magic lantern

Diable Rouge

ロックオンは意識が戻った途端、身体中を襲ってきた痛みに顔を顰めた。奥歯を噛み締めて痛みをやりすごしながら、経過を反芻する。
4人で悪魔が多く出没するという廃墟にやってきたはずだった。今となっては旧都心のビルはどれも廃墟だが、その中でも人の出入りが無く周囲に人影も無い、正真正銘の廃墟。悪魔が出没するという噂は本当で、4人はたくさんの悪魔の相手をしながらビルの全容を掴むために上へと昇っていた。そして、その途中でロックオンはここまで落下してしまったのだ。4人で歩いていたフロア──今となっては何階だったか記憶が曖昧になった──そこに仕掛けられたトラップにかかってしまい、ティエリアが落ちそうになった。咄嗟に手を出したロックオンはティエリアを突き飛ばすようにしてアレルヤに預け、それを見届けて自分が落下していくのを感じた後の記憶は無く、現在に繋がっている。
「……二ケー、来てくれ」
荒い息混じりの声に二ケーが姿を現した。ロックオンは治癒魔法の指示を出そうとしたが胸部の痛みに声が出ず、ひゅうひゅうと咽喉が鳴ってばかりいる。何度試しても声が出てこなくて、ロックオンは諦観するように目を閉じた。痛い、痛い、そればかりが頭の中をぐちゃぐちゃにする。何階から落ちたか分からないが、受身など取れていないだろうからおそらくいろんな箇所を痛めたに違いない。折れていても不思議ではないし、見えないだけで出血していてもおかしくなかった。
「…ッ……」
骨が折れていても不思議ではない状態なのに、何故COMPは壊れずに二ケーはちゃんと出てこられたのだろう。ふとそう思ったロックオンは、試しに目をつぶってゆっくり息を吐きながら強く念じてみた。治癒魔法を俺にかけてくれ、と。COMPが壊れていないとするならそれはイアンたちを褒めるべきだけれど、もし少し故障していても契約者であるロックオンの意思に従って出てきたというのなら、強く願えば守護悪魔には通じるのではないか。
『ディア』
「……!」
治癒魔法のスペルを読む二ケーの声がして、ロックオンは目を見張る。いつものように二ケーがゆっくりと羽ばたき、さらさらとこぼれていく光の粒がロックオンにかけられた。身体の痛みが引いていき、ロックオンは確かめるようにじょじょに身体を起こす。どこも痛みを覚えなかった。
「ありがとな」
もう一度だけ、ロックオンの言葉に頷くように羽ばたいた二ケーはそのまま姿を消す。ロックオンは起き上がり、辺りを見回した。視界がいやに暗い。いくら廃ビルだらけの場所だと言っても日が射さないわけではないし、4人で歩いていたときはこれほど暗くなかった。うっすらとしか辺りの構造が分からず、先の方が行き止まりで暗いのか空虚の闇で暗いのかが分からないほどではなかったはずだ。
「つうことは、地下か……面倒だな」
自分の装備はほとんど揃っているが、マルチAIで物知りな相棒ことハロを刹那に預けたまま落ちてしまったので、ここがどこかも分からないし、おまけに3人がどこにいるかも分からない。ハロに対するフェルトの愛情は可愛らしい外見にとどまらず、スペシャルなプログラムをこれでもかと注ぎ込むことで示されたらしく、結果ハロは大変役に立つ相棒だ。一度でも遭遇した悪魔のデータは全て入っているし、初めて遭った悪魔でも種族や名前がすぐに分かる。おまけにオートマップ機能や悪魔とのコンタクトに必要な月齢、周囲の生体反応及び熱源反応感知、などなどを備えていた。ハロの口調はカタコトだが幼子のようで可愛いと思っているロックオンは、研究所を出たときからハロを手放さずに連れて歩いている。仮にロックオンが持たなくなってもハロは自律運動で移動出来るのでついてこれるのだが、何となく抱えるのが癖になってしまった。悪魔と戦闘になっていきなり放り出しても傷一つつかない頑丈すぎる体と文句を言わない性格をしていて、あの電子音が聞こえないのが妙に寂しい。
咄嗟に刹那に預けてきたが、刹那はあれで律儀な性格なのできちんと抱えて歩き回っていることだろう。その様子を想像すると少し微笑ましくて思わず笑いが浮かぶ。
「……誰かそこにいるな?出てこいよ」
「……ッ!」
闇の向こうからかけられた声に、ロックオンは身構えた。床に落ちていたハンドガンを拾って、トリガーに指をかける。
「返事ぐらいしろよ、きれいな顔した兄ちゃん」
「な!?」
ロックオンが不用意に声を上げてしまったのは、自分にかけられたと思しき不釣合いな形容詞のせいではなく、自分が見る事のできない視野の向こうで相手が自分を視認していると分かったせいだった。
「安心しな、取って喰やしねえよ。だからその物騒なモンをしまってこっちに来い」
警告を知らせるアラートが最大音量でもってロックオンの脳内で鳴っている。危険だ、と強く思う。得体の知れなさが危険というよりは、太い声に抗えない響きとどこか近しいような空気が感じられて、そちらのほうがよほど危険だと思った。
「おれはアリー、ちょいとワケありでここをねぐらにしてんだ。お前は?」
思わず本名を口にしそうになった自分をロックオンは唇を噛んで戒め、闇の向こうにいるだろう相手を睨みつける。人間ならともかく、人を惑わして力を奪う悪魔かもしれないし、本名など名乗るわけにはいかない。
「だんまりかよ。まァいいか。お前、アイツと似た髪してんな。アイツのが赤くて長いけど、あんたのはきれいにカールしてる」
「……アイツ?」
返事をしたらおしまいだ、と分かっていたのにロックオンは言葉を返してしまった。これがもし夜魔の類で人を惑わしてエネルギーを奪う悪魔なのだとしたら、相手の術中にまんまとはまったことになる。
「もう一個のねぐらによく来る、外猫みたいなヤツだよ。可愛いっちゃあ可愛いが、底抜けに馬鹿だ。ま、そこを含めて可愛いんだけどな」
惚気られているのか、アリーと名乗る男の意図が掴めずにロックオンは眉根を寄せた。
「この街の人間にしちゃ、いやに白いな。おかげであんたの顔がこっからでもおぼろげに分かるぜ、美人さんよォ」
コツコツ、と足音が近づいてロックオンはもう一度音のする方にしっかりとハンドガンの銃口を向けて構える。利き手の右手でオートマのハンドガンを握り、左手で辺りを探りながら後退った。
「あんたどっから現れた?ここの入り口を知ってる人間はそういねえ」
「……お前こそ、このビルにどれだけ悪魔たちが巣食ってるのか知らないのか」
「悪魔、なァ……」
赤いものが近づいてきた、と思えばそれは男の髪で錆び付いた血のような赤い色をした髪を揺らしながら、男がロックオンに近づいてきた。にやりと笑みを浮かべている。
「変なモン持ってんな……お前あれか、デビルサマナーか。初めて見たぜ、本物」
ロックオンたちのように悪魔と契約して召喚し、自らの力にする人間を街の人々はデビルサマナーと呼んでいた。それは時として救い主の名でもあり、この混沌の元凶としての呪いの名でもあった。
「偽者がいるってのか?それこそ初めて聞いたぜ」
「噂ばかりが一人歩きしてんだ、デビルサマナーは悪魔をこの街に放った元凶だ、この街を悪魔から救う救世主だ、悪魔と契約する人間などそれはもう悪魔だ、いろいろな」
アリーが並べ立てる言葉にロックオンは片眉を上げてみせただけで、銃の照準も外さないまま後退する。
「…ンだ?穴が開いてんな」
ロックオンが落ちてきた地点まで歩み寄ってきたアリーは風の通り道に気づき、顔を上げた。ぽっかりと開いた穴は微かに風と光を運んでくる。
「まさか、お前落っこちてきたのか」
「……悪魔と契約した人間はもう悪魔なんだろ?大したことじゃないね」
驚いていたアリーはロックオンの言葉に肩を竦めた。
「なるほどな、それでオレが気づかなかったわけだ。ここの入り口はオレしか知らねえはずだが、地上はそうじゃないからな。……ところでお前、腹減ってねえか」
「はぁ?」
食料はいくつか携帯しているが、それは全部アレルヤが持っていて今ロックオンの手元には何もない。水さえ無かった。
「ちょいと仕入れてきてよ、まあ一人で豪勢な食事の予定だったんだが、あんたと一緒のほうが美味そうだ」
「あんた、その赤い髪のヤツ?とかいうの馬鹿に出来ねえぜ、あんたも大概馬鹿だ」
黙って澄ましていれば美少女に見えなくもないティエリアのような細身を捕まえて言うのならともかく、骨格も筋肉も青年男子相応の自分を捕まえて言うことではない、とロックオンは一笑に付した。
「どうせなら美人の顔見ながら食ったほうが美味いに決まってんだろーがよ」
「……」
今度はため息しか出てこなかった。男だ、と面と向かって言おうかとも思ったが、それがどうした、むしろそのほうがいい、などと言われたらそれはそれで嫌なのでロックオンは賢明に沈黙を守る。
「あんたの国じゃどうか知らないが、オレの母国じゃ男だろうと女だろうと美人は美人だ。んで、美人をもてなすのは礼儀だろ」
「……何を仕入れてきたんだよ」
このまま美人と連呼され続けると、要らないダメージを負いそうでロックオンが話題の転換を図るとアリーはにっと口の端を上げる。
「配給なんかとは、物が違うぜ。なんせ、ユニオンが自分たち用に仕入れてきた食料だからな」
「軍の輸送車を襲ったのか?大概荒っぽいな」
「止めてる車から拝借しただけだぜ、まあ、武器ももらってきたけどよ」
輸送車を強襲したと言っているのと同義だ。食料を積む輸送車に武器を入れるとは思えないから、おそらくは車に乗っていた軍人の武器を奪ったのだろう。ロックオンは危険だ、と思った自分の勘はあながち間違いではなかったと思いながらもう一度ため息をつく。
「おら、こっちだ」
ロックオンがついてくることを疑わない、確かな足取りでアリーはロックオンに背を向けた。ロックオンは右手に持ったままのハンドガンを向けようか悩み、手に持ったままアリーの後ろを距離を保ってついて歩く。ユニオンの食料なら確かに美味いのだろうし、今までユニオンから配給すらもらったことがないロックオンからすれば、ユニオンから奪ってやったようで溜飲の下がる思いがする。実際に奪ったのはアリーだが。
「ここだ」
通された部屋は電球がぶら下がっていて、暗闇に慣れた目にひどく眩しい。古びたベッドが一つ、武器がいくつも立てかけてあって、めぼしいものはそれだけだ。テーブルも無ければ椅子もない。
「……あんた…」
何でこの街にいるんだ、と言いかけて愚問だと口を閉じる。ユニオンが旧都心を封鎖したのだ、誰も出られない。封鎖される前から旧都心にいる移民なのだろう。
「酒もあるぜ、純正のヤツ。ワイン飲めるか」
「飲める、けど」
エールタイプのビールがロックオンの好みで、もっと言うならスタウト・ギネスが一番好きだ。そこそこ酒に強いのでワインだろうとウイスキーだろうと問題は無いが、こんな得体の知れない男と2人で酒を飲むのもどうかと思う。第一、まだビルのどこかに3人はいるのだ。
「けど、何だよ」
「……メシは付き合うけど酒はダメだ。仲間が俺を探してるはずだ。食ったら、仲間を探しに行く」
缶詰を開けていたアリーはロックオンの言葉に手を止めたが、またすぐに缶詰を開けてワインの栓を開けた。ロックオンにミネラルウォーターの瓶を投げて寄越す。
「おら、これでいいだろ。単なる水だ」
「ああ」
手渡されたボトルには確かに水だと書いてあり、開封された形跡も無い。ロックオンはゆっくりと栓を開けて口に含んだ。久しぶりの水分をゆっくりと飲み込む。
「やっぱユニオンだな、芋と肉ばっかりだ」
確かに、とアリーが開けた缶詰の中身を見ながらロックオンも苦笑した。けれど芋と肉はロックオンの好物でもあったので、思わず顔に笑みが残る。
「食えよ、まだあるから遠慮すんな。誘ったのオレだしよ」
「じゃあ…」
嬉しそうに手を伸ばすロックオンを眺めて、アリーはにやりと笑みを浮かべた。






これは単なる小話ですけど(時間軸はグラハムに会うより前)、こっから派生したアリロクR18がこのパラレルのオチ部分まで(プロットが)出来上がった、と言ったら呆れられそうですね。アリーは本編にもたくさん出てきます。アリーの言う赤い髪の可愛い馬鹿はもちろんコーラサワーです。
ちなみに、3人は頑張ってお兄ちゃんを探しています。茫然自失のティエリア(庇ってもらってびっくりした)と猪突猛進にハロを抱えて突き進む刹那のフォローをするアレルヤはきっと憂鬱です。