magic lantern

陽 煌々たり 臥龍 風威に乗る

「探した」
目の前に突如として現れた男は、傲岸不遜な態度で将臣にそう言い放った。
「はぁ?俺を探してた、ってのか?お前が?」
どことなく違和感を覚える男だと思って観察しようとした将臣は、男の目に釘付けになる。男は白銀といっていい髪と紫水晶のような目をしていた。紫の目、その意味は一つしかない。髪の色が将臣の知るそれとは異なるが、この世界に紫の目を持つ人間はいないのだ。
それは──
「そうだ。お前が、おれの王だ。有川将臣」
王に次いで尊き神獣、麒麟である証。麒麟は民意を汲み天意を受け王を選んで王に仕える。慈悲と正義で出来ている神獣で、いかなる殺生をも憂う憐れみ深い国の宰相だ。
「……本気か?」
麒麟を自称する男はひゅっと細い眉を寄せたが、将臣にとって問題はそこでは無い。こんな、いかにも慈悲だの正義だのと無縁そうな怜悧な男が麒麟だと言われて信じられるはずがない。そもそも麒麟は金色の鬣──人型であれば髪の毛──を持っているはずなのだ。黒麒麟は鬣も目も黒いというが、髪が銀で目が紫の麒麟というのもいるのだろうか。
「ずいぶんと猜疑的だな、我が主殿は。まあいい、お前がどれほど疑おうと天啓はお前に下りた」
言うなり、目の前の男が煙に溶けるように姿を消す。さすがに慌てた将臣の前に姿を見せたのは、一頭の獣。どこまでも白く、ただ目ばかりが紫をしている馬というよりは鹿に似ている優美な一角の獣。その姿には、見覚えがあった。里祠に昔から揚げられている麒麟旗、それに描かれている麒麟の姿そのものだ。
「本当に…お前麒麟なんだ…」
「だからそうだと言っている。理解したなら話は早いな」
最早、将臣の視界に立っている人間はいない。王と麒麟の目前では伏礼するのが習いだ。けれど、将臣にも麒麟にもそれを気にする風は無かった。意味はそれぞれ違ったが。将臣は目の前で起きることに対応するので必死だったし、麒麟にとっては見慣れたことなのでどうでも良かった。
「天命をもって主上にお迎えする」
麒麟はどこまでも優美な仕草で首を垂れた。背が真白ではなく、五色に輝いているのを呆然と将臣は見ていた。主上──王であるという、こと。
「御前を離れず、詔命に背かず、忠誠を誓うと誓約申し上げる。……許すと言え。おれを臣に迎えると」
それでお前はこの国の王だ。優美な麒麟の姿で、人であったときと同じ傲慢な声で、麒麟はそう言った。黙っている将臣に、首を擡げてじっと見つめる。
「俺が、王か」
「そうだが」
「なら……何故もっと早く来なかった。王が玉座にいるだけで国から妖魔はいなくなる。天候だって整うはずだ。俺が王だと言うのなら、お前はもっと早く来るべきだった。今まで何をしていた?」
将臣は低い声で麒麟を睨みつけた。目の前にいる獣が麒麟であること、最早疑いは無い。その麒麟が王だと言うなら己は王なのだろう。しかし。
もっと、早く。少しでも被害を少ないうちに食い止めなければ、この国はもはや沈みかけているのだ。先王が身罷って二十年を過ぎている。王の不在は、ただそれだけで国の荒廃を助け早めていく。妖魔を見ない日は無く、天候が整って望んだ収穫が得られた年など将臣は知らない。全て、王の不在によるもの。
クッ…と小さく笑う声が聞こえた。居並ぶ人々が一斉に息を飲む。麒麟が頭を垂れるのは己の王にだけ、たった一人立っている男はこの国の新しい王に他ならない。王の叱責に対して笑いを返すとは、どの様に処分されても文句が言えない。王は神籍にして国の主、並ぶ者など無い尊い者なのだ。
「最初の賜り物は御勘気、か……。細かい話は後だ、蓬廬宮でとっくりしてやる。ただ…蓬山に連れるためには誓約が必要だ、返答を」
クツクツといかにも楽しそうに笑ったのは麒麟で、人々はいささか自分たちの持っていた麒麟に対する印象を改めざるを得なかったが、王と呼ばれた男──将臣は苦々しい息を一つ吐いて、ややあって笑った。
「分かったよ。今さら何を言ったところで過去に戻れるわけじゃねえもんな。……お前が、俺の麒麟、か」
頷いたのか麒麟はもう一度首を垂れて、立っている将臣の足元に鼻面を押し付ける。
「どうした?」
何をしようとしているのか分からない将臣が尋ねると、麒麟は目線だけ器用に上げて将臣を見た。何かしら確認されているような気がして、将臣はもう一度笑う。そうすれば少しは安心するかもしれないと思った。なぜそうしてやりたいかは、分からなかったが。
「いいぜ、お前が俺の麒麟で、俺はお前の王なんだろ。これからは一蓮托生だ」
その言葉に麒麟は目をそっと伏せて、白というよりは少し黄みがかった角を将臣の足に押し当てる。これこそが、誓約。言葉は慣例のものに過ぎず、麒麟の力の源である角を伏礼する形で己が主に額づいて与えることが、生涯の誓約を示すのだ。
「……ッ…?」
角が触れた途端、何かが身体を貫いていった。突き抜けたのは、何だったか将臣には分からない。ただ、足元から頭の天辺まで貫き通ったそれが、人と王との境目だったのだろうと知れる。外見は何も変わらないが。
「蓬山へ戻らねばならない、が……面倒だ、乗れ」
「……俺が王なんだよな?」
何で指図されているんだろう、とやや疑問に思いつつ将臣は手早く落ちている大袖をかき集めた。落ちている大袖は麒麟が人型を取っていた時身につけていたもので、触らずとも破格の品だと分かる程のものだった。そこまでしてやる義理は無いはずだそもそもこれは臣下のはずだと思いながら、生来の気質でついつい世話を焼いてしまう。
「お前以外におれの王などいない。くどいぞ…」
「いっそここまで突き抜けると逆に面白いなお前。ま、いっか。俺けっこうデカイけど平気か?」
「構うか。おれが乗れと言っている」
新王が現れたのはいいが、この王と宰輔で本当にこの国は立ち行くのだろうか。思わず国の行く末を案じた人間は少なくなかったが、当の二人はさきほどから一切周囲を気にせずにいる。
「へー麒麟ってすべすべしてんだなあ。鬣さらさらだし」
暢気な将臣の発言で、麒麟の手触りというまず普通に暮らしていては誰も知ることの出来ない事柄が大っぴらになった。将臣は気に入ったのか尚も鬣を撫でつける。
「当たり前だけど温かいし。お前すげー冷たそうだったのに」
明け透けにも程があるのでは無いかこの新王、本当にこの国は…と人々が憂い始めた途端、麒麟は音も無く飛翔した。麒麟は翼など持たないが、気脈に乗って容易く飛翔・飛行できる。
己の麒麟と理解して尚、冷たそうだと僕に言い放った新王を連れて麒麟が訪れたのは蓬山──麒麟が生まれ育ち王が登極する蓬廬宮だった。今まで将臣が見知った建物のようではない、壁の無い東屋ばかりがぽつぽつと繋がっている。少しずつ趣が違う宮は、そのところ役割も違う。
「すげえのな、お前」
「……何がだ」
蓬廬宮についた将臣と麒麟を丁重に出迎えたのは着飾った女仙たち、女仙の主であるという碧霞玄君からも丁寧な扱いを受けたため、いまいち自分が一国の王である気概の薄い将臣は感嘆しきりだった。麒麟が出てきてお前が王だと言い張るからそうなのかと思ったものの、王は自分だから尊ばれるのだとはまだ気づいていない。麒麟はすごい生き物──神獣だという認識はあるので、どちらかといえば己の麒麟がすごいのだと思っている。
「本当に麒麟なんだよな……いや疑ってるわけじゃねえって。もう分かってるって」
念押ししたはずの事柄を繰り返されて眉を顰めた麒麟に、将臣は慌てて言葉を重ねる。
「俺は市井の者だからさ、こういう雲上の暮らしっつーの?全然実感湧かないし、本当に俺がここにいていいのかも自信ねえし。お前は麒麟なんだし、その麒麟が俺を王だって言うんだからそうなんだろうけどよ。なんつうの?実感?自覚?そういうのがいまいちなー」
人型に戻った麒麟はやれやれと長いため息をついてみせた。己の主が愚であるとは思わないが、こうも自己認識が緩いのはいかがなものだろうか。
「おれが麒麟だというのは……分かったのだな」
「そりゃどこから見ても麒麟だって分かった、小学なんかで教わった麒麟ってのとはちょっと違うみてーだけど、個人差ってのがあるだろうしな。お前はこういう麒麟なんだろ」
麒麟らしくない、と言われなかったことの無い麒麟は将臣の言葉に今度こそ面食らった。ぱちぱちと瞬きを繰り返す。思いやりが足らない、慈悲にかける、そのようでは宰輔の大任は務まらぬ、耳にこびりつくほど聞いてきた繰言なのだ。それを目の前の王は気にしないのだという。
「そう、だな……」
やはりこの男が王なのだ。王気が麒麟をどこまでも包んで離そうとしない。王気は強く確かで暖かく、それそのものが光であるように麒麟には思える。これこそが光、この男が己の陽だ。二人で腰かけていた榻から立ち上がり、麒麟は王の目前で膝をついた。麒麟は王以外の者に膝をつくことも、頭を垂れることもない。しないのではなく、出来ない。身体が拒絶するのだ。
「え…?」
途惑う声すら、耳に心地が良い。己の王のものだからだ。途惑いは麒麟である己を慮るために出たもの、吉日を待つ身である新王は全てを麒麟に対して傾けている。
「これが、お前がおれの王であるということだ」
すらりと背を正して、麒麟は長い髪が地に付くのも躊躇わず将臣の足元に叩頭した。獣形であった時に行った伏礼と同じだが、獣に額づかれたのと人に叩頭されたのでは受ける印象が大いに異なる。
「……っ…」
王に対しては、全ての臣が叩頭する。市井の民も無論だ。王に対して跪礼で許されるのは麒麟だけ、その麒麟も儀式の折には叩頭する。その知識はあったので、将臣は思わず身じろいだ。額づかれる、ということ。麒麟の性質なのか個人差なのか、ことのほか怜悧で美しい麒麟が身体全てを己の前に投げ打っているという、その事実。
──これは、俺のものだ。これが、俺の臣。
将臣は小さく唾を飲んだ。目の前で叩頭している麒麟の後ろには誰もいないのに、臣下や民が居並ぶ様さえ幻として見えた。王である、のだ。自分は。
「そういうことか……」
王気が高揚するのを感じて、麒麟は微かに身震いする。新王は誓約の前に迎えが遅いと麒麟を責めたが、これが天の配剤であったと麒麟は思っている。今の、この男を天が王と認めた。王気が生ずるのはいつか、誰も知らない。麒麟自身でも、だ。麒麟は生じた王気を辿ることが出来るだけ、王を知るだけ。
天帝によって生まれた身とされながら天帝に感謝し申し上げたことなどついぞない麒麟だったが、初めて、感謝をしてもいいような心持ちになった。己の王が目の前の男であったことに対してならば、謝意を述べるにも吝かではない。麒麟の性質としてそうなのかもしれないが、これが王であったこと、それに仕える僕として己が生み出されたことに喜ばしい気持ちがあるのは確かだ。王の僕などまっぴらだと思っていたし、宰相など面倒極まりない仕事はやりたくなぞ無かった。麒麟なのだから王に誓約しなければいずれ短い生を終えることになるし、そうすれば荒れ果てた生国はますます荒廃するからそれも嫌だったので王を探すことにしたのだが、とんでもないものが待っていた。
有川将臣。それが、麒麟の主で環西国の王。青海のごとく深い藍色の目と、雲海よりさらに上の天上に広がる空のような青い髪を靡かせる男。王気を感じたその時から、ぞくぞくと身震いするような感覚をずっと麒麟に齎している男。
「えっと……桓麒でいいんだよなお前」
国名は環西国だが、国氏は桓になるので国氏を持つ王と麒麟は桓王と桓麒という号になる。額づいたままの桓麒の前に、王である将臣は己の膝を折って近寄った。さっきまで昂っていた王気は強さを増したが澄むように静まり返っている。身体が近づいたことでより王気が桓麒をはっきりと捕らえた。
「顔、ちゃんと見せてくれよ」
言われるがままに頭を上げ、桓麒は王と目線を通わせる。静かな王気が示すように、己が王の表情は緩やかだ。穏やかな笑みを浮かべて、桓麒に手を伸ばした。髪を撫でながら尚も笑う。
「やっぱ髪もさらさらだな、鬣と一緒だ。当分、俺の味方はお前一人きりってことになるだろうな……頼むぜ」
「……主上の敵に成り得る者など国のどこにもいないだろうよ、お前は環西国の王だ」
「表立って敵に成るヤツはいなくても、俺がやりたいことを遮るヤツは大勢いるはずだろ。俺が望む道と、他のヤツが望む道はきっと違う。今、仮朝を預かってるヤツらの望む道を往く気など俺には無いからな」
この男は。己の王は愚では無いと思っていたが、鷹揚に過ぎるとも思っていた。しかしその認識は改めねばならぬようだった。桓麒を溶かしてしまうような眩い王気、その源である王はこんなにも強かで美しい。強い意志を示す目が、輝いてさえ見えた。
「それでは……主上の望む道とやらを、聞かせてもらっても良いか」
二人揃って地に膝を折ったまま、それでも視線を外すのが嫌で桓麒は続きを促す。
「誰かが泣いて、その分誰かが得をするような国は嫌だ。誰かから何かを奪わなければいけない、そんな哀しいことをして欲しくない。俺は誰も──泣かせたくない。俺に守れるものがあって守る力を得たのなら、俺はみんなを守りたい」
「……それはお前が泣くことになるぞ」
将臣の語った道は、高潔な理想論に過ぎない。あまりにも高い理想はそこに至る道を曇らせ、意思を挫いてしまう元だ。桓麒が眉を顰めると、何故か将臣は笑った。
「そうだな、俺は泣くかもしんねえ。涙は出てこなくても、泣きたい気分にはなるだろうな、何度だって。お前だって麒麟なんだから、俺が決めたことに泣きたくなることもあるかもしれねえだろ?だからさ」
慈悲の神獣を前に、自分の決断が涙を絞らせると事も無げに言い放つ。そんな王であるからこそ、桓麒はやる必要も無い叩頭を敢えて今する気になったのだ。己の身全て、存在そのものを投げ出す叩頭礼を王に捧げたかった。この身は最早、この男のものだ。
「お互い、泣き言も愚痴も二人で収めようぜ。王も麒麟も半身で一蓮托生なんだから、隠し事は無し。いいな?」
「──御意」
桓麒はそう答えて、すっと唇を近づけた。人の身が行う誓約として、口付けがあったと記憶している。それは実際男女の仲でのことだったのだが、いろんなことを気にしなさすぎる桓麒はそのまま己の王に口付ける。誓約の意味を込めて。
「……っ、おま、ちょ…」
人語を解せ無くなったか、と言ってやりたいほど慌てた王は朱を走らせた顔を手で覆ってへたりと座り込んだ。
「人はこうやって誓約をすると聞いたが、違ったか」
「違わないと言えば違わねえけど…こういうのは婚姻の仲でやることだ、せめて野合」
婚姻は法に基づいたもの、野合は事実的な婚姻で法に拠らないものを差す。とりあえずの定義を将臣が教えなおすと、む、と桓麒は腕を組んだ。
「主上が野合するのは勝手だが、おれは婚姻も野合も成らぬ身だしお前を他の者に取られるのも腹が立つ話だな」
「……えーっと、お前実はすごいこと言ってるのに気づいてるか?」
「何がだ?おれが麒麟であるとお前はもう理解しているのだろう?麒麟は王のためだけに生きて死ぬものだ、王以外のものに興味など無い」
傲岸不遜な物言いは出逢った時と全く同じだが、告げられた内容のすごさに将臣は口を開けっ放しで動きを止める。
「麒麟は民意の具現と言うが、おれは民のためにいるわけじゃない。誓約した以上、この身はお前のためだけに在る。麒麟は本来、力だけでなく存在全て、王のものだ」
とんでもない者を一の臣としてしまった、と将臣は尚も赤くなる頬を両手で押さえた。麒麟は慈悲の固まりらしいのだが、この麒麟に関しては羞恥で己の主を殺す気でもあるのだろうか。もっとも、神籍に入って神となった身は不老不死でよほどのことがない限り死なないのだが。
「あー……分かった、お前が嫌だっつーなら野合もしねえから。王は民や国のもので、お前だけのものにはなってやれねえからな、お前ばっかり俺のモンなんじゃ、平等じゃない」
王と麒麟を平等にしようとするのもおかしな話だと桓麒はちらりと思ったが、自分にとって好ましい方向に話がいったので突っ込まないことにした。
麒麟が王を選ぶのは、男が女を選ぶ女が男を選ぶようなものだと、どこかの麒麟が嘯いていた。桓麒は眉唾ものだとその話を流したのだが、その意味がようやく分かった。確かに、そうなのだろう。自分は既にこの男を誰かに渡す気など無い。王である男が望めば、後宮を美姫で満たすことなど容易いことだし勅命だと言われれば桓麒は手伝うことさえ嫌々ながらやるだろう。でも、きっとこの男はそうしない。
「それは何よりの賜り物、だな……主上」
この高潔な魂と添っていけるのならば、いずれ男の罪科を身に受けて死ぬのだとしても甘受するより他無いことなのだろう。男が与える全てでこの身は満ち、やがて欠けて死ぬ。桓麒にとっては、どこまでも高揚する事実だ。そう定められた己の生さえ、どこか尊く思える。
麒麟が身罷るのは王が道を失い天意を欠いて病に落ちた後か、何者かに誅された時と決まっている。麒麟が身罷ればその王もほどなくして薨去するから、まさに一蓮托生なのだった。
くっと口の端を上げた麒麟、桓麒は後に知盛という字を王から下されたのだが、それは別の話。

ついにやっちゃった十二国パロ。何が楽しいって知盛を叩頭させるのが楽しい。知盛は多分白麒麟なんじゃないかな(適当)ヒノエの麒麟が弁慶で、神子様の麒麟が先生か白龍。
知盛みたいなのが麒麟の性質(王と一緒だと幸福で、離れると不幸、王一番)を持つと、開き直って王に愛を強請りそうだと思って。麒麟は愛に貪欲だ。国氏は桓武平氏の桓から。本家の範と同じ位置にある西国。神子様は成東国の清王。ヒノエは…熊?