magic lantern

7.62照射

大した距離を走ったわけでもなかったのに、早く早くと気が急いたせいか、元いた場所に戻ったロックオンは息が上がっていた。心臓の弾み続ける音が耳にうるさい。いつもより速く血が身体を巡っていく感覚がして、ゆっくりと唾を飲み込む。唾と一緒に、目の前の現況を頭に叩き込んだ。
アリーが立っている周りの荒れ様が、戦いの激しさを否応無く物語っている。そして立っているのはアリー一人だけだった。
「ハロ、待たせて悪いな。刹那たちは」
地に伏せた三人は、微かに息があるようだった。召喚されていたはずの守護悪魔はCOMPに戻っているが、何故アリーが三人を殺してしまわなかったのかについてすぐに思い至ったロックオンは唇を噛む。
「グラハム、3人を連れて下がれ。絶対にこっちに寄越すなよ。俺は全員守りきる自信がない」
「……」
アリーはニヤニヤと笑ってみせるだけで、ロックオンとグラハムに割って入るでもなく、ユニオンの軍服を着ているグラハムについて何か言うでもない。ロックオンは頓着せずに隣立ったグラハムに視線を投げた。
「言ったからな、破ったら絶交すんぞ!」
「……絶交、とは可愛らしいことを言ってくれる」
くすりとグラハムは笑い、すぐにその笑みを収める。
「ガーディアンたちについては任せてもらおう、君は存分にやるといい。但し」
後を追ってきた部下たちに3人を担がせ、グラハムはまっすぐにアリーを見ながら横にいるロックオンに向かって声をかけた。
「私は君を失うつもりなどない。君が何と言おうが何をしようが、私は君を守る。そのために必要なことであれば、何も厭うことなど無い」
グラハムの青みがかった大きな目に射られたアリーは小さく肩を竦め、ひょいと手を振ってグラハムを追いやる仕草をみせる。そしてそのまま、ニャルラトホテプを召喚した。ロックオンが同時にミカエルを召喚する。神の愛を示す赤と神聖を示す青の衣を纏って現れたミカエルは無言のまま、抜き身の剣の先をアリーの横に召喚されたニャラルトホテプに向けた。
「俺の前であいつらを殺るつもりだったんだろうが、それだけは絶対にさせねえ」
アリーが戦闘不能に陥った3人を一息に殺してしまわなかった理由。それは自分自身にあるのだと、ロックオンは理解していた。いつかハレルヤが言っていた『破壊にしか興味の無い』人間同士、忌々しいことに聞かずとも分かってしまった。ロックオンが、ニールが破壊したいのはフォールダウンで、アリーを含めたそれにまつわる全てだ。けれど、アリーは破壊の対象を選ばない。破壊行為のみに、興味があるのだ。アレルヤやロックオンを気遣い守ろうとするハレルヤなんかより、よほど悪魔的な思考と言わざるを得ない。そして、だからこそCOMPを持ってもいない生身の状態で邪神ニャラルトホテプを召喚するに至ったのだ。
単に、同じデビルサマナーを殺すのはアリーにとって難しいことではない。人を殺すのは息をするのと同じレベルだ。けれど、息の根を止める状況を選んで考えさえすれば、単純に殺すよりもっと面白いものが見られる。誰かを絶望に突き落とすことは、誰かの精神を壊すことは、生命を奪い取るより長くその状況が楽しめる。そう、楽しむために。
目の前の男が仇敵であり、あまつさえその昔繋がりがあったと知れた時よりも自分の身体が熱い気がして、ロックオンは怒りを噛み潰すように息を吐く。逆上しては相手の思うツボだ、冷静さを失って判断を誤った瞬間に自分たちは生き延びる術を永久に失う。自らにそう言い聞かせながら、ロックオンは下唇を噛み締めた。
「お前は本当に面白ェな、美人さんよ。そのお綺麗なツラが怒りじゃなく、絶望に染め上げられるとこがますます見たくなったぜ。アンタを壊して、そのままオレが飼ってやるよ。こっちの寝床は広すぎていけねえ」
同じ、赤い巻き毛に負けん気の強さ。アリーは自分の好みだのタイプだのそういったカテゴライズに興味は無かったが、本国に飼っている外猫と目の前でぎりぎりと牙を剥く猫には確かに共通点がある。気の強い美人がどうも好みらしい。ただ、あちらとこちらは頭の良さの種類が決定的に違う。
あの外猫に知性や博識など求めるべくも無いが、あれは物の本質を撓めない。全てを率直に受け取り、疑うだけの知能が無いので真芯をすぐに捕らえてしまう。こちらは知性がありそれを活かして先が読める故に、己の思考に捕らわれて自らの身体を貼り付けてしまう。どちらも同じだけ愚かしく、アリーには映った。
戦場に思考など何の役に立つ。生き抜くための術は、身体が知っている。人間がこの惑星で生き延び、増え広がったのは涸れることの無い狩猟本能がいつの時代も人間を動かしたからだ。餌を狩り、誰かの地を狩る為に他の誰かの命を狩る。その果てしない繰り返し。ただ、それだけだろう。封鎖されたTOKYOはその縮図だ。自らの糧のために他人を欺き、蹴落とし、時には命すら奪い合う。誰かから何かを奪わなければ、生き延びることが出来ない。それは外界でも同じことだ。争いを忌避することに意味はない、人が二人いればいずれ争いになる。幾億といれば星が沈むほどの争いさえ起きる。ならば、その本能に抗うことこそ、無意味だ。闘争本能は、狩猟を旨としヒエラルキーの頂きに立ち続けるため必要なものなのだ。謳歌すべきではないか。何かを壊すことは単純な快楽に近い。それが綺麗なものなら、尚更だ。
「くだらねぇお喋りは仕舞いだ、……行くぞミカエル」
今アリーが知る限り、一番壊し甲斐のありそうな獲物はそう言って深緑の双眸と共に銃口を向けた。



グラハムは部下に命じて、3人を少し離れた廃ビルの側に寝かせる。昏倒した、という表現が近いような様子にどうしようかと思案しかけて、はたと自分の左腕に視線を落とした。グラハムのCOMPには最初に呼びかけてきたケツアルカトルのほかにもう一体、悪魔がいる。その悪魔が持つ魔法に、意識を回復させるものがあったはずだ。普段、自分以外の人間に魔法を使う機会など無いのですっかり忘れていた。その悪魔に思いを巡らした瞬間から、COMPは薄らと光って召喚術の始まりを示している。
「来たまえ、ケルベロス」
『ヨンダカ ナニヨウダ』
グラハムの眼前に、一頭の獣が現れた。ギリシャ神話において冥府の門を守る、獰猛な番犬。犬というよりはライオンに近い形をしていて、ライオンよりも大型で豊かな鬣は青い炎のよう、そして大蛇の尾をくねらせてグラハムの命を待っている。
「呼んだとも。彼らはどうも意識を喪失しているようなのだが、回復させる術を持っていただろう。かけてやってくれ」
『ワカッタ』
ケルベロスは蛇の尾を一つ振って返事をしてみせ、立て続けに3人にリカームをかけていった。
「……!!」
無言で身を翻して警戒態勢を取った刹那だったが、周囲の状況に気づいてぽかんと両目を見開く。アレルヤ、ティエリアもそれに続いた。自分たちはあの男に敵わず、倒れたのではなかったのか?
「ふむ。外傷はひどくなさそうだったが、どこか悪くしているかね。ガーディアンの諸君」
言われても私には治す術などないがね、と言いながらグラハムは3人の様子を検分していく。血を流すような大きな裂傷や刺傷は見当たらない。デビルサマナー同士の戦いを見るのは初めてだが、やはり悪魔同士の戦いになるのだろうか。
「ロックオンは」
「あちらだ。おっと、ご挨拶だな少年。私は君の願いを叶えたはずだが」
グラハムが指した先に、こともあろうにアリーと対峙しているロックオンの姿を認めて刹那はすぐさまナイフを抜いた。遠目からなので細かくは見えないが、互いに悪魔を召喚している。何かが掛け違えば一瞬でロックオンは命を失うかもしれないのだ。
「ロックオンを連れて離れろと言ったはずだ。何故」
「願いを叶えたと言っただろう、確かに一度私は彼を連れて離れたよ。ここよりも遠い場所までね。だが、目を覚ましたロックオンが私に望んだのだよ、自分の邪魔をするな、と」
「……それで?どうして僕たちがここに連れてこられているんですか」
「それも女神の命さ、君らを連れて下がれ、絶対にこちらに寄越すなと言われている。君たちには悪いことをしたかもしれないが、私にとってロックオンの言葉以上に尊重するべきものは、彼自身より他に無いのでね」
グラハムの言葉にアレルヤと刹那は黙ったが、ティエリア一人が口を開く。
「貴方は彼の部下でもなければ、厳密に我々と志を同じくしているわけでもない。その貴方が何故ロックオンの命令だと言って、ロックオン自身を危難に曝し我々に干渉するのですか」
「簡単なことだよ。彼は私の女神だと言ってきただろう。彼を愛した時点で私は彼の崇敬者同然、だから私は彼を女神と呼んだ」
アレルヤがグラハムの顔を真正面から見つめても、当のグラハムとティエリア、それに刹那は一向に意に介さない。
「不可解な理由ですが、貴方には貴方の理がありそれに準じた結果が現状だということですね。分かりました」
「……グラハムさん、は…ロックオンのことが好きなんですね」
好き。アレルヤは自分でそう言いながら、初めて口に出した響きの甘やかさに軽い眩暈を覚える。なに憚ることなく、ロックオンに向かって好きだ愛していると言える、人間。人間同士の付き合い、関係性の一種としてそういった言葉を交し合う知識はある。研究所でクリスティナがフェルトに向かって恋愛の必要性、なるものを説いていたのに居合わせたこともある。ヒトが交し合う、自然な感情。純粋にヒトと呼べない自分にも、そんな感情があるのだろうか。あってよいのだろうか。
「ああ、好いている。そのような言葉では言い表せないし、そもそも私の恋情や慕情を完璧に言い表すことの出来る言葉などないのだがね」
「そうですか……」
自分が彼に抱いている思いは、彼に関する全てに付随する感情の揺れは何と呼べばいいのだろう。そんなこと、研究所のどの本にも書いてなかった。
「アレルヤ、ティエリア、走れるな。行くぞ」
「うん、ごめん、すぐ行こう。ロックオンは今戦っているんだから」
「愚問だ、あの男は我々の敵だろう」
「待ちたまえ」
立ち上がった3人をグラハムの部下が取り囲む。
「どういうつもりだ、グラハム・エーカー」
「せめて、私が彼に怒られない程度まで回復してからにしてくれ。そのままの君たちをいかせたら、私は彼に愛想をつかされる」
ティエリアは眼鏡を指で少し押し上げ、ちらりとグラハムに視線を投げた。
「愛想を振りまかれていたような記憶はありませんが」
「手厳しいな、いつもながら。まあ元気が残っている証拠だということにしておこうか」
「…グラハムさん、相手は…あの男は悪魔ではなく、人間です。しかも今はAEUの正式な派兵に基づいてこの街にいる。あなたが正面切って戦うのは問題になりますよ」
4人がグラハムと会い、グラハムが召喚者となって半年経った。グラハムの進言によりユニオンは封鎖地帯内での行動方針を改め、グラハム自身も昇進して上級大尉として封鎖地帯の統括権限を全て掌握している。
「軍法会議もの、か。それぐらいで彼を救うことが叶うのなら大したことではないな。一平卒のほうが気軽でいいかもしれない。……全く、恋とは狂気の沙汰だ」
アレルヤとグラハムの会話に、部下がざわつく。グラハムは一度遠くのロックオンを見やってから、部下に視線を戻した。
「AEUの正式な派兵という言葉が真実ならそちらのほうがよほど大問題だな。ユニオンは何も聞かされていない。無論、プレジデントが承知していて我々が承知していないことなど山のようにあるだろうがね。あの男は私がユニオンの上士官だと知っても何も言わなかった、言う気がなかった。AEUの命で来たのは本当だとしても、あの男はAEU側に立つ男ではないのだろう。我々より、あちらは複雑な組織だからな」
何か言いたそうにしている部下たちにグラハムは笑って、手を翳す。無言のまま召喚されたケルベロスがグラハムの部下を睥睨した。
「この封鎖内で起きる全ての面倒ごとは私一人で責任が取れる。この力のおかげで私はその権利を得た。私がこの力を得たのは、ハワードの忠義に応えたかったからだ。身を挺して私を救ってくれた彼に応えたかった、私の部下を幾人も奪った悪魔に一矢報いたかった。そしてこの力のおかげで私は彼を守ることが出来る。勝手なことを言っているのは分かっているが、私は彼らとともに行く。行かせてくれ。その代わり」
ユニオンの兵士は既に3人を取り囲むことを止め、グラハムだけを見つめている。刹那たちもそれに倣った。
「必ず戻ると約束しよう。私も彼らも、今戦っているロックオンも、誰も彼も死ぬつもりなどない。そうだな」
グラハムの視線を受けた刹那は黙って深く頷く。死ぬつもりなど無いし、誰も死なせるつもりもない。生きて、生きて、生き抜くために戦っているのだ。悪魔と、この街に悪魔を呼んだ全てを打ち砕くまで死ぬわけにはいかない。


ハレルヤのターンが遠退いていきます……。アリー戦の戦闘自体は次ぐらいでケリをつけたい…マジで。