magic lantern

降り積もるは花

1998/12/24 19:20
「なァ……ひーちゃん」
王華でいつものように味噌とトンコツを頼み、二人揃って食べ上げた直後。京一が歯切れ悪そうにそう切り出した。
「うん?」
今日は何を頼んでもいいと張り切った京一自身が頼んだ餃子、その最後の一切れを龍麻は口に放り込む。
「あー…………っと、よォ。その、だな…………そ、そうだよ、今日はもう家に帰ンだよな?」
挙動不審にも程がある京一の様子をじっと眺めていた龍麻だったが、空になったコップに備え付けの冷水を注ぎながら頷いた。隣にある京一のものにも同じように注いで満たす。
「いくら可愛いナースばっかりって言っても、もう病院の硬いベッドは飽き飽きしてんだ。お前だってパイプ椅子に座ってンの、飽きたろ?」
「お、おう」
「……五日ぶりだし、イブだからちょっと見て回ってもいいかと思ってたんだけどな。雪もまだ降ってるみたいだ、帰るか」
六日前と同じように龍麻はそう言って立ち上がる。入院中に仲間たちが持ってきた荷物を片手に、ひょいと振り向いて京一を見やった。
「何やってんだよ?帰ろうぜ」
笑った龍麻を京一はぽかんと椅子から見上げ、弾かれたように笑う。
「ああ。──帰るか」
今までそうしてきたように、龍麻の部屋に。



京一は何となく少し後ろをついて歩きながら、龍麻の背を眺める。五日前に目の前で倒れた龍麻。嘘のように大きく袈裟懸けに切り裂かれた胸から溢れた血。今は降りしきる雪のおかげで少しだけ白っぽい。
龍麻の部屋に入り浸るようになったのは、おそらく一学期の期末辺り、梅雨頃だっただろう。緋勇ではなく龍麻と呼ぶようになったのはそのもう少し前、自己申告の愛称を呼ばわるようになったのは夏が終わる頃。四月からの学校生活は全て、そしてもはや生活のほとんどに龍麻の姿がある。
なぜこんなに近い存在を自分はよしとしているのだろう。
涼しくなってきた頃、京一はそんな風に思うようになった。神夷との話を明かしても構わないと思えるほど、生活の殆どを共にしても苦などでは無いほど、龍麻の存在は京一にとって自然だ。
傍にいることが普通、離れることなど想像すら出来ない。守りたい、共に闘いたい、負けたくない、誰より何より傍にありたい、この想いの根は、何なのか。
一人で過ごすことが楽だとずっと思っていた。醍醐は親友だが醍醐の傍を離れることは苦では無いし、ふらりと離れてまた戻り、それを互いに是としている。この距離感がいいのだと思っていた。ずっと。しかし、この男だけが、別だ。
五日前、はっきりと思い知らされた。何より守りたかったのは、離れることが身を真二つに斬られるよりも痛いと思えるのは、共に在りたいと願うのは。
「京一?」
「……何でもねェよ」
この男だけ、だ。
さきほど王華に寄る前に交わした会話。明へのプレゼントを買って戻ってみれば龍麻は唐突に姿を消していて、柳生の氣は感じなかったが何かあったと龍麻の氣を追って駆け出すまでに何の迷いも躊躇も無かった。一人でイブを過ごしている可愛い女の子をナンパしてどこかに行ったのかも、なんて口では言っても思ってなどいなかった。
龍麻はトラブルに巻き込まれたようだったが少し不思議そうにしているだけで、怪我もなければ変わった様子など何一つなく。軽い実戦だったのでもうどこも痛くないし明日から旧校舎に入れそうだと言ったぐらいだ。それなら良かったと安堵したことで病室で覚えた疑問が頭を掠め、強いて龍麻の想い人を聞きだそうとすれば。
『京一』
『は?いやだからお前の好きな…』
『だから京一』
京一の言葉を遮ってぴしゃりと言い放った龍麻の目線があまりに強くて、京一はふいと顔をそらしてしまった。何の冗談だ、そうすぐ言えばいいと思うのに頬が熱くて何故か喉が渇いて。
『お…………俺ェッ!?』
熱を振り払うように大声を出すことしか出来なかった。龍麻がその気ならと言い返してみれば、京一の胸に残ったのは仕返しできたという爽快感などではなくて、どこか傷ついた何か諦めたような悲しい龍麻の表情だけ。
──何で、そんなツラすんだよ。ひーちゃんが俺を好き、だなんて冗談かじゃなきゃ何かの勘違いに決まってる。
龍麻には想像もつかない宿命とやらがあって、これからも戦いがある。だからせめて普通の高校生のように可愛いカノジョの一人でも作って、普通に幸せになって欲しかった。そんな姿が見られれば……そこで笑っている龍麻が見られればそれでいいと思ってた。また一人でふらふらする生活に戻ったところで京一は元よりそんな暮らしぶりだから、困ることなど無い。
『俺、お前のことが好きなんだ……なんていったら怖いだろうがッ』
冗談だと確かに思ったのに、それが口にした途端真実だと気づかされたなんて、もう忘れてしまえばいい。東京には珍しいホワイトクリスマスが見せた、クリスマス・イブの幻だ。
「イブってけっこうTV見るもの無いよなァ」
「……京一」
やっと暖房が効き始めた室内、リモコンを片手にとりわけ明るい声を出した京一の横で龍麻は小さくため息をつく。
「何か見たいのあるかよ?」
「お前の顔」
「……あのな」
ぐい、と龍麻の両手が京一の顔を掴んで半ば無理やり自分の方に向けさせた。そこにあったのはさきほどのようにどこか悲しそうな、龍麻の顔。
「お前さ、今でもおれがどっかの女の子に義理立てしてお前とラーメン食ったと思ってンの?」
「ッ…………」
「分かってんだろ?」
龍麻の低い声が、静まりきったリビングに落ちる。
京一はともすれば龍麻の手を振り払って叫び出したい気持ちを必死に押さえて、ぎゅっと両手を握り締めた。
龍麻の気持ちが仮初でも冗談でもましてやからかいなどではないことは、もう、分かっている。分かって、しまった。だからこそ京一はもう何も言えない。いろいろと『普通』から遠ざかっている龍麻なのだ、恋愛ぐらい人並みに『普通の幸せ』を得たっていいじゃないか。可愛くて龍麻のことを本当に好きな女子は仲間うちにだっている。学校から探せばもっといるかもしれない。短い青春を、何をトチ狂って自分なんぞに入れあげる必要があるのだ。
互いの気持ちを優先させたところで、今は良くても後でいつか後悔するに違いない。このまま交わせればこのことは若気の至りだの何だのという言葉で括られる、そんなことでしかないのだから。
気持ちはいずれ消えていく。記憶は変わらない。
神夷は何度か京一にそういった。消えるのなら、それでいいのだ。記憶は変わらない、共に闘ったこの一年の記憶は色褪せない。龍麻の傍で闘い続けた日々は消えたりしない。
「京一」
顔を掴んでいた両手が今度は京一の背に回った。病み上がりとは思えない力で龍麻は京一を抱きしめる。放したくない、と言わんばかりに。
「京一、好きだ。分かっちまったんだよ──おれはお前がいないとダメだ」
自分だってきっと同じだ。でもそれは言えない。京一は膝の上で握り締めた手になおも力を込める。
「柳生にやられた時、おれはお前の顔しか覚えてないんだ。隣にいたはずの美里の声も、多分やってくれたはずの治癒も、何も覚えてない。お前の声がして、顔が辛そうに歪んで、少し離れていたお前の氣がすごいスピードで近づいてきて。それだけ、なんだ。お前を掴もうとしたのに、呼ぼうとしたのに、おれは何も出来ないまま飛ばされた」
「変な世界から戻ってみればお前が傍にいない。目が覚めなかった間暖かかったはずなのに、その熱が無くておれはお前を探しに行こうとして……翡翠と紅葉に止められたんだ。翌日にもう一度目が覚めて翡翠がお前を連れてきた時、はっきり分かったんだよ」
先を促すことも遮ることも京一には何も出来なかった。耳を塞ごうにも、龍麻の腕が邪魔をして身動きが取れない。
「おれはお前のことが好きだ。ずっと傍にいたい、いて欲しいんだ。黄龍の力は覇者の力だの馬鹿げたことを言ってたけど、おれはそんな力より何よりお前が欲しい」
「──ッ」
「お前さえいれば、他は全部要らない」
「…ひー、ちゃ……」
掠れきった声がどこかニセモノのように京一の耳に届く。自分の声なのに、何かに隔てられたように遠くに。
「お前しか要らないんだ。もうどうしようもない、好きなんだよ、京一」
なんで、などと聞くことは出来なかった。自分だってなぜと聞かれて答えられる言葉など無い。いつからか、なぜか、どうしてか、この男を離したくないと強く思ってしまった。
繰り返される名前と、好きだという言葉の熱。それはとうに京一の身体中に染み渡って。この熱に魂ごと明け渡してしまえばいいと分かっていながら、京一はゆるく首を振る。
「ひーちゃん、いつか言ってただろ。普通ってェのから遠ざかっちまったな、って」
「……言ったな」
「お前ェの力だ宿星だってのがお前を普通から遠ざけてもよ、お前にはまだ普通の幸せ、ってのちゃんと選べるんだからよ」
熱っぽく囁いていた龍麻はふっと気配を硬くして、京一を抱きしめていた腕を緩めた。緩めて、額を付き合わせるようにして京一をにらみつける。
「それと何が関係あるんだ。言ってみろ」
迫力というよりもはや威厳に近い、王者のものとさえ言っていい視線を受け止めながら京一はつばを何度か飲み込んだ。きちんと、言わなければ。龍麻は馬鹿などではないのだから、京一が応じるつもりが本当に無いと悟れば引くはずだ。応じたいと願っていることさえ、知られなければ大丈夫のはずだ。
「お前のこと好きだって思ってる女子、いくらいるか知ってるか?今からでも遅くねェよ、誰かと明日デートする約束なり何なりしてさ、ちゃんと普通に…」
「京一、何を言ってるんだ。そんな話をしてるんじゃない!」
抑えられているはずの怒鳴り声に京一は思わずびくりと肩を揺らす。敵を恐れたことなど無かったのに、どうしても、平静ではいられなかった。
「お前は本当にそれで満足なのかよ。おれが好きでも無い、おれを好きだとか言うどっかの女子とデートして付き合って?それをお前はどこから見てる?お前が見たいのはそんな三文芝居か」
「ひーちゃ……」
「お前のお望みならやってやるよ。お前さえそれでいいならな。おれはおれを好きだと言ってくれる女子に興味もなけりゃ、関心もねェ。お前以外は皆一緒だ、誰だってな。最低だろう、それぐらいお前しか要らない。最低ついでだ、言ってやるよ」
龍麻は怒りを抑えぬまま、凄みのある笑みを浮かべた。
「お前一人を助けるのに世界が犠牲になるとしても、おれはお前を選ぶ。仲間全員だと言われても、この街の人全てだとしても、おれはおれを大事にしてくれる全ての人より、お前が大事だ。京一」
世界よりも、自分たちが今守ろうとしている街よりも、何より大事なはずの仲間よりも。誰よりも何よりも傍に。その願いは同じだった。
「ひーちゃ……龍麻」
──ごめん。
京一は短く目の前の相手に心の中で謝った。島根にいるとかいう龍麻の義両親にも、龍麻を想っているだろう少女たちにも。
「俺も……」
──ごめんな。
──こいつは、俺がもらっていく。こいつの全て、死ぬまで俺のものだ。もう誰にも渡さない。
「俺も、お前が……お前が好きだ。龍麻」
「好きだ」
握り締めていた手を解く。爪先が食い込んだ掌が痛い。手を解き、腕を伸ばした。龍麻の背を、さきほど龍麻が抱いたようにしっかりと抱きしめる。抱き合った身体の脈拍が互いに分かって、自分のものより龍麻のものが早いように思えた京一は初めて見せた龍麻の激昂や緊張を味わうように目を閉じた。
「京一」
腕を解こうとする龍麻に抗わず京一は少し身体を離す。そのわずかに離れた熱さえ、今となっては嫌だ。
「好きだよ。お前に逢えたのも宿星のおかげだって言うんなら、今初めて感謝してやってもいいと思ってる。そのためにこの力があって鬼導衆や柳生と戦う破目になっちまったなら、もう全部それでいいんだ。お前に逢えた、それだけでチャラだよ。これからずっと一緒なら、おつりがくるな」
龍麻は穏やかにそう言って、京一の背に回していた腕をもう一度顔に戻した。顔の形を確かめるように掌で撫でて、ふっと笑う。
「京一、大好き」
どこか子どものような声で言いながら、顔を近づけてくる龍麻に京一はゆっくり目を閉じた。リップなど塗っているはずもない、互いに乾いた唇。ほんの少し触れ合っていただけなのに気恥ずかしくて、京一は顔を俯かせて龍麻の首元に埋める。犬か何かが甘えるように擦り付けた。
「なぁ京一」
「……ンだよ」
「さっきラーメン代、おれが払ってるよな。退院祝いとクリスマスプレゼントにお前が奢ってくれるはずだったラーメン」
「そういやそうだな。何だよ、プレゼント改めて集る気か?金はあんまり無ぇぞ」
明にプレゼントを買ってしまったせいで所持金はなかなかに逼迫している京一が応えると龍麻はタダのはずだよ、と笑う。
「おれ専用でタダだと思うんだけどさ。っていうかそうじゃないと嫌なんだけど。……京一、今日も泊まってくだろ?」
「あ?そりゃいつも……って、おま、龍麻」
こんな勘の良さは要らねェと心中わめいたところで、龍麻は京一の予想通りの理由でにこにこしていた。京一がほぼ居候のように龍麻の部屋に泊まっているのはいつものこと、洗面台や台所には専用のものがあるほどだ。もはや家と言ってもいい。が。
つい今しがた好きだと言い合って泊まっていくことを念押しされれば、何を期待されているのか京一にはムカつくほど分かった。自分だって同じ状況になれば期待するに決まっている。
「お前をくれよ、京一。全部かっさらって誰にも渡さねェから」
自信に満ちた笑みと力強い声、世界と引き換えにしても構わないと望まれて逃げ切れる人間がいるのだろうか。
「あー……クソッ」
京一はぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜて顔を上げ、一気に怒鳴った。
「言っとくけどお前も俺のモンだからなッ、──とっとと持っていきやがれッ」
「了解」
とろけそうな、幸せという言葉を表情に直したらこうなるのだろうと思えるほどの、笑顔。四月に龍麻が転校してきてから、今までで一番の笑顔だった。
自分の身体や状況などはさておいて、この笑顔が見られるんならどうなっても構わない──それだけは龍麻に内緒にしようと決めて京一は目を閉じた。


なんか私の書く主京はいろんな意味で間違ってるよな。まず人としてどうだろうな二人とも…。