死に至る病・彼へと至る痛み
部屋に設えてあるベッドの上で、何となく離れがたく九龍にくっついて窓の外を眺めていた皆守は微かな足音と見知った気配に振り向いてドアに向かって声をかける。
「何だ?神鳳」
「へ?」
甘えるように身を寄せていた皆守が急に立ち上がったことにも、ノックもされていないドアに声をかけたことにも驚いた九龍はぽかんと口を開けた。
「失礼しますよ。……おや、龍さんもおいででしたか。手間が省けて助かります」
「お前がここに来るってことは、阿門が呼んでるのか」
「ええ。救護の目途はつきましたが、書類上の問題も対外的な問題も未解決ですからね。仕事は山積です」
「それもそうだな、阿門たちは生徒会室か」
皆守は神鳳の返事を待たずに学ランを羽織り、九龍にさんざ抱きしめられたせいで乱れた髪の毛をざっと整える。
「ちょっと待ってよ甲ちゃん、行っちゃうの?」
阿門のところに、という言葉をなんとか飲み込んだ九龍に皆守はちらりと視線を投げてアロマパイプを咥えた。
「仕方ねェだろ、仕事だ仕事。ンな情けない顔すんじゃねーよ、九ちゃん」
「それは、そうだけどさあ……」
「神鳳、お前九ちゃんにも用があンだろ?先に行ってるからな」
「分かりました」
「九ちゃん」
しおしおとくず折れている九龍はやっとのことで顔を上げ、恨みがましいというよりは悲しくて仕方ないといった目で皆守を見つめる。うう、と小さく唸り声さえ発した。
「面倒くさいからお前も神鳳と一緒に来ればいいだろ、仕事の邪魔さえしなきゃ阿門だって何も言わねえだろうしな」
何が面倒なのかというと、無論、置いていった九龍のご機嫌を後で回復させるのが、だ。手間も時間も掛かり過ぎると分かっている皆守は生徒会役員が揃って九龍に甘い上、自らが口添えをすれば阿門も渋々という体裁を取りながら許可を出すだろうと踏んでいる。阿門は皆守同様、素直さというスキルをどこかに落としてきたような男なので多少のコツがいるがなにせ自分と同じだ、分からないはずがない。
「ホント?行っていい?」
「阿門様がいいと仰るのであれば僕たちは一向に構いませんよ」
「……お前がいつもの手癖の悪さを発揮して備品を盗んだり、夷澤で遊んだりしないで大人しくしときゃ大丈夫だ」
「大丈夫、招き猫の気分で座って待ってるから!」
それはむしろ猫ではなく犬だし、第一何を招くつもりだと言いたかったが九龍の機嫌は回復したようだったので皆守は何も言わずに背を向けた。
「じゃあな、先行ってるぞ」
うん、と元気良く返した九龍はベッドの上で一つ伸びをしてから胡座をかく。
「で、神鳳の用事ってのは?」
目の前で九龍の機嫌を急降下させたかと思えば急浮上させた副会長の足音は遠ざかって聞こえない。元々あまり足音を立てずに歩く男なので、常であってもわずかにしか聞こえないが。
「バディの皆さんがあなたに会いたがっていましたから、そのことをお伝えするのが一つ。もう一つは、あなたが僕に聞きたいことがおありなんじゃないかと思いましてね」
「……聞きたい、こと?」
九龍は何だろうとでも言いたげに首を傾げる。幼い仕草に思わず神鳳は笑いそうになったが、控えて真っ直ぐに九龍を見つめた。
「たとえば阿門様と皆守くんのこと、ですとかね」
「!」
たぶん知りたいのだろう、と思ったのは事実だ。九龍も皆守も寝ている間、当事者の阿門から話を全て聞いている。九龍が目の前にした事実の意味を知りたがるのは道理だし、元々九龍は『明らかにする』類いの人間だ。それが何であっても。
「僕と双樹さん、それに皆守くんは一年の時から今の役職についています。無論、阿門様も」
「ただ、皆守くんは一年の冬から事実上休職していました。龍さんもご存知の事件が起きた直後です」
休職したという話を阿門から、事後承諾の形で神鳳も双樹も聞かされた。それに応じて執行委員を整備することも。休職の理由を阿門は何も言わなかったが、皆守に対して熱心な指導を見せていた教師が温室で自殺したことを少し考えれば答えはすぐに出た。
「……。ん?あの写真を阿門に預けた後、休職?」
「さすが龍さん、ご明察です。皆守くんは《宝》を阿門様に差し出す前から副会長でしたし、今と同じ力を持っていました。僕や双樹さん、夷澤は《宝》と引換えに《墓守》になりましたが彼は違った」
「…………」
言葉の正確な意図するところを分からずとも、九龍は不快と不安をない交ぜにした表情で顔を歪める。神鳳の話の意味するところとこの屋敷に部屋がある理由はおそらく同じで、だからこそ胸が比喩ではなく痛い。
「何故あの方がそうなさったのかは分かりません。ただ僕に分かるのは、副会長は僕たち他の役員とは異質な存在だということ、彼こそがあの方に一番近い存在なのだということぐらいです。……これから先は僕の推論に過ぎませんが、お聞きになりますか?」
「うん」
九龍は微かな躊躇いも見せずにすぐさま頷いた。その目に宿る光の強さは、遺跡で秘宝を求め続けた時と全く同じだ。
「あの墓は、本来区画ごとに墓守を必要とするものではないんじゃないでしょうか。全ての区画に常に墓守を置くとしたら、その都度十一人も墓守を探さなければならない。それはひどく非効率です。僕たち墓守は墓に入っても化人には遭いませんし、罠も発動しません。魂を墓に縛られた墓守を墓は侵入者と見なさないからで、いつだったか夷澤が阿門様から墓について詳しく聞いていなかったと憤慨していましたが、墓守である以上その必要は無いんです。墓が排除しようとするのは侵入者、魂がある人間だけ。だから夕薙さんは化人にも遭わず罠にもかからずに創世の間まで来られた。つまり、僕たち墓守は自分の預けられた区画以外のことを何も知りません。何の罠がどこにあって、どんな化人が出てくるのか、その化人の特長などは」
「!」
「つまり、全てを知っているのは墓全体の墓守なんです。区画一つだけではなく」
「それが阿門と…甲ちゃん?」
驚きで丸められた目がすっと細くなり、眉根が寄る。墓守の長が墓の全てを知るは道理、だが墓守の血筋でも無い皆守が他の区画のことを知っているということは。
「僕の推論ですけどね。皆守くんの担当区画は常世、一番最後の区画です。でも彼は夷澤の区画についても知っていましたし、化人についても知っていた。おそらく他の区画でも似たようなことがあったんじゃないですか?龍さん」
「……あったよ。目端が利くんだろうって最初は思ってた。勘が良いんだな、とか。でもそんなもんじゃ済まされないって次第に分かったよ、だって、皆守は知りすぎてる」
その予感はあった。皆守は墓の関係者で、墓を侵す者を排斥すると生徒会長が言っている以上、皆守は生徒会の人間なのだろうと。形にしたくなくて、頭の片隅に追いやっていた予感は玄室で事実になった。だから副会長だと詳らかにされても、さほどの衝撃は無かった。皆守自身が言うように、裏切られたとも思わなかった。九龍が来る前から皆守は墓守で、九龍と心を許しあったとしてもそこで放り投げられるような軽い責務ではないのだ。同じように、皆守が引いてくれといっても九龍は引けなかった。お互い様だと思ったし、そのことで皆守を責めようと思ったことは一度も無い。
「ええ。あの方と同じほどではないにしても、近い程度で彼は墓を知っていた。休職するまで、墓に近づいた者や侵入者に対する処罰を行っていたのはほとんど彼でした」
「…………だから、甲ちゃんは」
あの墓で、数時間前に阿門と共に自らを葬り去ろうとした。それは九龍に対する裏切りだったが、皆守にとっては贖罪だったのだろう。墓が沈めば、墓の呪いで捕らわれた人々の魂は元に戻る。仮死状態も解ける。皆守が傷つけた、人々だ。
「あの場にもし僕か双樹さんがいたとしたら、どうにかして阿門様を助けようとしたはずです。それがあの方の意にそぐわない行動であったとしても、躊躇わずに。けれど、どうにもならないと分かれば──最期まで共に在ろうと望むでしょうね」
「神鳳」
露骨に顔を顰めて話を遮った九龍の硬質な声に、神鳳は苦笑いを浮かべて違いますよ、と静かに誤りを正す。
「人の話は最後まで聞くものですよ、龍さん。僕にしても双樹さんにしてもあの方から離れたくはありません。でも、あの方がそれを許しはしないでしょう。僕たちに過去の処罰対象者の救護を指示して墓に赴いたということは、そういうことです」
共に逝くことも共に在ることも、許しはしなかった。
「そんなの、よけい、許せない」
神鳳や双樹たちには生きろと示しておきながら、あの時阿門は皆守の行動を咎めはしなかった。驚いてはいたようだったが、皆守を九龍のところへ帰してもくれなかったし、皆守を諭してもくれなかった。二人であのまま墓に沈んでも、良かったのだ。
「だめだ、神鳳、阿門の顔なんて見られないよ。きっと…ぶっ飛ばしたくなる。そんなことして咲重ちゃんに泣かれたくないしお前に恨まれたくもないし」
「そうされたらどうですか」
「え」
どんな呪い方をされるのやら、と思っていた九龍は思いがけない言葉にぽかんと口を開ける。
「阿門様が甘受なされるものを僕たちが阻む道理はありませんからね」
「……神鳳さ、何が狙いよ?」
ここに来た理由にしろ、今の話にしろ、明らかに神鳳は九龍を焚きつけようとしていた。九龍には見えない、阿門と皆守の間を結ぶ繋がりをおぼろげながら形にして見せて、皆守を望む九龍が行動を起こすのを待っている。
「狙いとは失礼ですね、僕はただ龍さんがさっさと彼を攫っていけばいいと思っているだけです。犯罪に荷担する趣味はありませんが、まあ誘拐の手助けぐらいなら」
「おいおい過激だな、誘拐って。でも…そうだな、そうさせてもらおうかな」
「龍さん」
「ただし卒業式で。ついてきてくれるって言ってたけど、やっぱ区切りがついたほうがいいっしょ。それに……神鳳、卒業って映画知ってるか?」
「いえ。タイトルの通り卒業式の話なんですか?」
「どっちかって言うと結婚式だな。結婚式に花婿から花嫁を攫う映画。身も蓋もないけど。ま、目の前で攫われりゃ、阿門だって諦めるだろ」
「龍さん、阿門様は別に彼と結婚しているわけでは」
できるわけもないし、阿門はそもそも入学当初からの双樹のアプローチを拒み続けている上に異性と付き合うという選択肢すらどこかに捨て去った男で、だからといって皆守とどうこうということなども無かった。
「心中なんて恋人のするもんじゃん、しかも悲恋の。遊女と町人とかさぁ」
「……龍さんの蔵書というか読書遍歴が非常に気にかかりますね」
曽根崎心中を読んだわけでもないだろうが、男子高校生二人の行動を恋人のすることだ悲恋の結末だ遊女だと評されると思考回路に謎が湧く。神鳳の疑問など九龍は意に介さず、舌打ちをして髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。
「あー、思い出してムカついてきたッ!やっぱアレだ、一発ぶっ飛ばして来よう、行こうぜ神鳳」
「え、ええ」
まるで二人で殴りこみに行くかのような九龍の言葉に神鳳は気圧されながら頷く。
神鳳が信望している長は、《宝探し屋》の来訪を喜ぶだろうなと思った。皆守のように顕著ではなくとも、いくらか顔を合わせ難い思いを抱えているだろう彼のところへ《宝探し屋》本人がいつものように訪ねていけば、そこで何が起ころうとも彼が墓から戻って今までずっと頑なに背負い続けているものから解放されるかもしれない。
ほんのわずかであっても、負った荷を下ろすということの意味も方法も知らぬ人だから、そのきっかけさえあれば十分だった。彼が方法さえ分かれば、後は神鳳でも双樹でも誘発してやることが出来るだろう。
おそらく、今までは副会長がそういった世話を焼いていたのだろう、と今さらながらに思う。副会長は口も足癖も悪い上に皮肉屋で気まぐれだが、自分の懐に入れた人間にはまめに世話を焼く。皆守がどういった経緯で副会長になったのかを神鳳は知らないし、知ろうと思ったことも無かった。彼が神鳳に言わないのだから、それは神鳳に必要の無いこと、ということだ。
同じ罪を背負い、生死を共にすることさえ許された皆守のことを口惜しいだとか憎らしいだとか思ったことも無い。役目が違うのだ、と分かっていれば口を挟むことなど出来なかった。地上に残って墓が全て解放されたあかつきには救護にあたれと命を受けた時、双樹は何かを言い募ろうと幾度も声をかけては口をつぐんだ。皆守が《宝探し屋》と共に墓へ下りることは分かっていたが、それでも。人にはそれぞれ分があり、役目がある。一人一人それは違う。神鳳が不必要で皆守が必要だから阿門がそうしたわけでは無いのだ、阿門はそのような狭量な男ではない。それぞれに相応しい仕事を常に与えて任せることが出来る男だ、だからこそ神鳳は彼につき従っている。
九龍が来るずっと前から、天香生徒会は少し歪なヒエラルキーを保っていた。頂点は無論阿門だが、皆守は副会長と呼ばれ神鳳や双樹よりも強い権限を持ちながらも純粋に阿門の下にいるわけではなかった。下というよりは隣だ、と神鳳も双樹も思っていた。神鳳が見る限り、皆守だけが多くのことを阿門に許されている。役にありながら休職することも、阿門に反駁することも、時には命に従わないことでさえも、阿門は許してきた。
皆守は阿門に仕えているわけではない、休職と言いながら阿門と話をする機会は設けているらしく阿門の口から皆守の行動予定や意見を聞かされることもあった。阿門の話しぶりを聞いて阿門が皆守の意見を求めたことが分かるケースもあったほどだ。
「そうだ、神鳳」
「何ですか?」
阿門の屋敷から出てしまえば、生徒会室まではそう遠くない。室というより一つの屋敷と言ってもいいほどだ。
「役員ってさ、生徒会室に部屋もらってんの?」
「ええ。各々の仕事で要る資料なども多いですし、個室で作業した方が捗りますしね」
夷澤は役員ではないので無いですけど、と要らない情報まで付け足したところで生徒会室にたどり着いた。
「ふーん。後で甲ちゃんの部屋見せてもらおうっと」
見せてもらうも何も何回も勝手に入って探索していったんじゃないですか、とはもはや自明なので問わずに神鳳は阿門が作業をしていた部屋をノックする。
