magic lantern

ワールドエンド・フューチャー 後編

いっそ笑いたくなるほど、病室の中は静まり返っていた。窓の外で聞こえる車のクラクション、廊下側の壁から聞こえてくるナースたちの声、何か処置をしているらしい音、それら全てが部屋から切り離された別世界で起きているようだ。
──僕はまだ夢を見ていて、だからここはこんなに静かで平和でおじさんが隣にいるんだろう。
バーナビーがそんなことを思ってしまうぐらいに。
「…………っ」
ベッドの横で並べた椅子の上に寝かされている虎徹は、眠っているのかと疑いたくなるぐらいに大人しい。そして彼はロックバイソン──アントニオに抱えられて部屋に運ばれる間も、隣に寝かされてからも、一度もバーナビーのほうを見ようとしなかった。背こそ向けられはしなかったが、顔を俯かせて表情すらバーナビーに読ませようとしない。
バーナビーが廊下の様子に気づいたのは、単なる偶然だ。バーナビーの涙にヒーローたちがざわめき、やがて言葉を失い、しばらくして誰かがナースの到着が遅い、と言った。それが誰だったかバーナビーにはもう分からない。もう一度知らせてくるとドアを開けて聞こえてきたのが、虎徹とアントニオの声だったのだ。
『……コンビだの相棒だの、馬鹿みてえだな。俺にはもう、そんな風に呼ばれる資格はねえ。あいつだってもう俺なんかに足引っ張られるのごめんだろうし、いよいよ潮時ってヤツかねえ』
『っちょ、おい、虎徹!?お前本気で言ってるのか!?』
バーナビーはその声を幻聴だと思った。あの彼が、押し付けがましくて尊大で自分勝手なのにいつだって自分を照らそうと笑ってくれていた彼が、引退を仄めかすようなことを自分から言うなんて。相棒を置いて逃げられるわけがないと言ってくれた彼が、俺を信じろと怒鳴った彼が、もっと俺を頼れ相棒だろうと言ってくれた彼が、まさか。
部屋の中にいたヒーローたちが何を言ったのか、どうしていたのかもバーナビーにはよく分からない。立ち上がろうとして力が入らなくて、点滴の管が動くのに邪魔で抜こうとして誰かの手に止められて、その手を振り払おうとしたのに力が入らなくてダメで、それでも部屋を出たくて。
自分の目で確かめたかった。彼を失ったショックでおかしくなった頭が見せる幻聴ならそれでもいい、もし本当に彼がそこにいて本当にそんなことを言っているなら、言わなければならないことがある。
『…大声出すなよ馬鹿。バニーに気づかれるだろ。コンビが嫌ならクビだってさんざ言われてるし、信じられない人間とコンビ扱いされるの、あいつももううんざりだろうし……悪いな、アントニオ』
──本当に、馬鹿みたいだ。滑稽だ。なんて喜劇だ。
──貴方は僕に自分を信じろと言いながら僕を信じてくれなかった。僕はそれを詰りながら、貴方が自分から離れていかないとどこかでたかをくくっていた。どうせ今までみたいに何をやったって何を言ったっておせっかいをして、僕を困らせる気なんだと思っていたんだ。だって貴方はずっとそうだった。僕がどれだけ冷たく振舞ってもお構いなしで近づいてきて、信じろ頼れと大盤振る舞いをして僕を困らせる。だから。
それが無自覚の甘えだとバーナビーに気づかせたのは、自分の声から逃げようとする虎徹の背中だった。酷く傷ついて、身体の傷以上に心や魂や誇りやそんな全てがボロボロの後姿。バーナビーの声から逃げようともがいて、なのにアントニオに縋って助けを請う、見たことも想像したこともない、弱々しい姿。
『なあ、俺はどうしてこうなんだろうな。……俺は自分の目の届かないところでバニーがまた暴走してまた傷つくのかと思ったら待ってやれなかった。俺が傍にいたって何も出来やしねえのに。俺はアイツを護れなかった、楓にだってたくさん辛い想いさせてヒーロー続けてきた結果がこれだ。護りたいと願えば願うほど、空回って誰かを傷つけて、心配してるつもりがただ自分の気持ちを押し付けてるだけで、誰のためにもなってない。なァにがこの能力は人を助けるために使う、だ……馬鹿みてえだ……』
「……馬鹿、ですね」
隣でびくりと気配が揺れる。バーナビーは心持ち身体をそちらへ向けて、首をゆっくり傾けた。微かに、肩が震えているのが見える。
──貴方は本当に馬鹿だ。そして僕も。
「潮時、なんて本気で言ってるんですか。今このタイミングで辞めるだなんて、貴方それでもヒーローだと言えるんですか」
虎徹が聞いているのは確かなのに、バーナビーの声に返事は無い。そしてまた、部屋は静まり返った。本気じゃないと茶化してくれれば良かった、生意気なことを言うなと怒ってくれれば尚良かったのに、虎徹は何も言おうとしない。見え透いたバーナビーの挑発にも乗らなければ、弁解もしようとしない。
──また、届かない。目の前に貴方はいるのに、ひどい怪我だけれど確かに生きて目の前にいるのに、手を伸ばせば届く距離にいるのに、何も届かない。
「……おじさん」
同じことを繰り返すつもりは無かった。ここで彼を詰るのは簡単だったし、そんないつもの言葉が脳裏を過ぎったが無理やり追い払う。バーナビーはふーっと長く息を吐く。
──冷静になれ。この人は生きてる。生きて僕の隣にいてくれている。まだ間に合う。離さないって、喪わないって、信じようって僕は誓ったんだ。誰でもない、自分自身に。
「僕がジェイクに勝ったことは聞きましたか」
当然聞いているはずだったが、それでも敢えてバーナビーは分かりきったことを訊ねた。返事は無かったが、また息をゆっくり吐いて気を静めながら続ける。
「貴方がそんなになってまでジェイクと戦ってくれたからですよ。あの男がボロを出したのは貴方のおかげで、だから」
「…いいよ、バーナビー」
弱々しい声が返ってきて、バーナビーはぐっと押し黙った。虎徹が自分に向かってちゃんと名前を呼んだのが初めてだと気づいた時、その声はとんでもないことを告げる。
「もう、いい。お前は優しいから、俺がみっともねえ醜態晒してんの見かねて言ってくれてんだろ?……そんなこと言わなくていいんだ。ごめんな」
「──!!」
穏やかな態ではあったものの、それは明確な拒絶だった。
「これからもヒーローTVが続くかは分からねえけど、お前はもう引立て役なんかいなくたって十分目立つヒーローだよ。何たって街を破壊しようとしたテロリストを倒したヒーローなんだからな」
──この人は、このおじさんは何を言っている?
バーナビーと虎徹の間には、ベッドと椅子との距離しかない。1メートルもあるか無いかの、そんな物理的距離しかないのに、バーナビーにはそれが聳え立つ壁に見えた。あるいは、底の見えない谷のように。
バーナビーが腕を無理やり動かしても、虎徹には届かなかった。虎徹が腕を伸ばせば触れることは出来そうだったが、虎徹の腕は力無く横たわったままだ。
「今さら何言ったって弁解にもなりゃあしねえよな。……俺はお前を信じてなかったわけじゃないけど、信じ切れなかった。お前を信じてあの場で待てなかったのは俺の弱さで、あそこで勝手に動いちまったのはお前を護りたかった俺のエゴだ。でもどんなつもりだったにしろ、俺はお前にしちゃいけないことをした。……お前の、ヒーローになりたかったのになぁ」
自然、バーナビーは唾を飲む。虎徹があの場で動いたのは、自分など信用出来ないからではなかった。本人が言うように信じきるということは出来なかったのだろうが、少なくともそれはバーナビーを想っての行動だった。
バーナビーが虎徹を喪いたくないと夢の中で叫んだように、今腕を伸ばしているように、彼もまた喪いたくないと想ったのだろうか。そこまで思い至って、バーナビーははっとした。虎徹は妻と死別している。人の死に過敏で、何より人のためにしか能力を使わない彼があの時ジェイク(に擬態していた折紙サイクロン)をバーナビーの目の前から遠ざけて告げた言葉は。
『もう大丈夫だ、バニー』
自分を護ろうとする人間の、言葉だった。
誰よりもヒーローが好きで、ヒーローであろうと全てを投げ打って生きてきた、それでもバーナビーより小柄で細くてちっぽけな背中の、単なる中年男の言葉だった。
「大丈夫、もう今さら許してくれ、なんて言わねえよ」



12話でショック受けてたしょんぼりおじさんが可愛すぎて、ちょっと弱くなっちゃった。でもアレ、傍から見てもショック受けすぎだろうよ。