magic lantern

7.62照射

結局、イチガヤに着くまで地上では誰とも会わなかった。人間だけでなく、悪魔でさえ襲ってこなかったのだ。アレルヤは怪訝そうに眉を寄せる。
「……おかしいですよ」
「悪魔たちのことか?もうすぐ新月だ、奴さんたちが大人しくてもおかしかないだろう」
「違う…大人しいんじゃない、彼らは何かに怯えているんです」
「悪魔が怯えるだと?アレルヤ=ハプティズム、ずいぶんとおかしなことを言う」
アレルヤは、人革軍の少女に逢った時のように頭を手で押さえつけた。あの時ほどのひどい頭痛で無いにしろ、何か不快感のような、言いようの無い薄気味悪さを感じる。目指しているのはイチガヤのターミナルビルだが、そちらに近づきたくないとさえ思っていた。
「待てティエリア。刹那もだ。……アレルヤ、落ち着け。何か感じるんだな」
さっさと進もうとしたティエリアと刹那をロックオンは呼びとめ、ついには立ち竦んだアレルヤに近寄る。
「ごめんなさい……僕にはよく分からないけど何かが…」
声は途中で唐突に途切れた。ふらりと傾いだ身体にロックオンが手を差し伸べる間、アレルヤの肌に見知った文様が浮かび上がる。
「……ハレルヤ」
「おう。お前、何を敵に回したんだ?」
ハレルヤは現れるなり、顰め面でロックオンに視線を投げた。
「何を…って別に魔王とかそういうワケじゃない、ただの人間だ。俺らと同じ…召喚者かも、しれねえけど」
「ふん、じゃあこれはその人間に使役され…違うな、そいつは使役されてない。気配が濃すぎる」
「濃すぎる?」
鸚鵡返しの言葉に、ハレルヤはああと頷いて遠くに見えるターミナルを睨みつける。やがてくっと口の端を上げた。
「すげえな、ゾクゾクするぜ……ここら辺にいる悪魔どもは、そいつに怯えて出てこねェのさ。どれだけ束になっても敵わないからな」
「……それでも俺は…」
唇を噛み締めて俯いたロックオンの頭にハレルヤは手を伸ばす。柔らかな赤茶の髪ごと、軽く叩いてみせた。
「簡単に死ぬんじゃねえぞ?オレはお前の精気が気に入ってンだ、まだ食わせろよ」
「そんなの」
約束できるはずもない、とロックオンは続けようとしたが言葉は遮られる。
「忘れるなよ。お前の精気はオレのエサなんだ、エサが勝手に消えんじゃねえ」
「だから、そんなの…ハレルヤ!」
尚も言い募ろうとしたロックオンの前で、急速に身体の文様が薄れていく。そして。
「一人で勝手に行くなよ、ニール」
薄らと笑みを残したままにハレルヤはアレルヤと入れ替わった。
「……ッ、僕は…ロックオン?どうしたんですか?」
「あ、ああ……さっきハレルヤが、イチガヤにはすごい強い悪魔がいるからここら辺の悪魔たちが怯えてるって教えて…」
「すごく強い悪魔、ですか。じゃあやっぱりデビルサマナーなんですね」
平静を装うロックオンにアレルヤは小首を傾げたが、それ以上は何も追求せずに済ませる。何を言えばいいのか、分からなかった。
「ハレルヤは使役されてない、とか気配が濃すぎる、とか言ってたけどな」
「僕らはこれで召喚術を制御して彼らを使役しますけど、悪魔に人が使役されてもおかしくはないですよ。アストラル界は彼らの世界、何らかの理由で人間のアストラル体に干渉する悪魔が出てきても不思議じゃない。ハレルヤが僕の身体を動かせるようにね」
「……そうだな」
ハレルヤ、とさっきまでハレルヤだった身体が似た声で名前を呼んだ。ロックオンは気づかれぬように、手を握り締める。皮手袋の擦れ合う微かな音は、瓦礫を進む音に紛れた。
あれはまさしく、呪いではないか。呪いという言葉に馴染みは無かったが、ロックオンは舌打ちしたくなる思いで下唇を噛む。いつだったか、本名を知っているからその名前で魂を縛って喰らってやるとハレルヤはロックオンに言ったが、その脅しの意味が分かったような気がした。一年ほどの付き合いで、本名を呼ばれたのは初めてのことだ。まるで心配するようなことを言われたのも。嫌われてはいないと思っていたし、懐かれているとも理解していたが、これでは。
ロックオンはターミナルの上空を見るフリをしながら、顔を片手で覆った。
一人で勝手に行くなよ。もう、十年以上も前に同じことを言った自分。彼は今、どこにいるのだろうか。一人きりじゃなければそれでいい、と小さく息を吐いた。彼はもうすぐ、本当に一人になってしまうかもしれないから。せめて、誰か傍にいてくれれば。それが両親と妹でも、旧都心の外であっても、どこでも誰でも。
神なんて信じない。こんな世界しか創れない神は唯一至上でもなんでもない。けれど、許されるならば祈りを。彼に──ライルに、誰かと過ごしていく未来を。自分の罪科は自分で背負う、代償ならば引き受ける、だからどうか。
「……ごめんな」
「ロックオン?何か?」
「いいや、何でもねーよ」
不思議そうにこちらを見るアレルヤたちにロックオンは笑ってみせた。一人きりになってから、生き抜くことだけ目標を果たすことだけを考えて十余年。その目標はもう少しで結論が出る。結果がどうであれ、あの十余年前の朝から自分はずっと一人だったのだ。寂しさなんて分からない、一人でなければ休むことさえ出来ない、誰かと一緒になんて生きていけるはずもない。自分の命は、既に自分のものですらない。復讐を遂げるための糧でしかない命は、復讐を遂げれば無価値だ。

ごめんな、ハレルヤ。お前の一方的な約束は守ってやれねーけど、これだけは約束するよ。お前が守ろうとしたアレルヤ、アレルヤが守ろうとするティエリアと刹那とお前、四人とも俺が守る。俺の身勝手な復讐に巻き込んで、お前らを死なせたりなんてしない。それだけは、絶対だ。

精神体だというのだから、どこかで聞いているのかもしれないとロックオンは強く心の内で念じる。守りたいものなんて、何かが守れるなんて思ったこと自体が久しぶりだった。半年前にグラハムが守れたように、今度は四人を。アレルヤの中にいるハレルヤを含めた四人を必ず、守ってみせる。




イチガヤのターミナルも、人影はまるで無かった。悪魔の姿さえない街なのだが、とうに野生化してしまった烏が廃ビルに集まっているのを見てティエリアが不快げに眉を顰める。
「烏どもの巣窟かここは」
「すごい数だね、どこかに餌場でもあるのかな」
「……どこかで人が暮らしているはずだ。やつらはその気になれば死体でも食うが、人がいないのなら食べるものはこの街にない」
ゴミにしろ死肉にしろ、それは人の生活と直結している。小動物が自由に生きていけるような場所ではない以上、それしか考えられないと刹那は言い切った。ロックオンも頷いてみせる。
「だろうな。とすればどこか…地上にいないなら地下にでも人が住んでいるんだろう。その中に」
そう、その中に、あの男がいる。



辛抱たまらずハレルヤに出てきてもらいました、今度こそアリー。そしてグラハム。