magic lantern


「なあニール?」
この男のどこに、これほどまでの力があるというのか。ロックオンは呼ばれなくなって久しい名前を無遠慮に連呼する仇敵を睨みつけた。噛み締めすぎた奥歯が痛みを訴えているが、それさえ麻痺してきている。
ロックオン──ニールの仇敵、アリー・アル・サーシェス。一年近く前、研究所から旧都心へと出てきてすぐの頃に、廃墟と化したビル群の地下で出会った男。仇とも知らず、同じテーブルについた自分。
アリーはロックオンの葛藤を見透かすように、せせら笑った。
「お前はオレと同じ穴のムジナだ、お互いただの人殺しだもんなあ。悪魔を狩って人を守る?山ほど人を殺したやつのやることじゃねえよ、誰かを守ればてめえの罪が消えるとでも?」
嘲笑う男の赤毛が揺れる。傍にいる誰かが息を飲む音が、ロックオンに聞こえた。
通称名、フォールダウン。ニールの家族を含めて、アオヤマの移民たちの命を一晩にして奪いつくした悪質ドラッグ。そのドラッグをアオヤマに持ち込み、移民たちに無償の奉仕を装って手渡した男の名前と、昔に地下で出会った男の名、そして組織にいたときに聞いたことがあったかもしれない、スナイパーとしてニールを飼っていた組織を束ねていたはずの男の名。それは全て同じで、今、五人の前でにやりと口の端を上げている。
「……消えるわけ、ねえだろう!!」
震えていたロックオンの声は次第に大きくなった。何かに焦るように、何かを隠すように。
「俺は今も昔も単なる人殺しさ、ああ、お前と同じな。昔は人を今は悪魔をてめえの理屈で殺してんだよ!だからなあ、今更おまえ一人殺すのに躊躇いなんてねえよ」
そう、躊躇ったりなどしない。ロックオンはもう一度、ライフルを構えなおした。このライフルさえ、フォールダウンと引き換えに組織が得たものかもしれなかったが、そんなことはどうでも良かった。ただ、この男を殺すことさえ出来ればそれが全てだ。

7.62照射

ハオマというドラッグの情報をスメラギから得たのは、4人が研究所を出てすぐのことだ。ハオマとアムリタ、どちらも悪質であることに変わりはないが、悪魔たちと関連しているわけでもフォールダウンと関連しているわけでも無かった。ただ、蛇の道は蛇という言葉が示すように、ドラッグの売人たちは他のドラッグについても幾分情報を持っていて、その中の一人が十年前に一度だけ姿を見せたフォールダウンについて覚えていることがあるという。
「何でもいい、どんな些細なネタでもいいから」
ロックオンの熱意に押されたというよりは、その後ろにいる3人の姿に似合わぬ迫力に圧倒されたのだろう、辺りを伺いながらも売人は情報を提示してみせた。
「そのクスリをアオヤマの移民たちに撒いたのは、ある男だ。そいつが売人なのか、作った方なのかは知らねぇ。ただ、その男は移民たちから代価を取ってない」
「……らしいな」
代価を要求されなかったことは、フォールダウンをもらったという父母に聞かされている。ロックオンは小さく頷いた。
「何かの実験だとかいう話もあるが、オレが知ってる限りでアオヤマの件に関わったのはその男一人だけ。他はさっぱりで、あのクスリ自体、アオヤマ以降は消えちまったからな」
「その男については?」
「3年前姿を消したと聞いてたが、最近また見るようになったって噂を聞いたぜ?イチガヤでよく見るとか、何でも──」
そこで売人は一度言葉を切る。ロックオンが眇めて銃を見せると、慌てたように両手を挙げた。
「おっと早まるなよ。そいつはおっかないって有名だが、お前らも同じぐらいおっかねえな。その男の名前は分からねえし、怖がって誰も呼びやしねえ。が、そいつはデビルサマナーだって噂がある。悪魔をつれた姿を見たことがあるとも」
「なに!?」
4人が揃って驚いた風を見せると、その隙に売人は距離を取ってバーの入り口へと走る。
「あんたら、何に首突っ込んでんだか知らねぇが、悪魔とやりあおうなんざ、自殺行為だ。間違ってもオレを巻き込んでくれるなよ」
「ああ」
刹那が返した声を最後に、売人はそのまま地下通路へと消えていった。残された4人は顔を見合わせる。
「デビルサマナー……」
「エーカー中尉、じゃないですよね」
「グラハム?そんなわけないだろ、アイツはここに来てまだ一年ぐらいしか経ってないはずだ。昔ここにいたなら、悪魔のことを知らないわけがない」
ロックオンは気遣うようなアレルヤの言葉にそう言いながら首を振った。出会った時のユニオン軍の惨状、グラハムの様子、全てが嘘で芝居だとは思えない。芝居がかった物言いをする軍人ではあるが、好んで人を欺くようには思えなかった。
「ロックオン」
「ん?」
ティエリアの視線はまっすぐ、ロックオンだけに注がれている。ロックオンが首を傾げると、一度だけ咳払いをした。
「ただの人間、ただのドラッグであればこのミッションには無関係です。その相手が貴方の仇敵であっても」
「ああ、分かってるよ。悪かったな、付き合わせちまって」
「そうじゃありません。間違えないで下さい」
「ティエリア?」
アレルヤが問いかけると、ティエリアは幾度か視線を彷徨わせて小さくため息をつく。
「ただの人間ならば我々が介入する必要はないでしょうが、相手がデビルサマナーだというなら……悪魔を連れているのならば話は別です。あの男の話がただの噂話にしろ、我々と同じデビルサマナーと聞かされて看過するわけにはいかないでしょう。イチガヤならここからそう遠くはない」
ティエリアの淡々とした言葉にアレルヤとロックオンは顔を見合わせた。どちらともなく微かな笑いを零して、ロックオンはテーブルのグラスへと手を伸ばす。情報料の一部として売人に提供した酒だ。
「……ありがとなティエリア」
どうせ酒を口にするのなら、いい気分で飲めるほうがいい。ロックオンは泡の消えたビールを一気に飲み干した。薄い味のビールだったが、気分がいいのでことさら美味く感じる。
「感謝される謂れはありません。行くのなら早いほうがいいでしょう」
「僕もティエリアに賛成です。もしあの男の言う通りデビルサマナーなのだとしたら、この状況に何か関係があるのかもしれませんし」
研究所を出て一年ほどが過ぎた。悪魔は増える一方、人々は悪魔があまり出ていないと言われる北東部へと移っていった。移るほどの余力が無い者たちは怯えて地下に潜っている。地上を歩いて誰かとすれ違う、そんなことさえ稀になった。
「おれも異論はない」
刹那の声にロックオンは頷いた。仇敵に銃口を突きつける日を、復讐を果たすその日をどれだけ望んだか知れない。けれど、いざその可能性を目の前にしても冷静を保っていられる自分に驚きながら、微かに目を伏せる。組織に──ソレスタル・ビーイングに入った意味は確かにあったのだ。相手がもしサマナーでもそうではなくても、この情報を得られたのは今の自分だからこそ。そして今の自分が冷静でいられるのは黙ってこちらを見ている3人のおかげに他ならない。
「オーケイ。じゃイチガヤに移動しよう。あそこら辺に行ったことはまだ無かったな……ハロ、案内頼むぜ」
「任された!任された!」


イチガヤまで移動する道にも、人影は無かった。僅かに残った人々は地下に逃げ隠れ、様々に悪魔が増え続ける現状を憂いている。曰く、最終戦争だ、最後の審判だ、誰かが悪魔を召喚しこの街を滅ぼそうとしているのだ、と。ロックオンたちデビルサマナーも様々に噂されていて、彼らを救世主と呼ぶ一方悪魔に従う呪われた者だと呼ぶ人たちもいる。デビルサマナーが元凶だという人間さえ、少なくはない。何が本当なのか誰も分からず疑心暗鬼になり、これ以上の惨劇を恐れて地下へ闇へと隠れ行く人々。
神々の黄昏、世界最終決戦、四度のラッパと四騎士の導き、過去に人類が記した終末の姿と旧都心の様相はあまりに違う。違ったが、自分たちとは違う存在によって齎されようとしている終焉──その一点だけが共通していた。悪魔が闇雲に人々を襲うわけではないと一部の人々は気づいている。ただ、襲わない保証も無いので生き延びるには逃げ隠れるより他無い。人は、悪魔の持つ魔力に対して徹頭徹尾、無力だからだ。
「……なんか、本で読んだ光景に似てる気がする」
「何がだ?」
ロックオンの問いに、アレルヤは歩を緩めないまま辺りに視線をめぐらせる。人の気配さえ、無い廃ビルの群れ。
「世界の終わり、最後の日。主人公以外、世界には誰もいないんです。街に立ってもどこを向いても誰もいない。……今は彼らがいますけどね」
彼ら、とアレルヤが示したのは刹那でもティエリアでも無く、遠巻きにこちらを伺っている悪魔たちだ。研究所を出た当初に比べて悪魔は自分たちに対して慎重になった、とロックオンは感じている。
悪魔にもコミュニティがあるのか、明らかに下級の悪魔たちはまずロックオンたちを襲おうとしない。満月でも、だ。今は爪の先ほどしか月が姿を見せておらず、新月に近づいている時期だから悪魔が沈静化しているのは道理だが、それとは別に力量を推し量って行動している節がある。推し量ると言っても、こちらに媚びへつらうわけではなし、敵いそうも無い相手だと悟った悪魔は逃げていくだけだ。中には恐怖刺激にでもしているのか、逆に近づいてこようとする悪魔もいるし変わらずに襲ってくる悪魔もいるので、悪魔といえど対応はそれぞれなのだが。
「世界の終わりね。永遠のモチーフだな。ま、こっから十マイルも離れればいくらでも人はいるし、百マイルも離れれば繁華街だってあるだろうよ。こんな閉鎖地帯じゃ、そう思っちまうのに不思議はねえけどな」
「……そうですね、ネット放送を垣間見れば人々の暮らしは覗けますけど…あまりにもこことは違いすぎるから別世界のように思うのかもしれません」
ヴェーダを介せば世界中のほとんどのネット放送を傍受することが出来る。AEUのニュース番組だろうと、人類革新連盟の政見放送だろうと、だ。ニュース番組に映る、どこかの地域の人々の平和そうな暮らし。折々にテロや暴動や犯罪のニュースは混じるけれど、今旧都心では見られるはずもない人々の当たり前の暮らしがパネルの向こうで広がっている。予定という言葉を当たり前に使う世界、寝ている間に死ぬかもしれないと怯えないでいい世界。それはあまりにも、遠いものだ。



アリー編、スタート。