死に至る病・彼へと至る痛み
屋敷の廊下は静まり返り、人の姿も気配も見当たらない。九龍はきょろきょろと辺りを見回してからすん、と鼻を鳴らす。廊下の奥から、嗅ぎ慣れてもはや懐かしいと形容出来る香りが漂っていた。
「見っけ」
奥に続く扉は九龍が寝かされていた部屋よりも随分簡素なものだった。居住スペース、ということなのだろう。九龍が寝かされていたのは来客用の部屋なのだろうから、皆守が阿門から与えられているという部屋は居住空間にあることになる。その推察と、数時間前の光景が九龍の心を錐のように刺したけれど、それでも九龍は奥へ向かった。
「……」
ひときわ濃い、野草の香り。今も部屋の中で彼はアロマを吸っているのだろうか。怒りに任せて殴り散らしてしまったが、痣になったりしていないだろうか。どこかに傷が残ればいいのに、と焦げ付くような気持ちで思う。墓守としての能力が身体に傷を残すことさえ九龍に許してはくれない。
「甲太郎」
返事はもちろん無かった。まだ寝ているかもしれないし、寝たふりでやり過ごす気かもしれない。どっちでも九龍にとっては同じだった。
皆守が自分の意志で九龍を見るので無ければ。
「さっきさ、全部言う前に気絶しちゃって、まだ言ってないことがあったから言いに来た」
「……」
「おれを殺したのは甲太郎だけど、でも」
「おれを生かすのも甲太郎なんだ。甲太郎じゃなきゃ、だめだ」
本当はそう言いたかった。物理的な距離がどれだけ近づいても、遠ざかっても、自分の居場所は彼の傍らにしかない。
「面倒なら殺したままでいいよ、おれはそれもアリだと思うから。でもさ、もし、お前の傍で生きていいって言うなら」
「おれを呼んで、甲太郎。お前の声でおれを生かして」
扉の向こう、息を飲む音が聞こえた。確かに九龍の声は皆守に届いたのだ。ならば良し、と九龍はドアに背を向ける。急いでもらう返事でもなし、出来れば天香を離れる前に何らかのレスポンスが欲しいところではあるがそれも全て皆守次第だ。一度は殺された身だ、たゆたうように彼の声を待つことは決して苦では無い。
背を向けた九龍を包むように、ふわりと野草の香りが鼻に届いた。そしてかちゃりと金属が動く小さな音がした。
「……九…、葉佩」
たった3ヶ月しかいなかったのに、耳に馴染み過ぎた声が呼ばれ慣れた愛称を途中で名字に変える。
「うん」
そのあからさまな距離の取り方が寂しかったけれど、名を呼ばれたので振り向いて九龍はいつものように笑いかけた。対面する皆守の顔は歪んで今にも泣き出しそうだ。
「その……話が、ある」
それだけをやっとのことで掠れ声で呟いた皆守は、喘ぐように息をして部屋の中に戻る。本当は阿門が皆守に与えた場所などにいたくは無かったし、許されるならここから皆守を連れ出したかったが数回首を振って衝動を抑え、皆守に続いて部屋に入った。
「この部屋、いつから使ってるの?寮の部屋と同じぐらいラベンダーの匂いがするね」
「……一年の時だ。役員になったのと同時」
「役員には部屋がもらえるの?」
出来るだけ、今までのような会話を長引かせたくてどうでもいい話を殊更尋ねる九龍に皆守は律儀に応えた。
「いや。生徒会室には役員分の個室があるが」
そういえば部屋数が多かったなと生徒会室を思い出しながら九龍は窓の外を眺める。墓は敷地の反対側にあるので、人だかりは見えても何が起きているかまでは見えない。
「墓で夜に仕事をした後、寮にバレずに戻るのは面倒だからな」
「ふぅん」
面倒といっても皆守ならば可能なことだ。誰よりも気配に聡く、俊敏で身体能力は人を超越している。そう分かっている九龍は他の理由を聞くのが嫌で納得したフリをした。あんなことがあった後、皆守の口から阿門の名前を聞きたくなかった。
「顔、少し腫れちゃったね」
九龍が腫れた頬に手を伸ばそうとすると、皆守は自然な仕草で一歩下がって身体を引いた。思わず弾かれるように手を引いた九龍の前で、皆守はうな垂れて首を何度も振る。自分が悪いのだ、と言いたげに。
「あの、な、葉佩」
「九龍」
「……はば」
「九龍」
今度名字を呼んだら問答無用でちゅーしてやる、と九龍が勢いこんで睨むと皆守はその不穏な気配を察したのか大人しくクロウ、と上擦った声で名を呼んだ。
「その、悪かった。お前を傷つけたかったわけじゃ、なかったのにな」
皆守の言葉に、消えたはずの怒りが再燃する。
もし九龍がちらりとも傷ついた様子を見せなかったのなら、あの笑顔のまま阿門と一緒に墓に沈んだことが正解だったとでも言うのか。自分の行動が九龍を傷つけたと分かっているのに、何が傷つける要因だったのか本当に分からないとでも言うのか。
何も分かっていない。皆守が何をして九龍を殺したのか、皆守は何も分かっていないのだ。
「八千穂に、ひどく泣かれた。女に泣かれるとどうしていいか分からないな」
おれだって泣きたいよ馬鹿野郎。お前は何にも分かってない、お前の何がおれを殺せたのか、何がおれを生かせるのか、お前は何もわかってない。
「他のヤツにもさんざん、言われた。お前の隣で何を見てきたんだって」
「……?」
「お前の一番近くにいたのは俺なのに、なんであんなことしたって言われたよ。……墓守だった執行委員たちは何かを失ったヤツらばかりだ。それが墓守の資質なのかもしれないが、そうやって失ったものをお前が一つ一つ取り戻して執行委員を解放してきたのに、最後の最後で、その…」
「甲太郎?」
言いよどんだ皆守の頬に朱が刺していることに気がついた九龍は、さきほど覚えたはずの怒りを忘れて先を促した。照れている皆守はとても可愛らしい上に、どうやら自分が関係しているらしいと分かったので何だかこちらも気恥ずかしい。
「お前に、俺を失わせるのか、って」
まるで、皆守が既に九龍のもののような言い方だ。そう分かっているから、皆守は恥ずかしがって照れているのだろう。嫌がっているわけではないことが九龍を喜ばせる。
「誰が言ったの?」
「いろいろだ、取手とか七瀬とか」
「……よく分かってるって言いたいトコだけどちょっと違うな」
いつだったか、夕薙と白岐の仲を興味本位で勘繰ろうとした八千穂を七瀬は諌めていたが、七瀬は意外にもこういった機微に敏いのかもしれない。
「おれが一方的にお前を失うんじゃない、お前がいない世界におれは生きられないからおれだってそこにはもういないんだ」
例え身体機能が正常であっても、ID-0999のハンターが任務をいくつクリア出来ても、そこに『葉佩九龍』という個人の魂は無い。皆守が世界から切り離されると同時に、世界から消え失せる。そう結びつけてしまった。
「九龍、ごめん。もうあんなことはしない、将来なんて考えたことは無かったがともかくちゃんと生きるから、だから、お前も」
目の前で必死になって言葉を紡ごうとする相棒を抱きしめて顔中といわず身体中にでもキスをして好きだと言いたかったが、そんなの後でいくらでも出来ると戒めて九龍は辛抱強く皆守の言葉を待つ。
「お前もちゃんと、その、生きてくれないか。俺の声なんかでお前が生きられるというのなら、俺は何度だってお前を呼ぶから、だから」
「だから?」
辛抱強くと自分で決めたのに耐え切れなくなって、九龍は言葉を急く。
「だから、その…」
俯いてしまった皆守に腕を伸ばして抱きしめると、皆守はびくりと身体を震わせたがさきほどのように拒絶はしなかった。さらに力を入れて抱きしめて、耳元に囁きかける。
「俺と一緒に生きて、って言ってくれないの?甲ちゃん」
「……ッ…」
「お前の将来はお前のモンだけどさ、おれはもうお前と離れたら生きていけないから勝手に一緒に生きるよ?いいでしょ?」
「……お前、なァ…言ってることめちゃくちゃだぞ」
将来の選択権は皆守にあるのだと言いながら、どんな未来にあっても傍を離れないと言い切る。その身勝手さに皆守は苦笑いを浮かべた。身勝手で、傲慢で、何より九龍らしい。遺跡を暴いて宝を奪う者に相応しい、自由さ。
「だって決めてるんだ、甲ちゃんがカレー屋さんの修行しても大学生になっても何になっても、絶対におれからは甲ちゃんから離れないって。そりゃ、おれは仕事でいろんなトコに行くだろうけどさ、何て言うかな居場所っていうか心の在り処みたいなのは甲ちゃんの隣だから」
九龍はハンターで皆守はこの天香遺跡でのバディだったが、それはあくまで宝探し屋の仕事を遂行する上での任務分担に過ぎない。葉佩九龍という個人は皆守甲太郎という個人の傍にありたいと渇望している。魂を彼の傍らに置いて、寂しがりの癖に天邪鬼で弱音の吐き方も甘え方も何も知らない恋人が寂しくないように慰めていたい。
皆守は元々ある依存性の高さを自我で押さえ込んで、他者に依存することを戒めて過ごしてきた。人間関係によって得られる全てを自分から捨て去った代わりに微睡むことを望み、ラベンダーの香りに包まれて全てをやり過ごしてきた。九龍に会うまでは。
「心の在り処、か。残念だがな九ちゃん」
「ん、んん?なんで?ダメ?」
九龍の個人的な思い方というか、考え方の問題であって皆守に迷惑をかける話ではないと九龍は自覚して話をしていたのだが、当の皆守から残念ながらと言われて九龍は思わず眉根を寄せる。
「俺なんかのとこにお前が魂だの心だのを置きっ放しにして遺跡に出かけてたんじゃ、こっちの身が持たない」
「えー?だってそれ、おれの考え方の問題じゃん、何でダメなのー?」
別に甲ちゃんのお風呂覗いたりしないよ、と尚も言い募る宝探し屋の頭を皆守はとりあえずぱしりと叩いておいた。
「覗けるか、バカ。そうじゃなくてだな、魂だ心だってのを置きっ放しにしたせいでお前が遺跡でヘマやったんじゃ、俺の寝覚めが悪いだろう」
「…………ん?心配してくれてんの?おれけっこう出来る子だよ?」
「ハンターランク二位のハンター様にゃ、もうバディは要らねえか、そうだよな、悪かったなァ」
でも甲ちゃんが心配してくれんの嬉しい、などと言っていた九龍は皆守の言葉に文字通り飛び上がった。
「!!甲ちゃん!!」
「ンだよ、要らねェんだろ、九龍」
拗ねた皆守はぷいと顔を背けてきれいに唇を尖らせている。わずかばかり上気している頬にちゅっと口付けて、九龍は皆守を抱きしめる腕を強くした。
「来てくれんの!それっておれのバディになってくれるってことだよね、ずっとだよね」
「……要らないんだろ」
九龍は感情が高ぶるとやや幼い喋りをすることがあって、それはひそかに皆守が気に入っている点の一つだった。九龍がこんな喋りを見せるのは、この学園の中では自分の前だけだと知っているから尚更。
「要らなくないです、甲ちゃんしか要らない、甲ちゃんだけいればいいから、だからお願い、おれのバディになって」
「ふん、バカが。俺はずっと前からお前のバディだし、お前がどこにいって誰と組もうが俺は一生涯お前のバディだ」
「最高!甲ちゃん最高だよ、愛してる!!」
愛してる、大好き、すげえ愛してる、と身体を擦り付けるようにして繰り返していた九龍が急に身体を離して窓を開けたので、皆守はぎょっとして慌てて九龍と窓の間に割って入る。何をしようとしたのか、分かってしまう自分に頭痛がしそうだが分かってしまうのでしょうがない。
「外に向かって同じセリフを叫びやがったら、絶交だぞ」
「うっ……全部お見通しか…でもどうしたらいいんだよ、だって嬉しいんだ、頭がおかしくなりそう!」
「とっくにおかしいだろ、俺なんかに……ん、んぅ…」
面白くない言葉が続きそうだったので九龍はさっさと皆守の唇を奪って言葉を飲み込む。
「ん、ぁ……ッ……ん……九、ちゃ…」
「甲ちゃん」
「ンだよ、いきなり…」
嫌がっているわけではないのは顔を見ずとも知れたので九龍はぴっと皆守の前で小指を立てた。
「俺なんかって言うの禁止。言ったら問答無用でベロチューするから、その場で」
「ハァ!?お前なんだそれ一方的な」
「甲ちゃんも何か約束する?いいよ、何でも」
にこにこと人畜無害な笑みを振りまく宝探し屋に、何でもいいなら誰にでも愛想を振りまくな好きだとか冗談でも言うな愛してるなんてもってのほかだというかそもそも他人に笑いかけるなとまで言いかけた皆守は、どれだけ自分が恥ずかしいことを言おうとしていたのかに気づき自らの手で口を覆った。
「いつでもいいよ、とりあえず約束ー」
指きりげんまん、と勝手に人の片手の小指を奪って指きりを始めた宝探し屋越しの窓に、暮れ始めた陽が赤みの強い光を投げた。いつか屋上で二人で見た夕日は確かに美しかったが、それよりも切なさや苦しさが勝っていた過去を今は確かに思い出として愛しむことが出来る。生きている、ということだ、と思った。
