magic lantern

7.62照射

アリーを伴ったグラハムはアカサカにあるユニオンの本部へロックオンたちを招いた。グラハムが知る限り、この旧都心の中で一番安全で過ごしやすい環境はここにしか無い。同じ場所にアリーを留めるわけにもいかないので、グラハムはすぐに封鎖壁の近くへとアリーと共に向かった。軍の護送車の中で、アリーはにやりと笑う。勘に触る笑い方をする男だ、とグラハムは目を眇めた。
「で?お前はいつオレを殺すんだ、ユニオンの隊長さんよ」
「……私はロックオンを悲しませないと彼に誓った。誓いを破るなど男のすることではない」
「へえ、ニールも大概イカレてるがお前も大概だな」
この男からニールという名が出ることすら、グラハムにとっては到底許せることでは無かった。
「自殺志願なら、ぜひとも自分の国でやってもらおう。ここでそのような真似をされるのは非常に迷惑で不愉快だ」
「なら、何でお前はいつまでたっても銃口をオレに向けたままなのか聞こうか」
グラハムが携行しているハンドガンは、その実、護送車に乗り込む前からずっとアリーに向けられている。ロックオンと離れてから、ずっとだ。
「ロックオンを侮辱し、これ以上ないほど彼を苦しめ、彼の家族を奪い、アオヤマ周辺の移民たちの命をことごとく奪ったお前を今ここで殺してやりたいというのが正直な気持ちだ」
「なんでそうしない?簡単だろ?その引き金を引いて、オレの頭なり心臓なりぶち抜けばいいんだ」
「お前を殺したいのは私のエゴだ、個人的な気持ちに過ぎない。ロックオンがお前をAEUまで護送してくれと私に言った、それ以上に大事なことなどない」
自分はただの復讐者だ、と悲痛な顔で叫んでいたロックオンが、引き金を引かなかったのだ。部外者であるグラハムに引く権利など、無い。それでも、ただの捕虜として扱うことなど気持ちの面で到底出来なかった。グラハムが苦々しく告げた言葉に、アリーは小さく肩を竦める。
「……イカレてんなァ、あんた」
「恋など、そもそも正気があってできるものではないだろう。まして、私が恋をしたのは女神だ」
「……女神、ねえ。あんた、あいつがどんだけ人を殺したか知ってんのか?初めて銃を握らせたのは15の時、24で組織を抜けるまでアイツはずっと組織のスナイパーだった。アイツに頼んで、失敗した仕事は無かった」
グラハムはふっと笑みを浮かべた。軍人が命令で敵兵を殺すことと、雇われスナイパーがターゲットを殺すことに、何の違いがあるだろう。
「私は軍人で、裁判官でもなければスナイパーに家族を殺された被害者でもない。そのスナイパーを裁く権利など一切持たない。まして、この街で生きるために手を汚す人々を取り締まっていては、この街から人はいなくなる」
ロックオンは自分のことを人殺しだ、と繰り返した。だが、彼のような人間はおそらく旧都心にいくらでもいる。そして罪人を作った咎は、ユニオンにもあるのだ。もし悪魔から身を守ることが出来て、最低限の生活を彼らに保障してやることが出来たら、罪を犯さずに済んだ人々はかなりいるはずだった。
「よく分かってんじゃねえか、統治担当者さんよお」
「この街に生きる移民たちが罪を犯さねば生きていけないのは、彼らの罪というより統治している我々の罪だろう。統治するというのなら、彼らに安寧を齎さなければならない。それが出来ないユニオンの軍人が、スナイパーを裁く権利など、始めからないのだよ。もっとも」
そこで一度言葉を切ったグラハムは、自嘲の笑みを乗せてアリーを真正面から見つめる。
「彼に殺された被害者の縁者が彼を殺しにきたとしたならば、私は是が否でも阻止するが」
「とんだ軍人がいたもんだぜ」
「お前も軍人だろう?人のことは言えない。……恋など正気の沙汰ではなく、そもそも恋は罪悪だと決まっている。恋をしたがために、私は彼を傷つける全てのものを許せなくなった。道義に適った敵討ちであろうと、彼自身が贖罪として裁かれることを望んでいたとしても、私はそれを阻むだろう」
ロックオンが生き続けることを、グラハムが望むから。己が望みのために、女神の意思に違えてもグラハムはロックオンを守ると決めている。人の命を奪い続けてきたロックオンにとって、自らの死は安らぎかもしれない。逃避かもしれないし、それこそが幸福かもしれない。それでも。
死んでしまったら、何も残らない。何も、出来ないのだ。
「……神ならぬ、女神の御加護、か」
続けざまにアリーはPatrick,bress du dieu vous、と小さく呟いた。グラハムの目の前で、何ごとかを呟いて拘束された掌に唇を寄せる。ロックオンの家族を奪った手。その手に寄せられた言葉は密やかで、ロックオンがこの男を殺さなかった理由の一端を、グラハムは見つけた気がした。



グラハムがアリーを連れて本部を出て、数時間。ロックオンは通された部屋の片隅で、膝を立てるようにして床に座っていた。一番、落ち着く姿勢なのだ。傍らにはアリーを狙うことの出来なかったライフルがあり、ロックオンは片手からハンドガンを離すことが出来ない。少し離れた場所で見張るようにこちらを見ていた刹那とティエリアは、疲れていたのだろう、眠ってしまった。アレルヤが彼らを別の部屋へ移して、戻ってくる。
「よぉ」
が、戻ってきたのはハレルヤだった。ひょいと片手を上げてみせる。
「……ハレルヤ」
「おれに会いてーだろーと思ってな」
にやりと笑いながら近づくハレルヤも、今日のことは知っているはずだった。ハンドガンから手を離さないロックオンの姿も、見えているはずだ。
「アレルヤは」
「あいつも疲れてたんじゃねえの、今日ので」
「……そうか」
アレルヤが疲労で意識を失った後に出て行くと、ロックオンはいつも身体を動かすな休ませろと煩いのだが、今日に限っては反応が空ろだ。それも仕方の無いことだろう、とアレルヤの中から見ていたハレルヤは間合いを取って部屋にあるベッドに腰を下ろす。
「お前は」
「ん?」
「いつかお前言ってたよな、俺は同じ悪魔だろうって」
ぎゅ、とロックオンはハンドガンを握り締めた。悪魔であるハレルヤにとっては想像するのも胸くそ悪い話だが、まるで、十字架を握り締める聖職者のようだ。
「アァ、言ったな」
「お前の言うとおりだ、俺は悪魔だろうよ、今だって…グラハムに全部任せるって決めた後になってもあいつを殺したくてたまらない、こんなの悪魔じゃなきゃ何だ」
「怖いんだ。一歩でも動いたら、そのまま殺しに行っちまう、グラハムたちを追いかけて、そのまま、これで」
これで。片手に握ったハンドガンに、もう片方の手を縋るように添える。
「あいつを殺して、ドラッグを渡したリボンズっていうヤツを殺して、そしてドラッグを作ったってやつも殺して、そしたら、俺には何も残らない」
「……」
「俺はカラッポだ。悪魔は虚無だといつか言ってたな、本当に、空だ」
ハンドガンに縋りつく両の手が、小さく震えていた。ロックオンは唇をも震わせて、笑みらしきものを浮かべる。
「家族の仇を討てば、俺はもう、そこでおしまいだ。人を殺してまで生き延びた意味さえ、そこで無くす」
「そうかよ」
「ミッションがある間はいいんだ、やらなきゃならないことがあるからな。でも、それさえ終わってしまったら…俺は…」
俯いてぎゅっと膝を抱え込んだロックオンの髪が、動いて身体に掛かった。存在さえ希薄な姿に、ハレルヤは瞠目する。
アレルヤやグラハムたち、人間がこの男を美しいといい、聖なる者だと言う意味がどこか分かった気がしたのだ。
美しいのは造形だけでなく、己に重く科した使命に殉じていくことを厭わない、潔癖な魂のことだったのだろう。道理で美味いはずだ、と思う。ロックオンの精気が美味かったのは、憎悪が満ちていたからだけではない。憎悪を生み出している魂の本質が、清廉で高潔なものであったからこそ、ハレルヤはこの魂が生み出すエネルギーを美味いと感じた。使命に殉じるなど、まさに天使たちが好む魂に違いない。
「その後のことは、そのときに考えればいいだろ、人間ってやつは面倒だな」
「…それもそうだな。お前、案外いいこと言うな」
小さく顔を上げたロックオンが少しだけいつものように笑ったので、ハレルヤは腰を上げてロックオンに近寄る。近寄っても、大丈夫だとやっと思った。
「言ってろ。……ロックオン」
「ん?」
「お前が抱える憎悪はおれのエサだ、おれに寄越せよ」
「……」
そう、そして、仇を討っても尚残る憎悪で魂が潰れそうだと言うのなら、人の身には余るほどの憎悪をおれが全部持っていく。アレルヤの身体の奥で、美しい魂が生み出した憎悪を舐めながら過ごすのも、悪くはないだろう。アレルヤの身体はハレルヤ自身の寿命ほど長くは持たない。ロックオンも。ハレルヤの時間からすれば、この人間たちが朽ちるまでの時間など、ほんのわずかだ。だから。
「忘れるな、お前の憎悪はおれのものだ」
身を苛むほどの憎悪を、生きる理由として必要としなくなったのなら、おれが全部引き受ける。それはおれにとって何よりも美味いエサで、甘く、いつまでも酔っていられる。お前はもとの高潔な魂を抱えて、人間として生きていけばいい。憎悪を失っても、お前はやがて生きる意味を見つけ出して、人間として誰かとともに生きていくだろう。
人間は悪魔より脆く短い生を定められている。だからこそ、創造することを許された。
新しい世界を、新しい人生を、全て創るのは人自身だ。
悪魔は享楽的で刹那的であるが故に、快楽を伴う破壊を旨とするが創造などということには縁がないし興味もない。楽しければ、気持ちよければ、それでいい。そして今のハレルヤには、この人間の憎悪に付き合うことがとても、楽しいのだ。それだけだ。
「ハレルヤ……」
ハンドガンを握り締めたロックオンを、そのまま両腕で抱え込んだ。自分は悪魔で、この男はどこまでも人間でしか、無い。近い闇を抱えているが故に苦しむのであれば、その闇を受け取れるのは悪魔の自分しかいないのだろう。光を投げかけたところで、光は闇を濃く染めるばかりだ。
「……頼みが、ある」
「なんだよ」
「グラハムが戻ってくるまででいい、俺を眠らせてくれ。アイツがこの街からいなくなるまで、俺が追えないように」
腕の中でハレルヤを見上げる目が、薄く濡れている。いつものように精気を吸って気絶させろという意味だとはすぐに分かった。が、ハレルヤはその腕でロックオンを抱え上げ、ベッドへ投げ落とす。スプリングでロックオンの身体が弾んだ。
「ハレルヤ!?」
途惑う声に、ぎしりとベッドが軋む音が重なる。ハレルヤはロックオンに覆い被さるように身を重ねて、ハンドガンを掴んだままの手を手首ごと、押さえつけた。
「おれがお前を繋いでやるよ」
この世界に、アレルヤたちの傍に、人として。人の身を繋げ縛るのなら、こちらも生身の身体でないといけないだろうとハレルヤはアストラル体越しではなく、間借りしている肉体でロックオンを押さえ込む。
以前、アストラル体を介してハレルヤはロックオンを抱いたことがあった。アストラル体を認識出来ないロックオンにとっては不可解なままで終わった出来事だが、今度はそうはいかない。肉体そのものはアレルヤのもの、だが、今のロックオンを人に戻すことが出来るのは自分だけだ。どの道、アストラル体しか持たないハレルヤでは、ロックオンと正しく交わることなど出来はしない。
「お前は、単なる人間だぜ?ニール。てめェは…おれのエサだ、そう言ったろ」
寄越せよ。ハレルヤはそう耳元で囁いて、口の端を上げた。


やっとこさハレルヤのターン……。