magic lantern

first phase-2

ニールがロックオン=ストラトスというコードネームを与えられてから一週間が過ぎた。ターミナルビル地下にある研究所はとてつもない広さで、一通りの案内を買って出たクリスティナは研究所のメンバーでさえ出入りを禁止されているエリアがあること、正確な研究所のデータはヴェーダ内の秘匿ファイルに隠されていてイオリアの許可無く閲覧が許されないことなどを明るい声でロックオンに教えた。生活エリアと研究エリアの他に厳重に施錠されているエリアがあり、悪魔の召喚に関するアイテムや召喚陣が描かれている結界が存在していることをロックオンに教えたのはイアン=ヴァスティと名乗った中年のエンジニアだった。
「そうだ、ロックオン。お前さんの武器は銃だったな」
「……だが、悪魔には銃は通じないって言いたいのか?」
スナイパーとして活動していたのは一ヵ月以上前のことになる。王が組織と交渉を始めた時点でニールには仕事の話が来なくなった。そのさらに前、もう自身にもいつだったか思い出せないような昔、ターゲットに向けた弾が突如現れた悪魔の体に吸い込まれるのを見たことがある。音もなく弾を吸い込んだ悪魔は視線を寄越すでも無く、そのままふらふらとどこかへ消えた。
ロックオンが敵対する悪魔には銃が通じなくとも、ニールの仇は人間であることに違いない。いつ判明するともしれない仇を討つために何と言われようと銃を手放すつもりなど無いロックオンは、たくさんの資料を前にしたイアンを眇めて見やる。イアンは首を竦めるでも眉を顰めるでも無しに、笑ってみせた。
「いや?そんなことはないぞ。お前さんが何を見てそう言うのかは分からんが、銃が効く悪魔はかなりいる。銃に弱い悪魔もいるが、全く効かない悪魔もいるな。効かない悪魔の中には、無効化するものと反射するものがいる。無効化ならともかく、反射は危険だ、銃弾のスピードは落ちないから普通の人間では避けられない」
「銃弾を避けられるヤツがいてたまるかよ、俺の商売上がったりだっての。ともかく、効く悪魔もいるんだな。特殊な弾じゃないとダメだとか、そういうことか?」
伝説の中に生きる狼男や吸血鬼には銀の弾丸で絶命するケースが多い。もちろん、狼男や吸血鬼になど出会ったことは無いしそもそも存在しているとも思えないが、悪魔なんてものが跋扈する街なのだから何でもアリかもしれないとロックオンはシルバー・バレットの名を口にする。
「そういう特殊な属性を持たせた弾を作ろうってな開発案もあったよ、かなり前の話になるが。開発が頓挫した理由はお前さんほどの腕がなきゃ、そもそも悪魔に弾が当たらないんで意味が無いとヴェーダが判断したからだ。今なら、ヴェーダも反対はしねえだろうな。まあ、射撃が有効な悪魔に対してなら銀じゃない普通の鉛玉でも十二分に効果がある。悪魔を種族で分類する際の属性の話は前にしたよな」
イアンの言葉にロックオンは頷いた。研究所に来てロックオンに与えられた仕事は悪魔について学ぶことだった。街に悪魔が氾濫した理由、悪魔の生態、召喚術、悪魔の由来である世界各地の伝承や神話に至るまで、多くの書物を提示された。一通り読み終えたのは昨日、今朝になってみればエンジニアのイアンが研究所に来ていて、朝からずっと講義を受けている。
「悪魔はアストラル体しか持たないが、そもそもの成り立ちや形態によって弱点が分かれる。一番効くのは鳥族で、飛天族や魔族もまあまあ効く。他は似たり寄ったりだが、邪霊たちには一切効かない。効かないどころか邪霊の幽鬼たちは反射してくるから気をつけろよ」
「ああ。けどよ、その種族とかってのはどうやったら分かるんだ?一目見れば分かるようなモンなのか?」
「ティエリアはおれが知っている悪魔の種族のデータを全部覚えてるが、初見の悪魔でもデータ照合と解析を短時間で行えるプログラムをAIに入れてあるから、距離を取るなり何なりして時間を稼げばすぐ分かる。フェルトから聞かなかったか?あいつが作ってるマルチAI──ハロのこと」
「ハロ、っていうのか。あのちっちゃい女の子が製作者ねえ」
マルチAIを製作している話は初日に聞いていたが、名前までついていたとは意外でロックオンは微かに目を丸めた。フェルトはまだ幼い少女で、聞けば14歳にしかならないのだという。両親は研究所のメンバーだったがフェルトを遺して他界したのだと聞かされた。14歳で親に残された少女。もう会えない妹が大きくなっていればこれぐらいだったかもしれない、と思い当たってロックオンは何となくフェルトのことが気に掛かっていた。物静かな、幼さの残る少女。
「フェルトの腕は大したもんだ。確かにまだ子どもだが、だからこそプログラム言語に抵抗がないんだろうな。プログラム言語は普通の言語と形態が違うだけで、一種のテキストであることに違いはない。自分の記憶にあるテキストとの差異ばかりが目に付いてしまう大人と違って、あるがままを受け入れられる子どもの柔軟性がフェルトの強みでもあるのさ」
「俺には意味不明の暗号にしか見えないがな」
記されている文字がアルファベットとアラビア数字であることは分かっても、全く意味を理解出来ないロックオンがそう返すと、イアンは声を立てて笑う。
「そうじゃなきゃ、おれらの仕事が無くなっちまうだろ。いいのさ、適材適所ってやつだ。召喚プログラムを使うのにプログラム知識は一切要らない。要らないように、作ったからな」
召喚プログラムを使うことの出来る人間、適性のある人間は研究所にいる四人しかいない。しかし、適性が『いつ生じるのか』について結論が出ていない段階なので、いつ適性者が増えるとも分からない。四人の中でプログラムの素養があるのはヒューマノイド・コンピュータであるティエリアぐらいで、アレルヤはプログラムより魔力への耐性を強められているし、刹那とロックオンに至ってはまるで素養が無い。素養の無い人間に対して召喚プログラムの全容を理解させるほどの時間は無く、時間があっても理解できるとは限らないので最初から召喚プログラムは適性者がすぐに発動出来るように作られている。煩雑な処理を行うのはCOMPで、適性者は精神エネルギーを提供するだけで悪魔を召喚できるのだ。
「そうでなきゃ困るぜ、俺も刹那とか言ったあのおチビさんもコンピュータなんてモンとは無縁な生活だったからな」
たった一週間ではあったが、生活の場を一つにしていれば接触機会があまり無くても多少は相手のことが分かる。もともとの稼業が稼業なので人を観察することは習い性だ。
初対面で野生動物のようだ、とロックオンが察した刹那の暮らしは昔のニールとさほど変わりが無いようだった。共同生活をしているはずの研究所に2年も暮らしているのに、誰一人として気を許した風が無い。少ない糧を奪い合う人々で殺伐としているスラム街を生き抜いてきたのなら納得出来る態度で、まして子どもの刹那が狡猾な大人たちに食い物にされずに生き延びるにはかなりの労力を要しただろうとロックオンには容易く想像出来た。人前で寝姿など見せず、どこで休んでいるのかさえ悟らせず、一切の弱みを誰にも握らせない。そうでなければ、生きていけない。もちろん、誰かに気を許すなどもってのほかだ。
スラム街で暮らす子どもたちの中にはグループになって生き抜こうと努力する子どもたちもいる。けれどそのグループはそのままギャングの末端と繋がっていて、ギャングの構成員たちに使われた挙句捨てられることが多かった。ストリートからそのままギャングの中枢へと這い上がってくるようなタフな子どももいることにはいるが、それは稀有なケースでほとんどの場合は良い様に使われておしまいだ。
ニールは組織ともつかず離れずの距離を保ち、組織内の派閥抗争や昇格やそんなものとは無関係に過ごしてきた。必要だったのはドラッグの情報だけで、それ以外には何も興味が無かったせいだ。末端の構成員たちに良い様に使われ食い物にされているストリートチルドレンの姿を見て見ぬふりで通すのは、ニールの心の中に微かに残っていた善良な部分を締め上げるような痛みを呼んだ。
けれど、誰かを助ける余裕などあの頃のニールには無かったし、今のロックオンにも誰かを助けることに繋がる研究所の理念と行動はあまり受け入れられたものではなかった。それでもロックオンがこの一週間大人しく研究所に留まって指示に従っているのは、あのままギャングにいるよりは仇に近づくと踏んだからだ。十年前、アオヤマで急激に増えたという悪魔の出現、その少し前に流行した病、その病の特効薬だと偽られたドラッグ。この三つを繋ぐことが可能なのは確かにこの研究所ぐらいのもので、ドラッグの性質が分かれば製作者や売人の姿にも繋がるはずだ。
「どうだ、あいつらとは上手くやれそうか?」
こう聞いてきたのは何人目だったか、と思いながらロックオンは肩を竦めてみせる。
「あんたらは揃いも揃って同じことを聞くんだな。他のヤツらにも言ったが、可も無く不可も無く、ってとこだろ。別に仲良しグループになるってわけじゃない」
「そりゃそうだ、もっともだな」
イアンが返してきた反応は、今までの誰よりロックオンにとっては好ましいものだった。信用には足らずとも、信頼には足ると思えるほどの。
「……あんた、変わってるって言われるだろ」
「よく言われるぜ?おれにすりゃ、エンジニアで非の打ちどころの無い常識人なんてそっちのほうが変わってると思うがね」
驚きながら返したロックオンの言葉にも、イアンは気分を害した風無く笑う。
「そういう、もんなのか」
「まあ、おれらはエンジニアっつってもこの街の外と付き合いがあるわけじゃない分、より特殊なんだろう。バーチャルリアリティへ飛べばいくらでも外界と付き合いはあるが、それはあくまでバーチャルで、現実じゃない。おれらのリアルはこっちだ」
悪魔が跋扈する、廃墟染みた街。
「お前さんが生まれる前、悪魔が出てくる前はもうちょっとマシな街だったのさ、シブヤも。今そんなこと言っても信じられねえだろうが、スラムにはスラムなりの秩序ってもんがあった。物資は乏しいが何でもかんでも受け入れちまう懐の広さがあって、汚ねぇ街だがおれは好きだった。もちろん、貧困にあえぐ移民は山のようにいたし、ギャングだっていたし、治安なんてあったもんじゃなかった。けどな」
イアンは机に広げられた資料に目を落とした。旧都心で確認された、悪魔たちが記された書類。
「ここまで一方的な力に蹂躙されたことなんて、無かった。ギャングにしろユニオンにしろ、畢竟、人々を搾取することで成り立っている。だから、元手になる人々を根絶やしにする気なんて更々無い。けれどこいつらは違う。動向を調べる限り、悪魔たちは人間を殲滅させる気なんて無いようだが、どれか…一つの種族でなくても、一体の悪魔がそう考えて実行しようとすれば、それは不可能なことじゃない」
悪魔たちが持つ魔力に、人々は絶望的なまでに無力だ。どんな小さな魔力の波動でも、人々には害しか齎さない。力を持つ上位悪魔が殲滅を企てれば、一つの街など簡単に沈む。
「おれは怯えながらその日を待つなんてごめんだ。あいつらのことを調べつくして、悪魔たちを元の世界へ戻す。プトレマイオスが次元を繋げてしまったのなら、一方通行のトンネルを作って追い出すことだって理論上は可能なはずだからな」
風変わりなエンジニアから寄せられる、熱源のようなエネルギーに面食らったロックオンは一度だけ瞬きをして、そのまま顔ごと目線をそらした。向心力の強さに、思わず腰が引けてしまう。
「そして、そのきっかけを掴めそうなのはお前たちしかいないんだ、ロックオン」
「……あんまり余所者に期待しなさんな、そういうのはアレルヤとかに言ってやればいい」
ひらひらと手を振って流そうとするロックオンの横顔をイアンはまっすぐに見つめる。正式な教育を施されたことなどあるはずのない、移民の子。
どこで読み書きを覚えてきたものかイアンには分からなかったが、事前に提示しておいた書物は読み書きがかろうじて可能なレベルで理解できるものではなかった。新月まで三日も余裕のある日程で研究所に来たのは、不足しているだろう部分を補うためだ。そのためにやってきたイアンに、ロックオンは全て読み終えたと事も無げに言ってのけたのだ。
虚栄でないことは話をしていてすぐに分かった。数値化することの出来る知能などが突出して高いタイプではなく、物事の間を読むことが出来るタイプの聡い人間だと分かれば話は早い。行間を読み、本質を掴み、理解を定着させて応用へ発展させることが習慣として出来ている。こちらが全てを言わなくてもほとんどを察する。会話をしていて、相手の反応が事前に分かるタイプだ。
だからこそ、今ロックオンが取っている態度が歯痒い。反抗的ではなく非協力的でもないが、あからさまに『自分はいずれ離脱する、いくらでも替えのきく、ただのピースの一つ』と示している。一線を画して、どこまでも醒めた態度で全てを見据えている。研究所の人間になれという権利など無いし、組織としてどうこうということをロックオンに望むつもりはない。あの3人と長期でミッションをこなすことになるロックオンに、イアンはせめてあの3人だけでいいから興味や執着を持って欲しいと願っている。悪魔と交渉し戦闘することは、ただこの街で生き延びようとすることよりも危険なことだ。根源的な生命の危機に常に曝されることになる。だからこそ、自らの望みのためだけではなく他者のために生きようとする力を得て欲しかった。
「アレルヤやティエリアはおれが言わなくても十分分かってる。研究所生まれ、だからな」
「そうだったな。まあ、今は俺もここの人間だから出来る限りのことはするさ」
ロックオンがわざわざ今は、と付け足したことにイアンは片眉をぴくりと動かしたが取り立てて何も言わずに、壁に示されたデジタル時計を見やる。日付時刻の他に月齢が分かるように作られたデジタル時計は、あと三日で新月になると表示してあった。三日後はロックオンが召喚術を行う日で、その一ヵ月後は四人が研究所を出る日取りだ。
「とりあえずは三日後の召喚で何が出てくるか、お楽しみだ。どういう属性の悪魔かによって、戦闘シミュレーションの内容も変える必要性がある。上手いことバラけてくれると助かるんだが、こればっかりはやってみないとなあ」
「そうそう都合よくは行かないんじゃないのか?こっちの都合なんて、あちらさんにはお構いなしだろう」
「そりゃそうだが、おれはあいつらとは被らないと見てる。召喚で出てくる悪魔の属性ってのは、召喚者の資質に呼応してるからな、あいつらと似ても似つかないお前なら全然別の種族を呼び出すだろうさ」
似ても似つかないのはあの3人も同じことだろう、と思いながらロックオンは懐疑的に首を傾げる。目の前のエンジニアが何を期待しているのかは知らないが、そんなに世の中は都合良く出来てねえだろ、とも思っていた。




それから三日後。ロックオンは今まで入ったことのない、厳重な施錠のされたエリアに通される。他の3人とイアンも一緒だ。安全が保証出来ないということで他のメンバーは立ち入りを許されていない。モニタリングされていて、ヴェーダのメインモニタで他のメンバーは見守っていると聞かされたが、覗き見されているようでロックオンは眉を顰める以外のリアクションは取れなかった。
「これが召喚陣ってヤツか?」
広いエリアの中央、円と幾何学図形と何らかの文字を組み合わせたような模様が床に書いてある。
「いや、これは単なる結界だ。お前さんとおれたちの身の安全のためにかけた保険みたいなもんさ。召喚陣とスペルはそいつに入ってる」
そいつ、とイアンが指差したのはロックオンの左上腕部に固定されたウェアラブルコンピュータ──COMPだ。刹那は左腕でアレルヤは右腕につけており、3人は揃ってヘッドマウントディスプレイも身につけている。ディスプレイは通常閉じられていて、外見上はヘアバンドをつけているような形になっていた。ティエリアはそもそもがプログラム実行用のヒューマノイド・コンピュータなので装備は一切不要で、眼鏡部分がディスプレイの役割を果たしている。
「ここでいいんだな」
円の中央、一人立ったロックオンの声にイアンは頷いた。イアンと3人は、エリアの隅に立っている。
「タイミングはお前自身で合わせろ、間違っても飲まれるなよ」
悪魔に対して萎縮した精神で、従者になる悪魔が呼び出せるわけもない。召喚術を適性者が行えば、全てが全て上手くいくとは限らないのだ。悪魔は波長があって、力を貸すと決めた相手としか契約を結ばない。召喚する手立ては全てCOMPが行うが、呼び出された悪魔は召喚者の資質を見抜いて契約するかどうかを決める。
「分かってる」
ロックオンというより、ニールは悪魔に対して畏怖を覚えたことは無い。不可思議な存在だとは思っていたが、恐怖したこともないし敵わないと思ったこともない。召喚者になって悪魔の謎を探ることが家族を奪ったドラッグにやがて繋がるのならば、迷いも恐怖も霧散する。ロックオンはあらかじめ教わった通りの手筈で、COMPを操作して強制的に召喚術を発動させた。
「……!!」
COMPが光を放つ。風が起きているわけでもないのに、服がはたはたと揺れる。自分に被さるように何者かの気配が忍び寄る。くらりと眩暈に似た感覚を覚える。重なり合う気配。
『…汝…我が主…』
足を踏ん張って体勢を保ったロックオンの眼前に、半透明の悪魔が姿を現した。真白い姿、二枚の羽、頭上に掲げられた光輪。
「こいつは…」
「天使、ですか?」
「……ニケーだ。天使の原型とされている、ギリシャの勝利の女神」
「……」
離れた場所にいる4人の声は、ロックオンには届かない。目の前にいる悪魔の表情は分からず、そもそも唇さえはっきり見えないのに頭に直接声が響いたのだ。
「お前が、俺の……」
何と言っていいのか分からず、呆けたようにぽかんと口を開けているロックオンの眼前にカードが二枚落ちていくのが見えた。手にとって見ると、今まで見たことが無いような絵柄のカードだったが、典型的な寓意図章を全て含んでいるためにロックオンにはすぐ意味が分かった。タロットと呼ばれるカード、大アルカナNO.2PRIESTESSとNO.20JUDGEMENTだ。
「……」
正位置の寓意だけでなく逆位置の寓意まで空で言えるロックオンは眉を顰めて、睨むように悪魔を見上げた。全く、悪い冗談にもほどがある。
「ロックオン!早いとこそいつを戻せ!お前の身が持たねえぞ!」
「……、ああ」
ロックオンがイアンの声に頷き、戻れと言おうとした矢先に悪魔は自ら吸い込まれるように姿を消した。光っていたCOMPの画面が落ちて、ロックオンはため息をつきながら頭に手をやる。微かに、頭が痺れるような感覚が残っていた。
「大丈夫ですか、ロックオン」
「ああ、思ったより平気だ。…どうしたんだ」
手に残ったカードを見ていたイアンとアレルヤが不思議なものを見るような目で自分を見ていることに気づき、ロックオンは眉根を寄せる。
「お前さん、さっきのあいつが何だったか分かったか」
「いいや?ずいぶんと無口なヤツだったが、悪魔ってみんなああなのか」
「そりゃ種族差や個体差があるから一概には言えねえな。で、さっきのあれはニケーだ。種族は、大天使」
「……天使」
羽に光輪があった時点で嫌な予感はしたのだが、ロックオンが呼び出したのは天使だとイアンは言った。
「正確に伝承を言うなら、古代ギリシャで信仰されていた勝利の女神で、ニケーの姿を取り入れたローマが天使の姿を作ったんで天使の原型だな。神聖魔法と回復魔法が使える」
「すごいですね、天使だなんて。このカードも」
女教皇と審判、どちらも宗教的権威を表したカードだ。ロックオンには性質の悪い冗談にしか思えないが、目の前にいるアレルヤは感心しきったような表情を浮かべている。
「なんだか、あなたに似合いますね」
「…………そうか?」
天使だか女神だかを召喚したという自分、現れた二枚のカード、似合いだというアレルヤの言葉。どれもこれもが、悪い冗談にしかロックオンには思われなかった。曖昧な笑みを浮かべたまま、困ったような表情を崩さずに小さく首を傾げる。
このCOMPの中にいるというあの悪魔は、召喚者である自分の真の望みを知っても尚、聖なる力を自分に貸すというのだろうか。
ニール=ディランディの望みはただ一つ、家族を奪ったドラッグの関係者を一人残らず殺すこと、だった。



事前にイアンが推測した通り、4人はそれぞれ違ったタイプの悪魔を召喚することになった。悪魔は属性や種族によって特長が違い、刹那とアレルヤが召喚できる悪魔は2人の戦闘スタイルに応じるかのように近距離攻撃が得意で防御力の高いタイプだ。自然、2人が前衛に張ることになる。一番幼い刹那を前面に立たせることを渋ったロックオンだったが、刹那本人がそれを望んだためにそのまま刹那とアレルヤが前衛というスタイルを決めた。
「刹那、ナイフは誰に教わったんだ?ここのヤツらはみんな武器なんて使えそうにねえのに」
「昔、ここに来る前に扱い方を教えられた」
「……」
戦闘シュミレーションを終えて後、ロックオンのかけた声に刹那は淡々と答えて装備を解いていく。ロックオンは銃の手入れをしていた手を止めた。
ここに来る前に、教えられた。
刹那が研究所に来たのは2年前、その時でさえ14にしかならないのだ。年端もいかない幼子でしかなかっただろう刹那には、ナイフを持たなければならない必要があった。ナイフの扱いは的確で、アレルヤと行っている接近戦の訓練でも体格の違うアレルヤ相手に引けを取らない動きが出来る刹那。ここに来る前どんな暮らしをしていたのか、が透けて見えてしまいロックオンは掛ける言葉を失う。
「ロックオン?」
アレルヤのかけた声に頷いては見せたものの、いつものようなリアクションが取れない。解いた装備を抱えてさっさと部屋を出て行った刹那の後姿に、組織にいた頃にたくさん見てきたスラム街のストリートチルドレンたちの姿が重なる。彼らの境遇を理解しながら、彼らの行く末を分かっていながら、助けてやれたことなど無かった。ニールに射撃の才が無ければ同じ道を辿っていただろうに。
「ああ……うん」
幸運、などという言葉を使うのは悪趣味だと自分でも分かっているが、それでもニールは運が良かったのだと自覚している。射撃の才は少なくともニールを生かすことに役立った。そこそこまともな食事やわりと安全な寝床を提供してもらえたのは、ひとえにニールが組織にとって役立つスナイパーだったからだ。同じとまではいかずとも、刹那も似たような理由で2年前まで生き延びることが出来たのだろう。
「……」
悪魔が出てくる前は、まともな街だったのだとイアンはロックオンに言った。けれど悪魔が出てくる前から街の治安は最悪で、ギャングたちが暴力的な支配をしていて封鎖を決めたユニオンはこの街に人員を寄越したことなどなかった。悪魔がいなくても、この街の子どもたちは武器を取らないと生き延びることが難しい。外の世界は、ニールが寝物語に聞いたことのある外界にはそんな必要など、ないのに。
何が外界とこちらとを分けたのだろう。それが神だというのなら、神など無能だ。神に連なる威光を示す2枚のカードなど、陳腐に過ぎる。
「あの、どこか具合でも?」
「…いや、何でもねえよ。悪い、待たせちまってるな」
こちらを伺おうとするアレルヤの視線を遮って、ロックオンは銃の手入れを再開させた。
神など必要無い。
ニールの仇は、銃で殺すことの出来るただの人間のはずだ。
神に救いなど求めない。天使の救済も期待しない。
十年前からニールを苛む絶望と憎悪は、ニール自身の手によってしか晴らすことが出来ない。
この日々が、いずれ両親と妹を一夜で奪った相手に繋がるとロックオンは信じている。




→first phase-3


なんかイアンスペシャルみたいなことに…。今度はもうちょっと4人で。