magic lantern

7.62照射

蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下通路。元はサブウェイとして機能していたはずだが、今は不自然に明かりを点けているだけのがらんどうな通路だった。通風口や地上への階段近く、建物との隣接地に人々が隠れながら住んでいる。悪魔をつれているはずの男の消息は、杳として掴めなかった。そもそも、この街で悪魔を見たという人間がいないのだ。人々は口を揃えて忠告する。
「この街にはなにかとてつもない悪魔がいる。だから他の悪魔は出てこない」
逃げるだけの余力も無ければ気力も無い。地下でひっそりと息を潜めながら暮らす人々はそう言い合って、いつやってくるか分からない、本当にいるか分からない悪魔に怯えていた。
「あんたたち、何を探しに来たんだか知らないがあまり派手なことはやらないほうがいい」
「どういう意味だ」
訳知りの老人に刹那が尋ね返すと、老人は首をゆっくりと振る。
「悪魔なんかよりも、もっと恐ろしいものがこの街にはいる。ギャングだよ」
「……そんなに非道なのか」
「さて、悪魔がどれほど非道な生き物なのか、見たことのないワシには分からん。だが。この一年でこの街のギャングは様変わりした。無秩序に揮われていた暴力は秩序立ったが非道さを増したんじゃ」
「この一年で?」
アレルヤが念押しをするとそうだと老人は頷いた。
「統率された、とでも言えば良いか。あれほどの無法者を束ねているのだ、トップに立っているのが誰だか知らんがそいつは悪魔なんかよりよっぽど恐ろしい生き物だよ。やはりいつの世でも恐ろしいのは、人だ」
恐ろしいと繰り返す老人をよそに、四人は視線を交わす。一年前。共通したキーワードだ。売人上がりがギャングのトップになっていても何の不思議もない。
「爺さん、そのギャングの根城、知らねぇか」
落ち着き払った自分の声を、まるで他人事のようにロックオンは聞いた。根城の一つを告げられても、何の感慨も無かった。これで全てにケリがつくかも、しれないのに。


やはりというべきか、ギャングたちが根城にしているのは地下ではなく地上だった。イチガヤとクダンの間には川と呼べるほどの水路がある。水路はもともとチヨダの中心点を基準に円状に作られているものだが、その一部がイチガヤとクダンの間に通っていた。そしてその水路沿いにある、巨大な要塞と呼べるほどの頑強な建物。あれからロックオンたちが聞きこんで割り出した、ギャングの根城だ。城と呼ぶのに違和感の無い、威圧感のある建物だった。
「……あの、ロックオン」
「ん?俺のことなら気にすんな、大丈夫だからよ」
大丈夫だと口にすることに、何のためらいも無かった。仇敵と呼べる可能性の高い相手、その男が出入りしているはずの場所。見上げるほどの巨大な建物を前に視線を巡らせても、我を忘れそうな怒りに身を囚われることも無く、十数年滴らせた憎悪に身を浸すことも無かった。まるでどこか離れた場所で立っている自分を見ているような、非現実的な感覚さえあった。
「ならいい。行くぞ」
ロックオンを気にして足を止めたアレルヤと、同じように立ち止まったロックオンを刹那はそう言って追い抜く。ティエリアも同じように追い抜いてから、ロックオンに振り向いてみせた。
「ロックオン。貴方が何を思っていようと、今はミッションの途中です。それを忘れないように」
「ティエリア」
驚いたようなアレルヤの声に応えず、ティエリアはさっさと刹那の後を追う。残されたアレルヤとロックオンは顔を見合わせて、微かに笑い合った。
「……了解だ、ティエリア」



まるで示し合わせたように、四人が建物に近づくと一人の男が姿を現した。錆びた血に似た、暗赤色の長い巻き毛を揺らしながらやってきた男は前方にいた刹那とティエリアを見、そしてロックオンとアレルヤに目線を向ける。大仰に口の端を上げてみせた。
「よう、美人さん。久しぶりだなァ、会いたかったぜ?」
「お前……」
一瞬何を言われているのか、ロックオンには検討がつかなかった。しかし。声と自分のことをおかしな形容で呼ぶ喋り方には覚えがある。
「あの時にアンタの正体が分かってたら帰さなかったってのによォ」
正体、という言葉にアレルヤと刹那が戦闘態勢を取った。ロックオンとティエリアの前方に出て構えた二人を眇めるような目で見やって、男は巻き毛と同じ色の髭を手で撫でる。
「十年前のアオヤマでの事件に関与していたのはお前か」
「事件、ねェ。まァ噛んでたことは認めるぜ。別に口止め料はもらってないからよ」
「──!!」
何でもないことのように、軽い口ぶりで告げられた言葉に全身の血が沸き立った。この男が。一年近く前、研究所を出てすぐに廃ビル群の地下で会った奇妙な男。アリーと名乗り、見ず知らずのロックオンに貴重なはずの食料を提供した、男が。
口止め料はもらってない、ということは他に何らかの報酬をもらっていることになる。その報酬が何でどれだけなのか知らないし知りたくも無いが、そのせいでアオヤマの移民は──畢竟、ニールの家族は殺されたのだ。
「へェ……アンタ、生き残りか何かか。わざわざオレを殺しに来たってのか、ニール」
「!?」
ご苦労さんなこった、という皮肉げな言葉に耳を止める余裕など、四人にはまるで無かった。研究所を離れて一年、最初にアレルヤが知ったロックオンの本名は既に刹那とティエリアの知るところでもあったが、それをこの男が知る道理が無い。
「その苦労に報いて、面白いことを教えてやろうか」
何をどこまで把握しているのか、アリーは至極楽しそうな口調で続けた。
「オレは十年前からこの街に出入りしてんだ、今はAEUの外人部隊を連れて来てるがな。そこのガキ」
無骨な指で、アリーは刹那を指差す。刹那は露骨に顔を顰めてみせた。
「お前、シブヤのストリートチルドレンだろう?顔に見覚えがある。あんまり肝が据わってたんで、ナイフの扱いを教えてやったことがあった。少しは上達したか?そんで、アンタにもずいぶん助けられたよ、美人さん」
今度はロックオンに視線が固定される。美人と不可解な形容をされたことよりも、助けられたという言葉に途惑ってロックオンが反応できずにいるとアリーはおかしそうに笑う。
「アンタ、自分がいる組織のトップぐらい関心もって覚えておけよ?あんたに任せた仕事で失敗したことは無かったもんなァ、スナイパー」
「なん、だと……」
怒りで沸騰していたはずの血が、冷えていくのが分かった。足元が、崩れ落ちそうだ。
「ウチのニール=ディランディといやぁ、ちょっとは裏で名の知れた狙撃手だ、自覚はねえみてえだが。腕はいい、失敗はしない、無駄口は叩かない、おまけに大した美人ときてる。オレが本国にいる間にソレスタル何とかっつー組織に部下が売っちまったみてェだが、オレがいりゃあ大事に飼っていやってほど可愛がってやったのに、惜しいことしたぜ。……っと、ご挨拶だな」
尚も続けようとしたアリーの言葉を遮ったのは、ティエリアの攻撃がアリーの顔面を掠めたせいだ。
「その下卑た口を閉じろ、AEU第4独立外人騎兵連隊小隊長、ゲイリー・ビアッジ」
「へぇ…その名をいつどこで知った?ユニオンの連中でさえ、オレがここにいることは知らないってのに」
AEUの外人部隊、とアリーが口にした時点でティエリアはヴェーダに照会をしており、アリーが連れてきた部下の構成や武器の種類も既に分かっている。が、問題はそのようなところではなかった。ロックオンの仇敵と目される男が、あまつさえ、一時期ロックオンの上司で幼少期の刹那とも出会っていたという点だ。
「お前が知る必要は無い、そうだなティエリア」
「…あ、ああ。そうだ」
刹那は語気を強めてティエリアの同意をもぎ取り、ナイフを抜く。確かに幼少期にナイフの扱いの基礎を教えたのはこの男だ。そして、その時は違う名前を名乗っていた。同じようなルーツに見せかけるためだったのか、もともとアジア系の多いシブヤで動きやすくするためだったのかは定かでは無いが、確か。
「言いたいことはそれだけか、アリー・アル・サーシェス」
「へェ……よく覚えてンなチビ」
答える必要などない、と刹那は反応すらせずにナイフの柄を握る手に力を込めた。ロックオンの家族を殺したらしい男が、自分には生き残るための術を教えていた。この齟齬をどうすればいいのか刹那には分からない。分からないが、今分かっていることは、目の前にいる男がロックオンを侮辱したということだ。そしてそれだけあれば、ナイフを抜くには十分な理由だった。
「せっかくデビルサマナー様が雁首揃えてやってきたんだ、相応の出迎えってのが必要だな……出て来い!」
アリーは刹那やロックオンと違って、何の装備もつけていない。研究所がCOMPを渡していないのだから当然だが、それでもアリーの声に応じて現れたのは半透明の悪魔──契約した、守護悪魔だった。
「邪神・ニャルラトホテプ……」
ティエリアが呆然とした声で悪魔の名を呼ぶ。どこの地域の神話でもない、創作上の邪神、ニャルラトホテプ。歴史によって神の座を追われ悪魔に堕されたわけでなく、最初から人々に狂気と混乱をもたらすものとして定められた無貌の暗黒神。
「てめェがデビルサマナーで助かったぜ、おかげでこっちも手加減しないで済むってもんだ。来い、ミカエル」
「ダメです!」
ロックオンに倣うようにスサノオを呼んだアレルヤは慌ててロックオンの身体を掴む。
「離せ、あいつは俺が…!」
「とりあえず、ミカエルを戻して下さいロックオン」
「下がっていろ」
「刹那!?ティエリア!」
同じ後衛であるはずのティエリアまでもがロックオンを背に立って、フレイを召喚した。刹那はバールを呼んだ後、ゆっくりと振り返る。
「…ロックオン。相手がつけている悪魔の種族すら分からないか。お前が持っている悪魔たちでは相性が悪すぎる」
アリーはハレルヤと同じ、暗黒属性の邪神を呼んでいた。ロックオンが持っている悪魔、ミカエルやアズラエルは暗黒魔法が唯一の弱点と言っていい。
もう一体のテンセンニャンニャンは攻撃用では無いので、有効な悪魔をロックオンは持っていないことになる。
「それはあっちだって同じことだ、だから、刹…」
尚も言い募ろうとしたロックオンの背後に回り、刹那は素早くナイフの柄で昏倒させた。崩れ落ちる身体をようやくのことで受け止めて、傍らに寝かせる。
「そんな危険な賭けに臨んで、今お前を失うわけにはいかない」
「刹那、やりすぎ。まあ…僕も同じ気持ちだからいいけどね」
「彼に謝ることはいつでも出来ることだ。けれども、失ってはそれすら出来ない」
一連の行動を見ていたアリーは、さもおかしそうに口の端を上げて笑い声を立てた。肩さえ揺すって笑っている。
「いいのかよ?あいつがお前らのブレーンじゃねーのか?あいつは昔から頭良かったらしいからな。おまけに、殺すことに一番躊躇いが無いのはあいつだ。オレと同じで、山ほど殺してきてるからな。人を殺したことも無いような甘ちゃんに付き合って手加減してやるほど、オレは優しかねえぜ?」
揺さ振りを誘うような言葉に、3人は静かに目線を通わせた。一年傍にいて、分かったことがある。
「そのようなものを望んだ覚えは無い」
「その下卑た口を閉じろと何回言わせる気だ」
「僕たちも、彼を侮辱したあなたに手心を加えるほど優しくはないつもりです」
彼が自分自身を大事にしないのならば、その分、自分たちが大事にすればいいのだということ。何かを守るということは、決して優しさや善意だけでは為し得ないのだということ。
だから。
「おれたちはお前を許さない。決して」
「許してもらう必要なんてねーなァ!」
愉快そのものの声が、始まりだった。



なんか長くなった…。次はグラハムかな。