magic lantern

金枝

なあ。
スクアーロはひどく緩慢そうな声でそう、ザンザスに呼びかけた。何をするでもないオフタイム、エスプレッソの底に溜まった砂糖を掬い上げながら。
「なあ、ザンザス。怒るなよぉ?」
「……内容による」
怒るなよ、と言われてそんなのは自分の決めることだと殴っていたのは十年も前の話だ。別の触れ方を覚えたザンザスの手は、スクアーロの長い銀糸を手慰みに遊んでいる。
「アンタはここの……ヴァリアーのボス、俺らの主だ。でもよ、俺はアンタが王にならなくて良かった、って思ったんだぁ」
ボンゴレ血統など持っていないはずなのに、なぜかザンザスの超直感は衰えることを知らない。今も、スクアーロが言いたい中身を的確に捉えてみせた。つまり。
「金枝を受け継ぐ者、森の王か。テメェがあんなものを読んでいたとはな。寝不足なのはそのせいか?」
イタリア中部、ローマ近郊に伝わる慣習を元にした社会人類学の古書。そこに書かれている、王殺しの風習。森を支配する祭祀王には金枝を手折った逃亡奴隷だけが就くことが出来る。ただし、現在の王を殺さなければその座に就くことは出来ない。王は金枝を手折ろうとする者を殺すことを許される。ただ一人の、死によってしか入れ替わることの無い王。
「あ゛あ゛……」
居心地悪そうに相槌を打ったスクアーロは、スプーンを引き上げて小さなエスプレッソカップを指先で摘んでくいと飲み干した。ざらりと舌に粉と溶けきれなかった砂糖が残る。
「確かにここは森の中だろう、オレは逃亡奴隷では無いがスラム出身だ、おまけに昔オレが求めたのは玉座だった──それで?」
隣家の声など聞こえるはずも無い、森の奥にひっそりと建つ城の王。表面上だけ見れば、共通点は確かにあるのかもしれない、とザンザスはもう二十年ほど前に読んだはずの内容を思い出す。
「それで、ってよぉ……なんていうか…」
「死によって代替わりをするのはここも同じだろう、先代のテュールはお前が斬った。最近じゃ隠居するファミリーなんてのも増えてきてるが、早く跡を継ぎたいがために親を殺したファミリーのドンなんて、掃いて捨てるほどいる。オレたちの世界じゃ、おかしなことじゃねえ。どこぞのカスに殺される気など毛頭ねぇが、そもそもオレたちがまともに隠居して老衰なんて真似、出来ると思うか?」
言いよどむスクアーロの髪を尚も弄びながら、ザンザスはひょいと腕についているヴァリアーの紋章を指で撫でた。ヴァリアー、ボンゴレ直属の独立暗殺部隊。
「そりゃぁよぉ、こんな仕事やってる俺らよかディーノたちのがまともな死に方するかもしれねぇ。けど、俺が言いてぇのはよぉ」
髪を掴んでゆるく引くことでザンザスはスクアーロの言葉を奪い、そのまま唇を重ねる。言いたいことなど、とうに分かっていた。
「…ん、っ……」



死なない、とも死ぬな、とも言えない。互いに。
半身の死で穿たれた穴はそこから己が身体を食っていく。
喪失する想像だけで、気が触れてしまいそうになる。


会えなかった8年より、怒涛に過ぎ去った10年より、一番穏やかな今が怖い。
薄氷を踏むような表層の穏やかさがいつまやかしだと知れるのか。このまま穏やかに過ぎ去っていくはずがないのに、世界は静かに満たされていて共に在るだけで完成されている。
今度世界が凍ってしまったら、きっと壊れてしまう──



しばらくザンザスは重ねるだけのキスを繰り返して言葉を奪っていたが、スクアーロが身体ごとザンザスに向き直って腕を伸ばしてきたので、唇を離して身体を膝に抱え上げた。白い腕がするりと首に巻きつく。
「お前のこれに応えて、オレも一つだけ誓ってやる」
眼前に流れる銀糸を掴んで、そのまま唇を寄せた。8年越しの忠誠を誓っていた髪は一度切られ、新たな誓いの元に伸ばされている。
「ザンザス?」
「オレの死はお前の死であり、お前の死はオレ自身の死だ」
傍から離れるなと命じたのは10年以上前、存在そのものが主の所有だと示す髪を伸ばし始めたのは7年前。離れず傍にいるのなら、いつ知れぬ死は同時に訪れる。必ず。
「……あ゛あ…」
生きていればそれが幸いなどと、そんな世迷いごとを信じてなどいない。死は解放でも無ければ互いを別つものでも無い。18年前に触れ合い結び合った魂を別つものなど無く、死は決まって訪れる明白な事実に過ぎない。
ゆるり、と銀灰色の双眸が解けていく。酩酊にも似た表情にザンザスは薄く笑みを浮かべた。
「分かったらくだらねぇこと考えんじゃねえよ。いいな?」
スクアーロは了解と言う代わり、笑みを形作っているザンザスの厚い唇に自分の薄いそれを静かに重ねる。拝するように、祈るように、喜びを伝えるように。

誰よりも長いときを共に生きた。そして共に死ねるのならば、それ以上何を望むことがあるだろう。何を恐れる必要があるだろう。己が王の金枝は、自分が持っている。



指輪戦から三年後。ツナがボスになった直後ぐらい?スクアーロに自虐趣味は無いと思うけど(被虐趣味はあるだろう)、ザンザスから要らないって言われたら確実に死ねる方法を求めて特攻しそうだなーって。この二人は共依存に近いけど、依存度が高いのはザンザスだと思う。