magic lantern

悪魔

計算違いも甚だしい、とティエリアは現在の状況に知らず唇を噛む。研究所を出てから十日、スメラギ・李・ノリエガの情報に沿って悪質ドラッグを追っていた4人が悪魔に取り囲まれたのは数時間前のこと、気を抜けばそのまま昏倒してしまいそうなほど4人は疲弊していた。悪魔の巣とでも言うべき場所に迷い込んでしまったらしく、出てくる悪魔にキリが無い。おまけに魔法が効かない飛天族の悪魔もいて、4人が悪魔を召喚出来なくなって倒れるのは時間の問題だった。
「何ということだ……ッ」
ミッションの一部でさえこなせていない状態で倒れてしまうなど、あってはならないことだ。ティエリアは尚も唇を噛んで、手放しそうになる意識を繋ぎとめる。ティエリアは悪魔召喚プログラムを実行するために作られたヒュ―マノイド型コンピュータで、ソレスタル・ビーイングひいてはイオリア=シュヘンベルグの計画を遂行するためだけに存在している。
「っ、クソ!」
「どうした」
吐き捨てるようなロックオンの声に刹那がちらりと振り向いて応じた。ロックオンはライフルを構えて飛天族を狙い撃つ。
「俺の悪魔が封じ込められた、出せねえ」
「時間を稼がないと……うッ」
「アレルヤ!」
突然身を屈めたアレルヤにライフルを手にしたままのロックオンが近寄ると、アレルヤはごろりと力なく横たわった。流れ出る血がアスファルトの地面を濡らしていく。
「ティエリア、アレルヤを」
ティエリアは倒れているアレルヤと寄り添うロックオンに視線を向けたが、すぐに眼前の悪魔に視線を戻した。
「問題無い。ヤツが出てくるだろう」
「はぁ!? 何言ってんだティエリア、血が」
出ているんだ、と続けようとしたロックオンは言葉を失う。既に流れた血はアレルヤの身体から遠ざかり辺りを濡らしているが、新たに流れ出る血が見当たらない。その上、裂傷のせいで破れた服の隙間から肌に黒い模様が見え、ロックオンは思わずアレルヤの顔を覗きこんでそれが見知った顔であるかどうかを確認した。確かに顔はアレルヤのままで、けれど首筋や腕や捲れ上がった服の下にある腹にまで黒い模様は広がっている。
「何だ、これ……」
ロックオンがアレルヤに出会ったのはひと月と少し前、それからずっと同じ研究所にいて多少なりとも顔を合わせていたというのに、こんな姿になったアレルヤをロックオンは見たことが無かった。失った血液は多く、瀕死と言っても差し支えない状態なのになぜそれ以上血が流れず身体には不可思議な文様が浮き出ているのか。驚きのあまり口を開けっ放しで呆然とするロックオンの眼下で、アレルヤはぱちりと目を開ける。灰色がかった濃紺ではなく、爛々と金色に輝く瞳。
「よォ。てめェに逢うのは初めてだなァ、ロックオン=ストラトス」
怪我や失血の影響などまるで無いように立ち上がったアレルヤは、ロックオンが知っているアレルヤではない物の喋りをし、初めて見る笑い方をした。
「遅いぞ、ハレルヤ=ハプティズム」
ティエリアは一瞥してそう言うと、ロックオンが呆然と座り込んでいる位置まで下がってくる。
「仕方ねぇだろ?アイツが変わりたくねーって駄々こねたんだから」
気ィ失ったんで、勝手に出てきたけどな。そう言いながらハレルヤは悪魔の攻撃を軽々と避けて蹴りを叩き込む。身体はどう見てもロックオンの知るアレルヤの足なのに、少し前に見ていたようなアレルヤの動きでは無い。動物染みた、いっそ魔物のような粗暴さがある。
「おい、出てきやがれ!ブレス!」
ハレルヤの声に応えて出てきた守護悪魔はアレルヤの持つ愛染明王では無かった。驚いていたロックオンは、自分の守護悪魔を封じていたスペルが解けたことにようやく気がついた。封魔の魔法はタイミングやかけた悪魔の魔力にもよるが、絶対的なものではなく長時間は持たない。
「うぜぇ天使どもをやっちまえ」
顎でひょいと飛天族の悪魔、エンジェルたちをさしたハレルヤの指示でブレスは呪殺魔法をエンジェルにかける。飛天族である天使にはほとんどの魔法が効かないが、呪殺魔法だけは効果的だ。神聖属性を持つ悪魔なので、暗黒属性である呪殺魔法には全く耐性が無い。逆もしかりで、天使たちの持つ神聖魔法は暗黒属性の悪魔によく効く。
「ニケー、来い」
封じられていた自分の悪魔を召喚したロックオンは、ニケーに3人の回復を命じてライフルを構え直した。スコープの先にあるのは、興奮状態に陥ってもはやコンタクトなど不可能になってしまっている悪魔たち。一つずつ狙い撃ちながら、後退する道を探った。
これ以上、先に進むことに意味は無い。ティエリアは今のアレルヤの状態を分かっているようだったが、4人ともダメージが多すぎる上にロックオンはアレルヤの現状を把握できていない。一度引き返して体勢を整える必要があった。
「ハロ、抜けられる道はあるか」
「検索中!検索中!」
戦闘開始になった時点で放り出しているハロが、地面に転がったまま目を点滅させて応える。ハロに搭載されているオートマップ機能と、TOKYOの地図をすりあわせて抜け道を探っているのだ。
「刹那、あまり前に出るな!アレルヤ、お前もだ!」
ともすれば、単独で突き進みかねない動きを繰り返す2人をそう制したロックオンは、横で息を整えたティエリアに声をかける。
「ティエリア、あれはどうなってんだ?」
「……ハレルヤ=ハプティズムのことか。彼もプログラム実行者だ」
「そうみたいだが、アレルヤは?」
嫌々ながら敵を倒す、いつものアレルヤと違い今のハレルヤは嬉々として悪魔をなぎ倒している。あまりにも違う様子にロックオンが途惑っていると、ティエリアは眼鏡を指で押し上げた。
「本人に聞け。撤退するんだろう」
「ああ、今ハロに探らせてる。…だから戻れって言ってんだろ!刹那!…ハレルヤ!」
ロックオンの視界で、ハレルヤがぴくりと身体を揺らす。ハレルヤは身体を揺らして、不意に笑みを浮かべた。あの声が自分の名を呼ぶのは、悪くない。ずっと、別の名前を呼ぶ声ばかり聞いてきたのだ。
「検索終了!検索終了!ルート確保!ルート確保!」
「よっしゃ、一旦引くぞ、急げ!」
ハロが検索したルートをそのままCOMPに転送し、4人は細い路地裏を通って住宅街だったはずの場所、に出た。人が長年住んでいない住宅街は、生活感が無いのにおかしな存在感がある。中から、異形のものでも出てきそうな。
「…とりあえず、ここで休むか」
ロックオンの言葉に刹那とティエリアは大人しく腰を下ろす。そもそも、限界だったのだ。ハレルヤは笑みを浮かべたまま、ロックオンに向かい合った。
「お前は、誰だ?」
対峙するロックオンの緊張を探ったハレルヤは、尚も笑みを浮かべて再びブレスを呼び出す。
「ハレルヤ、ってお前が呼んだんじゃねえか、ロックオン」
「……」
ティエリアが告げた名前をそのまま使っただけで、ロックオンはハレルヤがどういう存在でなぜアレルヤは今ここにいないのかが理解出来ない。
「まあ、名前なんてどうでもいい、あいつはあいつでオレはオレだ。オレは悪魔さ、お前らがさっきまで殺しまくってた、な」
「!」
ふわり、とロックオンの気配が揺れる。COMPが光り、召喚術が行われようとしていることを示した。
「ニケー、よせ、出てくるな。こいつは俺の敵じゃない」
ヘッドセットを両手で押さえてロックオンがそう言うと、COMPはすぐに光を失い辺りに揺れた気配が戻る。対峙しているハレルヤはきょとん、と目を丸くしていたがやがて声を立てて笑い出した。
「お前が持ってるニケーの神聖魔法はオレによく効くぜ?オレが使うブレスの呪殺魔法がお前によく効くようになァ」
「そんなこと分かってる、でもお前は俺の敵じゃない、そうだろう」
ハレルヤとロックオンが今持っている悪魔は、正反対の属性を持っている。属性魔法を使えば、単純なスピード勝負で決着がつくのだ。お互いが、お互いを仮死状態にもっていくことが出来た。上手く魔法が作用すれば、そのまま死に至る危険性さえ、ある。
「アレルヤは確かにお前の敵じゃねーだろうな、でもオレはあいつじゃない」
顔の造りは確かに同じはずなのに、身体中に見える黒い文様と金色に輝く目が全く違う印象をロックオンに与えた。
「…そうだな、お前はアレルヤとは別だ。だから聞いてるんだよ、お前は誰だ?」
「言ってるだろ、悪魔だって」
「でも、お前はさっき俺たちと一緒に戦ってただろう。その上、召喚まで出来る」
ロックオンの言葉に、ハレルヤは肩を震わせて笑った。
「そりゃ出来るさ。オレはそのためにこうなってんだからな」
「どういう意味だ?」
「そこの眼鏡がコンピュータだってのは知ってるな、そいつは召喚プログラムを入れるために造られた器みてーなもんだ。で、生きた人間を器にしようってんで造られたのがアレルヤで、その媒介がオレ」
「造られ、た…?」
エージェントの王は、ヴェーダに選ばれた人間がプログラムを使えると言っていなかったか。けれど、イオリアは選ばれたのは正確には2人だけだと言っていた、それは刹那と自分のことではないのか。
つまり。
「デザインベビー?アレルヤが?」
試験管ベビーは珍しいことでは無いし、遺伝子操作をしているところもあると聞いたことがあった。しかし、アレルヤがそういう生まれをしているとしても、なぜハレルヤは自分を悪魔だと名乗る?
「遺伝子操作なんてカワイイもんじゃねえよ、悪魔と人間のミックスだ」
「ミックス……」
ハレルヤの口がミックス、と告げた時ロックオンはアレルヤに始めて逢った日のことを思い出していた。アレルヤは確か、ロックオンが移民で混血だからと言ったとき、微笑んではいなかったか。
「人間の部分がアレルヤ、研究所にとっ捕まって融合された悪魔がオレ、だ」
「そんなことが……」
「どっちが悪魔だか分かりゃしねえなァ、全くよぉ」
「……ハレルヤ」
長いこと言葉を失っていたロックオンがそう呟くと、ハレルヤは片眉を上げて皮肉げな笑みを造った。
「ンだよ、かわいそうに、ってか?」
「挨拶が遅れたな、悪ぃ。俺はロックオン=ストラトス、これからよろしくな」
差し出された片手と疲れ果てた顔にやっとのことで浮かべた笑顔とをハレルヤは交互に見ていたが、数歩の距離を詰めてロックオンの手ではなく腕を掴んで自分に引き寄せる。
「ま、挨拶代わりってことで」
囁いた声に耳元をくすぐられた瞬間、首筋に唇が触れた。
「…っ…お前ッ」
唇が触れた途端、身体中の力という力が抜けてしまい、ロックオンは落ちるように地面にへたり込む。
「ああ、美味ぇな、お前」
「はぁあ!?」
ぺろり、と舌で唇を拭ったハレルヤはにやにやと笑みを浮かべたままだ。
「……ハレルヤ=ハプティズムは悪魔だ、悪魔の中には人間のエネルギーを喰らうものが大勢いる」
「そういうことだ」
「そういうって、お前、ちょっと、うわ、マジで立てねえ…」
手をついて立ち上がろうにも立ち上がれず、ロックオンはゆっくりと背を壁に預けた。澄ました顔で解説を加えたティエリアに怒ろうにも、その気力が無い。
「ま、お優しいアレルヤが助けてくれんだろ。じゃあな」
「待てハレルヤ、お前」
呼びとめたロックオンの前に立っているハレルヤの身体から、吸い込まれるように黒い文様が消えていく。そして再び目を開けたのは灰がかった濃紺の瞳だった。
「ロックオン!? あの、さっきまでハレルヤがいたんじゃ、彼が何か貴方に…まさか怪我でも!?」
「……いいや。俺は初顔合わせだからな、挨拶してただけさ。な、刹那?ティエリア?」
「ああ」
「そうだ」
頷かなかったらただじゃおかない、とでも言いたげなロックオンの視線に、2人は面倒くさそうに頷く。ロックオンは2人の対応に満足げに頷いて、な?とアレルヤに念を押した。
「そう、ですか…ならいいんですけど…。ごめんなさい、迷惑をかけてしまって」
「そうだなあ」
そんなことない、と続くだろうと思っていたアレルヤは肯定したロックオンの言葉に目を瞬いた。人に気を使う、ロックオンならそういうと思っていたのだ。
「お前、何で教えてくれなかったんだ?アレルヤ。教えてくれよ、びっくりしちゃっただろう」
「……ロックオン、そういう問題では」
「いいや、びっくりしたぞ?だってお前、いきなり身体に黒い模様が出るわ目が金色だわ不良みたいだわでめちゃくちゃびっくりした」
驚かせたことが問題ではなく、戦闘中にアレルヤが意識を失ってハレルヤを出現させてしまい、戦闘に影響が出たことが問題のはずだとアレルヤは言いたいのだが、思いがけないことばかり言うロックオンに驚愕して言葉が出ない。
「でも」
びっくりしたぞ、とおどけた顔で続けていたロックオンが急に真顔に戻る。
「ハレルヤは俺たちを助けてくれた。お前と同じように。だから、迷惑なんてかかってない。俺たちは仲間だろう?」
ロックオンがうっすらと浮かべた笑みは、滲んだ視界で分からなくなっていった。アレルヤは小さく、どうしよう、と呟く。呟いたことにさえ、気づいていなかった。

何が嬉しいのか分からないが、とにかく嬉しい。嬉しくて、泣きたい。
何が出来るかも分からないが、この人の傍にいたい。この人の力になりたい。
ハレルヤごと、自分のことを認めてくれた人。

「でもびっくりしたのは本当だからな、全く人を驚かせやがって。……アレルヤ」
「はい」
「俺はすっげー驚いた。めちゃくちゃびっくりしてビビったんだけど」
何らかの言葉を要求されていることには気づいたが、アレルヤにはそれが何だか分からない。首を傾げた。ロックオンはふて腐れたように唇を尖らせる。
「人を驚かせてびっくりさせたんだから、言うことがあるだろう」
「えっと……ごめんなさい?」
分からないままアレルヤがそう言って尚も首を傾げると、ロックオンはにっこりと笑った。
「そういうことだ、だからな、アレルヤ」
「はい」
「腰が抜けた俺を負ぶって移動してくれ、悪ぃけど」
ほらほら、と両腕を広げたロックオンは笑ったままでアレルヤは状況が理解出来ない。
「どこか怪我をしたんじゃ」
「怪我なんてしてない、しててもニケーが治してくれる」
「それはそうですが」
「だからお前がめちゃくちゃ驚かしたせいで腰を抜かしたんだって、立てねーもん」
「……分かりました。じゃあ、失礼」
「失礼ってなんだよ」
笑うロックオンを両腕で抱え上げると、腰を抜かしたはずのロックオンは腕から逃れようと暴れる。
「待て、お前、なんでこんなやり方なんだよ、背負っていけって、何なら担いでもいいから」
「落っことしたらいけないんで、これで。刹那、ハロ持ってあげて」
刹那がハロを抱えて立ち上がった。ティエリアも気だるそうに立ち上がる。
「暴れちゃダメですよ、ロックオン。驚かさないで下さいね」
にっこりと笑ってアレルヤが告げると、ロックオンはむっと黙り込んだ。アレルヤは大人しく、優しく、頼みごとを聞いてくれるように思えたのに。こんな恥ずかしい格好で抱えられたまま移動しなければならないのかと思うと恥ずかしくて死ねそうだ。人に会う可能性はかなり低いが、それでも、だ。
「アレルヤ、お前、けっこういい性格してるな」
ハレルヤもああだもんな…とロックオンは口に出さずに心の中で呟いた。全く、似てるやつらだ。







アレルヤの逞しい身体はロックオンをお姫様抱っこするなんて簡単です。私は本当に白昼夢を見ている。