magic lantern

深緋 紅

高杯灯台の炎が、動きとともに起きた風を受けて揺れる。じじ、と焦げ付く音が薄暗い御簾の内に響いた。
「止めておけ、知盛。お前が望むものは何も手に入らない」
御帳台ではなく敷かれた畳の上に仰向けで倒された男の目には、常と同じ強い光が浮かんでいる。硬質なものを手折ることは嫌いではなく、むしろ好んでいると自覚している知盛はことさら口の端を上げて笑ってみせた。
「ずいぶんと余裕ぶった口を聞く。自分が何をされるのか分かっていない…わけでもないのだろう?重盛兄上」
「分かってはいるさ。お前はいつも女にするようなことを、情け容赦無い手酷いやり方で俺にするつもりだろ」
いつも女に、とさらりと言われた中身を目の前の男はさほど知らないはずだ。数え十八でこちらにきて一年、そのようなことが話に上った試しは無かったと記憶している。
「それで兄上から私は何を手に入れられない、と?」
何かを手に入れようと──それこそ、目の前の男自身を手に入れようとしているわけではない。そんなわずらわしいことを知盛は好まない。が、男はきつく知盛を睨んだまま、低い声で続けた。
「全てだ。お前がどれほど手酷く俺を扱おうが、俺は何も傷つかない。俺の矜持や誇りはこんなことで傷つくところには無い。お前の望むような応えを見せるつもりも無い。何もお前に返さない。それでいいなら好きにすればいいだろう。そんな空しい行いにお前が意味を見出せるのなら」
「おれに──殺されるとは思わないのか。手酷く扱われるのがお好みなら、その通りにしてやろう」
知盛は懐にある脇差を、見せ付けるようにわざと音を立てて抜き翳した。仄かな灯明に照らされて、抜き刃が光る。同じ光が、男の目にも灯っていた。
「お前は俺を殺さないだろ、いや、殺せないんだ。還内府の名は一門どころか既に源氏方にも知られている。そんな折に俺が死ぬことの意味を分からないほど、お前は馬鹿じゃない。清盛が与えた還内府の名、お前の刀で斬れるほど軽いものか。何より、お前が望む戦を与えられるのは俺だけ──違うか」
「クッ…やはりお前はイイな。おれがここでお前を犯したとしても傷つかない、と本気で言っているのか」
男を相手に契ることは、珍しいことでも無ければ不道徳なことでも無い。仏の教えにおいて、女人の存在は悟りへの妨げとされるが男との契りに関しては何の文言も無いのだ。同じであるだけ、より精神的で道徳的で満たされるのだと嘯く輩も数多い。知盛自身はどちらがどうとか、そんなくだらない括りをすることにこそ興味が無かった。ただ、これを手折ったらどうなるかと思っただけだ。なにしろイキがいいのは自分で良く分かっている。
「本気に決まってる。生憎、俺はお前より実年齢が下でこういう経験も無い。けどな、力任せに他人を屈服させようとするようなヤツに、わざわざ傷つけられてやるほど俺は優しくも弱くもねぇよ。……もう一度だけ、言う」
男の目が、剣呑な光を帯び始めた。戦場で見せる光、知盛をぞくぞくと身震いさせて離さない強い光だ。
「止めろ、知盛。とっとと退け」
押し倒され、身動きが取れない状態であるというのに男は自分が全くの優位であると疑わない声で、知盛に短く命じた。
「……望むものは手に入らないと言ったな」
「ああ。だから…ッ、ん…んん…っ…ぅ……」
もう一度退け、と言われる前に知盛は顎を掴んで男の息ごと噛み砕くように、口をつける。これ以上無いほど近づいた視界で、男の表情が消え失せた。これが望む反応を見せない、という意味なのだろう。お前などに傷つけられはしない、という。お前など取るに足らない、と突きつけられた気にさえなった。
いつもは苛立ちと血を呼ぶはずの反応も、この男がしてみせたからか、今はより強い興をそそられただけ。
「手に入らないことは無かったさ、おかげでお前の炎が見られた。今はそれで好しとしよう…」
知盛はゆらりと立ち上がってそう言い残し、そのまま男を御簾に残して立ち去った。確かに、今力任せに手折ったところで面白いものは見られない。男は知盛の前から消えることはないのだし、知盛もこの男を置いていく気は今のところ無い。
「俺の、炎……」
季節外れの風に乗って届いた男の微かな声が、時節を待てと知盛に教える。戦場で男と死合うことは叶わない身の上だが、こちらはこちらで面白い。そうでなくては、つまらない。知盛は小さく口の端を上げた。


望むものは手に入らない、と言われたのは知盛が亡き兄に面差しだけ似た男を拾って一年経ったほどのことだった。一瞬兄と重なった風貌に興をそそられて拾ってみれば、いつしか男は平重盛──還内府と呼ばれるようになった。知盛が風貌を兄と重ねたのは拾った晩だけ、すぐに似ても似つかぬ男だと感じた。異世界から来たという風変わりな言動、まるで幼子のように忙しなく表情を変えて。
ただ、天を衝く真竹のように真っ直ぐな性根とどこまでも周囲の者に甘い優しさがどこか兄と被った。折衝であっても軍事であってもひどく頭がきれる、一門にとっては得難い拾い物。そして。
「…ッ、ぁ、知盛…っ……」
常の覇気をどこへやったものか、男は知盛の眼下で甘い息を吐いた。男の言葉で示すのなら、合意──互いに望んで及ぶ、行為。知盛が力で以って蹂躙しようとした昔、男は抗いもせずに知盛の予想とは違う反応を示した。簡単に征服出来る獲物に興味は無く、反抗するものを意のままに屈服させ支配しようとした知盛に男は敢えて抗わない方法を選んだ。知盛の力で手折ることの出来る尊厳など、己の中には存在しないのだ、と。
自暴自棄というには眼光鋭く、愚かと斬り捨てるにはあまりに高潔な態度に知盛は新たな興をそそられ、約定のような口付け一つ落としてその場を去った。力で手折ることの出来ない、もの。それは知盛が初めて見つけたものだった。
「ずいぶんと好いようだな……有川」
「は、ぁ…ッ……あ、やぁ…」
力で手折るのでは無く、男は想いと言葉に因って知盛に組み敷かれるようになった。抗うための手は知盛の首筋を撫でて離れまいと望み、蕩けるように潤んでいる目の奥で男がもはや知盛のことしか頭に無いのだと教える。
「嫌、か?好い、の間違いだろう?」
「…ひ、ぁ…ッ……あ、あ、知盛…ッ…」
意味の無い嬌声と己を支配する男の名ばかりを繰り返す声は、途方も無く甘い。戦場に於いては一平卒のみならず武将までもを震え上がらせる覇気、軍議に於いても一門に有無を言わさぬ迫力を漂わせるはずの声がただただ甘く溶ける。甘味など好かない知盛が、唯一好ましいと思う甘さ。
どこまでも底が知れない、興味尽きない男の名前は。
「将臣……」
「ぁ…ぁあ…、あ……ッ」
有川将臣、といった。


恋い慕う、好いている、そんな意味の言葉はどの世界にもいくらでもあるものだった。男の世界では好きだの愛しているだのというらしい。そう知ったのは、いつ頃だっただろうか。まだ潮風と血錆の匂いが知盛の身に馴染んでいた頃の話だろう。
「本当にお前は強情だな」
「…ン、なの…俺の勝手……ッ、ぁ、ぁあ…!」
あの頃、幾度も知盛に告げられたはずの言葉を男は自らの世界に戻った途端、口にしなくなった。おまけに何の悪戯か、男は知盛と出逢ったばかりの頃へとその姿形を変えてしまった。還内府とその片腕の武将であった頃を捨て去ったかのような、変化。戦で負った傷など、どこにも残っていない。知盛が何度愛したか知れない身体なのに、まるで別の人間のようだ。だから。
「もういい、お前はおれの名だけ呼んでいればいい」
「…っ……知盛…」
そうやって呼ぶ声の甘さだけが、昔の名残だ。あちらにいた頃、男が殊更自分の名前に反応した意味が今の知盛にはよく分かった。それは呪、自らを自ら足らしめる言霊。平知盛という存在を、この世界に繋いでいるのは龍神でもその神子でも無く、この男だ。
「将臣……」
好きだ、と耳元で告げると男は呆気無く精を果てた。あちらで男が口にした言葉を今は知盛が幾度と無く口にする。自分と、男と、世界とを繋ぐために。
力で手折ることの出来るものなど、何一つこの男の中には無かった。何の力も持たないはずの言霊で互いを繋いで縛り、互いの世界すら飛び越えて。
「知盛、知盛ぃ……っ…」
昔男が口にしていた言葉、今は自分が口にする言葉を何故男が言わなくなったのか。知盛には凡その検討がついていたが、深く追求するのは止めた。
いつだったか男の部屋で見た本に、己の名前が載っていた。壇ノ浦で入水して果てた、という簡潔な記述。それを出逢う前から見ていた男が何を恐れ何を望み、そして何のためにあれほど必死だったのか──分かった。
自分が何故ここにいるのかという答えとそれは同じで、だからこそ、わざわざ言葉になどしたくなかった。己の本性は獣、言いたいことを言ってやりたいようにやる、何にも絆されも靡きもしない野に生きる獣。その獣を繋ぐ鎖が、愛などという言葉であるはずがない。
知盛を繋いでいるのは。
「…もっとだ、もっと呼べ、将臣」
「ぁ、やぁ、…ッ…とももり…」
目の前の男そのもの、だから。

平家の神子・将臣が平家の皆にいっぱい好きだーって言って知盛にだけ言わないってのも相当萌えなんですが、壇ノ浦を知ってるから知盛をどうにかこうにか繋ぎとめたくて必死でなりふり構わないのもまた萌え。知盛は半ば分かって引き摺られてきた。これは多分大団円後かな。南の島での楽園エンドも捨てがたい。