magic lantern

ゆずり葉

真神高校を卒業して、龍麻と京一が修行のために中国へ向かったのは七年前の春だった。中国へ戻るという劉のナビゲートで客家の村を拠点にしながら修行に明け暮れ、京一が師匠である神夷と再会したのはその一年後。さらにその三年後には再び神夷と大喧嘩をした京一と旅暮らしをしながら各地を回り、日本に戻ったのは卒業してから五年後のことだ。日本でするべきことはないと再び旅に出て、中東にいたときに気づけばエジプト遺跡から日本の新宿にある高校の遺跡へと追いやられたりもして、ようやく腰を据えて修行をするかと中国に渡ったのが、一年前。卒業して中国へ渡って一年後に神夷に出会ったように、また、二人は神夷と再会した。今度は神夷一人ではなく連れがいることを知らずに。
「おい起きろ馬鹿弟子。いつまでも寝こけてんじゃねェ。いくつだテメェは」
「ってぇ!!痛ェっつの!」
「お前に優しくしてやる義理はねェよ馬鹿」
どすりと重たい一撃を唯一の弟子である京一の腹に食らわせて、神夷は長い髪をするりと括った。龍麻は師弟の変わらぬ様子を見ながら苦笑いを浮かべ、三年前とは少し変わった神夷の住処に視線を巡らせる。
「おはよう、京一」
「おう、おはようさん」
「テメェは遅いけどな」
神夷と二人が再会したのは昨夜のこと、龍麻の視点から見てどっちもどっちとしか言いようの無い子どもっぽいケンカ別れをした師弟だったが、法神流の継承はまだこれからだということで京一は再開して即行で神夷に捕まった。神速の剣士、剣聖と言われることさえある京一を凌ぐ早業に龍麻が驚いていると、神夷はにやりと笑ってまだまだガキだな二人とも、と言ってのけた。25歳になってガキ扱いをされるとは思っていなかった京一は当然反発したが、そもそも師匠に敵うはずもなく二人揃って神夷のところでの修行を再開することになった。
三年前、神夷の住処があった場所は地名から言うと全く違う場所になる。が、神夷は住処そのものを周囲から隔絶していて、神夷に正しく招かれた人物でなければ入り口すら見つけられない。空間としては同じもので、繋いでいる場所を変えただけかもしれないと思った龍麻だったが、三年前には見られなかった物を目に留めて朝食の支度をしていた手が止まった。神夷が着ている物とは種類の違う、着物というよりは道着に近い衣服。龍麻が着ている物にも似ているが、少し違う。よく観察すれば何となく物が増えている。あまり物に頓着しない神夷が、三年程度でここまで物を増やしたりするだろうかと首を傾げた。
「手ェ止まってるぞ、龍麻」
「あ、はい」
誰か他にも弟子を取ったのだろうか、と思いながら朝食の支度を続けたがそれは無いと即座に思い直す。法神流は一者相伝、継承するに相応しい人物に出逢わなければ技を教えることもそもそも弟子を取ることもしない流派なのだ。京一を神夷が後継者と認めている以上、神夷にとって弟子はもう必要無い。教示の楽しみを覚えて片手間に弟子を取るような半端なことをする性質でもないのだから、ますます謎だ。
「おい」
京一が身支度を整えに出て行ってから、神夷に呼び止められて龍麻は振り向いた。
「四人分な、それだけあれば足るだろ。オレもあいつもお前らみてェには食わねえしな」
「誰か来るんですか?」
「もともといたんだよ、昨夜はたまたま出てていなかったが、もうそろそろ戻って来る」
携帯電話などが通じるわけもなく、連絡手段そのものが無いような住処にいる神夷が確信を持って戻って来る、と言った意味が分からなかったが、とりあえず言われるままに四人前の朝食を整えるべく手を動かす。
「さァてそろそろあいつも見つけるだろう……あの馬鹿を」



神夷の住処から少し離れた沢にやって来ていた京一は、そこで不思議な光景を見かけて足を止めた。沢の側、丸くも平らでもない岩の上で座禅を組むように目を閉じて座っている男がいる。何が不思議かといえば、その男から発せられているだろう氣が龍麻の氣に限りなく近く感じられたからだった。
「……ひーちゃん、なわけ…」
ないよな、と京一が口にする前に男の両まぶたがぱちりと開く。龍麻よりは幾分年老いた、どちらかといえば己の師匠と似通った年の頃に見える男はややあって笑った。笑うとより龍麻に似ている。ぽかんと口を開けている京一に、男は目を細めた。
「そうか、道理で似てるわけだ。因果というか何というか。京梧の弟子だろう、話は聞いてる。……えっと、今は神夷を名乗ってるんだったか、あいつ」
「師匠のお知り合い、ですか」
明らかに年上でしかも師匠の知人となれば京一とて無作法な真似は出来ない。男は頷いて、岩から飛び降りる。
「お知り合い、ってェよりは相棒だの連れだのってとこだな。顔、洗いに来たんじゃねェのか、オレに構わず済ませちまいな」
「あ、はい……」
人に見られながら身支度を整えるのはどこか窮屈だったが、ともあれ京一はいつものように顔を洗い口を漱いでから最後に手を洗った。
「本当に昔の頃のあいつによく似てる。お前さん、今いくつだ」
今朝同じようなことを師匠に言われたと思いながら京一は指折り数えてみた。生年月日を書かされることもない暮らしが長く、まして年齢を誰かに尋ねられるのも久しぶりなので卒業してからの年月で換算する。
「二十五、です。今年で」
「へェ。ずいぶんな歳じゃねえか、あいつはガキだって言ってたが」
「……」
そのガキと対等な大ケンカを二度に渡って繰り広げたことは伝えていないらしい師匠の言い様に、京一はぴくりとこめかみを引きつらせながら師匠の相棒だと名乗った男をもう一度まじまじと見やった。京一が間違えるはずなどない、龍麻の特有な氣に似通った氣。龍麻のように澄み切っているわけではなくて、何か原始的なものや野生的なものを内包しているように思える独特な氣だった。
「なあ、お前さん。何のために修行なんてしてるんだ。言っちゃ何だが、お前さんや仲間が戦ってたのはずいぶん前のことなんだろう。宿星が戦いに導いたのは」
宿星という言葉を聞いたのはそれこそずいぶん久しぶりだな、マサキや御門たちは元気だろうか元気に決まってるなと思いながら京一は初めて目の前の男を眇めて睨みつける。どうやらほとんどの話を知っているようだが、何のためにとはずいぶんなセリフだ。
「俺は…俺も相棒もいつだって戦ってきた。九角や柳生との戦いは確かにあれっきりだけどよ、それが終わったからってハイお終いってわけにいくかよ。俺は強くなりたいから修行してんだ、守りたいものを守れるように」
「守りたい、ね」
「若造がナマ言ってんじゃねェってか?その時になって後悔したって遅ェんだ、いざってときに守れなきゃ意味なんてねェんだからな。だいたい、生きるなんてこと自体が戦いじゃねえか」
今も龍麻の胸に残っている、大きな刀傷。京一が龍麻を守れなかった証。後悔はもう二度としたくないと思ったとき、道は即座に決まっていた。守りたいものを守れるようになるために、飽きっぽいところのある自分が唯一執着して離さない剣を極めるために強くなろうと。そして、中国へ来た。
「ンだよ」
師匠のようにぽんぽんと言葉が返ってこない上に、じっと見つめられて決まり悪さを覚えた京一が尚も睨みつけると男はふわりと笑った。
「悪かったな。怒らせるつもりじゃなかったんだが、ちょいと試してみたくなったんだ」
「試す?」
「二十六年ぶりに再会した、てェのにあいつが話すこたァお前さんのことばっかでな。チビに取られて面白くなかっただけだ」
「……二十六年ぶり?」
「再会したのは去年だが、それまで二十六年間、逢えなかった。あの日別れてから探して探して……やっと逢えた」
愛おしくてたまらない、とでも言いたげな口調に京一は面食らって瞬きを繰り返す。京一にとって神夷は乱暴で鬼のように強い師匠であって、こんな風に思われているなどという面は微塵も知らない。
「そういや腹減ったな、あんまり待たせるとうるさいから戻るか」
「え。あ、はい……」
男の後ろをついて神夷の住処へと戻る。氣よりも顔よりも背中が龍麻に一番似ていて、京一は何だか無性に泣きたくなった。


「…帰ってきましたね」
京一ともう一人が近づいてくるのが氣で分かり、龍麻は粗末な飯台に朝食を並べる。
「ったく、遅ェ。遊んでやがったなあいつ」
「お師匠、あいつって……」
「どうせ馬鹿にもろくな説明しねぇで連れ帰ってきてんだろうからよ、まとめて話す」
分かりましたと龍麻が頷いてみせた時、二人が姿を現した。
「ずいぶんとゆっくりしてたじゃねェか、この馬鹿が。いつから師匠を待たせる身分になったんだてめェは」
「ただいま、京梧。あんまりそう言うな、オレがちょいと引きとめちまってな」
「……人の弟子で遊ぶのは楽しかったかよ?」
「そりゃ京梧にそっくりだからな、楽しかったぜ」
目の前の出来事に瞬きを繰り返す龍麻の側にそっと避難した京一は不思議そうな龍麻に自分も首を傾げた。
「京一、あの人誰?」
「いや俺もよく分かんねェ、師匠の相棒だの連れだのって言ってたけどよォ」
あの口調はまるで。その続きを口にしたくなくて、京一はぶんぶんと首を振る。
「にしてもさ、あの人……」
「ひーちゃんにそっくりだよな、ひーちゃんの親父さんにもちっとばかし似てんな」
「やっぱりそう思うよな……」
「オイ、何こそこそ話してんだガキ共」
「別に。師匠こそ、その人紹介しろよ、沢にいたぜその人」
「お前ら、人は刻を越えられると思うか」
「……は?」
京一は首を傾げたが、龍麻は一度だけ静かに頷いた。刻を越えられる力の持ち主を、龍麻は知っている。六道と名乗った少女、刻を死すらを越えた比良坂。
「長ェ話になる。とりあえず黙って食いながら聞け」
神夷の言葉を折々男が補いながら二人に話したことは、到底想像もつかぬような話だった。目の前にいる二人は幕末と呼ばれている時代に生きていた人間で、先に神夷が刻を越えて現代にやってきて龍麻の父と知り合って中国で柳生と戦い、日本へ戻って出逢った京一を弟子にして、去年男が神夷に逢うためだけに刻を越えてきたというのは。
「神夷京士狼、ってのはこっちに来てから名乗ってる名前だ。法神流の先代と同じ。あっちにいた頃は別の名だった」
「へェ、なんて名だよ?この人は京梧って呼んでるみてぇだけど」
京一の言葉に何故か神夷は笑い、微かに目を細める。
「師匠?」
「蓬莱寺京梧──オレが知ってるのはその名前だけだ。そしてオレは緋勇龍斗」
「なッ!?」
龍麻と京一は互いに顔を見合わせ、慌てて目の前にいる、自分と同じ苗字を名乗った人間と顔を付き合わせた。
「オレにはガキなんていねェ。お前は姉上の曾孫か曾々孫ってとこだろうよ」
「娘がいるにはいるが他家に嫁した娘だ、お前さんは直接の血筋じゃないだろうが、血縁ではあるだろうな。元々緋勇家は武術を継ぐ家柄、オレは出雲に戻らなかったがお前さんの実家は出雲だろう」
また顔を見合わせた龍麻と京一を見て、龍斗と京梧もそっと目を合わせる。そして穏やかに笑った。直系の子孫ではないにしろ、二人が出逢って戦った若かりし頃から繋がっている時間の流れの先が、形作られてここに在る。京梧が二十七年前に飛び越え、また龍斗も一年前に飛び越えてしまった刻の流れ。断絶しているように思える刻は連綿と繋がっていて、やがて二人の刻が止まっても、目の前にいる若人の刻は流れ次代へと繋がっていく。記憶も、思いも、技も。
「師匠、昔っから知ってたんじゃねェのかよ」
「知ってたさ。何十年前から面倒見てると思ってンだ、馬鹿。何で今まで言わなかったのか、ってツラしてるな」
「当たり前だろ。親戚、みてぇなもんじゃねえか」
「だとしてもそれが何の関係がある。オレとお前は法神流の師匠と弟子だ、それ以外にはなれん。下手に血縁だと分かると甘えが出そうだったから言わなかったってのが一つ。もう一つ、オレは二十六年前、龍斗と別れて三日後にこっちに飛ばされた。向こうとは…今までいた場所とは別の世界だと思って別の名でも名乗らなければ、割り切れなかった。数えで二十二、今のお前らよりも若い頃だな。だから弦麻…龍麻の父親にも、他のやつらにも蓬莱寺とは名乗らなかった。よくある苗字じゃないってのはさすがに分かったからな、どこかでおかしなことになっても面倒だ、それに」
「それに?」
京一が促すと、京梧は真っ直ぐ正面から京一を見つめた。
「オレが刻を越えたのは、弦麻たちと一緒に柳生と戦う為でもあったんだろうが、それよりお前に逢う必要があったんだ、京一」


捏造上等の妄想設定オンパレード。京梧を何とか幸せに突き落としたい委員会。だってこの二人は再会させなきゃだめだろ!!涙