magic lantern

龍鷁

新宿・桜ケ丘病院。運び込まれた時よりはいくらか顔色の良い龍麻の寝顔を確認するように、代わる代わる仲間たちが覗き込む。外傷は有能な院長のおかげで塞がっており、後は自己回復に任せる段階だとその院長が仲間たちに告げたのは二日前のことだ。龍麻が運び込まれて三日目、まだ龍麻は一度も目を覚まさない。
声を出すことも音を立てることすら傷に触るような気がして、龍麻の個室に詰め掛けた仲間たちは声も無く目線を交し合う。龍麻が寝ているベッドの脇に置かれた、パイプ椅子は開かれて空いているままだ。三日間そこから頑として動かなかった龍麻の相棒は今ここにいない。居続けることが、出来なかった。誰が宥めても諭しても龍麻の側から決して離れず、龍麻の手を離そうとしなかった京一が倒れたのは今朝のことだと高見沢が仲間たちに教えた。

『最初はねぇ、寝てるのかなァって思ってたんだァ、でもぉ、すっごくすっごく氣が弱っててェ』
高見沢が院長に告げると院長は即座に京一を龍麻の側から引っぺがし、治療室に放り込んで霊的治療を施した。龍麻が昏睡している上に京一まで倒れるとは、と顔色を失った仲間たちを一瞥して院長はふん、と息巻く。
『京一は自業自得だ、あんたたちがそこまで気にすることじゃァない』
『自業自得?どういうことですか、まさか』
あんたも良いオトコだねえという院長の視線を引きつりながら受け止めた如月の言葉に、院長はそうだよ、と返した。
『京一が倒れたのは氣を龍麻に与えすぎたせいだ、ったく馬鹿な子だよ。龍麻の氣の容量は並の人間のモンじゃない。京一は外気功は出来ても内気功は苦手なようだからね、自分の氣をそっくりそのまま与えちまってカラになっちまったのさ』
院長の言葉に黙ってロビーの椅子から立ち上がった数人の背に、止めときな、とぶっきらぼうな声がかかる。美里やマリィ、壬生に劉が揃って振り向いた。
『あんたたちじゃ無理だ。龍麻が京一の氣を受け入れられたこと事態が稀なことなんだよ。……座りな』
マリィが途惑うように美里の顔を伺う。美里は表情を強張らせたまま、一番近い椅子にマリィを座らせた。
『龍麻は元々陽の氣を持っている。受けた傷は強烈な陰の氣によるものだ。陰の氣が身体を蝕んで出血以上に龍麻の身体を危うくしていた。わしの治療である程度は治してやれたが、最後は当人の生命力に因るところが大きいのさ。特に龍麻みたいに半端じゃない氣を持つ人間はね。龍麻は内気功が出来る、安静にしてれば近いうちに驚異的な自己回復で目を覚ますだろう。だから自業自得だって言ってるんだよ、京一は全部分かってて自分の氣をほとんどそっくり龍麻に与えた。早く龍麻が回復するように、ってなことだろうけどねェ…馬鹿な子だよ』
『……どうして私達では無理なんですか』
美里の声が震えていたことに、その場の全員が気づいていたが何も言えなかった。院長はさして気に留めずに、言葉を続ける。
『氣の質が違う、とでも言えばいいか。京一が持ってる氣は苛烈な陽の氣で、下手に他人に与えると相手に害を与えかねえない。相手が熱源のような京一の氣に耐えられる者でなければならない。龍麻のようにね。そして龍麻に氣を受け入れさせるには、同じだけの強さがなけりゃならない。弱けりゃ弾かれて終わりだよ。氣の強弱ってのは性格だの霊力だの、ましてや戦闘の能力だのそんなことには関係無い。本人の資質、みたいなもんだからそこまで肩を落とすんじゃないよ、うっとうしい』

当初の見立てでは入院期間は十日だったが、京一の行動もあって少しは短くなるだろうと教えて院長はロビーから姿を消した。仲間たちはそっと顔を見合わせて、自然に二つの部屋に分かれていった。龍麻の部屋と、離れた場所にある京一の部屋と。
夜遅いから、という理由で女子は家に戻っていった。女子を送るために醍醐やアランたちも姿を消している。龍麻の部屋には、壬生・如月・劉が未だに残っていた。
「アニキ……」
劉は院長の説明を聞いても尚納得できずに、こっそりと外気功で龍麻に氣を与えようとしてみたがことごとく失敗に終わった。院長が言うように、劉が与えようとした氣は龍麻に届く前に霧散してしまうのだ。弾かれて、龍麻にまで届かない。個々人の力とは無関係だと院長は重ねて言ったが、自分が兄と慕う龍麻に出来ることが何も無いのが悔しくていつまで経っても涙が涸れない。
「そんなに泣いていると、龍麻が起きたとき驚いてしまうよ、劉くん」
「分かっとる、分かっとるけどワイ……」
「無力さを感じているのは皆一緒だ。おそらく、蓬莱寺でさえそう言うだろうね。彼のことだから」
壬生は少し前のことを思い出して、少しだけ口元を緩める。八剣たちに嵌められたと分かった時、八剣の鬼剄から龍麻を守った壬生に京一は嬉しそうに笑って見せたのだ。自分を殺そうとした八剣と同じ拳武館の者だと分かっていたはずなのに、それでも京一は笑って壬生に礼を言った。
『俺の代わりに俺の大事なモンを守ってくれてありがとよ』
もちろん、それはその場にいた全ての仲間のことでもあったが、とりわけ龍麻のことを示していた。五日ぶりの再会をした龍麻と京一の間に言葉らしい言葉は無く、それでも直後の戦闘で驚くほどのコンビネーションを見せる二人に驚いたものだ。信じるということは、信じあっているということは、こういうことなのか、と。
「……ん…ん?」
劉でも、壬生でも如月でも無い声が病室に小さく響く。
「龍麻!!」
「アニキ、気がついたんか、ここは桜ケ丘やッ」
いっせいに取り囲む3人を押しのけるように、龍麻はがばりと身体を起こした。
「京一は!?アイツ、どこ、行って、……まさか!」
起き上がるどころかベッドから出ようとする龍麻を両側から壬生と如月が押さえてベッドに押し戻す。
「大丈夫、京一くんも僕たちも誰1人怪我をしていない。無事だよ」
「蓬莱寺の居場所なら分かっている。柳生を追っていなくなってるわけじゃない」
本当は少し離れた病室で眠っているのだが、明らかに普通の状態ではない龍麻にそのことを告げるのは憚られた2人はそれだけを隠して龍麻を宥めた。劉はおろおろとうろたえている。
「本当に、お前らも京一も怪我、してないか?弦月、大丈夫か?」
「……ッ…平気や、アニキが気ィついたさかい、もう、どっこも悪いとこあらへん」
「そっか…みんな無事か…良かった…」
今にも飛び出して京一を探しに行きそうな様子だった龍麻から、身体の力が抜けていく。安堵はしても、未だに不安で2人は龍麻の肩から手を離せなかった。
「もう少し眠るといい、龍麻。君が元気で無いと、蓬莱寺も心配するだろうから」
「ああ、紅葉」
「次に目を覚ますときにはちゃんと京一くんを連れてくるよ、龍麻」
「…翡翠、ありがとな。なんかさ、ずっと暖かかったんだ、ずっと……」
言葉尻が掠れていき、龍麻は再び眠りに落ちていった。嬉しそうに、笑みを浮かべたままで。
「暖かかった、か……」
霊的治療のスペシャリストをして『苛烈』とまで言わしめた、すさまじい陽の氣を暖かいと感じられるからこそ龍麻は京一の氣を受け入れることが出来たのだろう。如月はため息をついて、くるりと踵を返した。
「如月さん?」
「……京一くんの様子を見てくるよ。龍麻と約束したからね」
如月は龍麻の部屋に壬生と劉を残して、離れた京一の部屋へ急ぐ。



同時刻、京一が寝かされている部屋には霧島と村雨が残っていた。霧島は途中で寝てしまい、京一の寝ているベッドに寄りかかるようにパイプ椅子に座ったまま寝息を立てている。御門もしばらく部屋にいたが、マサキのところに戻れと村雨が追い返した。御門がマサキのところに残した神将たちの力を疑っているわけではないが、何があるか分からないのだ。柳生がついに龍麻を襲った今となっては、何が起きてもおかしくない。
「蓬莱寺よォ…おめェも大概馬鹿な野郎だなァ」
龍麻が倒れた話は聞いていたし、翌日に見舞いにも行った。見舞いの場で龍麻から離れようとしなかった京一までが倒れたと聞いたのは、今日の夕方のことだ。新宿で会った藤崎と病院にいる高見沢に話を一通り聞いた村雨は、さきほどからため息ばかりついている。馬鹿な奴だ、と心底思った。分かってはいたが、本物の馬鹿だ。
「先生が死なねえって一番分かってるのはお前だろうよ、蓬莱寺。なのに、なんで馬鹿やっちまうかねェ」
自分の氣をそっくりそのまま、龍麻にやってしまったのだ。安静にしていれば龍麻はその強大な力に見合った自己回復能力で近いうちに目を覚ますと分かっていて。
それでも、居ても立ってもいられずに自分が出来うる全てのことをしようとした結果、京一はここで眠っている。今朝倒れてから、一度も目を覚ましていない京一。
「そういう馬鹿は嫌いじゃねえけどな…」
足音さえ無かったが、部屋の外に気配を感じて村雨は京一に伸ばそうとしていた手を引っ込めた。
「……失礼するよ」
「如月か。先生の様子はどうだい?」
京一の眠る病室に入ってきた如月は、京一の傍で眠っている霧島に一度目をやってから村雨の傍で足を止めた。
「一旦目を覚ましたけどね、すぐにまた眠ってしまった。顔色はだいぶ良くなっているし、心配要らない」
「そうか、そりゃ良かった」
「龍麻がね」
龍麻、と呼ぶ声に少し前までの悲愴さが聞き取れずに村雨は顔を上げる。龍麻のことを心配して胸を痛めているのは仲間たち全員だが、村雨が見る限り真神の四人・黄龍を守る四神の役目を殊更重要視している如月・龍麻が弟と呼んで可愛がっている壬生と劉は特に強いショックを受けているようだった。
「ん?」
「目を覚ますなり起き上がって、京一くんを呼んで大変だったんだ」
如月はそう言いながら、少しも大変ではなさそうにくすりと笑う。
「京一くんが傍にいない上に氣も感じられないものだから、ベッドから出ようとするんだよ。彼が重傷だから傍に居ないんじゃないか、一人で柳生を追いに行ったんじゃないかって。壬生くんと二人掛かりで寝かしつけるのには骨が折れたよ、まったく。今にも飛び出して探しに行こうとしてたくせに、全員が無事で、京一くんの居場所は分かっているから次は連れてくると言ったら安心したのかすぐに眠ってしまった。まるで子どもだよ」
身体がそこまで休息を求めていたのに、それを押してまで京一を探しに行こうとしていた龍麻。
「ここまでくると、呆れを通り越して感嘆さえ覚えてしまうよ、全く」
くすくすと漏らしていた忍び笑いを収めて、如月は深くため息をついた。追うように村雨も思わずため息をもらす。
「違えねぇ。こいつも先生も揃って大馬鹿野郎だ」
「壬生くんや劉くんは…なんて言うのかな、少し寂しそうだったけどね」
自分の弟(のようなもの)だと龍麻がとても可愛がっている二人は、龍麻の様子に寂しさを覚えたのかもしれないし、それは嫉妬のようなものかもしれない。如月は四神の一つ玄武であって黄龍とは深い繋がりのある定めを負っているが、自分では出来ないことが京一に出来た理由も黄龍である龍麻が京一を求める理由もそれなりに分かっているつもりだった。
四神は本来、黄龍に統べられ司られている臣のようなものだ。主と戴くが故に四神は黄龍の守護を負うし、黄龍は四神の力を思うままに使える。しかしそれでは、未来永劫龍麻の背を守ることなど出来ないのだ。主は、臣の一人に背を預けて闘ったりなどしない。背を預けることが出来るのは、命すら預けられる存在、対等に認め合った者でなければならない。庇護されている対象でも駄目で、臣でも無理だ。

目の前で眠っている、蓬莱寺京一だけがそれを認められた。

口惜しいような、微かに妬けるような気持ちが無いわけではない。けれど京一が八剣に襲撃されて失踪した時の龍麻を見ていれば、そんな感情は意味の無いことだと悟った。襲撃されたのが他の仲間の誰であっても龍麻は憤慨しただろうし、救出に躍起になっただろう。如月であっても、劉であっても。けれど、ああまで取り乱すことは無かっただろうし眠れない夜を過ごすことにはならなかったはずだ。
古武術の使い手である龍麻は自制や自律にとても長けていて、どんな危機にも適切な判断で立ち向かうことが出来ていた。そんな龍麻だからこそ、皆その判断を信じていたし彼の指示を仰ぐことに不満などあるはずもない。あの晩に限っては、それが出来なかった。
龍麻は指示を出すことすら忘れて、原始的なまでの怒りに突き動かされるように拳を振るっていた。彼の相棒を傷つけた、その一点に置いて彼らは龍麻の怒りを買い、文字通り逆鱗に触れたのだ。龍の怒りを受けて、立っていられる者などいようはずもない。
もしあの場に京一が戻らなかったら、龍麻は八剣と一緒にいたもう一人の拳武館の生徒を殺していたのではないか、と如月は思ったが誰にも言うことは出来なかった。どこで知ったのか京一は龍麻の隣に戻り、龍の怒りをたちまちに静めた。
木刀が投げられる前、龍麻は聞き耳を立てるように身体を揺らして注意深く辺りを探っていた。不審に思った如月が様子を覗きこむと、龍麻は微かな笑みを浮かべた。遅いんだよ、と小さな声は弾んでさえ聞こえた。他の真神の生徒や仲間たちが京一の生存を危ぶんでいても、龍麻だけは頑として譲らなかったことを思い出す。
『翡翠までくだらないこと言うのか』
『……くだらない、かい?』
『くだらねえな。あいつが死んだとして、オレに分からないわけがないだろう』
逆もしかりって言いてぇけど、さすがにオレが死んだらいろんなヤツに分かるだろうな。京一だけに届かないのがつまらない、とでも言いたげに龍麻は不満そうに唇を尖らせていた。
深夜、地下鉄のホームで京一の気にいち早く気づいた龍麻は、いつもの自制心を発揮して怒りを納めていった。怒りよりは殺気に近い、あまりに攻撃的な気も徐々に和らいでいつもの気に戻っていった。京一が無事で自分の傍に戻ってきたことが、全てだったのだ。さっき、京一の姿が見えないせいで取り乱したように、仲間を東京を全てを守ろうとする龍麻の、ただ唯一の存在。
「龍の隣に並び立つってぇのも大変だな」