magic lantern

交差 後編

「ゲオルグ殿!?」
「離さんぞ」
「……どうして…」
「おれはもう二度と、お前のことで後悔したくないんだ。六年前、どうして一緒に来てくれと言えなかったのか、ずっと後悔していた。お前が昔のように思っていないことなど分かっている、だからせめて安心出来る場所まで一緒に行かせてくれ。頼む」
離すまいと抱きしめている身体から、力が抜けていく。
「どうして、今、そんなこと言うんですかー……。俺、ゲオルグ殿を守れたらそれでいいって…大好きな人をもう失わないようにって…フェリド様には怒られるかもしれないけど、それでもいいからって思ってたのに…」
故人の名を上げたカイルは、とっくに死地へ赴く覚悟をしていたのだろう。ゲオルグを守るために。
「そんなことをさせてはおれがフェリドやサイアリーズに殺される。女王もおれを許すまいよ。まして、ソルフェやリムに逢わせる顔が無い。……カイル」
「はい?」
力無い表情で見上げるカイルは確かに、大好きな人をもう失いたくないと言った。ゲオルグを守るために自らの命を差し出そうとさえ、した。自惚れなどではないのだとしたら。ゲオルグは静かに告げる。
「愛している。六年前、あの戦の最中からずっと」
「……」
返事は無い。
「お前をソルフェたちから浚う覚悟が無かった六年前のことを、今でもずっと悔いているんだ。一緒に旅をするのも楽しそうだとお前が言ってくれたとき、即答出来なかった己の弱さを六年間ずっと悔やんでいた」
「ゲオルグ、殿……」
「だから今度は離さんぞ。いいな」
もう一度強く力を込めてカイルを抱きしめ、そっと腕を緩めた。ゲオルグをスパイに仕立て上げようとしている部隊が迫っていることには変わりないのだから、あまり長話をする時間は無かった。
「西の獣道を抜ければいいんだな。小隊のヤツらは本隊へ合流させよう。それからのことは──」
まだぼうっとしているカイルの耳元に唇をよせ、小さな声で囁く。
「ベッドの中で考えることにする。二人でな」


どこか力無く呆けていたカイルは、小隊の前へ出るや否やぱっと表情を変えて現状の説明と作戦行動の説明に入った。途中まで小隊全員で移動し、本隊への合流地点を教えて、早馬の伝令を本隊へ出してしまえばゲオルグとカイルにはもうこの場に留まる理由が無い。
「おれたちのことをどう報告しようと構わん。将軍が本隊を率いているから大丈夫だろうとは思うが」
「命あっての何とかって言うからねー、お互い気をつけてってことで」
「それじゃあな」
ゲオルグが馬に乗り、カイルを乗せようと手を伸ばしたがカイルはくるりと振り向いてにっこりと笑ってみせた。
「あちらさんに報告しちゃうのも自由だけどね、敵になったら容赦しないよー?」
途端、カイルの身体からは強い冷気が漂い、見せつけるように抜いた刀身はたちまちに氷をまとって青く輝く。わずかながら小隊の傭兵たちが強い魔力に怯んだのを見て、ゲオルグは思わず嘆息をついた。そしてもう一度手を伸ばす。
「カイル、行くぞ」
「はーい。じゃあねー」
剣を収めると同時に魔力を抑え、カイルはゲオルグの乗っている黒馬へと騎乗した。ひらひらと手を後ろに振りながら、片方の腕でゲオルグの身体を抱きしめる。
「お前、ほとんど魔力残って無かっただろう、あんな真似しなくても」
「だってー…ウチの部隊ってほとんど剣士っていうかゲオルグ殿みたいなタイプが多かったでしょ?魔法は苦手ーっていう」
「……まあ、そうだな」
「だから魔力見せちゃうほうが大人しく本隊に合流してくれるかなーって。ホントはもう底をついてるから、あれが限界だったんですけどね」
相性の良い水魔法でなければデモンストレーションのように見せることさえ、出来なかった。馬を走らせながらそう語るカイルにゲオルグは眉間を寄せる。どうにも昔に比べて無茶をする印象になったのはどうしてか。
「まあ、いい」
「うん?何がですかー?」
女王騎士としてソルフェイドたち王族を守る義務を持たないからか、そもそもヤンチャが過ぎる性質なのか、細かい理由はゲオルグにとってどうでも良かった。どちらにせよ、もうカイルを離さないと決めたのだし傍にいるなら自分が守ればいい。大人しく守られてくれる相手ではないが、無茶をしすぎないように見張るぐらいのことは出来る。その距離に、来てくれた。
腹に回った腕の重みがそのことをゲオルグに伝え、逃避行ではありながら七年前とは全く違う心持になっていた。大罪を追った直後の荒みきった逃避行は今までのどんな戦よりもあらゆる意味で苦痛だったが、これからは違う。ハルモニアから出てしまえばゲオルグを追う部隊などいなくなるだろうし、たとえハルモニアの神官長を敵に回してしまったとしても二人でいられるのならば。
「何とでもなるだろうよ」
「えー?さっきから何独り言言ってんですかー?」
老けましたねえ、などと不届きなことを言って笑うカイルと共に在るのなら、どこへでも行けるだろうしどこでだって暮らしていけるだろう。この世界は広い。旅暮らしだったゲオルグでさえ、見たことの無いものが多くあって知らないことなど山のようにあるはずだ。カイルとて同じこと。
「……見せたいものがたくさんある。逢わせたいヤツも」
地平線より水平線を見慣れているカイルに、グラスランドの草原に沈む大きな夕陽を見せてみたい。草原で暮らす誇り高い種族たちを、様々な生き物たちを。


「ゲオルグ、殿……えっと、ですねー」
「なんだ?」
あれから西にとっていた進路を一旦北へ移し、ハルモニアの国境近い村でようやく休めることになった。国境路沿いなので旅人がある程度行き来していて、ゲオルグとカイルの姿が格別目立つことも無い。腰を落ち着けて食事を取り、湯浴みを済ませてからゲオルグがカイルを寝台へと連れ出すとカイルは戸惑うように視線を彷徨わせた。
「なんか、こう…展開が早いっていうかー、いまさらってのは重々承知ですし吝かじゃないんですけどー」
「だったら、なんだ?」
拒絶の意では無いらしい。カイルは軽いキスを繰り返すゲオルグの唇を拒まないが、眉間には微かに皺が寄っている。
「だってゲオルグ殿、会ってからずーっと普通っていうか、何も無かったのに、なんでかなーって」
「……それを言うならお前のほうこそ、だ」
ゲオルグはキスを止め、あの頃よりは短くなったカイルの髪に指を通した。触り心地は何も変わらない。昔は寝台に長く打ち乱れていたのだが、今は微かに音を立てて散らばっているのみだ。
「あの時から六年になるか。お前はまるでつい先日別れたばかりのような口ぶりだったし、おまけにおれが結婚していると思っていたようだし、もうお前の中で整理がついた過去のことなんだろうと思ったんだ」
カイルはばつが悪そうな表情で視線を彷徨わせ、むうと唇を突き出して拗ねてしまった。
「だって、しょうがないじゃないですか。俺が昔みたいなつもりでもゲオルグ殿がそうとは限らないでしょー、そんであてが外れたらカッコ悪いし惨めだし…もし」
すっと顔を上げたカイルと目線がかち合う。
「もし、それこそゲオルグ殿の中で俺が過去になってて、でも俺が昔みたいに好きですって言ったら、ゲオルグ殿はあそこに雇われてる間だけ一緒にいてくれるでしょ。んで、仕事が終わったらまた俺を置いて行くって分かってた。だったら…もう言うの止めようと思ったんです。元同僚って誼でいるほうがきっと置いていかれないだろうって」
「……それは…お前…」
「だってゲオルグ殿はそういう人なんだろうって思ってた。いろんな土地に行って戦をしたり傭兵仕事をしたりして、でも、そこには何も残さないでまた旅に出る。それが悪いとは思わないですけど、俺は寂しかったから二度目はもういいやって。ゲオルグ殿優しいから、断固拒絶する、なんてしないでしょうしね」
ゲオルグは自然と表情が強張るのを感じた。今までゲオルグが後悔を残さず過去へと流してきた、そのことをカイルは見抜いて何も言わなかったのだ。
「確かにおれはそうしたかもしれん。責められても仕方のないことだ。だがなカイル」
「はい?」
「おれがもしあの場でお前に言われても拒まなかった理由は、おれが優しいからじゃない。お前だからだ」
「……ううー…やっぱずるい…。そんなこと言うのずるいですよー、格好良いなあもう」
いくらか頬を染めて唸るカイルの髪を梳き、顔をゆっくりと撫でる。湯上りでほんのり暖かい肌は、昔のようにしっとりとゲオルグの手に馴染んだ。
「お前で無ければ断るに決まっているだろう。おれはずっと後悔していたと言ったろ、お前を手放したことをこの六年間ずっと後悔していたと」
「俺は後悔してはないですけど、ずっと思ってましたよ。ゲオルグ殿に逢いたいなぁって。迷惑でしょうから探すつもりは無かったですし、特別キナ臭い場所を巡ったりもしなかったですけど、だからこそ逢えたらいいなってずっと思ってました」
六年前、互いの身上や思い違いで離れることになって。過去にせずに昔と同じ気持ちのまま出逢えたのは、ある種の奇跡というより他無いのだろう。ゲオルグとカイルが守り仕えた少年ならば『もう運命ってことで諦めたら?』とでも言うに違いない。
「カイル。───……愛している」
六年抱え続けた後悔は、一つきりの想いへと昇華する。
「……奇遇ですね、ゲオルグ殿。俺もですよ」
ふわりと笑ってカイルはゲオルグに身を委ねた。昔と変わらない気持ちを抱えた心も。


あの時一緒に来いと言えたならどんなに良かっただろう、そう六年間夢想していた。あの戦いの全てに悔いは無かったけれど、別れたことだけを悔いて過ごしてきた。
これからも様々な土地で後悔を重ね、時にはこの選択すら後悔したくなるような瞬間を迎えるかもしれない。互いに剣を持つ身ならば、覚悟の上だ。
それでも、たった一つ決めたことがある。
六年前と変わらぬ笑顔で腕の中におさまってくれたこの男を、もう手放したりはしない。決して。


幻水1の1年前?ぐらいの話。ゲオルグ殿は戦歴として継承戦争の六将軍時代→(わりと直に)ファレナ女王騎士→(ここら辺不明)グラスランドの黒い月の騎士→デュナン統一戦争の助っ人、ってなことになってるので、これからグラスランドに行って黒い月の騎士とやらになるはず。
赤月にあの頃いたらテオのところに行った気がするんだけど、グラスランドで戦ってたから行けなかったのかも。2の時に坊ちゃんと逢ったら王子に対して思うみたいにパパぶったりしそう。でも王子と違って2の坊ちゃんは既に悟り開いてるからあしらいそうだな(笑)。