日が沈む・日が昇る
「どこだよ!?」
ばっと勢い良く振り向いて詰め寄ってきた京一をソファに座らせて、村雨も近くに腰を下ろす。
「日本だ、新宿」
「はァ!?」
「どうやら、先生はお前と離れた後で厄介事に巻き込まれちまったみてェだ。さっき話してたのは如月だが、新宿にある天香学園って高校にいるらしい」
「……なるほどな。それで少し前まで方角が分かってたってェのに、何も分かんなくなっちまったのか」
そう言いながら京一は立ち上がり、リビングを出ようとした。
「京一?」
「日本にいるんだろ、ひーちゃん。なら俺も日本に戻る」
「どうやって?お前、金が無いんじゃなかったのか?」
途端に押し黙った京一はリビングの中で立ち尽くす。居場所が分かっているのに、龍麻の傍に戻れないのがもどかしくて、思わず舌打ちした。
「そんな顔すんな、人の話は最後まで聞け」
「ンだよ」
「オレのここでの仕事はもう終わってる。今のところ次の仕事の話もねェ」
「それがどうした」
「で、先生はその高校での事件が終わらねェ限り、その高校から出て来られないらしい」
「……だから?」
苛立って京一は村雨を睨みつける。戦闘前のような京一の様子に、村雨は何故か高揚感を覚えて笑った。
「事件が終わるのは先生と如月の見立てで今年中、クリスマスが目処だそうだ。少なくとも、それまでは先生は高校にいる。だからな、京一。お前、オレに雇われてみねェか」
「どういう意味だよ?金貸すんじゃなくて労働で支払えってことか?」
「オレもどうせ日本に戻らなきゃならないが、タイムリミットはないしここの所仕事続きだったんでちょいと遊びてェ。お前がオレに付き合ってボディガードの真似事でもしてくれりゃ、日本までの旅費とそこまでの滞在費、全部オレが出してやる」
御門は経費など出せない、と言っていたが村雨が予定しているプランに京一を付き合わせたとしても村雨の懐は多少減りはするだけで痛くも痒くもない。そもそも仕事などせずに一生遊べるだけの額は持っているのだ。御門の仕事を請けているのはマサキとその妹である薫を守るためと、単純に刺激のある暮らしを求めてのことだった。
「……ひーちゃんは、本当にクリスマスまでその学校から出て来られねェんだな?」
「如月はそう言ってたぜ。お前さんに会いたくて、如月にお前さんを配達しろだの何だの言ったみてェだが。先生がお前を置いてそんなとこにいるにはもちろん訳がある。如月が言うところの必然性ってやつがな」
京一は村雨の言葉にしばらく黙って、腕を組んで少しだけ目を伏せる。
「ひーちゃんじゃないとどうにか出来ないことがそのガッコで起きてて、だからひーちゃんはそこから出られないってことか。……つまり、その事件に必要なのは俺たちじゃなくて、ひーちゃんだけなんだな」
「おそらくな。如月は少し噛んでるみてェだが、当事者は先生だけだ」
「ってことは、俺が今すぐ行ったところで意味はねえってことか。……分かったぜ、そういうことならお前に付き合う。たかだか三ヶ月ちょいだからな」
如月に会うなり京一と会いたがって無理難題を言ったという龍麻が今の京一の言葉を聞けばどう思うだろうか、と村雨はあまり意味の無いことを夢想した。なぜ離れてしまったのかが分からなかったさっきまで何が何でも逢うと言い張っていた京一は、事のあらましが分かった途端に落ち着いて氣も穏やかになっている。そもそも京一はべったりとしたウェットな付き合いを望む性質ではないし、自分や如月の言葉を信用しているからこその態度なのだろうと村雨は考えて、コーヒーを注いだ。
「よし、じゃあ契約成立だ。久々にカジノで遊ぶとするか」
「お前の場合、遊ぶじゃなくて荒らすとか全部巻き上げるとかだろうが。それにしても村雨」
「ん?」
温かなコーヒーをゆっくりと飲みながら、きょろきょろと辺りを見回している京一に問い返す。
「ボディガード、ってそんなヤバイ仕事してンのか?秋月とか御門が狙われてるとか?」
「マサキが狙われてるのは日常茶飯事だ、今でもずっとな。ただオレの場合はマサキどうこうっていうよりは御門と敵対してるヤツらだとか、カジノで恨み買っちまった裏の人間だとかに狙われてンな。ま、ヤバイことになったことは無ェが」
「だろうな。普通の人間にやられるこたァねえだろうが、ボディガードがいるって見せときゃ、牽制にもなる」
「そういうことだ」
符術を使う術士である村雨は、京一や龍麻のようなレベルで相手の氣を読むことは出来ない。結界を張るなりして対策を取ればいくらでも可能だが、氣の様子や距離などを把握するのはなかなか難しいことだった。これまでは自衛のために結界を張っていたが、もうそんな必要も無い。京一が傍にいれば、多少なりとも腕の立つ相手は自らの敗北を悟って姿を消すだろう。
「……ってなわけで京一と逢ってここまで連れて来たのさ」
村雨の話を一応静かに聴いていた龍麻だったが、自分の膝というか太腿を枕にして眠っている京一の髪の毛をゆっくりと指で梳きながら、目線だけ上げて村雨を捕らえた。蛇ならぬ龍に睨まれて、村雨は思わず諸手を挙げる。
「で?その話と、さっき言ってた『お互いイイ思いをした』ってのはどう繋がるんだ?」
「そりゃ、上等な宿と飯をオレはこいつに提供したし、何度も襲撃されたがこいつがいたんでオレは何もやってねェ。お互いギブアンドテイクで、やましいことは何もねェよ」
「ふぅん?やましいことは何も無い、か。でも部屋は一緒だったんじゃないのか?ボディガード、って言って傍に置くんだから部屋が離れたら意味はねェよな」
「……先生の言う通り、部屋は同じだったがこんなデカイ図体の男二人で同じベッドに入れるわけもねェだろ、手なんか出してねェって」
何とか無事に龍麻の追及から逃れようとする村雨と、全て解決した後になって離れ離れだった苛立ちが爆発したらしい龍麻の様子を見ながら壬生と如月は同じ光景を思い浮かべていた。蛇に睨まれた蛙。イメージにはそぐわないが、蛇に勝てて蛙に勝てないという意味では、ナメクジはそこで寝ている剣士なのだろう。
「如月さん」
「何かな」
「村雨さんの弁解する点が何かズレているような気がするんですが」
窮屈だから同じベッドになんて入っていない、と言っているだけの村雨は相手が京一だからとか同じ男だからとかそういった点を一切問題にしていなかった。普通はそちらが先に問題になるだろうに。
「機会があれば手を出しそうだと言っているのと同じだな、愚か者め」
「……それにしても、よくこの状態で起きませんね、京一くん」
鶴の一声、とまではいかずとも京一が宥めれば龍の怒りはたちどころに収まることをよく知っている二人は、龍麻の膝に頭を乗せてすやすやと眠っている京一に目線を移す。枕にしている龍麻の怒気が殺気に近い域に達していることに気づいていないはずはないのだが、向けられているのが己では無いからか怒りの理由を分かっているからか、京一は起きて事を収めようとはしない。さきほど御門の作った結界の中で戦った疲れと酔いと久しぶりに龍麻に逢えた安堵感とで深い眠りに落ちているようだった。
「眠っていてくれた方が助かる気がするな。ここで京一くんが起きれば龍麻は村雨に構わないだろうが、京一くんがいない場所で村雨を問い詰めるだろうし、おそらくそちらの方が面倒臭い」
「それは確かに。いくら何でも知人の死体処理なんて御免蒙りますよ」
二人の言葉を耳にしていれば何らかの反駁をしただろう村雨は、どうにか龍麻の怒りを静めようと躍起になって言葉を紡ぐ。
「だからな先生、オレは何もしちゃいねえって。京一に手出しすればどうなるか、なんてこたァ六年前からよく知ってンだからよ」
「…確かにお前は手出ししてはいないんだろう。オマエが手を出す出さない以前に、京一が正気なら手を出させないだろうしな。剣がなかろうと寝ていようと酔っていようと自分の身ぐらい守れるヤツだ、それを疑ってはいないしそういう心配は一切してない」
「なら」
やっと解放されると村雨が安堵しかけた瞬間、龍麻は尚も眼光鋭く村雨を射抜いた。
「だが、同じ部屋で三ヶ月も寝起きしてたってのが気に食わない。三ヶ月分の京一との記憶を寄越せと言いたい」
「オイオイ先生無茶言うなよ、気に食わねェって、ほとんど八つ当たりじゃねーか!記憶なんてやり取り出来るかよ」
冗談で言っているわけでもなく、本人に八つ当たりの自覚はあってもあくまで本気で言っているのでなおさら性質が悪い。
「……翡翠」
「言っておくけど、記憶を失わせるにしても京一くんに関するものだけ選択して失わせるのは無理じゃないかな。失わせたとしてもそれを龍麻に見せる方法も無いと思うよ。店にもそういう品は無いしね」
「僕も如月さんと同意見だよ、龍麻。そういうオーパーツや超技術があるという話はM&Mでも聞かないし」
人に八つ当たりをしてはいけません、という至極真っ当な注意を黄龍に与える者はおらず、如月と壬生は不可能だから無意味な暴力は止せと言っているだけだった。
「記憶を封印することは阿門に頼めば出来るだろうが、その記憶をおれに与えるのは阿門でも無理か…うーん」
「阿門?」
方法を探して考え込み始めた龍麻をよそに、壬生は見知らぬ名前に首を傾げる。
「龍麻が今日までいた学校の責任者だ、事件の当事者でもある。遺伝子操作が出来るのだと言っていたな。記憶の封印が出来ることは初めて聞いたが」
「遺伝子操作なんてことが出来ちまうのかよ、すげえ力だな」
龍麻や京一、そして仲間たちが持つ《力》は自らが能動的に使う力で、本来なら他人に強制的に影響を及ぼすことは出来ない。薫が兄のマサキを助けようと無理やり影響を及ぼした結果、薫は両足の自由を失った。遺伝子操作が出来れば、他人の遺伝子をいくらでも書き換えられるのだから、いくらでも改造が出来る。
「彼の力は僕たちのような龍脈の影響などではなく、血脈の力とでも言うべき血統のものだ。そもそも、そういう力を使えるように彼の一族は大昔に遺伝子を書き換えられたようだったな」
王の眠りを妨げぬため、墓守として与えられた、阿門一族の《力》。墓に王がいなくなった今でも、遺伝子から書き換えられた力は失われることがない。
「へェ、世の中にゃいろんなヤツがいるもんだな」
考え込んでいる龍麻からそっと距離を取った村雨が感心しきったように言うと、如月と壬生は静かに頷いた。
六年前に出会ったとき、互いにそう思ったことを覚えている。龍麻を中心にして円のように広がった仲間たちの輪は未だに途切れず、学生という身分ではなくなりそれぞれが新しい道を選んだ今になって新しい道でいろんな人物に出会っても、いろんな意味で龍麻以上の人物はいないと思わざるを得ない。
「彼やあの学校の生徒たちは僕らのことをそう思っているだろうけどね」
「そりゃ違ぇねェ」
龍麻を迎えに来ないかという如月の誘いに乗った数名は、龍麻が三ヶ月ほど放り込まれていた天香學園に初めて足を踏み入れた。如月や壬生を始めとして、その學園の異質さや陰の氣に気づいていた仲間は幾人もいたが、自分が関わるべき問題では無いと悟って一切の手出しをしていなかったのだ。いずれ、相応しい時期に関わらざるを得ない人物が現れて状況を変えるだろうとは踏んでいたが、その一人に自分たちのリーダーでもある龍麻が選ばれているとは実際に事が起きるまで誰も分からなかった。
學園で龍麻が何をどう振舞っていたものか如月以外には分からなかったが、京一を見るなりタガが外れてしまった龍麻の様子に呆気に取られていた彼らを見れば、彼らもまた否応無く人を惹きつけてしまう龍麻に惹かれていたのだと分かった。七年前の自分たちと、同じように。龍麻が京一に関してタガが外れてしまうところも、照れ怒りで京一が容赦無く剣を抜くところも、六年前と何ら変わらない。
「ガキにしちゃ、肝ッ玉が据わってそうな面子だったけどな」
「それはそうだろう、あの場にいたのは葉佩くんのバディ──仲間だけだからね。妖魔とまでは言わないがそれに近い化人がたくさんいる遺跡を一緒に探索していたのだから、多少なりとも度胸はつくはずだ。彼ら自身もさまざまな能力の持ち主だし、龍麻の力の一部はもう知っていたようだし」
「御門が面白い取引相手を見つけたと言ってたが、あのガキのことだとはね。ずいぶんと気に入ってたようだ、先生に似てるからかもしれねェが」
「裏密さんも気に入っていたようだったよ、前に配達に行ったらそう言っていた。龍麻とは…そうだな、氣の質がどことなく似ているかもしれないな」
「確かに。氣の量や強さでは及ぶべくもありませんが、質は似ていましたね。本質とでも言うべきものが」
今日会った、葉佩九龍という未成年の宝探し屋のことを思い返しながら三人が話していると室内が静か過ぎることに気づいた如月がふっと顔を上げた。
「龍麻?」
村雨が持っている三ヶ月分の京一との旅行の記憶をどうしてやろうかと算段していたはずの龍麻は、さきほどと同じように京一を膝に乗せたまま、うつらうつらと舟を漕いでいる。
「先生、寝ちまったのかい」
「そのようですね。明け方まで戦闘していたというし、疲れていたんでしょう」
「ここに寝かせてもいいが、早く家に帰してやりたい気もするな」
三ヶ月前にエジプトで拉致された(本人談)龍麻はもとより、ここまで村雨のカジノ踏み荒らしツアーに付き合っていた京一も家には全く帰っていない。日本を出たのは一年ほど前になる。
「今晩はここで寝かせてあげたらどうですか、如月さん。一年も家を空けていたのでは換気や掃除から始めないといけませんし」
「それもそうだな。というわけでお開きだ、村雨。京一くんの荷物だけ置いていってくれ」
「コイツの荷物ならそこにあるバッグだけだぜ。途中で買ってやった服もあるにはあるが、それを渡したらオレもコイツも身の危険がある気がする」
