magic lantern

ユニオン領内である、経済特区日本。100年前には首都機能があり人で賑わっていたTOKYOも今やすっかりゴーストタウンと化している。その元凶である悪魔がTOKYOから他の地域へと進出することを恐れたユニオン本部は一方的にTOKYOを交通封鎖、現在悪魔の姿を確認できる旧都心を絶対封鎖して物理的に悪魔を封じ込めた。移民や浮浪者たちが旧都心に住み着いており、彼らには逃げる力が無いことを承知の上でだ。物資の配給や医療施設の設置など、世界や世論から謗りを受けぬことだけに留意して振る舞う本部のやり方に憤ったグラハムが強引に治安維持部隊として部下を引き連れて旧都心に入ったのは、半年前のことになる。
そして、今、グラハムたちの前に数体の悪魔が姿を現した。どこからやってきたのか、唐突に。
「姿を現したな悪魔ども!」
可愛らしいと言えないこともない姿ではあったが、表情は残虐そのものでグラハムたちには理解の出来ない音のような声を発している。
「カタギリ、下がっていろ。優秀な研究者に怪我でもさせたらプロフェッサーに申し訳ない」
近くで観察しようと歩み寄って来たビリーを制したグラハムは、悪魔が近づいてこないことを確認した上で銃口を向けた。
「私の目の前に現れるとは良い度胸だ!」
狙い澄ました銃弾は確かに悪魔を捉えた。が、その直後。
「中尉!!」
銃弾は悪魔を貫かず、真っ直ぐ跳ね返ってきたのだ。グラハム目がけて。突然のことで動けないグラハムの視界を、自分と同じブルーの軍服が遮る。
「ハワード!!」
どう、と倒れた部下の身体に駆け寄って跪いたグラハムは、散弾のいくつかが自分の足や肩を貫いていることにさえ気がつかなかった。多量の散弾を正面から浴びたハワードは血を流すばかりで、グラハムの声に応えない。
「何故……何故だ!!」
ハワードから流れ出ていく血を止めようと思っても手が動かない。自分の至らなさが、無力さが、グラハムの唇を震わせる。
──ハワードの忠誠に応えることの出来る、力が欲しい。あの憎い悪魔どもを殲滅する力を。これ以上、犠牲者を出さない力を……!!
『力をやろう』
太い声が聞こえた。
『お前の欲する力をやろう。おれを呼べ』
誰だ、とも何だ、とも思わなかった。幻聴である可能性に気づくことも無かった。
「来い!私に力をくれ!」
グラハムは震える唇でそう叫ぶ。そして、気を失った。


世界


ユニオンの治安部隊本部があるアカサカに程近い高架道路下を4人が歩いていると、急にアレルヤが立ち止まった。
「アレルヤ?」
「……誰かが悪魔を召喚したみたいだ、変な感じがする」
ぴくり、と身体を揺らして注意深く辺りを探るアレルヤの言葉にロックオンは顔をしかめる。
「召喚?俺たち以外にもプログラム実行者がいるのか?」
「ヴェーダからそのような情報は入っていない」
ソレスタル・ビーイングのホストコンピュータであり、イオリア=シュヘンベルグ本人とも繋がっている量子型演算システム・ヴェーダは常にティエリアと接続されている。もしソレスタル・ビーイングが新たな適合者を見つけたのならば、その情報はティエリアのもとへ届いているはずだ。憮然としたティエリアを見てロックオンは首を竦め、刹那と顔を合わせた。刹那はいつものように表情を崩さない。
「近いみたいだから行ってみませんか?血の臭いが強くなってきたし」
半人半魔であるアレルヤは、悪魔の気配にも人の血の臭いにも鋭い。その力をアレルヤに与えているのはハレルヤと呼ばれる悪魔で、アレルヤとは完全に融合している。
「オーケイ。どっちだ?」
「あちらです」
「行くぞ、刹那、ティエリア。プログラム実行者なら良し、生身の人間なら召喚された悪魔が暴走して召喚者を食らう前に保護しなきゃなんねえ」
「分かった」
ティエリアは答えないまま、先を急ぐアレルヤとロックオンの背を追った。生身の人間が、イオリアたちの開発したプログラム抜きで召喚することなど不可能に近く、さらにその悪魔と対面して無事でいられる可能性は天文学的な数字だ。無意味に思える。


4人の目の前には、下級幽鬼の欠片と思しきものが数体分転がっていた。幽鬼のものではない、人の血も辺りを濡らしている。揃いの青い制服、左胸にはエンブレムと双頭の鷲。
「あんたら、ユニオンの治安部隊か」
ロックオンがかけた声に、ユニオン軍と思しき人物たちは目に見えて怯えた。何事か、と見やれば宙に浮く半透明の悪魔──召喚され、契約を結んだ悪魔の姿があった。悪魔の足元に伏せているのは陽光のような金髪を持つ小柄な男で、血をも流している。そして近くには、夥しい出血が見られる軍人が横たわっていた。こちらは髪が栗色で大柄な男だ。
「ティエリア、こいつは」
「……ケツアルカトル。既に契約済のようだが召喚者が意識を喪失しているので暴走しかかっている」
召喚者と思しき金髪の男の側に身を屈めたロックオンは、男の身体を横向けにしてから浮いている悪魔を見上げる。今まで、4人の前に姿を現したことの無い、初めて見る守護悪魔だ。
「アレルヤ、召喚スペルは」
「無いです。スペルも、陣も」
アレルヤが少し前に感じた違和感は、自分たちと同じように守護契約をして使役する悪魔の気配のものだった。守護悪魔は街にいる悪魔と同族・同種であっても気配が違う。召喚者の精神と同期し、魔力を人に与えるために起こる変化だろうとイアンは昔言っていた。本来、悪魔を召喚するのにはスペルや魔法陣が必要で、それをCOMPに納めている自分たちと違い、目の前の人物の周りには全く召喚術の跡が無い。
「厄介だな……サティ、おいで」
アレルヤの言葉に眉間の皺を深めたロックオンが声をかけると、すぐさまロックオンの頭上にサティが現れた。ユニオンの軍人はさらに怯えて恐怖で顔を引きつらせたが、4人は意に介さない。
『お呼びか、マスター』
「こいつに、ディアラマを頼むな。刹那、マカジャマかけてケツアルカトルをとりあえず抑えてくれ」
『承知』
サティの手からさらさらと光の粒が流れ、ロックオンの側で倒れている男の身体へと降りかかる。すぐさま男の出血が止まり、みるみるうちに顔色が良くなった。傷も服の破れを残すのみで既に見えなくなっている。
「了解した。来い、セイメンコンゴウ」
刹那の声に応えて、頭上に青面金剛が現れる。ユニオンの軍人は目の前で起こっていることに最早対処しきれずに目を白黒させるだけだ。青面金剛が手を翳すと、ケツアルカトルが男に吸収されていくような形で姿を消す。
「とりあえずはこれでいいか。あんたらももう大丈夫だ。別に俺たちはあんたらの敵じゃない」
ロックオンの言葉に姿勢を戻したのは、1人後方にいたビリーだけだった。揃いの軍服ではなく、白衣を身に着けている。
「君たちは?」
眼鏡をかけ、長い髪を揺らしてそう尋ねたビリーにロックオンが答えようとした矢先に、側で横たわっていた男が意識を取り戻して身体を起こした。跳ね上がるように上半身を起こす。
「…う…私は…ハワード!!あの悪魔たちは!」
「そりゃあんたが倒したんだよ、兄さん。正確にはあんたが召喚したケツアルカトルが、だがな」
視線を合わせたロックオンの目に映ったのは、金髪碧眼でいかにもアングロサクソン系の整った顔だった。童顔の部類ではあるだろうが、女性にはたいそう受けの良さそうなタイプに見える。
「ケツアル…何だ?君たちは一体……」
「あんたらはデビルサマナーとか、呼んでるみたいだな。対悪魔組織、ソレスタルビーイングの者だ」
上半身を起こしたまま、呆然としている軍人を尻目にロックオンは立ち上がりサティに戻るように合図をした。倣うように刹那が青面金剛をしまう。アレルヤとティエリアの側に戻ったロックオンに尚も呆然としたままの声がかけられた。
「デビル、サマナー……?」
「一応、組織では『悪魔召喚プログラム実行者』っつー長い名前があるがね、あんたもその仲間入りってわけだな兄さん。召喚スペルも陣も無しに悪魔を呼んで契約するとは恐れいるね」
身体を起こそうとする男に手を差し伸べた数人の軍人たちが、揃いに揃ってロックオンをねめつける。どうやら恐怖からは解放されたらしかった。
「こちらはユニオン軍TOKYO治安維持本部部隊長、エーカー中尉だ。口の利き方に気をつけろ」
「へえ?エリート軍人さんか。悪いが俺たちはあんたらの指揮下でもないし、統治下の人間じゃないんで気をつける義理はねえな。それよりも中尉殿には来てもらわないといけない場所がある。……アレルヤ、おやっさんに連絡取って叩き起こしてくれ。あの人まだ寝てるだろうからな。ティエリアはヴェーダに連絡を」
部下らしき軍人たちの言葉にロックオンは片眉を上げて肩を竦める。IDが無いという理由だけでユニオンの配給をもらった覚えも無い自分たちに、彼らを敬う義理も無ければ理由も無い。助けたのはこちらのはずだが、礼の一つも無いときている。連絡を取っている2人を確認して、ロックオンはグラハムに視線を戻した。呆然としていたグラハムはようやく我に返ったようで、視線を向けたロックオンをしっかりと見つめている。
「中尉殿、あんたがこれから俺たちのように悪魔を召喚するにしろしないにしろ、一度あんたと契約した悪魔を召喚スペルで管理しなきゃならない。今は強引に封じ込めているが、それも長く持たないんだ。そしてもう一度そいつが封印を破れば、あんたは今度こそそいつに食われる。頭がイカレるか内臓まるごと無くなるかそれとも存在そのものか、なってみないと分かんねえけどな」
「気を失うだけでは済まないと?」
限りなく事実に近い言葉ではあったが、釘を刺す意味で脅しを含めたロックオンの言葉にグラハムは毅然とした表情で質問を返した。この意思の強さ、精神の強さこそがおそらくケツアルカトルを呼べたに違いなかった。
「正解。もう少し封印するのが遅けりゃ、今ごろどうなってたか分からない。召喚スペル無しに悪魔と接触するのは、それほど危険なことなんだ」
「君たちは、何故無事でいられる」
グラハムは挑むような目つきでロックオンを見つめている。自分が危険な目にあったはずのことを、目の前にいる明らかに若輩の者が何事もなくこなしているのが気に障ったのかもしれない。
「そりゃ、俺たちが悪魔召喚プログラムを持ってるからさ。プログラム無しで召喚すれば、俺だって同じ様に危ない」
「……それで、どこに行けばいいというのだ」
「ここでは教えられない。召喚出来る人間にしか、存在を明かさない場所だ。俺たちがあんたを護衛して連れていくから道中は安心していい」
このようなケースに遭遇するのは4人とも初めてで、研究所でも聞いたことの無い話だ。けれど、研究所に戻るわけにはいかない以上、イアンのところへ行くのが最善に思われる。召喚プログラムのほとんどに携わった彼は悪魔のことにとても詳しい。研究所でプログラムを完成させた後は、街でプライベートラボを持ち悪魔の研究に勤しんでいて、4人も度々訪れていた。
「君たちのようにプログラムで制御すれば、私はあの忌々しい悪魔たちを倒すことが出来るのかね」
忌々しい、と口にしたグラハムの声は小さく震えていた。それは恐怖ではなく、悔しさだ。
「出来るとも言えるし無理だとも言える。悪魔にはいろんなヤツがいる。さっきあんたらが襲われたのは幽鬼、物理攻撃はそこそこ効くが銃弾を跳ね返す厄介なヤツだ。ケツアルカトルはおそらく物理魔法で倒したんだろうな。でも悪魔の中には、さっきと同じ魔法が効かないヤツらも大勢いる。要はここさ。悪魔は単なる万能な力じゃない」
指で頭を示したロックオンに、グラハムは一度頷いて落ちた制帽を拾い上げて被り直す。
「分かった。その場所へ連れていってくれ。私には悪魔と戦う理由がある」
「オーケイ。アレルヤ、おやっさん何だって?」
「一応起きてはくれたみたい。早く行かないと寝ちゃうかもね」
「はは…ティエリア、本部は?」
「エージェントといつもの場所で落ち合え、とのことだ。おそらくプログラムを持ってくるんだろう」
「そうか。んー…刹那、ティエリアと一緒にお嬢さんのとこ行ってくれ。後でおやっさんのとこで集合だ。俺とアレルヤは中尉殿を連れていく」
「了解した」
刹那とティエリアがいつも王留美と落ち合うアザブの街に向けて足早に去って行った。見送ったロックオンとアレルヤは毅然とした表情を浮かべているグラハムを護衛すべく歩み寄る。
「さ、行きますか中尉殿。急がないとケツアルカトルが出てきちまうからな」
「待て。いや、待ってくれ。頼みがある」
アレルヤと同じぐらいのがっしりとした体格の男が近寄ってきて、ロックオンに頭を下げた。
「さっき中尉にしたように、ハワードに…こいつにもしてやってくれないか。もう手遅れだろうが、頼む!」
勢いよくもう一度頭を下げたせいで、煉瓦色のコーンロウが揺れる。ロックオンは視線を伏したままの男…ハワードに移した。4人が到着してから、ぴくりとも動いていない身体からは補い切れないほどの血液が流れ出していて、肌は土気色に近づいている。
「ダリル、ハワードは私を庇ったせいで銃弾をもろにくらったんだ、口惜しいがもう…」
「……悪いな。この人に必要なのは俺たちじゃなくて、牧師さんだ。俺のサティが中尉殿に回復スペルをかけられたのは、中尉にケツアルカトルがついてたからで俺は奇跡を起こせるわけじゃない」
グラハムの声を遮って、ロックオンは首を振った。ロックオンについているサティたちは誰も彼もを救える奇跡の力を持っているわけではなく、魔力を通じて魔力を持つ者に働きかける。普通の人間は、癒しの術であっても魔力に対して無力な為に回復することはない。攻撃魔法を受けたときのように、ダメージを受けてしまうのだ。人間は総じて、魔力という魔力に対抗することが出来ず一方的にダメージを負う。
「そう、か……」
がっくりと肩を落としたダリルから目をそらして、ロックオンはゆるく唇を噛み締めた。力があっても、いつだってそれは何かを奪う力で怪我人さえ助けることは出来ない自分は、昔と何ら変わりが無い。十年以上身を染めた業からは逃れられないのかもしれない。
「中尉、お待ち下さい、危険です、我々も」
ロックオンとアレルヤについて歩み出そうとしたグラハムを制止する声があったが、グラハムは首を振った。柔らかい金の髪が揺れる。
「……お前たちはハワードについててやってくれ。私に代わって」
「了解」
「僕を連れてってくれないか?すごく、興味がある」
近寄ってきたビリーの言葉にロックオンは眉間に皺を寄せた。
「九つ命があっても、好奇心が元で死ぬって言うぜ?」
「はは、それは本望だね。研究者なんてそんなもんだよ」
「あんたは?」
「僕はビリー・カタギリ。エーカー中尉とは友人だよ。治安維持部隊にくっついてやってきた、研究者だ」
それで白衣を着ているのか、とロックオンは納得したもののイアンのラボに部外者を入れるわけにはいかない。
「ふうん?召喚者しか連れていけないんでね、悪く思わないでくれ。後でご友人から話を聞けばいいだろう」
「それは残念」
ビリーは小さく肩を竦めてみせただけで、それ以上食い下がってはこない。グラハムが振り向いて敬礼をしている部下たちと自分を庇って斃れたハワードに視線を落とす。
「ダリル、後を頼むぞ」
「了解しました、お気をつけて!」