magic lantern

god bress you

司令部の呼び出しから戻ってみれば、ここしばらく姿を見せていなかった外猫が家の中に上がり込んでいた。のうのうと人のベッドの上に丸くなって眠っている。ベッドカバーなどという上等なもののない、シーツの上で無防備な寝姿を曝していた。
「おい、パティ」
猫は猫でもこの外猫はこれでも正規軍のエリート将校だ、そんなヤツがここまで無防備でいいのかと思わないでもないが、別に自分に不都合があるわけではない、むしろ好都合だ。声を掛けながらベッドに足をもかけて、寝ているパトリックの身体を覆うように手をつく。
「おいこら」
片手と足で身体を支え、もう片方の手でパトリックの顔を掴んだ。ピンクに近いような、赤毛が揺れる。ややあって、瞼が震えた。
「ん…帰ったのか」
幾度か震えて開いた目はまだぼんやりとしていて、声にも力が無い。夢うつつなのかもしれなかった。
「帰ったのか、じゃねえだろ」
あふ、と生あくびを繰り返しながらパトリックは眠たそうに眼を擦る。手首を掴んで止めさせると、今度は瞬きを繰り返した。よほど眠いらしい。
「オカエリ。お偉いさん、何だって?」
「……しばらく空けることになりそうだ、期間は分からねェ」
ようやく起きる気になったらしいパトリックは上半身を起こしていたが、こちらの言葉に驚いて首を大袈裟に傾げた。そのまま身体ごと傾いでいきそうだ。
「分からない?上は何て言ってんだ」
いつ司令部に行ったと気づいたのかとも思ったが、よく考えれば司令部に行く用事でもなければ髭を剃らないから、それですぐに気がついたのだろう。
「行先はユニオン経済特区、日本の封鎖地帯だ。元首都、TOKYO。得体の知れない悪魔どもが蔓延って二十数年、ユニオンも中に軍を入れたらしいし、非公式だが人革も入ってるっていう噂がある。お偉いさんとしても放っておくわけにゃいかないんだろうさ」
「それでアンタが行くのか?こっちはAEUの連合部隊としてジュネーブに来いって言われてんのに」
「まあ、体のいい斥候ってとこだろう。そもそもユニオン領なんだから正規軍なんて入れられるわけがない。外人部隊なら、離反して独自行動を取っただの勝手な真似をしただの…申し開きはいくらでも出来る。上も本気でどうにかしようってわけじゃないさ、外交カードとして現状を把握しておきたいってぐらいだろうな」
ベッドの上であぐらをかいているパトリックは腕をも組んで眉間に皺を寄せた。ちっぽけなパトリックの頭の中がどうなってるかぐらい、容易く想像がつく。何で軍人になれたのか分からないぐらい馬鹿で甘ちゃんだから、文字通り捨て駒にされようとしているのが嫌なんだろう。捨て駒になってやる気など、微塵もありはしないが。
「おら、泣くなよ。勝手に頭ン中でおれを殺すな」
馬鹿で甘ったれで子どもっぽくて、なのに自分の気に入った人間を疑うことを知らない外猫は、要らぬ想像力を展開させすぎたらしく、目を潤ませて鼻をすすりあげた。頭を撫でてやると渾身の力で抱きつかれた。
この国はもとより、AEU内にはTOKYOの詳しい現状は一切入ってきていない。悪魔が現れて街は廃墟になり、人々は逃げ隠れて暮らし、スラムでは最下層の暮らしが続いている。そう把握している人間でさえ、ほとんどいないかもしれない。悪魔に対抗する手段というのが明らかになっていない以上、中の人間は無抵抗で皆殺しにされているのだろう──そう思っている人間はたくさんいるはずだ。ただ、現状はそうではない。
TOKYOの中でも旧都心は廃墟も廃墟、全体がスラム街と化しているが人々はいる。ドラッグが横行し暴力が物を言い、それでもあの街には幾多の移民たちが生きていた。おそらく、悪魔の被害が軽い東部には住民も多く残っているだろう。それを知っているのは、オレが外人部隊に顔を出す前、TOKYOのそれも旧都心にいたからだ。あの街は力が全てを決める街だ。それはいろんなしがらみのある外界より分かりやすく、オレの性に合った。あの街に残した部下がヘマをしていなければ、十年以上前にオレが作り上げたギャングはまだ機能しているだろう。今度はこっちの後ろ盾付きだ、あの街で何より役に立つ兵器を持ち込めるしオレが街を離れた二年前よりも悪魔がたくさんいるだろうから、そいつらをどうにか出来ないかとも考えている。悪魔は人を襲うが、襲わない場合だってある。戯れなのか、話しかけて去っていく悪魔もいるし、人を驚かせて喜ぶ悪魔だっていた。いろいろなのだ。
「だって、あそこ、ヤベーんだろ?」
「あのなぁ、軍人が行く先がヤバくないわけねーだろ、馬鹿だなお前は」
「…っ、そう、だけどっ」
細い腕をオレの身体に回して、必死に言い募ろうとしているパトリックが可笑しくて思わず笑いが零れる。馬鹿なヤツ。オレがもしTOKYOで死んだとでも聞かされたら、どうするのだろうか。外猫だから、新しい飼い主を捜すのかもしれない。だがそれはオレが許さない。
「こっちに来る前にあの街にはいたことがある、ある程度なら悪魔の流儀だって分かってる、ンな簡単にやられねーよ」
腰を掴んで膝の上に乗せても、パトリックは気づいていないのか構わないのか抵抗せずに身体を擦り寄せて大きなボルドー色の目でじっとオレを見つめている。嘘だったら許さないぞ、と顔全面に書いてあるのが丸わかりだ。
「なぁ……」
「ん?」
パトリックは何か言いたそうに幾度も唇を動かしては噤み、開けては結ぶ。繰り返し動くそれを食んで軽く吸うと、小さく息が漏れた。
「っ、…ん……」
上の想定範囲であり、パトリックのちっぽけな脳みそで想像したような事態になるつもりは毛頭ない。悪魔だろうと何だろうと大人しく殺されてやる予定も無い。ある程度の情報を仕入れれば上は納得して帰還命令を出すだろうから、それまでどうにか凌げばいいだけの話。だか、それまでは外猫にも会えないのだ。
軍部でも政治力が物を言う外界と、力持つ者のみが物を言える旧都心。肌に合うのは旧都心でも、あの街にはこの猫がいない。それだけが、ひどくつまらない。見てくれだけなら近いのがいるかもしれないし、スラムにいる移民を飼おうと思えばそれはとても簡単なことだ、その程度の力をあの街では得ている。けれど。
「ん…ん、んぅ……」
鼻にかかった、馬鹿みたいに甘い声を出してオレに全てを許しているこの猫は、あの街には決していない。連れても行けない。だから、次会えるのはいつか分からない。お互い、どうなっているのかも。
それが分かっているから、いつものように暴れたりせずにパトリックは大人しくされるがままになっているのだろう。大人しいだけの甘えた猫に興味は無いが、オレに抗うどころか自分から痴態を晒すような真似をするのはさすがに珍しくて(たまに酔っぱらうと見られるが)、興が乗った。幸い、出発まで呼び出されることはないし、抱き潰す程度の時間なら残されている。




「……なぁ」
「まだ喋る余裕があったのかよ」
抱き潰すつもりでさんざっぱら抱いたはずだった。すすり泣いてもう解放してくれと何度も許しを請うた声はひどく掠れている。
「だって、アンタ、俺が眠ったら、そのまま行っちまうだろ」
口を動かすのもきついのか、途切れ途切れの声でパトリックはそう言って思わず驚いて煙草を取り落としたオレを小さな声で笑った。
「はは、当たった」
「遠出だからな、いろいろ支度があんだよ」
「へぇ?ま、俺も……ジュネーブで連合部隊に入れば、どこに送られるか、分からねえけどな」
司令部から密命を受けると同時に軽く聞き出した話では、フランス軍はAEU軍としてジュネーブで連合部隊に編制された後、未だにテロが頻発する地域に駐屯する予定だという。表立った規模の大きな戦争は今のところ姿を見せないが、火種になりそうなものなら世界中いくつも転がっている。AEUは特に無所属の後進地域と海を介して接している上に、AEU決議や国連決議への反発を標榜するテロの被害に多く晒されてきたのでテロにはとても神経質だ。
喋ってはいるが身体を動かせない様子のパトリックに手を伸ばし、顔を撫でてやるとはにかんだ笑顔を見せる。
「パトリック……ヘマやるなよ」
目を一度ぱっちりと見開いたかと思えば、何度も忙しげに瞬きさせたパトリックは小さく鼻をならした。
「俺がくたばるわけねーだろ、誰だと思ってんだバーカ」
「……そーだな」
スペシャル様だぞ、と続けるパトリックの髪を摘まんでいると不意に口を噤んでじっとこちらを見つめてくる。しばらく黙ってオレを見ていたパトリックは、やがてゆっくりとまぶたを伏せてオレの手に顔を寄せた。
「アリー」
「……ん?」
ベッドの中以外では呼ばれない名前を、はっきりと呼ばれたのは初めてかもしれない。頭も悪ければ口も悪いパトリックは普段、オレのことをオイだのおっさんだのお前だのと好き勝手に呼ぶ。
「アリー、死ぬなよ」
bress du dieu vous、と小さく聖句を口にしたパトリックはオレが伸ばした手のひらに唇を寄せて触れるだけのキスをした。子どもじみた仕草に、何故か身体が熱くなる。両腕を伸ばして抱きしめることでごまかして、お返しとして額にキスを送った。
「もう寝ろ、この家はお前に預けておくから」
「預かるだけだぞ、こんなボロ家、俺の趣味じゃねえもん」
パトリックが言外に滲ませる言葉を汲み取ることはしない。帰ってくると告げれば安心するんだろうとは分かっている、必ずお前のところに戻るとでも言えばいいと。けれど、オレはもうこいつに嘘をつきたくない。こいつ以外の人間についた嘘は数限りない、ハッタリを使ってここまで生き延びた面も否定出来ない、だからパトリックにだけはもう嘘を言いたくなかった。
死ぬつもりはないし、パトリックを可愛がるのに飽きてもいないから戻れるのであれば戻りたいとは思う。だが未曾有の戦地、しかも相手は人間じゃない。何があってもおかしくなどなかった。元より、戦争屋が命を惜しむなどバカバカしい。帰る場所を持つなんて、しかも相手が軍人なんて滑稽にもほどがある。争いの中に身を置くことが一番楽しかった、ドンパチやっていられればそれで良かった、あの緊張感に身体を浸して感覚を研ぎ澄まし命のやり取りをすることが人生そのものだと思っていたのに。オレの人生とやらはオレの思惑の外に傾き始め、気がつけばこの外猫に首輪をつけてやりたくてたまらない。
「……預かるだけ、だから…」
そう繰り返したパトリックの声は小さく途切れ、代わりに寝息が聞こえてきた。ようやく寝たらしい。

──パトリックの寄越した『神のご加護』とやらの効果があったのは、これから一年後のことだった。




アリコラのアリーがコーラに甘いのは、コーラの効能によりアリーの中のシリアス成分(悪役、鬼畜要素)がごっそり抜け落ちるからです。恐ろしいコーラの効能。コーラサワーには世界を平和にできる力があると思います(真剣)。こいつの、全てのものからシリアス成分を奪う能力は素晴らしい。なんか毒気抜かれるんだよね、たぶんね。