magic lantern

掌の上

鴉羽神社は、あまり賑やかな神社ではない。平日ならば参拝者などいないのが普通、日中でも人が行き交う休日であったとしてもここを訪れる人間はそういない。鈴が慕うあの封札師がやってきてから、神社をというより彼を訪ねるために人がやってくることはままあったのだが、それも一連の事件が片付いたことで落ち着いていた。そう、彼の関係者であるなら鈴に分からないはずはないのだから、今鈴の目の前で何もないはずの空間によっこらせ、としゃがんで見せた男は全く見知らぬ人間だった。
「ずいぶんと可愛い狛犬がいたもんだな」
石の方ももちっと可愛くしてもらえよ、と事も無げに言ってのけた男に、鈴は驚きのあまり言葉が出なくなってしまった。自分が見えているだけではなくて、狛犬であると気取られているとは!はっと我に返った鈴はこの神社を護る神使としての役目を果たすべく、毛を逆立てて唸ってみせる。
「んー?狐のほうは…お前さんか」
警戒する鈴を何も気にせず、今度は立ち上がって鍵の方に顔を向けた。おお狐っぽい、と感想をもらしてから二人の前で携帯電話を掛け始める。
「おう。ここだ。なかなか面白そうなトコだぜ、早く来いよ」
簡潔というより一方的に男は通話を切り、三度目の爆弾を落とした。
「で、七代千馗ってのはあっちの母屋にいンのか?」
「……千さんのお客さんですかい」
「お、お兄さまに何の御用なのですか!?お兄さまは、お兄さまは……!」
いっぱい大変なことがあって、それがようやく終わったのに。また彼を騒乱の渦へと落とす気だろうか、と鈴は眼一杯に男を睨む。
「あー…名乗ってもねェんじゃ警戒されるのは当然だな。悪かった。俺は蓬莱寺京一だ。後でもう一人来るが、俺たちは七代に逢いに来たっつーか…伝言頼まれたっつーか」
「ついでに用事頼まれただけっていうか、だね。初めまして。おれは緋勇龍麻」
ひょいともう一人の男がやってきた。鈴は息を呑んで、鍵は眼を見張る。二人がよく知る彼も独特な強い氣の持ち主だったが、この男のものは、あまりにも身に馴染みすぎる。地を流れゆく大河、龍脈に近しい氣を無尽蔵とも思えるほどに蓄えた男。自分たちの存在を分かっても尚、真名を名乗ることに躊躇いすら見せない。
「そうだな、ここのお使いならこう言ったほうが分かりやすいか。おれは黄龍の器、黄龍を収めるものだ。……分かっただろ?」
鍵はそのまま深く息を吐き、目を伏せるようにして頷いてみせた。龍脈の主と呼んで差し支えのない存在、黄龍を内に収めている人間。確かこの地には少し前にも龍脈を巡った争いがあり、龍脈の暴走は未然に防がれたのだ。この男たちによって。この街だけではなく離れていた場所でも起きていたことなので鍵は全てを知らないが、この二人がどういう存在なのかは分かった。そしておそらく、自分たちが少し前に危惧したようなことにはならないことも。
「鈴、千さんを呼んでらっしゃい。お客様だそうですからね」
「あ、はいです!」
黄龍の器がどういった理由でここを訪れ七代に逢いに来たとしても、自分たちでもこの社の主である清司郎でも彼らを止めることは出来ないだろう。何をされても、だ。ここの地脈を局地的に活性化させることも、一時的に枯らすことも、おそらく造作もないはずだった。ただおそらく、そういったことにはならない。大地は、龍脈は、そんな浅慮な人間を主と認めはしないはずだ。
「さっきの子は鈴って言うんだ?ずいぶん可愛い狛犬だね」
「こちらのお方もさっき同じことを言ってやしたよ。あっしは鍵、と呼ばれております」
「鍵な。にしてもチビの驚きようったらなかったぜ、丸い目がさらにまん丸でな、零れ落ちちまうかと思った」
刀袋を担いだ男がそう笑い、黄龍の器はそりゃ可愛かったろう、と穏やかに応じる。黄龍の器はその成り立ちからして氣が独特で異質なのは必定だが、連れである男も人間にしては稀有な氣の持ち主だった。
全てのものには陰陽があり、人間は往々にして陽の氣が勝った存在として生まれる。呪言花札の番人は二人、陰陽のうち陽の番人が白札で陰の番人が鬼札となっていた。陽の氣が勝っている人間などは大勢いる、七代の仲間たちにも大勢いるし、そこらじゅうで遊びまわっている子どもだってそうだ。けれど、この男はあまりに陽の氣が強い。濃く強い、鋭くて熱い陽の氣。七代は陰陽どちらをも扱える存在で、黄龍はそも成り立ちが大極──陰陽混じったものだ。
「おいでなすったぜ、ひーちゃん。……若ェなァ」
「そりゃ九龍が世話した学生だってんだからまだ子どもでしょ」
そういうお二方はいささか年齢不詳気味ですね、と鍵は心の内で言葉を返す。七代が鈴に引っ張られるようにしてやってきたが、当然という顔で白と鬼札──零がついてきた。
「七代千馗、で間違いなさそうだな。九龍が言ってた通りだ」
この場に居合わせた四人は、珍しいものを目にした。いつもどこか飄々としている雰囲気のあった七代が、きょとんと目を丸めて、みるみるうちに顔を綻ばせたのだ。
「七代はオレです。九龍さんのお知り合いですか?」
「知り合いっつーか。ひーちゃんにとっちゃ弟分だしなァ」
京一と名乗った男がそう言った途端、七代はああ!と嬉しそうに声を上げる。
「ひーちゃん、って九龍さんから聞いたことある!えっと、緋勇龍麻さんと……じゃあ、蓬莱寺さんってのが」
「ん、蓬莱寺京一だ」
七代の視線を受けた京一はそう言って頷いた。白と零は驚きながらも喜ぶ主を見守っている。
「うわー、まさか逢えるとは思わなかったなー。九龍さんがいろいろ話してくれたんでお逢いしてみたかったんですよ」
「そりゃ光栄だな。忘れないうちに、これ」
「なんですか?」
ぽん、と黄龍の器──龍麻が紙包みを七代に手渡した。
「九龍と皆守からだ。あと皆守から伝言で『依頼を受けてくれて助かった、カレー鍋は大事にしろ』だって。この間アレキサンドリアで二人に会って、日本に戻るって行ったらなんか大慌てで押し付けられたから、中身は詳しく聞いてない」
「カレー鍋配布してンのかよ……アイツ、マジ、極めてるよな…。まあ、アイツのカレーは美味いから何でもいいんだけどよ」
「依頼、カレー鍋……まさか…」
もやもやと七代が依頼人と皆守を脳内で結びつけ始めた頃、京一の興味は既に反れて白と零に向かっていた。言い方を悪くすれば使い魔、式とでも呼べそうなほどに二人は七代と密接に結びついている。
「七代、お前さんずいぶんと面白いモン連れてンだな」
「面白い……とはもしや妾たちのことかえ?失敬な」
「おう。お前とその細っこいのと、狛犬と狐…鈴と鍵、だったか。なかなか賑やかそうじゃねェか」
零は今までそうだったように普通の人と同じ形状のままそこにいたのだが、京一は事も無げに白や神使たちと同列に並べた。
「皆守が七代は封札師になったらしいって言ってたけど、まさかカミフダを統べる力を持った封札師だなんてな。……この後で御門に会ったらまた何か言われそうな予感だ」
「……何だ、全部知ってるんですね?」
様々なことを看破されていることに警戒する四人をよそに、七代はふっと首をすくめてそう笑う。
「んー何となく察した?が正解かな。何があったか詳しいことは知らないけど、十一年前に似たようなことがあったからね。ここしばらく何でだか日本になかなか戻れなくて、どうしてだろうと思ってたけど」
「ひーちゃんが昔そうだったように、九龍もあのガッコでそうだったように、お前さんがやる必然のあることがここであって、その場にゃ俺らは要らなかった。だから、俺らはここには戻れなかった。だろ?」
京一の言葉に応えたのは零だった。人がいない場所よりは人の多い場所を好むところのある零だが、目の前にいる二人の氣があまりに強くて、七代にそっと近寄る。
「ああ。あれは千馗にしか出来ないことで、千馗じゃないと駄目だったことだ。あなたたちが龍脈にとても近いひとたちでも、駄目だったことだと、思う」
「だろうね。これはおれの持論だけど、要らないものはどこにも無いんだ。だから、その時におれたちがいなかったってことはおれたちじゃダメだった、ってことだ。まァ、頑張ってもらったおかげでおれたちは今日も王華のラーメンが食えたから、礼を言わなきゃなー」
「そうだな、王華の味噌ラーメン食えないんじゃ、何のために日本に戻って来たか分からねェからなッ」
自分の周囲にはコアなカレー好きが多い、と自覚している七代だったが目の前の二人──九龍言うところの『なんていうかあらゆる意味で敵わない感じ』の男たちはどうやらラーメン好きのようだった。
「……七代、OXASはその後何か言ってきたか?この二人のこととか」
「は?いやオレも何か言われるだろーなと思ってんだけど、特に何も無いですよ。任務も今のとこ無いらしいですし」
七代が唐突な龍麻の質問に戸惑いながらも答えると、龍麻は一度京一と視線を交わしてからじっと正面から七代を見据える。身長差は大して無いはずなのに、どこか威圧される感じがあって七代は踏ん張るようにぐっと力を込めた。傍にひっついている零がきゅ、と七代の袖の端を掴む。
「じゃあ一つだけ訊かせてもらおうか。……お前の護りたいものは、何だ?」
「──全部」
睨み返すように七代は龍麻から視線を逸らさない。龍麻はひそりと笑った。
「全部、ねェ」
対する七代も龍麻に向かって笑みを浮かべてみせる。にやり、と口の端を上げて。
「オレが護れるものは、全部。白も零も、ここの人たちもこの神社も、仲間も大事なひとたちも。オレの手の届く範囲、オレの力が及ぶ限り、全部」
「……なるほどな、悪くねェよ、そういうのもな」
京一がそう応じた途端、龍麻は視線や纏う氣まで穏やかなものに変えて大丈夫だから、と静かに答えた。
「大丈夫って、何が」
「おれたちはお前の味方をする、ってこと。OXASに知り合いはいないけど、日本支部なら何とかなるだろう。大丈夫だ、お前たちと七代を離そうとする奴らを許しはしないから」
龍麻は穏やかな笑みを浮かべたまま、そう言って白の頭を撫でる。
「なっ!?そ、其方が黄龍であろうと、妾の主は千馗様じゃ!その様に気安く触るでないわ!」
白はぱっと七代の後ろへ避難して、恨めしそうに龍麻を睨んだ。龍麻は気を悪くするでもなく、ほほえましいとでも言いたげに笑う。
「はは、仲が良くて何よりだ。国家機関なら話が早い、御門とマサキとあとは鳴滝さんに話しておいたら大丈夫かな。紫暮が情報室所属ならイチガヤも抑えられなくは無いけど、アイツは現場だろうしなァ。そうだ、たか子センセも紹介しておいたほうがいいか。人間用の病院じゃ診られない、氣だ何だってのを診るスペシャリストがこの街にいる。桜ヶ丘病院って看板で産婦人科だが、そこの院長がプロだ。お前でも、多分こっちの二人でもある程度診られるだろうな。おれと京一の名前出したら喜んで診てくれるよ。多分、たか子センセのタイプだと思うし…」
次から次へと知らない情報が出てきて、零はきょとんと目を丸くした。七代はどうやら目の前の二人の知人を知っているらしいから、何も警戒していない。それはいい。でも、この二人が今日初めて逢ったはずの七代にこうまで好意的なのは何故だろう。
「どうして、そんなにしてくれるんだ?あなたたちは、千馗を信じてるんだろうか」
「……信じるに足ると分かったからね。九龍と皆守から話を聞いてたってのもあるけど、信じられるかどうかなんて、見れば分かる。おれも、京一も七代の味方をすると決めた。ま、幸いおれはいろんな方面に知り合いがいるからな、九龍たちを通じて引き合わされたのも流れだろう。要らないものは無いって言ったろ?日本に戻る直前に九龍たちに会ったことにも、そこで七代の話を聞いて逢うように頼まれたことにも、全部意味があるはずなんだ。その意味をおれたちが七代の味方をすること、というふうに受け取った。そのための流れだった、っていうことだな」
「ま、そんな小難しい話じゃねェだろ?俺もひーちゃんもお前のご主人が気に入った、それだけだ。言ったろ?ラーメンの礼をするって」
一杯の味噌ラーメンのお礼が、国家機関である収集部特務課を牽制することとは思わず、零は再び呆気に取られてぽかんと立ち尽くしてしまった。七代は苦笑しながら零の背を軽く叩く。確かにこれは『あらゆる意味で敵わない感じ』なのかもしれない。
「おれたちは日本にいるときのほうが少なくてね、御門たちにも鳴滝さんにも全然会ってなかったから良い機会なんだよ。話のついでだしね。何とかなるとは思うけど本当にそうなるかは別だし、こうやっておれと知り合ったことで後々何か面倒なことになるかもしれない。だからまあ、日本に戻ってラーメンが美味かったお礼程度に思ってもらってたほうがいい」
「……分かりました。そう言ってもらえるなら、それで。元々何言われようとオレはオレのしたいようにするつもりだったけど、本部からアレコレ詮索されなくて済むなら有難いんで、助かります」
「よしッ!ガキは素直が一番だからなッ」
京一は七代の返事を聞くや否やそう声を立てて笑う。九龍たちよりも年上だと聞いているから七代とはかなり年が離れている計算になるのだろうが、快活そのものの笑顔はどこか子ども染みていた。