magic lantern

兎も狸になっちゃいました

狸寝入り、ってほどじゃないですけどね。寝てるフリは得意なんです、僕。あの日からしばらく、サマンサや周囲の大人は僕がちゃんと寝ているかひどく気にしていて、寝付けるはずもない僕が静かに寝たフリをしていると勝手に安心して部屋を出て行ってくれたから。寝たフリっていうのもコツがあるんですよね。ただ息を潜めているだけじゃダメなんです、聡い人は気づいてしまう。こういう、いかにも鈍くてどんくさそうなおじさんとかは特に気をつけないと。
「この歳になってよぅ、神さまにお願い、なーんてやると思わなかったぜ」
疲れているから、という理由でセックスはせずに大人しく添い寝した…はずのおじさんは、いつの間にか僕の髪を勝手に弄っている。別に嫌じゃないですから、いいんですけど。
「神さま、なんてきっとバニーちゃんは信じてないよな。論理的じゃない、とか確証がない、とか言いそう。すっげー言いそう。でもよ、俺は神さまっつーのに感謝してんだ。俺はあいつに逢えて、アントニオに逢えて、何より楓と逢えて、そんでもってお前と逢えて幸せなんだ。幸運だと思ってる。だからさ」
ひたり、と髪を撫でていたはずの手が頬で止まった。
「なあ神さま、俺がもしまだ幸運ってやつを残してるなら、もう全部こいつにやってくんないかな。俺はもう十分幸せだ、でもバニーは、バーナビーはもっと幸せになんなきゃダメなんだよ」
息を詰めればバレてしまうかもしれないと思っても、上手く息が出来ない。この人は何を言っているんだ。
「俺が幸せにしてやるって言えりゃぁカッコいいんだけどな……。なんでかなあ。このさびしんぼ兎はよう、全然分かっちゃくれねーんだよ」
神さまにお願いなんてカワイイこと言っておきながら、だんだん愚痴になってますよ。でも最後までおじさんの話が聞きたいから、どうかバレませんようにとこっそり息を吐いた。
「この俺が恥ずかしいの我慢して好きだってちゃぁんと言ってやってるのに、全く信じてねーみてーなんだよなぁ。自分はスキスキアイシテルーっていっぱい言っといてよ、おじさんが頑張って言ってやっても信じねえってどゆこと?この歳でこーんなハンサムに好きだーなんて言うの、すげえ恥ずかしいってのによぉ」
……夜中に寝てる恋人の前で神さまに愚痴を言うのは恥ずかしくないんですか。ああ、真っ赤にしてる顔が見たいのに、見られないなんて残念だな。
「俺が指輪外さねーこと気にしてンだろーけどさ……分っかんねーかな、俺だってお前のこともうとっくに愛しちゃってるのよ?」
────!!
「若者だからなのか性格なのか、まあ両方か。イマドキの子はオール・オア・ナッシングだからいけねーよ。愛なんつーのはさ、どっちが先かとか誰が一番かとかそういうの関係無いんじゃねえ?あいつを愛して、楓を授かった今の俺だからお前と逢えた。……俺とお前は別の人間だから、きっとお互いが言う愛の形も意味もズレてんだろう。だけどよ、別の人間じゃなきゃ、キスもできねーんだぜ?俺はさ、バニーちゃん」
「お前とひとつになりたいわけでも、重なりたいわけでも無ェ。俺たちはきっとどこまでも平行線で、今それが交わってる。それでいいじゃねえか。別の人間で、平行線で、だから俺たちはずっと同じ方を一緒に見ていられる。同じ所へ行ける。二人で。んでさ、俺と一緒でお前が幸せなんつーモンを感じてくれりゃ、それが俺の幸せなんだよ。な、バーナビー。……俺はちゃんとお前のこと愛してる。お前と形や意味がズレてても、大きく括ったら同じカンジでな。愛してるよ。俺の言葉、お前なら信じてくれるだろ?」
愛してる、そう繰り返す声があまりにも優しいから。僕の幸せを願う声色があまりに真摯だったから。
寝たフリに気づかれてることに考えが至るまで、かなり時間が掛かってしまった。はっと気がついて身体を起こせば、そこにはもうおじさんはいない。はずかしーい!などと叫んで勝手に部屋から出ていってしまった。
「……ずるい、ひとだな。信じるに、決まってる…」
貴方は嘘だって言うし適当な返事ばかりするしくだらないジョークが好きだし勢いで物を言うけど。でも。貴方が信じろというなら、僕はもう疑うことが出来ない。それほど、僕の中は貴方のことで満ちていて、いつだって貴方に必死で、馬鹿みたいに貴方を愛してる。
「ほんと、ずるい……」
自分一人勝手にべらべら恥ずかしいことを真面目に喋って消えて、残された僕はダブルベッドで子どもみたいに泣いてて、嬉しくて泣くなんて初めてだからどうしていいか分からないのに。どうしたらこの涙が止まるのか、いつになったら恥ずかしがってるおじさんの顔が見れるのか、分からなくて困ってるのに。きっとおじさんは恥ずかしい!なんてはしゃぎながらお酒飲んでるに決まってる。
「行かなくちゃ」
無理やり袖口で涙を拭って、ベッドから立ち上がった。冷蔵庫にあの人が好きなビアはもうあまり無かったから、勝手に人のワインを開けてるに決まってるんだ。あの銘柄はけっこうレアで気に入ってるから、勝手に一人で空けられたら困る。ワインにさして拘りの無い人が水代わりに飲むような値段でも無いし。
ともすれば駆け出しそうになる足を押さえて、それでも早足でダイニングへと歩いていく。僕だってあのワインが飲みたいっていうだけで、別におじさんの顔が見たいとかいつまで経っても馬鹿みたいに止まらない涙を止めて欲しいとか、そういうんじゃない。一刻も早く愛していると告げたいからだとか、決してそんなんじゃない。
「何やってるんですか、おじさん。明日に響きますよ。もう歳なんですから」
予想通りに勝手にロゼワインを開けていたおじさんに後ろから声を掛けると、おじさんはワイングラス片手にこちらを振り向き、ちょっとだけ驚いた顔をしてたけどすぐに優しく笑った。
「咽喉が渇いてただけだよ。バニーも飲むだろ、お前これ好きだもんなあ」
「人が好きだと分かってるものを勝手に開けないで下さいよ。しょうがない人ですね」
「んー?」
ダイニングテーブルにあった、もう一つのワイングラスにロゼを注いでこちらに手渡しながら、おじさんはまたにやりと笑う。っていうかこれ、赤ワイン用のグラスでしょう。
「だってバニーちゃん、そんなしょうがないおじさんを好きだろ?」
「……貴方に言われたことなら、何だって信じてしまいそうになるぐらいには愛してますよ。愛してると言われて泣いてしまうぐらいにはね」
ヒーローなどではなくても、僕個人という人間を必要としてくれていて、愛してくれていて、幸せを願ってくれて、ずっと一緒に同じ所へ行くんだと信じさせてくれるひと。誰にでも優しいし、見栄っぱりでピンチになるし、ダメなおっさんだし、ずるいこといっぱいするし、怒りっぽいし、山ほどいろんなものを壊すし、困ることばかりでも、それでも、僕にとって唯一のひと。初めて、未来というものを信じさせてくれた、大事なひと。
「だーいじょうぶ。泣いて泣いて…おめめが真っ赤になっても好きだから安心しろ。な?」
だからいっぱい泣いちまえ、だの可愛い俺のうさぎちゃん、だの馬鹿みたいな顔で馬鹿みたいなことを言うおじさんにワイングラスを持ったまましがみついて、また、泣いた。本当に、貴方はずるくて、ひどくて、しょうがない人だ。



おじさんは奥さんと楓ちゃんとは違うベクトルで、ちゃんとバニーを愛してるよ!っていう話。嫁とバニーを天秤にかける必要無くね?と思って。指輪は外さないけどね。