magic lantern

日が沈む・日が昇る

「何にせよ良かったな、先生。あの学校での事件もケリがついたみてェだし、京一とも逢えてよ」
北区にある如月骨董品店の奥座敷で、村雨がくいと顎で眠っている京一を指し示した。再会を祝してということで開かれた酒宴、そう弱いわけでもない京一だが周りが強すぎたのか一番先に根を上げて龍麻の傍で眠っている。
「……そうだな、お前には聞きたいことが山ほどあるな村雨」
「言っとくが手は出してねェよ、そんな自殺行為誰がやるかってンだ」
「へェ?自殺行為ね、よく分かってるじゃないか。じゃあ聞かせてもらおうか、京一と逢ってここまで帰ってくるまでの話」
久々に酒を飲んでいるせいか、それとも自分が会えなかった約半年の間ずっと一緒だったことへの怒りからか、龍麻の口調はいつになく強い。壬生と如月はいつものように無表情のまま顔を突き合わせたが、特に止めるでもなく杯を重ねる。村雨に怒っているのは確かだが、傍に京一がいる以上暴走はしないだろうと踏んでいるのだ。
「ったく、信用ねェな。オレは元々御門からの仕事でドバイにいたんだが……」


村雨は運の力で生きている男だが、その運を賭博に活かすだけの才覚も備わっている。簡単な会話であれば学生時代から話せたし、ラスベガスで過ごしたこともあって英語はかなり堪能だ。ドバイでの仕事をしていたときも、観光・ビジネスの都市とあって全て英語で通していた。日本語など通じるはずもない。
「っ、クッソー、どこだここッ!離れすぎてひーちゃんの氣も上手く辿れねェしよォ」
仕事を終えてホテルへ帰ろうとした時、突然聞こえてきた日本語と懐かしい氣に村雨は思わず振り向いた。
「うーん、飯はともかく帰りの足をどうにかしねェと……あ?」
「おい、京一、お前京一か」
ここは新宿か、とでも思いたくなるような光景だ。曇ることのない晴れやかな陽の氣、紫紺色の太刀袋、夕陽を浴びた砂漠のようなオレンジに近い髪の毛。
「村雨!?お前なんで」
「そりゃこっちの台詞だ、先生は一緒じゃないのか。お前ら、修行の旅をしてるんだろう」
車を出そうとしているスタッフを待たせて、村雨は大股で京一に近寄った。
「ひーちゃんとはぐれちまってな、離れすぎたのか氣も辿れねェ。前に方角だけは何となく分かってたンだけどよ」
「はぐれたってここでか、ついさっきか?」
「いや、もう一ヶ月ぐらい前だな、はぐれたのは全然別の街だ。迷路みてェな、暑くて寒くて砂ばっかで」
一ヶ月前に離れた相手の氣を辿ることなど出来るのか、方角ならば何となく分かると言ってのけた京一の言葉に驚かされて村雨は思わず瞬きを繰り返した。
「……お前どうやってここまで来たんだ、いやそんな話は後だ。京一、お前宿はあるのか。金も」
「それが無いから困って…そうだ村雨、金貸してくんねェか、日本に戻ったらきっちり返すからよ」
「とりあえずオレが泊まってるホテルに来い、金渡して放り出すなんて真似したらオレが後で先生に殺される」
「大げさだっつの。まァ…来いってんなら行くけどよ」
京一を連れて村雨は車に戻り、リムジンに目を白黒させている京一を中に放り込んでホテルへと走らせる。
「村雨、お前何の仕事してんだ?御門の仕事なんだろ?」
「マフィアにでもなったかと思ったか?」
小声で尋ねる京一を笑って、村雨は半年前に日本で逢った頃と大差ない様子の京一と、バックミラーに映っている運転手や周りの人間とを見比べて肩を竦める。この街へ来ている外国人はいわゆる金持ちばかりで、他には仕事で来ている者がいるだろうが京一のようなラフな格好はしていないし、現地住民と思えるような顔立ちではないしであまり良い扱いはされなかっただろうと知れた。ヒゲを生やしていない男を成人とはみなさない風もある上に若く見られがちな日本人だから、子ども扱いされていたかもしれない。
「そんなことねェけど……だってお前そういうの好きじゃねェだろ、徒党を組むとかアガリ掠めるとかよ」
「……まァな」
頷きながら、京一が自分のことを正確に捉えていることに村雨は内心驚いていた。新宿の歌舞伎町で遊んでいた高校時代でさえ、村雨のことをどこかのチンピラだとかその元締めだとかと言っているヤツらは山のようにいたのだ。気づけば部下のようなものさえ出来ていたが、村雨は本来一人で行動することを好む。京一も、そうだった。そのせいか気があって、龍麻に近づくためのカモとして接触したのが最初だったが、いざ仲間になった後は龍麻抜きで酒を飲むことも麻雀をすることもあった。
「さ、ついたぜ。面倒くせェからオレの部屋でいいな?」
「へッ?」
車の大きさにも驚いていた京一は、ホテルの規模と豪華さに驚いて反応が遅れる。慌てて頷いた。ホテルのエレベーターで興味深そうに街を眺めている京一をガラス越しに見ながら、どうしたものかと思案に暮れる。御門の仕事はほとんど終わっている。後は帰るだけだが帰ったところで別の仕事を切り出されるのがオチで、急いで帰れとも言われていない。御門からの仕事で出るときは一人なので、こうやって連れがいるのは初めてだった。機密性保持、ということもあるし単純に命が危険だということもある。
「でっけェー!すげェなここ」
「……とりあえず、風呂入って来い。その後メシな。話はそれからでいいだろ」
「おうッ」
京一がバスルームで尚も感嘆の声を上げているのを聞いて笑いながら、村雨は携帯電話をかけた。
『済みましたか』
もはやホットラインと化しているので挨拶も何もあったものではない。
「おう仕事の首尾は上々だ。ただな、ちょいと問題が出来た」
『何ですか。忙しいんですからさっさと話なさい』
「さっき、こっちで京一を捕まえた。先生と旅をしていたんだが、一ヶ月前にはぐれたと言ってる」
『……それで、どうしたいんですか村雨』
「先生の行方を捜してくれ、オレも一応如月や壬生に話をつけてみる。当面、京一の面倒見るんで仕事は入れるなよ」
『…………。分かりました、龍麻さんのことは探しますが蓬莱寺さんの面倒までこちらの経費で出さないように』
「渋りやがって。ま、いいけどよ。じゃあそういうことだ」
村雨は立て続けに如月と壬生にも連絡を入れ、忙しい二人に留守録を残して電話を放り出した。


翌朝。起きた村雨がリビングへ行くと、ベランダで座り込んでいる京一の背が見えた。ドバイは気温の高い国だが、砂漠の国の常として朝晩はかなり冷え込む。
「京一」
コツコツと窓ガラスを叩いても身動き一つしない。よく見れば座禅を組むように足を組み、目を閉じているらしかった。
「風邪引くぞ」
尚も応えは無い。気づいていないはずはないのだが、何のリアクションも無かった。肩を竦めて村雨はベランダから遠ざかり、朝食が用意されるのを視界の隅で確認しながら京一の後ろ姿を眺める。半年前、京一と龍麻と劉が中国へ行ってから五年後に逢った時とあまり変わったところは無いが、あの時は仲間と一緒で慣れた場所だったせいなのか、それとも半年の修行のせいかなのか、氣や佇まいには幾分変化があった。練り上げられた、とでも言うべき純度の高い陽の氣。いつだったか、霊的治療を施すあの女医が京一の氣のことを苛烈で熱源だと評したことがあったが、その温度がさらに上がったような感じだった。
「ミスター」
用意が終わったことを告げたスタッフに給仕は要らない旨を伝えて下がらせ、村雨はもう一度ベランダに向かって声をかける。
「京一、来ねェなら先に食うからな」
ややあって京一は立ち上がり、しばらく立って何かをしていたがやがてリビングへと戻ってきた。
「うっす。おー、すげェ飯だなー、お前いつもこんなん食ってンの?」
「いつもってわけじゃねえけどな。何か知らねえが終わったんなら食えよ、冷めちまう」
「おう」
がつがつとかなりの食いっぷりを見せる京一をどこか微笑ましいような気分で見ながら、村雨は英字新聞に目を通す。これといって関係しそうなニュースは見当たらない。
「お前、これからどうするんだ。先生を探すつもりなのか?」
村雨の問いに京一はきょとんと目を丸くした。互いに二十代半ばなのだが、そうすると京一は途端に幼く見える。
「当ッたり前だろ、あいつも俺を探してるだろうしよ」
「……そう、だろうな。で、お前が先生とはぐれたって街はフェズでいいんだな?よくここまで来られたな」
モロッコの街フェズの旧市街は住民でさえ迷いかねないような迷路状の街で、至る所にスークと呼ばれる市場が開かれているのでさらに難解な作りになっている。昨夜、地図を確認しながら村雨が京一の話を聞いたところ、京一と龍麻が離れた場所はフェズ、京一が前に感じたという龍麻の氣の方向はアフリカ大陸の方向だった。
「まあ旅には慣れてっからな、ちょいと人助けなんてしながら車に乗せてもらったり飯もらったりで気づけばここだ」
会話が不自由でも何とかなっているのはさすがだなと思いつつ、村雨はどうしたものかとコーヒーを啜る。アフリカ大陸の玄関口であるエジプトまで送るのはたやすいことだが、そこで置き去りにするのも気が引ける話で、置き去りにして京一に何かがあれば命の危険があるのは京一ではなくむしろ村雨のほうだ。京一ならばよほどのことがない限り己の身は守れるのだから問題無いが、京一をそんな目に遭わせたと龍麻に知れた時は村雨に生命の危機が及ぶ。村雨や仲間たちが知る限り、龍麻にとって一番大切なものは村雨の目の前でフルーツをがっついている剣士で、それ以外は同列にすぎない。世界も、仲間も。
「先生を探すって言ってもな、アフリカ大陸方面ってだけじゃなァ……ん?」
昨夜からほったらかしにしている携帯電話が着信を知らせてきた。相変わらずフルーツとデザートに夢中の京一に自分の皿も差し出してから村雨は電話に出る。
「おう」
『村雨か、龍麻のことなんだが』
「久しぶりだってのに相変わらずだなお前さんは。で、何か分かったのか」
『それが日本にいるんだ。しかも新宿に』
「はァ?一人で帰っちまったってのか?」
京一を置いて龍麻が一人で戻るなど到底信じられる話ではなくて村雨が声を上げると、電話向こうの相手はそうじゃない、と静かに否定した。
『ちょっと仕事で新宿に行ったんだが、天香学園という高校を知ってるか』
「聞いたことがあるような無ェような…」
『龍麻はそこにいる。何かとても面倒なことに巻き込まれているようだ』
「……ってェことは、帰っちまったってわけじゃなくて連れていかれたってことかい、その何とかってとこに」
『そういうことだな。面倒事なのは確かだが、龍麻がいなければならない必然性があってのことだ、不可抗力だね』
「先生には会ったのかよ」
『少しだけ話をした。相変わらず彼のことしか尋ねてこなかったが。うちの商品をタダでくれとか京一くんを運んでくれないかとか、くだらないことを言うだけの元気はあるみたいだよ』
「荷物かこいつは。その面倒事ってェのはどれぐらいかかるんだ、長ェのか」
『さあ……僕と龍麻の見立てでは今年中、ぐらいかな。クリスマスにはまた仲間で集まる話もあるようだし、龍麻はそれまでに済ませたいみたいだったね』
「なるほどな、クリスマス、か。でけェプレゼントだが、先生には何よりの品だろうぜ」
『何よりというか、それ以外は要らないんじゃないかな。とても会いたがっているし』
「ま、そういうことならクリスマスまでには連れてくぜ、熨斗でもつけて先生に贈呈してやらァ」
『龍麻は全てが終わるまでどうやらあの学園から出られないようだから、クリスマスに間に合えばいいだろう。ただし、村雨』
「ん?何だよ」
『龍麻を怒らせたり嘆かせるようなことをするんじゃない。そんなことをしたらお前の命は無いからな』
「……。へーへー、十分分かってますよ、ンな自殺行為誰が好き好んでやるかってんだ」
『分かっていればいい、じゃあ僕はこれで』
「おう、じゃあな」
電話を切ると、全て食べ終えたらしい京一が物珍しそうに現地のテレビを眺めていた。
「京一、先生の居場所が分かったぜ」