magic lantern

声が灯す熱

血の気が引く。
そんなありふれた言葉の意味を、身体が即座に理解した。ざぁ、と身体中の血が下りて凍った感覚さえあった。
あの時、きちんと立てていたことが今では不思議で仕方ない。一番に触れて慈しんでやりたかったのに凍った身体がそれを許さず、俺は目の前でラカンと千銀が灯二に駆け寄って触れる様子をただ立ち尽くして見ていた。灯二の姿を確認した岩場の入り口から、一歩も動くことが出来なかった。
顔を血だらけにして倒れ伏していた灯二は自分の目の意味を知って、妖芽の皇子と繋がった瞬間にその目を斬った。自分で、自分の目をだ。皇子に一矢報いたのだからそれでいい、もうあちらに自分の目から情報が漏れることは無いのだから大丈夫だと灯二は微かに笑ってさえ見せた。そこで初めて俺は身体が熱くなるのを感じ、動くことが出来た。凍った血を暖めたのは、怒りだ。
一人で悩み苦しんで自分を傷つけるしか手段の無かった灯二にも、このような状況を灯二にくれやがった宮所の皇子と金隷にも、何ひとつ悪いことなどしていない灯二にこんな運命を用意したあの神とやらにも、──気づかずに助けてやれなかった俺自身にも。
全てに等しく怒りを覚えて俺はようやく動くことが出来た。自分への不甲斐なさを拳で固めてやり過ごし、また目が見えなくなった灯二にきちんと分かるよう、ちょっとだけ力を入れて振り下ろす。
自分はラカンのために最善のことをしたのだと言う灯二に、褒めてやる以外何が言えただろう。
俺が褒めてやると灯二は本当に嬉しそうに笑って、まるで自分が闇の世界に戻ったことなど構わない。その姿に、ただ、泣けた。
灯二は。灯二だけじゃない、数字の子として捨てられた子どもたちは皆、自分が必要とされた実感が生まれて一度も無い。辺境に捨てられた俺たちは自分が生き延びるために集ったようなものだったが、そこにラカンが存在していい意味をくれた。ラカンの、俺たちの皇子の警備隊という意味を。
俺たちより早くラカンに逢っていた灯二にとって、ラカンを守ることが存在意義だったのだ。それ以上に大事なものなど、今の灯二には無い。俺のことがいくらかでも入っていてくれたらと思わないでも無いが、俺がその分大事にしてやればいいだけの話。灯二にとって世界は広がったばかりで、本当の生でさえも始まったばかりのようなものだ。なのに──。

隣で俺に寄り添うように眠っている灯二の、顔を少しだけ撫でた。千銀の包帯が巻かれた目は、俺の三つ目と繋がっている、らしい。まだ実感は無いので分からないが千銀はこんな類で嘘などつかないし、出来るとヤツが言ったのなら出来るはずだ。不便になると聞かされたが、灯二が光を失ったこと以上に苦しいことなどあるはずが無い。俺の目を抉って灯二に移してやれると言われたら、俺は躊躇わなかった。三つ目でほとんどのものは見える、二つの目を失うとしてそれがひどい苦痛だとしても、躊躇いも後悔もしない。
「灯二」
俺の、弟。
俺に一番近しい者。
兄だと聞かされても、兄らしい振る舞いだの兄弟のありようだの、そんなものは分からない。分からないからやりたいように傍にいて、したいことをしてやって、灯二がそれを全て受け入れて笑うからそれでいいのだと思っている。
三つ目であるせいで俺は親に捨てられたが、その親が俺に残した弟に三つ目の目を分けてやれた。
──灯二の目が俺の三つ目と繋がる、と千銀が言った時、俺は酷いことを一瞬だけ、考えてしまった。
これで灯二と離れなくて済むかもしれない、と。失わずに済むかもしれない、と思ってしまった。妖芽の皇子に戦いを挑んでいて、いつどうなるか分からないというのに全て終わっても離れないでいられる未来を夢想したのだ。全てが終わったらこの世界がどうなるか分からない。俺たち自身がどうなっているのかも。
そんな全てを超越したところで、俺はどうしても灯二を失いたくなかったのだ。もう二度と。
失った、と思った一瞬で身体の血は凍り、未だにその時を思い返すと残像で震えがくる。俺は絶対に、こいつを失えない。だからこそ、自分の目と繋ごうとした千銀を強引に遮って俺の三つ目と繋げるように頼んだ。灯二が光を取り戻すという意味ではどちらにしろ違いはないはずなのに、俺はどうしてもそれを譲りたくなかったのだ。俺と、こいつをはっきりと繋いでしまいたかった。
「……一、灯?」
抱きしめた腕に力が入ってしまったんだろう、ぼんやりした声が返ってきた。
「起こしたか、悪い」
「ん…?……ううん、いーよ」
「痛みは無いか?熱は…少しあるみたいだな」
額を触れ合わせて顔を撫でると灯二は掠れた声でぼうっとする、とだけ呟く。熱があるので痛みを上手くぼかしていられるのだろう。
「一灯……」
「うん?またごめんとか抜かしたら今度は怒るぞ」
「ん…えっと、あのさ、あんたが一灯で良かった。あんたが、おれの兄ちゃんで…よかった」
「灯二……」
ひっこめたはずの涙が、また浮かんでくる。ことコイツに関して、俺は涙腺がどうにも緩いらしい。
「あんたが好きだよ……一灯」
「……ッ!」
ふにゃりと笑ったその顔が、直視出来ない。告げられた言葉と相俟って、あの地下の回廊に即刻叩き落されたぐらいの衝撃で、何も返すことが出来なかった。身体が、熱い。内に火が点ったようだ。
「きっと……さえも、おれみたく成重のことが大好きなんだ、だから早く逢わせてやらなきゃな」
「……ああ。でも今は休め。休んで、移動に備えてろ。眠れそうか?」
「うん……」
灯二が寝姿勢を決めかねてかもぞもぞしているので抱き寄せると、少しだけくすぐったそうに身を引いて、それでも嫌がらずに力を抜いて俺の腕の中で眠ってしまった。
「…………」
灯二から好きだ、と言われて点ってしまったこの熱をどうすればいいのだろう。あきらかに身に覚えのあるもので、日ごろうすうす感じていなかったわけではなかったのだが、今までやり過ごせてきたものだったのだ。
本人は弟として兄である俺を好きだ、といいたかったのだろう。成重さんと三重の話になったのはそのせいだ。でも──。
「俺もお前が好きだよ」
きっとお前とは意味が違うのだろうが。そしてその意味をお前が知ることは無い。それでいい。
ただお前の傍にいられたら、お前を守ってお前と共にラカンを守っていけたならそれで…それが俺の全てだ。


そろそろ本編でもお兄ちゃんの弟に対する態度がアレだとバレてきましたね…(笑)。白琵だけが当初から何か気にしてましたが、段々千草と同じレベルな扱いを受けるようになった兄。灯二受だったらあとは成灯が好きだけど、本編で成重があんまりにもつらくて茶化す話が書けない…うう。