magic lantern

世界:後編


「…ここは?…私は……ッ!」
「急に動いたらダメですよ、グラハムさん。どこか痛いところはありますか?」
目覚めるなり上半身を起こしたグラハムの顔を伺って覗き込んだのは、憂いの表情を浮かべたアレルヤだ。グラハムは辺りを見回す。病院というには不可解な機械で囲まれた部屋に置かれた質素なベッド。身体の関節が少し軋むように感じられたが、それはずっと横たわっていたせいでどこかが痛いわけでは無かった。
「いや……私は、いったいどうしたんだ?」
「封じていたケツアルカトルが出てきてしまって、制御されていない悪魔は表に出てくるだけで召喚者の精神力全てを食いますからそれで気を失ったんです」
淡々と答えたアレルヤの顔には悲痛の色が濃い。
「そうか…迷惑をかけた」
軽く頭を下げたグラハムにアレルヤは首を振って軽く目を伏せた。
「いいえ、それを言うならロックオンに。暴走したケツアルカトルを貴方から離さないまま、ギリギリの状態で抑えたのは彼の力です」
「そうだ、ロックオンは?彼はどこに」
アレルヤは黙ってグラハムの向こうを指差す。くるりと首を向けると、そこには昏々と眠っているロックオンの姿があった。
「私のせいで?」
「……暴走したケツアルカトルを貴方から強引に離せば、貴方もロックオンも大したダメージではなかったはずです。でも、ロックオンは最後までそうすることを拒んだ。強引に離して倒してしまえば、あのケツアルカトルはもう貴方と契約出来ない。貴方自身も、召喚できなくなる恐れがあった。それは、嫌だと。戦う理由も意志もある人間を守りたいんだ、と。本人は自己満足だと言ってましたけど」
ハトホルが持つペトラアイズという魔法は、対象者を強制的に仮死状態に追い込むことが出来る。それを使ってケツアルカトルを抑えこむようにアレルヤは言ったのだが、ロックオンは断固として受け入れなかった。守りたい、と。
「気を失う前に、天使を見たような気がする。あれはロックオンの悪魔だったのか」
天使の形をした悪魔だったのか、ロックオン自体が天使に見えたのか、曖昧な記憶では判断がつかない。しかし、グラハムは確かにロックオンの傍に羽と光の輪を見た。
「おそらく。アズラエルでしょうね。羽もあるし光輪もあるし」
「ロックオンは大丈夫なのか?」
アレルヤはグラハムの問いに答えず、右腕につけたCOMPを示す。中には悪魔召喚プログラムが入っており、アレルヤが所持している牛頭天王・オーマ・北斗星君もこの中にいる。ロックオンが持っている3体はCOMPに戻すことが出来ないほどダメージを負っていて、イアンがケアするためにポッドの中に入れていた。
「僕たちは、このシステムで3体の悪魔を管理しています。表に出すのは1体だけ、でないと僕たち自身が持たない。けれどロックオンは2体同時に出してまで、貴方を救おうとした。……結果、貴方は助かりましたがロックオンは目を覚まさない」
落ち着き払ったアレルヤの声が微かに震えていることに気がついたグラハムは、何も言えずに黙って眠っているロックオンに視線を向ける。同じようにロックオンの顔に視線を落としたアレルヤは小さくため息をついた。
「……」
「ロックオンが気を失ったとき、3体目が出てきたので暴走するのかと思ったんですけど。3体目のサティはマスターであるロックオンに癒しの力を施し、貴方にも同じことをして消えました。3体とも、マスターとその意志を最後まで尊重し続けたんです。貴方を助けたい、というロックオンの意志を彼女たちは貫いた」
「僕の悪魔たちでは、ケツアルカトルを倒すことは出来ても押さえ込むことも癒すことも出来ない。それを分かっていたから、ロックオンは手を出すな、とわざわざ僕に言った」
それは何が起きても後でアレルヤが自分を責めたりしないように、という配慮だったのかもしれない。けれど、ロックオンが昏倒している今、アレルヤはともすればグラハムを責めかねないほどの憤りを自分に感じている。無理やりでも止めれば良かった、たとえ目の前の軍人がどうなっても、と正直に思う。さすがに口にすることは躊躇われるが、嘘偽りない気持ちだ。

アレルヤは半魔として生まれた。生み出された、というほうが正解かもしれない。試験管ベビーは珍しいことではないが、ハレルヤという悪魔と受精卵の状態で強制的に融合させられ悪魔召喚プログラムを実行する目的のために生み出された。
悪魔召喚プログラムが完成したのは23年前、アレルヤが生まれる4年前のことだ。プログラム実行の為に作られたヒューマノイドコンピュータであるティエリアの他に実行者を探していた研究所が、子どもに召喚プログラムを実行させようとして失敗したのが20年前。そのとき子どもだったラッセは身体の半分を人工的に補っている。
アレルヤのデータを元にヴェーダが適性者を探し出してようやく見つかったのが刹那とロックオンで、ロックオンは1年ほど前にやっと見つかった適性者だった。研究所を出たことが無かったアレルヤとティエリアにも、ストリートで荒んだ暮らしをしていた刹那にもロックオンは笑いかけて常に気を使う。時折、彼の表情が曇ることにアレルヤは気がついていたが、それはロックオンの過去が否応無しにそうさせているに違いなかった。
ドラッグで家族を失い、ドラッグを追って自らギャングの中に身を投じ、銃を握り締めて過ごしてきた、過去。研究所で悪魔のことを学んでも、4人で街に出るまで戦いなどとは無縁だったアレルヤと全く違う人生をロックオンは送ってきている。刹那も、同じようなものだと聞いていた。ロックオンが射撃に長けているように刹那はナイフ類の扱いに長けていて、それは幼い頃に教わったものだという。刹那の話を聞いたときのロックオンの顔が、アレルヤは忘れられない。
ロックオンはアレルヤにとって初めて身近に感じられた『人間』だった。それは最初に会ったときに、ロックオンが何の気なしに自分は混血だから、と出生を詳らかにしたことに因る。混血、ミックス、アレルヤのそれとロックオンのそれは意味が全く違う。人と悪魔とが混ぜられた状態のアレルヤに対して、ロックオンは流浪の民の血を引く結果として様々な人種の血が混じっているだけのことだ。しかし、自分以外の口から自然に出てきたその言葉にアレルヤは温い喜びを覚えた。錯覚だと分かっていても、自分が彼に近しい存在であるような高揚感をも覚えたのだ。
研究所の人間はアレルヤを邪険にしたり手荒なことをしたりはしなかったが、そもそもの出生が出生だからアレルヤは研究所のスタッフたちと常に距離を保って暮らしてきた。長いこと一緒にいるティエリアに対しても、だ。ティエリアも他人を寄せ付けたがらない性質なので距離を保ったままでも何ら問題なく過ごせていたし、研究所のスタッフはアレルヤに負い目でもあるのかアレルヤが素っ気無く振る舞っても冷めた反応を示しても許容されてきた。
ロックオンは年上ということもあるのか、アレルヤを含めた3人に対してともすれば兄のように振る舞う。ティエリアの製造年月を考えればティエリアは同年ぐらいのはずだが、何せコンピュータなので情緒だの自我だのという面で言えば子ども扱いされても仕方なかった。露骨に嫌がっていたティエリアも、最近は諦めたのか細かく反論しなくなってきて、ロックオンは普通にそのことを喜んでいる。アレルヤに対して、刹那やティエリアにするように細かく世話を焼いたりはしないが、話相手として思われているらしく4人でいるときはアレルヤとロックオンが2人で喋っていることが多い。稀に刹那がぼそっと割り込んできたりティエリアが冷たく意見を放ったりする。そのどれもがロックオンは嬉しいようで、喜ぶロックオンの顔を見るのが好きなアレルヤは目線が近い分、存分に眺められることが嬉しかった。
いつまで4人で街を歩き回っていられるのか、ミッションに終わりがあるのか、ヴェーダの声が聞けないアレルヤには分からないが出来るだけ先のことならいい、と最近思うようになった。ミッションが全て終了して悪魔の問題が解決したら、ロックオンは組織から出て行くと聞いているからだ。ロックオン自身から聞いてはいないが、ロックオンとエージェントの王、そしてイオリアが話しているのを研究所で聞いてしまった。ミッションが終了して、悪魔が街に出なくなれば半魔のアレルヤはますます街にいられなくなる。研究所に戻って、前のように外に出ずに大人しく暮らすより他ない。刹那はどうするつもりなのか知らないが、2人はヴェーダに選ばれて半ば強制的にソレスタル・ビーイングに参加しているのであって、全ての問題が解決したら研究所に留まる理由など、無いのだ。ロックオンがたまに口にするロマという流浪の民は自由と矜持を重んじる人々だと、昔本で読んだ。誇り高い、自由の民。問題が解決すれば旧都心を封鎖しているユニオンの規制も解けるだろうから、行こうと思えばどこにでも行けるのだ、自由に。IDが無くとも他国へ渡る手立てはいくらでもあるのだし、研究所が用意することだっておそらくは出来る。だから、本当に、今の間だけなのだ。眠っている彼を眺めて美しいと思うことも、たわいない話で笑い合えるのも。

アレルヤがロックオンを眺めていると、部屋のドアが開いてイアンが戻ってきた。
「さて、お目覚めみたいだな、ユニオンの隊長さんよ。エーカー中尉、だったか」
「あなたは?」
ベッドから身体を起こそうとしたグラハムを片手で制して、イアンはアレルヤの傍に腰を下ろす。
「おれはイアン、まあこいつらのサポート役みたいなもんだ。召喚プログラムの修正なんかをしてる」
「グラハム=エーカーだ、よろしく頼む」
「おう。さっそくだがエーカー中尉、あんたはあの悪魔をどうしたい?召喚用にプログラムで制御することもきれいさっぱり剥がすことも出来るぜ。但し、いくつか条件がある」
アレルヤが事前に話をしたときには条件をつけるなどと言っていなかったイアンの言葉にアレルヤは首を傾げた。
「条件?料金でもあるのか?」
「はは、あんた見た目通りのお坊ちゃんだな。金なんて取らねえよ、大体、この街でユニオンの紙幣がどんだけ役に立つと思ってんだ。この街の基本は原始的な物々交換が主流だよ」
ユニオンによって絶対封鎖されている旧都心では、もはや警察も法律も貨幣も意味をほとんど成さない。文字通りの無法地帯で、残された物資や配給用の物資が闇市で取引される形で人々は糧を得ていた。ユニオンの手引きさえあれば外から物資を運ぶことも不可能では無いが、可能なのはユニオンに影響力を持てる人物ぐらいだ。
「では何を対価にすれば良い」
「きれいさっぱり剥がしたいのなら話は簡単だ、この場所とこいつらのことを忘れてもらう。それだけでいい。これからも召喚したいと言うのなら」
「言うのなら?」
鸚鵡返しで尋ねたグラハムにイアンは鋭い視線を投げる。
「まず、ユニオンの連中が街の至るところで悪魔にケンカを売るのを止めさせてくれ。悪魔は人を襲うためにこっちに来たわけじゃない。襲うやつもいるが襲わないやつもいる。所構わずあんたらがケンカを売るせいで、悪魔は興奮してる。ただの人間が悪魔に敵わねえってことはもう充分分かっただろう。警察気取りをするのは人間相手だけにして欲しいね」
「……」
「イアン、ちょっと言い過ぎじゃないですか。別に彼がどうこうしたわけでは」
厳しい表情で黙るグラハムと挑むような鋭い視線を投げ続けるイアンを交互に見ながら、アレルヤが取り成そうとすると尚もイアンは続けた。
「あんたらがすべきことは悪魔を駆逐しようと躍起になって犠牲を増やすことじゃない、この街に残ってる人間を守ることだ。そうだろう」
「ああ。私はそのために上層部を説き伏せてこちらに来たのだからな。悪魔は人を脅かす…そう信じて」
苦しそうに息を吐いたグラハムの脳裏には、今でも自分を庇って倒れゆくハワードの背中がはっきりと映っている。ハワードを喪ったのはグラハム自身の認識がユニオン本部の認識が誤っていたせいで、他の人間から言われないでもグラハムはもはやユニオン軍に悪魔と対峙させるつもりはなかった。もう、十二分に分かったのだ。
「それが誤解だってことは分かってもらえたかね。悪魔は人の思考や論理で縛ることの出来る存在じゃない。それが出来るのは、あんたら召喚者だけだ。興奮状態にある悪魔とコンタクトするのはひどく気を使うし、倒すのも骨が折れる。余計な仕事は増やさんでくれよ」
「分かった、本部に戻り次第そう進言する。私とて、もう犠牲者を見たくない」
確証が無ければ本部には進言出来ず、進言したところで対抗策が無いのなら速やかに戻れと言われることが分かっていた。しかし、認識が誤っていることも対抗策を自分が持っていることも判明した今は、プロフェッサーやビリーの力を借りてレポートを添えればグラハムはここで悪魔と戦うことが出来る。グラハムが力を込めて頷くと、イアンはにっと口の端を上げた。
「よし。それから、あんたに渡す召喚プログラムを他の人間に使用させないこと。入れるハードは何でもいいが、ハードとヘッドディスプレイの接続方法とソフトは変更不可、あんた専用だ。改造したいんならおれに言ってくれればいい」
イアンの言葉にグラハムは不思議そうに首を傾げる。
「それがあれば、普通の人間でも悪魔を制御できると聞いたのだが私専用なのか?」
「正確に言うと、適性のある人間専用だ。あんたやロックオン、アレルヤたちは適性がある。おれは無い。だからおれはそれを作れても、召喚は出来ない。やっちまったら召喚した悪魔に喰われるのがオチだからな」
「適性というのはどうやったら分かるんだ?」
それだよ、とイアンは呟いて腕を組んだ。
「それが難しいとこだ。おれたちの組織が持つマザーコンピュータが弾き出した適性者がこいつらで、今のところ共通点は見当たらない。人種も年齢も知能も無関係だ。マザーコンピュータにはこの街の住民の生体データが入ってるが、外から来たあんたらのデータは無かったんだろう。だから、今の今まで分からなかった。適性というのが生まれ持ったものなのか、途中で生まれるものなのかも分からないけどな」
ヴェーダが適性者を探し出すにあたって基礎になったのはアレルヤの人間としてのデータだ。アレルヤは半魔だから全く同じ条件を持つ人間がいるはずがないのだが、アレルヤとハレルヤ、そしてティエリアのデータを分析した結果で検索した結果見つかったのが、刹那とロックオンだ。最初に見つかったのは刹那で、ロックオンが見つかったのはその2年ほど後になる。
「ひょっとしたら私の部下の中にもいるかもしれない?」
「そうだな、いるかもしれないがいない可能性のほうが高いな。このプログラムを使用することで判定するつもりなら、止めとけと言っておく。適性が無い人間がこのプログラムを使うことは、殆どの場合即死を意味する。おまけに召喚した悪魔に近くにいる連中も食われてオシマイだ」
「私はそのプログラム無しでケツアルカトルを呼んだらしいのだが」
「それが適性を持っている、ということだな。相性が合って、尚且つ悪魔自身が認めた人間でなければ悪魔は契約を結ばない。ケツアルカトルはお前さんを認めたんだ。力を貸すに値する者だと」
力、という言葉にグラハムはあのとき聞いた声を思い出していた。太い、大地が揺れるような声。
「部下が私を庇って負傷した時、心底力が欲しいと思った。部下を守る力を目の前の悪魔を倒す力が欲しいと。そのとき、声がした。今思えば、ケツアルカトルの声だったんだろうな。力が欲しいのなら自分を呼べとそう言った。だから、来いと言ったんだがその後のことを覚えていないんだ」
「そりゃ、プログラム無しに呼んだんだからケツアルカトルに精神エネルギーを食われたのさ。プログラム無しに召喚すると、適性者だってそれぐらいのリスクを負う。精神エネルギーを食い尽くした悪魔は召喚者の生命エネルギーをも食らうことがあるが、それは免れたみたいだな。運がいい」
「彼らに助けてもらったんだ。意識が無かったからはっきりとは分からないが」
「召喚術の気配がしたんで様子を見に行ったんですよ。そうしたらグラハムさんが倒れていてケツアルカトルが暴走しそうになっていて、急いで封印したんですけどね……」
刹那の青面金剛がかけた魔法が弱かったわけではないだろう。おそらく、召喚したものの制御されていないケツアルカトルが暴走しただけだ。
「もう一度出てきたケツアルカトルを抑えこもうとしてロックオンはああなった、と」
「そういうことです。彼の具合は?」
イアンにならってもう一度ロックオンに視線を向けたアレルヤは、目蓋さえ動かさないロックオンの寝顔に思わずため息をつく。
「肉体的には一切異常がない。ただあいつのつけてる悪魔が相当ダメージを食らってるな。召喚者は悪魔と精神的に同期するから、しばらくは寝てるだろう。悪魔が意識を失った召喚者を守るなんて初めて聞いたからよ、いろいろ詳しく聞きてえんだが悪魔のほうも寝ちまってる。2体同時に出すなんて、ムチャしやがるぜまったく」
最初に4人が守護悪魔を召喚する際に立ち会ったイアンは、その後もいろいろなことを4人にアドバイスしてきた。複数の悪魔を所持することになった際もきちんと召喚するのは1体ではないと身体が持たない、何が起きるか保証できない、と言ったはずなのだが。
「最終的には3体同時ですよ。サティはロックオンが出そうとしたわけではなかったみたいですけど」
サティが出てきたときはもうロックオンに意識は無かった。サティは縛めから解かれたようにロックオンの前に出てきて、ロックオンとグラハムに癒しの魔法をかけて消えていった。
「ほんと困ったやつだよ。まあ回復術を持ってる悪魔で良かったけどな」
「全くですね」
思わずアレルヤは苦笑いを浮かべる。4人の中で、回復術を持っている悪魔はロックオンの3体しかいない。ティエリアのヴェスタも持っているのだが、ヴェスタは二ケーたちと一緒にイアンのラボで研究対象として保管されていた。
「さて、エーカー中尉。答えを聞こう」