magic lantern

だから全てを

龍麻たちが修行場にしている旧校舎は地下洞窟ということもあって、地上よりは幾分ひんやりとしていた。得体の知れない妖魔の世界だということもあるのかもしれない。日に日に暑くなってくる地上に比べると旧校舎のほうが過ごしやすいほどで、そのせいか戦っていても汗だくになるようなことは無かった。
「ひーちゃん!そいつでラストだ!」
背にかけられた声に頷いてみせて、龍麻は掌底から練った氣を放ち眼前の妖魔を消し去る。今いるエリアから妖魔の姿が消え、既に戦闘を終えた仲間たちは一所に集まっていた。美里と高見沢が仲間の傷を癒している。
「如月?ケガしたのか」
最近仲間に加わったばかりの如月が高見沢の手当てを受けている姿を見て、龍麻はそのまま二人に近づいていった。傍で雨紋が少々申し訳なさそうに眉尻を下げて見守っている。
「センパイ、如月サンはオレ様を庇って背中やられちまって……」
「別に君を庇ったわけじゃない、戦力が削られると困るから仕方ないだろう」
「舞子、如月のケガは?」
龍麻に尋ねられた高見沢は如月に翳していた手で勢い良く如月のシャツをまくって見せた。
「なっ……高見沢さん!?」
「ホラ、もう大丈夫でしょォ?さっきまでねェ赤かったんだけどォ」
唐突に服を脱がされかけて慌てふためく如月の様子を笑いながら、龍麻は頷いて高見沢の頭を撫でる。
「ん、ありがとな舞子。そろそろ手ェ離してやって」
「わぁい褒められたァ!はい、如月くん、もう大丈夫ですよー」
「す、すまない……」
高見沢が手を離した瞬間に如月はすばやく身を返し、安全を確保してからぎこちなく礼を言った。
「雷人もあんま気にするなよ、如月だって気にするなって言ってンだから」
「そうなのかよ?」
雨紋が訝しげに尋ね返すと、黙り込んだ如月を見て龍麻は尚も笑って頷く。
「そうだよな、大したことじゃないから気にするなって言いたかったんだろ?ありがとな如月、仲間も増えてきたし潜れば潜るほど広くなってきたしでなかなか目が届かねェんだ」
「……君がわざわざ礼を言うことじゃない、君に力を貸すと決めたのは僕だ」
陰ながら見守るという選択肢も如月の中にはあった。過去そうしてきたように、密かに黄龍の器である龍麻を守っていくことだって出来たのだ。けれど、如月はその選択を選ばなかった。
「礼ぐらい受け取っとけって、タダなんだから。舞子、他にケガしてたヤツは?」
「えーっとねぇ、醍醐くんとぉ、京一くん、ってあれえ?」
きょう、と高見沢が言い始めた時点で龍麻は三人の傍から姿を消し、即座に真神の五人が集まっている(女子三人と裏密から離れたい一心の男子二人の間には多少の距離があった)岩場に走った。
「京一!ケガは!」
「ケガって……大したことねェよ、美里に治してもらったしよ」
「どこケガしたんだよ、いいから教えろ」
ぐいぐいと迫る龍麻に気圧されて京一は思わず後ずさった。こういう事態を招くのが嫌で美里にさえ見せたくなかったのに、どこぞの院長の身内かと疑いたくなるような怪しさで裏密がすぐに見抜いてしまって醍醐の治療をしていた美里に気づかれて、龍麻には言うなと口止めをした矢先のことだったのだ。
「だから大したことねェって言ってンだろ、ちょ、ひーちゃん!」
さっき高見沢がしてみせたように、龍麻は京一のカッターシャツの裾を掴んでめくりあげた。よく鍛え上げられた身体には傷の跡など微塵も無い。
「京一、どこケガしたか教えろって」
制服のズボンまで脱がされそうな迫力に負けて、京一は渋々ケガをしていた場所を龍麻に示す。右腕の、外側。利き手なので剣を持つ時には上になり、剣を立てる時は身体の一番外側に当たる部分だ。
「ココだよ。最初っから大したケガじゃなかったし、美里に治してもらったからもう跡も残ってねェよ」
「……そうみたいだな」
なぜかつまらなさそうに龍麻はそう言って、どこにも跡が残っていないことを確認して顔を上げたが、京一と目を合わせた時に固まってしまった。
「ひーちゃん?」
「こっち、擦りむいてる」
どこだろう、と京一が疑問に思う間さえなく龍麻は顔を近づけてぺろりと頬骨の上にある擦り傷を舐める。
「うわあ!?何してんだひーちゃん!!」
「何って……治療?」
「何で首傾げてンだ、何で疑問形なんだッ!!人前で何しやがんだテメー!!」
ぎゃあぎゃあとわめく京一といつものように澄ました顔で『何か問題でも?』と言いたげな龍麻の周りには、微妙な距離をとって仲間たちが集まっていた。
「ホンッと龍麻クンて京一のことになると変だよね」
「え、ええ……」
「……」
変というか何というかそれ以前の問題というべきか、京一が人前だということを問題にして行為そのものをさほど問題にしていないのもどうなのか、ツッコミ所を山ほど感じながら如月は頭痛を覚えて指先でこめかみを押さえる。飛水の先祖がかつて行動を共にし、江戸を守ったという黄龍も緋勇家の人間だったと聞いているがこうだったのだろうか。蔵に仕舞ったままになっている書付の束を引っ張り出して確認しようと如月は決めて、とりあえず割って入ることにした。
「二人とも、そろそろどうするか決めないといけないんじゃないのか。時間も時間だ」
「あれ、もうそんな時間?……本当だ、そろそろ暗くなっちゃうな。女の子も多いし上がるか」
一度制したエリアには妖魔が現れることはないので、のんびりと私語などしながら地上へ戻ってもさほど時間はかからなかった。
「んじゃ、今日は解散。気をつけてな」
三々五々帰っていき、全員を見送った龍麻は旧校舎の入り口近くでふてくされたままの京一に向き直る。
「どーした。まだ怒ってるのか?」
「別に、怒ってねェよ」
「じゃあ拗ねてる?それとも、照れてる?」
言いながら龍麻はしゃがんで視線の高さを合わせ、ふいと京一が視線を逸らして唇を尖らせると顔を寄せて微かにピンクがかっている擦り傷に口付けた。
「あんま可愛いことやってると、ここでやりたくなる」
「ッ、おい、止せよ」
下校時間はとっくに過ぎているが、職員室に残っている教師はいくらでもいるだろう。用務員だの何だのと他にも残っている人はいるはずで、京一が慌てて止めると龍麻はぱっと身体を離して両手を挙げて見せた。
「さすがにここじゃやんないよ、暑いし身体だって痛めちゃうかもしんないしそろそろ蚊も出そうだしさ」
「痛い?……ッ!!」
暑いし蚊がいてもおかしくはないのだが、身体が痛くなる意味が一瞬分からなかった京一は思い当たってばっと顔を紅く染める。いつも受け入れる時以外の痛みを覚えないのは龍麻の部屋でするからで、龍麻の部屋にあるダブルベッドは京一が自室で使っている布団よりもずっと寝心地がいい。
「京一、帰ろうぜ。確か今週は犬神先生が見回りだからバレると面倒だぞ」
「ゲッ!そういやそうだッ、急ぐぜひーちゃん!」
毛嫌いしている教師の名前を挙げると、京一はすぐに腰を上げて裏門への近道を走り出した。正門脇の小さな通用口は開いていて、普段仲間たちはそちらから出入りすることが多いのだが、一番最後まで残っている龍麻と京一は裏門の方が龍麻の家に近いこともあって裏門を乗り越えて出入りしている。
「犬神センセもなあ…悪い人じゃ、なさそうなんだけど」
何くれと意味ありげなことを言って寄越す中年の教師は、どこか他の教師と違う気配がしていた。どう違うのか、と尋ねられても龍麻にはよく分からない。マリアにも似たような違和感をたまに覚えることがあるが、この一連の事件とそれに関係している《力を持つ者》たちのことを考えれば、何となく答えのようなものは出そうだった。