magic lantern

OROCHI 孫市と凌統

凌統、と低い声が呼び止める。男らしいというよりは、幾分色の深い声だ。凌統は呼ばれたままに振り返った。
「うん?どうしたんだい、孫市さん」
遠呂智を倒した後、世界はすぐにでも戻ると思われたがそうでは無かった。地の秩序は失われたまま、散り散りになった各勢力の武将たちもまた、様々だった。戦国の魔王と謳われた織田信長の下にいた凌統だったが、孫呉へ戻るべく陸遜と共に信長の配下だった呉軍を取りまとめて遊軍として活動していた。その折、出会ったのが雑賀孫市と言う鉄砲使いだ。凌統と陸遜は孫呉を、孫市は己が主を探している。
取り留めの無い話の結句に、つい甘寧のことを凌統が口にした直後のことだ。全く関係の無い──孫呉の者でもなければ、何の事情も知らぬはずの相手に話してしまったのが気恥ずかしくて、すぐさま凌統がそ知らぬ風を装って立ち去ろうとしたら、孫市は穏やかだが無視できぬほどの力で呼び止めた。
「……おれの国にはあんたらの時代から伝わってきた書物やら何やらがたくさんあってな。お前を見てたら思い出したことがあったんだよ」
「へぇ…どんな?俺やアイツのことでも書いてあったりするのかい?」
そういう書物がある、とは信長の下にいた頃から聞かされている。陸遜は興をそそられたらしく詳しく聞きたがっていたが、凌統はさして興味が無かった。連続した時代の先に彼らがいるわけでも無い、まして自分たちの事実が史実になろうとは思えない。
いつものように軽く尋ねた凌統に孫市は隣に座るよう促して、静かに言った。
「忠と考は並び立たず、って文言だ。お前が忠臣であればあるだけ、お前は孝行から遠ざかる」
「……」
「孝を立てて戦をし得るのは、忠を捧げる必要の無い王だけ──畢竟、お前の大将みたいなヤツだけだろう。忠を立てれば考は立たない」
「だから俺がアイツを恨むのは筋違いだって?」
ようやく言えたのはそれだけだった。結局、みんな同じことを言うのではないか。鼻白む凌統に、孫市はまさかぁとこれまた軽く応えた。
「筋違いじゃぁ、ない。おれはどうにもお前みたいなヤツを放っておけない性質でね、お節介焼きたくなっただけさ。考の先にも根にも忠は立てないが、忠の根には考が必ず備わるものだろ」
「それってさっきのことと矛盾してない?並び立たないんだろ?」
孫市の意図が読めず、凌統は眉間に皺を寄せる。視線の先にあった孫市の表情はふっと緩んだ。どこか、呂蒙が時折見せるような笑みに似ている。
「同じだけの忠と考は並び立たない、絶対にな。だが、お前の忠義の根は父御への考じゃないのか?なら、お前は忠と考の境目で身を引き裂く真似などしなくていい」
「……」
そんなこと、言われたことが無かった。
いや、本当は誰かが言ってくれていたのかもしれない。敵討ちを禁じた主君や都督はともかく、同輩である陸遜や呂蒙ならば伝えようとしてくれていたかもしれない。だがあの頃の凌統には、何の言葉も光として届かなかった。
忠を立てれば考が立たない、忠を重んじて敵討ちを諦めれば不孝者と侮られ、考を尊んで敵討ちを目論めば主君への忠無き者と謗られる。真実、凌統を侮って謗った者などどれだけいたか凌統にはもはや分からない。
自分で自分を許すことが出来ぬが故に周囲の雑音を肥大化させ、ある種被害妄想のようになっていなかったとは言えない。そう言った面は多分にあったのだろう。
「凌統?」
何も返さない凌統を慮ったのか、孫市は声を潜めた。気遣いの見える表情が、今度は甘寧がごく稀に見せる穏やかな表情に似て見えた。それに気づいて、凌統は笑った。
「……はは…これだから嫌だよ、あんたも信長さんも光秀さんも阿国さんも…日ノ本のヤツらってのは皆世話焼きなのかい」
「さあ…おれには信長の考えることなんて分からないね。分かりたくもない。が、ある意味これはお前の才だろうよ」
「才?俺には特別な才なんて大してありはしないよ。何のことだい?」
そう、才など無い。生業としている武芸でさえ、甘寧に追いつくのがやっとだ。追いついて、その背を預かり互いに力を高めあうのが精一杯。多少ならば策も練れるがそれは陸遜たちに及ぶはずもなく。ひとかどの武将、ではあってもそれ以上ではない、と凌統は自身を量っている。訝しげに尋ねる凌統に、孫市は背を地に預けて足を組んだ。へらりと笑う。
「何となくだが、お前には笑ってほしいと思うのさ。泣かせたくない、笑っていてほしい、周囲にそう思わせられるってェのは才だぜ。おれの殿様もそうでね、おれはあいつに拾われてからあいつを笑わせるために必死だ」
今まで見たことの無い、穏やかそのものの笑顔。孫市の主君──あの竜を名乗る小さな王を思っての。戦場で一度見えたきり、ろくに言葉も交わしていなかったがあの小さな竜は随分と配下に思われているようだった。微笑ましく思って笑みを誘われた凌統だったが、不意に昔の光景が脳裏を過ぎった。
いつだったか、口癖のように実行できない敵討ちを唱えていた凌統へ投げられた言葉。

『オレが死んでお前が笑えるようになるなら、オレはそのために死んだっていい』
『でもそうじゃねぇだろ?凌統。オレが死んじまったら、おめぇ、二度と笑えねぇんじゃねえか?』
『だからオレァ死ぬわけにいかねえな。お前を笑わせるってェ大仕事残して死ねるかよ』

心通わせるようになった今も、甘寧は事ある毎に凌統へ笑って欲しいと何の衒いも無く告げる。笑った顔が見たい、幸せにしたい、泣かせるものは何であっても許さない、凌統が居た堪れなくて憤死しそうなぐらいの頻度で聞かされていた。同じ言葉を、別の者が他の誰かへ当てて告げているのを聞いて初めて、凌統は甘寧の想いが分かった気がした。
こんなに大事に思われているなんて、思っていなかったのだ。疑っていたわけではないけれど、毎日のように繰り返される言葉はいささか真実味や重たさに欠けているように思われて、適当に流してばかりいた。笑わせるために必死──だったのだろうか。天邪鬼でひねくれものの自分に懲りたり飽きたり嫌になったりせずに、いつもいつも。
甘寧に会いたい、とこの世界に来てからようやく心の底から願えた。会いたい。会って何を言うでもないけれど、顔が見たい。声が聞きたい。
突如膨れ上がった想いはみるみるうちに凌統の目を潤ませて、凌統はぽとりと小さな滴をこぼす。慌てたように孫市が上半身を起こした。
「凌、統……」
気遣い無用、と凌統は首を振り残った滴を指で拭く。笑って、孫市の隣に寝転んだ。空は、青い。
「あんたのお殿様ってのにちゃんと会ってみたいね。あんたも機会が会ったらあの馬鹿に会うといいよ。俺なんかのこと気にかけて、それこそあんたと同じこと言ってばかりいる大馬鹿者にさ」
「……そうだな。鈴の甘寧、だったか」
「りんりん煩いからすぐに分かるよ。あんなに腹が立って血が煮え滾りそうだった鈴の音も、今じゃ戦場で聞こえないと苛々するから…人ってのはままならないねぇ」
「落花流水、万物流転。変わらねぇモンなんて無いんだろうよ」
「違いない」
視界の外で陸遜が呼ぶ声がしている。変わらないものが無いのだとして、この想いも変わっていくのだとしても、それを惜しんで背を向けるほど愚かしいことは無いのだともう凌統には分かっていた。

OROCHI本編から、再臨までの間の話。あれってどこか一つの陣営がクリアして多分それで終わりなんですよね。四つが一同に会してどうこう、ってのはないみたいだから。でここから呉に戻って再臨まで一緒にいたはず。少しは素直になったはずだろうに、気づいたらまたも戦国のメンツ(元親)に夢中だからな凌統……(笑)。凌統はほんと戦国メンツといっぱい絡んでるよなー。阿国さんに気に入られてンのが発端か。