magic lantern

銀色の光は守り人たちを残して天へと昇り、地の震えも潮が引くように収まっていった。崩れかかっている墓の入り口で呆然と立ち竦んでいる守り人に黒い影が素早く近寄ったかと思うと、周りにいる全員に制止する間さえ与えないスピードで守り人の1人を殴る。
「九チャン!皆守クン!」
八千穂の声を皮切りに、次々と仲間たちが宝探し屋や守り人の長へと走り寄った。
「九チャン、止めて、そんなに殴ったら」
墓へと同行しなかった八千穂には、墓で何が起きたのか分からない。分からないが、九龍も同行した皆守もボロボロだった。何故生徒会長もボロボロで、白岐まで倒れそうなのかは分からないが辛いことがあったのだ、けれどその辛いことは終わったのだと八千穂は思った。
「そんなに殴ったら、皆守クン、死んじゃうよ!」
一発目でよろめいた皆守の身体を地に敷いた九龍は、皆守の身体に馬乗りになって跨り何度も殴りつけている。何度も、何度も。辛いことは終わったはずなのに何故九龍が執拗なまでに皆守を殴るのか、皆守は何故抗いもせずに拳を身体で受け止めているのか、分からないことだらけで八千穂の目から涙が溢れた。
「死ぬ?こいつが?」
ぴたりと拳を止めた九龍の声は、ぞっとするほど低いもので目線は皆守から外れない。
「こいつは生きてるじゃないか、死んだのはおれだ」
「九チャン……?」
意味不明にもほどがある九龍の言葉を問いただそうとした八千穂は、立っているのがやっとの白岐に袖を引かれて何も言えなくなった。
「殺されたのはおれだ、なあ、そうだよな」
皆守は一発目に殴られたときからそうしていたように、目を軽く伏せたままで唇も動かさない。八千穂が言うように死にそうなほどの痛みで動かせないわけでは無かった。どうしていいか、分からなかったのだ。
「おれを殺したのはお前だって言ってるんだ、皆守甲太郎!!」
「……ッ」
九龍の言葉はそのまま鋭い刃そのものになって皆守へ届き、皆守は目を見開いて眼前にある九龍の顔を見る。さんざ自分を殴った男の顔を見れば、そこに浮かんでいたのは憎しみなどではなく怒りだった。純粋で単純な怒り。
「お前のいない世界で、おれが生きていけると思っているのか!」
「なに、を……」
「何故それが分からない!」
振り絞るようにして声を荒げた九龍は、絶叫して気を失った。崩れ落ちる身体を身体で受け止めた皆守も、そのまま意識を失う。



死に至る病・彼へと至る痛み





「……気がついたんですね、九龍さん」
「七瀬?ここ、は…」
広い部屋、豪奢といっていい部屋の造り。全く見覚えの無い場所だった。
「生徒会長のお屋敷です。保健室に運ぼうとしたんですが、あの後一杯になってしまって」
「…阿門の?」
九龍が起きるまで読んでいたのか、七瀬は一冊の文庫本を閉じてサイドテーブルに置く。
「ええ。墓に埋められていた、生徒会に処罰された人たちを助け出すのに皆忙しくて、出てきた人を治療するのにも忙しくて。私は一応九龍さんの見張りです」
「皆、無事だったんだ」
治療できるということは、命があるということだ。生徒会は処罰者を殺したわけではなかった。死んだのは、おそらく、皆守の心の深い場所を占めていた、一人の教師だけ。
「今のところ、外傷は問題無いようです。精神的な問題に関してはカウンセリングしないと分からない、と端麗先生は仰ってました」
「七瀬、あのさ」
何を言おうとしたのか、声をかけた九龍にも分からなかった。皆守はどうしたのかと聞こうとしたのか、墓で起きたことを聞いて欲しかったのか。七瀬はしばらく黙って九龍の言葉を待っていたが、やがて、小さく呟く。
「『古人、曰く』──絶望とは死に至る病である。自己の内なるこの病は、永遠に死ぬことであり、死ぬべくして死ねないことである。それは死を死ぬことである。……ご存知ですか?」
「哲学っぽい言葉だね、知らなかった。でもホントそんな感じ。死を死ぬ、か…」
キルケゴールです、と応えた七瀬は尚も続けた。
「本来、キルケゴールの言う『絶望』は外側からの影響とは無関係のものを指します。何かに絶望することは本来の絶望の始まりに過ぎず、絶望とは自己についての精神の死を指すと彼は言っています。でも、墓の最深部で起きた事象は行動した皆守さんを通してあなたの精神に向かった」
自己についての精神の死。それは正しく、皆守や他の墓守たちに訪れていたものだ。程度の差こそあったが、それは個々人のキャパシティや性格の問題であって、誰が弱い誰が強いという話ではない。
「たくさん皆守に投げた言葉も差し出した腕も、何もかもが届かなかったよ。おれを置き去りにした皆守は許せないけど、何よりおれ自身のことを許せない。宝探し屋のおれは生き残っても、おれ個人はあそこで死んだ気がする」
全てを気化してしまうような、熱の中で。
「皆守さんに殺されて、ということですか」
九龍は頷いて、そのままうな垂れた。皆守に今まで告げた言葉も、感情も、伸ばした手も、全てを拒まれた。皆守から必要としてもらえない葉佩九龍の実存を、九龍は許せない。だから、絶望した。
「九龍さん。キルケゴールはこうも言っています。『欺かれるものは欺かれないものよりも賢く、欺く者は欺かれない者よりもよい』私は欺かない書物ばかりを相手にしてきたのではっきりとは理解出来ていませんが、今のあなたになら理解できるんじゃないでしょうか」
「欺く者は欺かれない者よりもよい、ね……。その人、他人を好きなのか嫌いなのかよく分かんないな」
人を欺く者は、欺いてまで他人に関わった者だ。欺かれた者は、そうまでして他人との関係を持たれた者だ。誰の興味も引かず、誰にとっても毒にも宝にもなりえない人物は欺かれるほどの価値も無い。
「キルケゴールは一生独身でしたし、家庭環境もやや複雑です。他人をどう思っていたのか、今となっては書物より読み解くほかありませんが、彼は愛についてもいくつか言葉を残しています。『愛はすべてを信じ、しかも欺かれない、愛はすべてを望み、しかも決して滅びない。愛は自己の利益を求めない』この愛はおそらくエロスではなくアガペー、宗教的な博愛でしょうけどね」
愛の種類など、九龍にとって問題ではなかった。西洋の人間が言う宗教愛とはキリスト教に基づいているはずだが、九龍が欲しいのはたった一人の言葉で、たった一人の存在そのものだ。
「……うん。あのさ、七瀬、甲ちゃんって」
「皆守さんは別のお部屋にいます。何でもこのお屋敷にお部屋があるそうで、そこにいるんだと思いますよ。生徒会の人かお屋敷の人に聞いたら分かると思います」
「ありがと、七瀬!サンキュ!」
「いいえ。私の言葉があなたの足を動かせたという事実だけで、私は十分です」
皆守に被さるように気を失った九龍が身体も心も傷ついているのだということは、誰の目にも明らかだった。保健医もそう言って顔を曇らせたし、バディと呼ばれた誰もが九龍のために何かをしようと躍起になった。自分に何が出来るかを全員が考えて、結果、最後の最後で九龍を蘇らせることが出来るのは皆守しかいないのかもしれない、という考えにまとまったのだ。不満そうな表情を露わにしている者もいたが、あの時の九龍の叫びを聞けば納得せざるを得なかった。

お前のいない世界では生きていけない。

怒りに包まれていた九龍の、血を吐くような叫びはどう考えても皆守に対する愛の告白と同義だった。