り、同じ思いを味わって泣く子どもは増え続ける。ロックオンのように家族を奪われ、刹那のように武器を持たされ、アレルヤのように人権を否定される。誰が、誰かだけが、悪いのではない。そう分かっていても、ロックオンの手は微かに震えていた。
ベッドに仰向けになって、あの時刹那に銃口を向けた右手を頭上に翳す。微かに震えている右手は、みっともなく弱く醜い。だからいつも皮手袋で覆い隠している。
「なあ、ハロ。俺は間違ってねえよな」
家族の仇は決して刹那ではない。刹那が告げた、KPSAのリーダーでも無い。実行部隊がKPSAでも、ロックオンから家族を奪ったのは戦争を止めようとしない歪んだ世界そのものだ。
だからガンダムに乗って世界を変えたいと希った。だから生きている人間の乗るMSでさえ撃ち落として、知らない誰かから家族を奪う。
「ロックオン、カナシイ、カナシイ」
心音の変化でも読み取ったのか、ベッドサイドで跳ねるハロがそう繰り返した。
「悲しい、か……」
世界を憎み、テロを生む戦争を争い全てを憎み、そうやって自分を駆り立てていないと家族を失った悲しさに押しつぶされてしまいそうだった。十年も憎しみで駆り立て続けた心は、もう正しい悲しささえ見せない。乾いて、さび付いて、壊死している。
「父さん、母さん……」
妹の名前は、唇が震えて声にならなかった。人はいつだって、失くさなければ大事だと思っていることにさえ気づくことが出来ない。自分のもの全て、あって当然だと思っている。
「ロックオン、……あれ?」
扉の外から途惑うようなアレルヤの声がした。ロックオンは顔を手の甲で拭い、ベッドから立ち上がる。
「アレルヤか?どうした?」
こんなときでさえ、普段の声が出せるし普段の顔を作って見せることは造作も無い。そして、そんな自分にロックオンは辟易していた。
「ちょっと気になっただけで、その、休んでいるところを邪魔するつもりじゃないですから、すみません」
普段の『ロックオン』ならば、刹那とティエリアに教えたデータをアレルヤには教えないでおく、なんてことはしない。連帯感だ、仲間だ、散々口にしてきたのだ。
ロックオンはパスワードで鍵を解除し、扉の向こうに立っているアレルヤに普段の顔で笑って見せた。
「寝てたわけじゃねえよ、気にすんな」
おずおずとロックオンの部屋に入ってきたアレルヤの背後で、さっきと同じように機械音を立てて扉が閉まる。ロックオンはいつもそうしているように、コーヒーを淹れようとカップを二つ並べた。
「やっぱ自分の部屋で飲むのが…アレルヤ?」
カップに伸ばした手をアレルヤに掴まれる。地上で刹那に銃口を向けた、右手を。何とかいつもの顔を見せようと、笑いかけて唇が思わず引きつる。
「貴方は、いつもそうだ」
「アレルヤ?何だよ?離せって」
「僕のことを見くびらないで下さい」
アレルヤの声が硬く冷たく、ロックオンは眉根を寄せてアレルヤを見上げた。
「何を言ってんだよ、アレ……」
ぐい、と右手を引っ張られてそのまま抱きしめられる。
「地上で何があったのか、貴方がどうして泣いていたのか、は聞きません。でも、僕の前でまで無理に笑わないで下さいと言ったら、貴方はやっぱり笑うんでしょうね」
冷たさを感じた声はいつのまにか熱を帯びていて、怒りや焦りや苛立ちを伝えた。
「そんなことない、とでも言うんでしょう。無理などしていない、と言いますか?貴方が悲しそうに見えるのは、今にも泣き出しそうに見えるのは、貴方が好きなあまりに僕がおかしくなったせいですか?ロックオン」
抗おうにもアレルヤの力が強くて姿勢を変えることさえ許さない。
「少しでも僕に気を許してくれていた、と思っていたのは僕の自惚れですか。それなら、貴方はどうして僕と寝たりなんて……」
ロックオンは辛うじて動かせる頭を横に振って、アレルヤの言葉を遮る。笑って、地上で二人に告げたデータだけを教えて、いつものように話をして終わりにしようと思っていたのに。
「ごめんなさい、貴方を責めるつもりじゃなかったんです。まるで貴方に拒絶されたようで、どうしていいか分からなくて」
「……アレルヤ」
「はい」
アレルヤは素直に返事をすると、ロックオンを腕から解放した。しゅん、とうな垂れているアレルヤの肩にロックオンは自分から手を伸ばす。
「長い話だ。飲みながらでいいだろ?」
「ロックオン……」
ロックオンは自分の分だけカップを持って、一人掛けのソファに腰を下ろした。逡巡していたアレルヤも、テーブルを挟んだ反対側に座る。一口、コーヒーを啜ってカップをテーブルに置くとロックオンは長い前髪をかきあげた。
「お前の目はごまかせねえのな。俺、けっこうポーカーフェイス得意だと思ってたんだけど」
「プトレマイオスに戻ってきた時、三人に違和感があって。地上で何かあったんだろうと思って貴方に会いに行ったら貴方はドアにロックをかけてるし、眠っていないなんて言いながら目が潤んでいたから」
「……そうか。ガンダムスローネのメンバーに、ヨハンと呼ばれていた男がいただろう」
言われたアレルヤは、この間プトレマイオスにやってきたトリニティの兄妹たちを思い出す。個性的な姿と性格の持ち主だった彼らを。
「あとの二人が兄、と呼んでいましたね。背が高くて肌が浅黒い」
「そいつだ。そいつがな、ポイントから離脱する前に俺の本名、俺の過去、刹那の本名、刹那の過去、全部ばらしていきやがった」
「マイスターの個人情報は、かなり高レベルな秘匿データだと聞きましたが」
「ヴェーダから覗いたと言ってたな。ティエリアがショックを受けてた」
「でしょうね」
ティエリアは戦術予報士であり実質的なリーダーであるミス・スメラギよりも、ヴェーダの意思を強固なまでに尊重する。アレルヤはヴェーダに直接アクセスしたことは無いが、ティエリアは頻繁に行っているようだった。ヴェーダを尊び、何よりも優先してきたティエリアにとって見れば、自分の知らないところでヴェーダがハックされていたのはかなりショックだっただろう。
「……俺はな、アレルヤ」
「はい」
コーヒーで満たされたままのカップをテーブルに置いて、アレルヤはロックオンの顔ではなく膝に組まれた手に視線を落とす。いつでも黒い皮手袋に包まれている、狙撃手の手。
「十年前まで、ニール=ディランディという名前でアイルランドに住んでた。両親がいて、妹がいて、普通のどこにでもいる家庭で育った普通のガキだった」
「ある日、俺の家族は唐突にいなくなった。テロリストによる自爆テロで、俺の目の前でいなくなったんだ」
「アイルランドはもともと300年以上前から今のリアルIRAの前身、IRAが過激なテロ行為をしていた土地だ、誰がやったのかなんて子どもの俺には分からなかった。心当たりが多すぎて」
「だから俺はテロを憎み、テロを生み出した戦争を戦争を行う世界を変えようとCBに入った」
いつだったか、待機用の基地でティエリアの言葉に激昂したロックオンの姿を思い出した。テロが憎い、と怒りを隠そうともせずに告げた声を。
「俺の家族を奪ったテロは、クルジス共和国のテロ組織KPSAが起こしたものだとヨハンは言った。そして、KPSAには刹那が所属していたとも」
「別に刹那がアイルランドに来て自爆テロをやったわけじゃない、十年前のことだ、そんとき刹那はチビなんだ、仇は刹那じゃない。でも俺はそう分かっていて刹那に銃を向けた」
ロックオンは背を屈めるようにして俯き、両の手で顔を覆う。微かに身体が震えているように見えて、アレルヤはそっと立ち上がった。
「あいつは否定もしなければ、抗おうともしなかった。撃ってもいい、と俺に言ったんだ。自分の代わりに紛争根絶を成し遂げてくれるのなら、それでいいと」
「俺は最低だ、刹那だって被害者なのにそれでもあいつは……!!」
血を吐くような、掠れ声。
アレルヤは目を瞑って俯くロックオンの頭を上半身ごと抱きしめる。迷いの無い刹那の姿が、意図せずロックオンを傷つけたことは想像に難くない。ロックオンは地上で刹那に銃を向け、そしてその瞬間から今もずっと自分を責めているに違いないのだ。
家族というものが、どんなものかアレルヤには分からない。超兵施設を出て、外部の情報と接するようになって初めてアレルヤは自分に家族がいないこと、家族とはどういうものかの概観を知った。けれど、家族が齎すものが何なのか、それは分からないままだ。暖かな家の明かり、湯気を立てる食事、たわいない笑顔、きっとそんなものなのだろう。うっすらと理解できるようになったのは、ロックオンやミス・スメラギ、トレミーのクルーたちに会ってからだ。彼らは、人そのものの姿に見えた。
家族を奪われた悲しみや苦しみがどれほどのものなのかも、アレルヤには分からない。十年前にテロに遭い、家族を失い、テロや戦争や世界そのものを憎んで、ロックオンはここに来た。アレルヤが生き残るためにハレルヤを生み出して超兵施設を抜け出したように。
「そして、貴方も被害者なんです、ロックオン。僕らは戦争の被害者であるが故に、戦争に対して戦争を用い続ける世界に対して牙を向いた、そうでしょう」
「分かってる、お前だってそうだ、傷ついていないヤツなんていない、みんな何かを失った」
はっきりと震えだした声は、熱を帯び湿っている。
「僕には、こんなときなんて言えばいいのか分かりません。でも、僕は貴方に一人で泣いてほしくないんです。僕では貴方を救うことも、守ることも出来ない。それでも、僕は貴方の傍にいたい。……貴方がそれを許してくれるのなら、ニール」
「……ッ」
耳元で知ったばかりの名前をアレルヤが囁くと、ロックオンはびくりと身体を震わせた。けれど抗いもせず、そのままアレルヤの腕の中にいる。
「ごめんなさい。嫌だと言うなら、もう呼びません。一人でいたいのなら、もう出て行きますから」
一人にならなければ、泣くことも出来ないのかもしれない。傷の舐め合いにはなっても、癒しにはなれないのだろう。自分が傍にいることで、彼が何かを堪えてしまうのなら自分はこの場を離れたほうがいい。
そう察したアレルヤが身体を離そうとすると、ロックオンの手がアレルヤの身体に伸びた。指先が、震えている。それ以上、身体を離すことも近づけることも出来ずにアレルヤはその場で立ち尽くした。
「頼む、もうしばらくでいいんだ、このままでいてくれ」
「貴方が望むなら、いくらでも」
視界の中で落ちた雫にも、わなないたように震える声にもそ知らぬふりをして、アレルヤはもう一度ロックオンを抱きしめる。こんな自分でも、傍にいることに意味があるというなら離れるつもりなど、なかった。







19話の補完、アレロク編。刹ロクも書きたい。ちなみに、リアルIRAは現代に存在します。IRAの後継でもあるけど、分裂組織といったほうがいいかもしれない。