magic lantern

双子の金星

九龍が京一の剄で吹っ飛ばされていくのを視界の端に認めた壬生は動きを止めた。己へ伸ばされた皆守の左足を事も無げに片手で掴んでぽいと下ろしてやる。状況が把握できずに戸惑う皆守に背を向けて壬生は近寄ってきた剣士に苦言を呈した。
「京一くん、僕は彼を力技で追い帰せとは言っていないよ。どこまで飛ばしたんだ、全く」
「悪ィ。なんか飛ばしすぎちまった。お前さんも悪かったな」
唐突に謝罪の言葉を投げかけられた皆守は、そこでようやく九龍が彼方に吹っ飛ばされたことを認識して即座に追いかけていく。元より皆守は九龍のバディ、彼抜きで意地を通して戦うつもりなどない。
「やっぱアレだ、どっかひーちゃんに似ててやり辛ェ。なんかこう…」
言葉を探してうだうだと視線を巡らせる京一に壬生はため息をつきながら助け舟を出した。
「つい本気になってしまった、と?」
「ああ、うん、それだ。本気にさせられちまうっていうか。氣の質が似てンだよなァ。あそこまでぶっ飛ばすつもりなかったんだけどよ。それに」
言い難そうに京一は俯いて、そのまま胡坐をかく。
「それに?」
「下からひーちゃんの氣がしてよ、乗せられちまった。いつもより氣が増えてるような感じするんだよな、俺。お前は?」
「僕はそう感じないけれど、ここの磁場と君の氣が合うのかもしれないね。もしくは、この地下にいる何かと君が合うのかもしれない」
だから、大人しく辺りを伺っているだけの存在に龍麻が気づけたのかもしれない、と思いながら壬生は京一と同じように腰を下ろした。ことこの二人に関して驚くのはナンセンスだと昔から理解している。一ヵ月も前に離れた相手の方角が分かろうが、互いの生死を成層圏を隔てても理解しようが、この二人ならしょうがない当然だろうと思えてしまうほどには、近くにいた。今は日本にいる骨董屋や占い師、陰陽師たちとて同じことだが。
「……ん。終わったらしいな」
胡坐から仰向けに姿勢を移していた京一はそう呟いてむくりと起き上がる。背に感じていた龍麻の氣が少しずつ地下から近づいて来ていた。
「壬生、ここらの酒って何があるんだ?」
「お酒かい?ビールみたいなのはあるだろうけど、他は何があるかな。ああ、テキーラとかラムとかワインじゃないかな。好きかい?」
「んー…ビールでいっかな。おかえり、大丈夫かー?」
ぶっ飛ばした本人に笑顔でそう言われた九龍はややあって諸手を上げる。皆守はそれに倣わず、車からアロマを取り出してゆっくりと吸った。
「おれの負けだね、この遺跡にはもう手を出さない。それでいい?」
「だとよ、壬生」
「もちろん。龍麻が鎮めてきただろうから、当分は大丈夫だろうしね。大人しく帰ってくれると僕としてはありがたいかな」
「つーわけで、お仕事終了だぞ、ひーちゃん!」
京一はぐるりと後ろを向いてそう怒鳴った。後ろにある遺跡から、龍麻が姿を現す。
「みたいだな。こっちも無事終了」
「……ひーちゃん、何くっつけてきた」
九龍は京一の言葉に首を傾げた。龍麻はいくらか土や埃で服を汚していたが、何かおかしなものがついているようには見えない。ただ、少し気配が違う気がする。
「なんていうか迷子?元々この地下にいたヤツみたいなんだけど、帰り道が分からないっていうから連れてきた。餅は餅屋だ、新宿に戻って翡翠か御門に見せれば分かるんじゃないかな」
「やっぱ亀か。亀に見えるから一瞬如月かと思ったじゃねーか」
「やだなー翡翠はこんなにちっちゃくないよ」
そうではなく如月は玄武の宿星を持っている人であって亀ではない。喉まで出掛かった言葉を壬生は飲み込んで、分かったよ、と龍麻に告げる。
「日本に戻るのなら、その手配は僕がしよう。僕はこの仕事が終わったら少し休暇があるしね」



その夜。帰国の便を確保した龍麻と京一は約束どおり壬生を連れて酒場へと繰り出していた。面白がった九龍が皆守を連れて加わり、店の一角を占領している。
「おーすげェな、キレーなオネエチャンばっかじゃねーか!ここは桃源郷かッ」
特別にサービスをしてもらう酒場というわけではないのだが、面倒を嫌った壬生がグレードの高く安全な店に連れていったため、結果的にホールスタッフは美人揃いだった。ラテン気質とでもいうのか、明るく屈託の無い笑顔を見せて迎えてくれる彼女たちに京一はご満悦だ。
「でも京一のタイプはあの子でしょ、確かに綺麗な女性ばっかりだけど」
「よく分かってンなひーちゃん!可愛いよなァあの子」
少し小柄で大人しそうな女性を龍麻は目線だけで指して、おれはあの子かなと明るくきびきびとサービスしている女性に目を向ける。が。
目の前で女性談義を繰り広げる龍麻と京一の様子が信じられず、九龍と皆守は顔を見合わせた。皆守は嫌悪さえ露わに眉を顰めている。この二人は自分たちと同じような関係だと思っていたのに。壬生は二人の戸惑いの一切を悟ったが、言葉で端から説明するのも面倒かつ野暮なので店員を呼び止めてさっさと注文を済ませた。
「君たちはもう成人…しているんだったかな」
「一応日本の法律じゃ成人だよ。オレも甲ちゃんも今年で21だからね」
メニュー表を畳んでテーブルに置いた壬生は九龍の言葉に小さく頷く。未成年の飲酒など見過ごすつもりはないし、いくら出国しているとはいえ法律違反を龍麻の弟分たちに犯させるわけにもいかない。
「そう。ならソフトドリンクの注文は要らないね。何か食べたいものがあったら気にせず頼むといい」
「そーそー。費用、こいつ持ちだから遠慮するだけ馬鹿だぜ?若人は肉でも何でもガンガン食ってろ」
「僕じゃなくて機関だよ。大丈夫、君たちの名前は出さないから。もともと龍麻たちの名前も出す気はないし」
はぁ…と九龍が力無い相槌を打ったと同時に、ビールらしいグラスが並べられ、料理を盛られた皿がいくつか並べられた。
「名前出されたら、おれら紅葉から逃げまくらなきゃなんないから嫌だなー。地球規模鬼ごっこ?」
「壬生一人ならともかく、劉の姉貴だの何だの出てきたら師匠ンとこ戻るしか無くなるぞ俺ら」
「だな。あそこは探知されない場所のはずだし。そんなの大問題だ」
渋い顔をする二人を構わず、壬生は九龍と皆守にグラスを勧める。
「ひとまず再会を祝して、ということでいいかい?龍麻」
「おう。じゃ乾杯!」
一気にビールを飲み干している京一の横で半分ほど飲んだ龍麻は軽いなーと味の感想を漏らした。そもそもが酒豪だ。軽めのビールなど、単なる炭酸飲料扱いだといっても良い。
「ひーちゃん」
「うん?」
「蓬莱寺さんの師匠って人のとこに戻ったら何が問題なの?つうかエムツーに探知されない場所とかあるの?」
「あー……なんつうかな、空間が違う?次元…じゃないな、やっぱ空間か。お師匠の棲家はあの人が作った空間の中にあるからさ、あの人を知らない人間には探せないようになってる。知ってる人間だとしても、あの人に拒まれたら入れないし」
「……それは人間の話か?」
「人間じゃねえよあんな鬼師匠」
呆れた皆守の言葉に、京一はぼそっと小さな声で吐き捨てる。修行と称して幼い頃から受けた数々の行為は人間業とはとてもじゃないが思えないのだった。二十年前の自分、よく頑張った、とらしくなく自分を褒めたいほどには。
「まあお師匠の話はともかく。なにが問題って新宿に戻れなかったら」
「王華の味噌ラーメン食えなくなっちまうだろ」
「そうなんだよな。もうマジ死活問題」
死活問題なのは主に京一だが、京一が死活問題に瀕するとなれば龍麻自身にもそれは死活問題として降りかかる。高校時代、王華のラーメン一杯をおごるだけで機嫌をとっていた身としては真実死活問題だと訴えたい。
「ふうん。なら君たちを捕まえる段になったら王華を張ってればいいわけだ」
「げっ!?マジやるなよ壬生、やったら絶交だぞ」
「……やらないよ。冗談に決まってる。龍麻が望むならともかく、龍麻と君を売るぐらいなら機関を抜けて追われる身にでもなったほうがマシだ」
壬生は事も無げにそう言って新しく並べられた皿を京一の前に据えた。九龍はハンター協会より脱退者に厳しいと言われているエムツーのエージェントを見やる。ハンター協会はギルド組織なので個人の活動量は自由だし、ある程度の制約はあっても引退はほぼ自由だ。ただ、バチカンとも関わるエムツーは活動不能での引退ならともかく、機密を山ほど抱えた状態で脱退するエージェントを見逃しはしないだろう。
「紅葉がそんなことするわけないだろ、おれの弟だ」
「んー、そうだったな、悪ィ悪ィ。……あ、これなんか分かんねェけど美味ェ。ほれ」
京一から差し出されたフォークを龍麻はぱくりと咥えて頷いて見せた。確かに何の肉か謎だが美味い。
「……葉佩くん、皆守くん」
「え、あ、はい」
敵対することも多い組織の一員とあって、九龍はいささか緊張した面持ちで返事をする。
「君たちとはこういう機会も多くなるかもしれないから言っておくけれど。あれは素だから慣れておいたほうが楽だ」
「……あんたは慣れたみたいだな」
「もうすぐ十年だ、慣れもするよ……」
皆守は壬生の言葉に幾許かの哀愁を感じて、そっと空いたグラスに酒を注ぐ。
「十年かァ……いいなー、甲ちゃん、オレらもラブラブしよーよー」
「却下」
「甲ちゃん速い…」
がくりとうな垂れてみせた九龍に壬生が微かに笑う。龍麻が彼らと過ごした三ヶ月、ジェネレーションギャップに打ちのめされてしまって可哀想だったがとても面白かった、と後に如月から聞かされてどんな人物なのか興味があった。龍麻を迎えに行ったクリスマスの朝、氣を感じて多少なりとも分かってはいたがやはり戦って話して食事をするといろいろと分かることがある。
「あの二人に関しては驚くとか呆れるとかそんなリアクションすらナンセンスだと思えるぐらいにはなるよ、十年経つとね」
「悟りでも開いたのかアンタ」
「まさか。そもそも、龍麻を僕たちが知るような既定概念でくくることが無理だしね。その龍麻のパートナーである京一くんも僕が知る常識だ何だっていう枠からはとっくにはみ出てるよ。出会った頃から」
「パートナー……なんだよね?」
九龍は恐る恐る、とでもつけたくなる表情で壬生に尋ね返した。三年前のクリスマスの衝撃はいまだに忘れられない。どこからどうみても沈着冷静、大人そのものだと思っていた龍麻があっさりと京一に吹っ飛ばされ怒鳴り散らされ常態を失いそうになって宥められていた。
「そうだと僕らは理解しているよ。まあいろんな意味でね」
だとしたら店に入ったばかりのあのシーンが納得いかない。九龍と皆守は同じ思いで胡乱な目線を二人に向ける。女性談義を繰り広げていたはずの二人は日本に戻った後一緒にどう過ごすか、の計画を立てるのに忙しそうだ。


壬生・村雨・如月の麻雀トリオが同じ境地に達している設定(笑)。