magic lantern

7.62照射

幕切れは、唐突だった。さっきまで五人を相手にしながら優勢を誇っていたアリーが、いきなりがくりと膝を折って地に伏せる。
「……ッ!?」
畳み掛けるように守護悪魔で攻撃しようとした刹那とグラハムを、ロックオンは片手で制した。
「クソ、が……っ」
「ニャラルトホテプが…還った、みたいですね」
舌打ち紛れに呟いたアリーの声を、アレルヤが静かに肯定する。確かに、アリーが喚んでいたはずのニャラルトホテプの姿は見えなくなっていた。
「この男は我々のように召喚を制御する術を持っていない。ニャラルトホテプは、もはやこの男から何も取れなくなった。だからいなくなったということだ」
ティエリアが説明してみせる間、ロックオンはゆっくりと両手でライフルを構え直す。距離にして200メートル、スナイパーライフルの射程距離としては十分すぎるほどだ。片目だろうと、右手の小指だろうと、正確に狙い打てる自信はある。
スコープ越しに見た、伏している仇敵の姿。この男が、家族を。
ロックオンが指を引こうとした、時。
「ロックオン…」
「死ねや!」
小さなアレルヤの呟きに、返ったのは銃弾だった。ロックオンが反応するより速く、小さな身体がロックオンと銃弾の間を遮ろうとする。過去の残像を見たグラハムが声を上げそうになった矢先。
「ッ、ティエリア!…ミカエル!」
目の前に飛び込んできたティエリアの身体を、ロックオンはライフルを投げ捨てて抱き寄せる。銃弾に背を向ける姿勢でティエリアを抱きしめたロックオンを守ったのは、ロックオンの守護悪魔であるミカエルだった。ミカエルが張った絶対防御の壁が銃弾を弾き返し、弾はアリーの太ももを貫いている。
「ティエ、リア…何してんだ!」
「……貴方に、そっくりお返しします。貴方は何を迷っているんですか。殺すにしろ拘束するにしろ、早くして下さい。ミッションはまだ終わっていません。貴方を失うわけにはいかない」
両肩を掴んで怒鳴ったロックオンに、ティエリアは少しだけ表情を歪めた。
「ああ……そうだな。悪かった」
ティエリアを放し、ロックオンは腰に携帯しているハンドガンを手に取る。そして、アリーとの距離を詰めた。膝を折った姿勢で太ももを撃たれたアリーは、にやりと笑って両の手を挙げてみせる。
「さあ、オレを殺すんだろう?ニール」
「……あんた、初めて会ったときに俺に似た髪のヤツがいるって言ってたな」
「パティのことか。ああ、いるさ、本国に」
「そいつは、お前の何だ」
スコープ越しに見た時、感じたはずの憎悪はティエリアを抱きしめた途端に霧散してしまった。憎悪で人を殺したことなど、ニールには一度だって無かった。憎悪を持て余して身体を動かせなくなった結果、ティエリアと自分を危険に晒したのだ。ハンドガンの銃口は真っ直ぐアリーの額に向けられている。
ティエリアに庇われた一瞬、ぱっと身体の血が凍った。殺す、死ぬ、ということは誰かが誰かを失うことだ。今ここでアリーを殺すことは、誰かからこの男を奪うことになる。今まで山ほどの人を奪ってきた手で、また、誰かから別の誰かを奪う。
「さあなあ?可愛がっちゃいるが、なにせ底抜けの馬鹿だからな、いつもギャンギャン景気良く吼えやがる。あいつはフランスの正規軍だ、ここには来られない。もう一年ぐらい会ってねーな」
「……」
「おい、いまさらお情けかよ?笑わせるぜ、オレとお前は同じだって言っただろう」
「そうだろうな」
同じだろう。言われるままに人を殺した過去は、消えも変わりもしない。しかし、この力を得て刹那たちやグラハムを守れたこともまた変わらない事実だ。誰かを奪ってきた力は、誰かを守る力になろうとしている。そう、なりたかった。……ずっと。
「家族を殺したおれを活かすなんざ、お前の憎悪とやらも大したものじゃないらしいな」
「……」
一瞬、ロックオンはトリガーに指を宛がったが、奥歯を噛み締めて踏みとどまる。ずっと前から分かっていたことだ。こんなこと、誰も望まないのだと。父も母も妹も、仇を討ったところで喜びはしない。よくやったなんて言ってくれるはずがない。どこにいるか知れない弟は、きっと眉を顰めて自分を軽蔑するに決まっている。分かって、いたのだ。これはただの、私怨。ニール一人の、憎悪。
「そんなことをお前に量る権利も資格もねェよ。これはおれの私怨──お前を憎んでいるのはおれで父さんたちじゃない。仇をとりたかったのはおれで、取ってくれと言われたわけじゃない。言わせてもくれなかった。全ておれが選んで、おれが始めた。だから、おれがケリをつける」
復讐しようと思ったのは、十年前のニールだ。最初は真相が知りたいだけだった。真相は曖昧なまま憎悪だけを十年滾らせて、気がつけば、手どころか身体ごと他人の血で染まっている。こうなることを決めたのも、引き金を引いたのも、いつだって自分自身だ。
「おれの家族をお前みたいな薄汚い血で汚してたまるか、そんなものおれ一人で十分なんだ」
家族の死を理由に、その復讐のためにアリーを殺せばニールの優しい家族は血で汚れる。血は、血を呼ぶ。それだけは、どうしても嫌だ。ニールは噛み切りそうな力で、下唇を噛む。殺して、それで、終わりになることなんてきっと何も無い。どこまでも薄汚れるだけだ。
「グラハム」
「……何だね」
「ここにAEUの軍人が大怪我をしてる。本国へ護送することは出来るか?」
「なっ!?」
アリーの大声に、アレルヤが驚いて目を見開く。グラハムはふむ、と腕を組んだ。
「そうだな、今回のAEUの軍事行動はユニオンに知らされていない。ユニオン領に密かに派兵していたとなっては問題だろう、そこのところを押さえれば身柄の引渡しは可能だろうな。プレジデントは喜ぶだろうよ、AEUに借りを作れて」
「ふっざけんじゃねェぞ、お前何抜かして」
「俺は今すぐにでもお前を殺したい、家族の仇を討ちたい、恨みを晴らしたい。でも、それじゃ一緒だ」
殺して溜飲を下げたところで、そんなものは一時の気休めに過ぎない。何をしてもニールの家族は戻って来ない。天国にいるだろう家族に、最早ニールは会う資格も術も無い。ロックオンはふにゃりと顔を崩した。泣きそうに歪んだ顔に、その場にいる全員が息を飲む。いつの間にか出てきているミカエルがふわりと背後からロックオンに両腕を伸ばした。
この男が十年来の仇敵だと知る以前。ロックオンは、アリーと同じテーブルについたことがあった。アリーがユニオン軍の輸送車を襲撃して得たという、食料や貴重なミネラルウォーターまでロックオンはその場で受け取って口にしている。その時。


「おれはアリー、ちょいとワケありでここをねぐらにしてんだ。お前は?」
そう笑ったアリーの顔は、いかにもアンダーグラウンドに生きる男のものだったが、アオヤマの移民たちを壊滅させた悪人にはとてもでは無いが見えなかった。スラムやギャングの頭、そんな感じだった。
「だんまりかよ。まァいいか。お前、アイツと似た髪してんな。アイツのが赤くて長いけど、あんたのはきれいにカールしてる」
「……アイツ?」
ロックオンが思わず話を向けると、アリーは屈託の無い笑いさえ、見せたのだ。
「もう一個のねぐらによく来る、外猫みたいなヤツだよ。可愛いっちゃあ可愛いが、底抜けに馬鹿だ。ま、そこを含めて可愛いんだけどな」
可愛い、と繰り返したアリーの声には偽りの陰など見えなかった。いかにも癖のありそうな本人とは違って、驚くほどの単純さで気に入っているのだと告げていた。


その、赤髪の人物がパティという名だという。フランス軍の、軍人。ティエリアがずいぶん前にアリーに言った、外人部隊所属の名前。AEUの外人部隊に所属しているこの男には、帰りを待つだろう者がいるのだ。ロックオンは目線を地に落とす。アリーがさきほどロックオンを撃ったハンドガンが、転がっていた。
「俺がお前を殺せば、パティってやつがきっと悲しむ。んでお前を殺した俺を恨む。同じじゃねえか、もうそんなのはうんざりだ。そんな堂々巡りに意味なんてねえんだよ」
最初から、意味など無かったのだ。復讐を遂げて、残るのは、虚無。
「……でも、俺はここでお前を見逃して次お前に会ったら、きっとまた殺したくなる、銃を向ける、悪魔の力が無いお前に魔力で攻撃するかもしれない。自制できる自信がない」
「もうごめんだ、俺の視界から消えろ、アリー・アル・サーシェス。次会ったら、俺は必ずお前を殺す」
ぐっとハンドガンを握ったロックオンの手に、グラハムの手が重なった。グラハムは力を込めてハンドガンを握ったままの手を下へと戻し、ぽんぽん、とロックオンの肩を叩く。
「ロックオン、この男のことは私に任せてくれるな?君が悲しむような真似はしないと誓う」
「ありがとな……」
「礼は不要だ、言っただろう、君は私に命じればいいのだと」
そうだったな、ロックオンがそう返した声は、言葉にならなかった。




グラハムが部下を呼んで護送の準備をしている間、四人はアリーを囲むように座ったまま目を離さなかった。誰も、喋ることが出来ない。刹那は何度かロックオンとアリーの顔を見比べた。この男が、ロックオンの『死ねない理由』で『達成しなければならない目標』。この男を、殺すことが。
当のロックオンが殺さずにグラハムに預けるというのだから、それに否やを唱える資格など誰も持ち合わせていない。けれど、その目標をロックオンが成し遂げてしまったら、彼はどうするのだろうか。死ねない理由は消えてしまう、生きる意味も消えてしまう?
「……一つ、聞いておきたい。お前は何でアオヤマの移民を狙った」
ロックオンの静かな声には、怒りが隠れもせずに現れていた。アリーはくっと唇の片端を上げて笑う。
「止めとけよ、お前の慰めになるような理由なんかオレにはありはしない」
「聞いているのは俺だ」
双眸で射抜かれたアリーはやれやれ、と大仰にため息をついた。
「……アオヤマの移民に薬を渡したのは、そうしろと言われたからさ。オレに薬と大金を手渡したチビは、アオヤマに流行っている病気の特効薬だと言って渡せとそう指示したからな。この街でユニオンの紙幣は意味が無ぇけどな、外から物を買う分には有効だ。探せばこの街でも金と引き換えに何でも寄越すヤツはいる。その金でオレは組織を作って、さんざん楽しませてもらった。お前にもなァ」
「……」
「金も良かったが、オレは今のこの街の状態が気に入ってる。力のある者だけが生き延びる、戦いが生きる全てになる、これほど楽しいことはねえな。戦いは…闘争本能ってのは生きてるヤツ全てが持ってる本質だ。正義ヅラして平和を唱えて何の意味がある、どうせ恒久平和なんてものは来ない、人は争わずに生きてはいけない。だったら楽しんだほうが勝ちだ」
ロックオンは、怒りに貫かれて動くことも喋ることも出来なかった。こんな男に、家族は殺された。薬を手渡したという人間も、アオヤマにいる移民を全てターゲットにしていて、そこには何の理由も無いのだ。移民が集まる街はいくつもある。シブヤだったら刹那が死んでいたかもしれない。
あまりの怒りで顔を白くさせながらも自分を睨みつけるロックオンに、アリーはますます楽しげに笑った。
「イイ顔だなァ、ニール。おキレイな面が歪んで、ますます好みだな。さんざ可愛がって泣かせてやりたくなるねェ。……一つ、いいことを教えてやろうか。お前が知りたがってるコトだ。オレに薬と金を渡したチビは、リボンズと名乗っていた。直接顔を見てはいねえが、人間の気配じゃなかった。背丈はそこのガキ程度、やたら物腰の丁寧なガキだ。そいつが薬を作ったのか、そいつはただの運び屋か、オレは知らねえがな」
「リボンズ……」
そこのガキ、とアリーはティエリアを真っ直ぐ顎で示す。ティエリアほどの背丈の少年、名前はリボンズ。その人物が薬を作ったかは別だが、大金を自由に出来る身分で、薬を街にばらまく意図を持った、ロックオンの仇と呼べるかもしれない。


実はアリロクだったらアリー死亡も考えてました。これはアリコラだから。次こそハレルヤのターン!